アメリカの元大統領ビル・クリントンがヴェーガンになったというニュース・アイテムを読んで、確かに近年クリントンはグローバル政治で倫理面に関する取り組みに積極的に係わってきたことを思うと、まあ、ヴェーガンも納得できるわね、と思っていた(議会で嘘ついたのは彼だったけどね)。しかし、もっと先進的で倫理的なダイエットといえば、それは昆虫食に違いない。
先日、CBCラジオ番組Qで昆虫食(entomophagy)について話していたのだが、それにしても、昆虫食を勧めるダニエラ・マーティン(Daniella Martin)のなんと情熱的だったこと!
昆虫食。ここ最近、この言葉をときどき聞くようになった。トロントでも昆虫を出すレストランがあるとか、一流シェフが昆虫を料理しているとか、グルメの延長としての昆虫食に関心が集まっている。一方では、将来、グローバル規模で食糧難の時代がやってくるという危機感から、たんぱく質やビタミン豊富な栄養食である昆虫食が脚光を浴びている。
ダニエラ・マーティンによれば、古代マヤ文明やアステカ文明では昆虫が食べられていたそうで、昆虫食に対して嫌悪感を示すのは文化的なものだという。「北米では20年ほど前には刺身や貝類を食べることはタブーとされていたが、今ではスシはポピュラーで、貝類をはじめとする魚介類は最も高価な食材のひとつとなっているではないか。昆虫が気持ち悪いというのは慣れていないだけ」。
そして、彼女が言うにはその固定概念に支配されているだけで、「みんな気付かないけれど、毎日、昆虫や虫を食べている」らしい。「マッシュルームには小さな虫がついているし、穀類や豆類にも目に見えない虫がついている」。(聞いてた私は飛び上がりそうになったわよ・・・)
ベジタリアンに対しては、「パンに豆腐バーガーをはさんで食べているあなただって、パンの原料である小麦粉を作るためにはたくさんの虫が殺されている」と応酬する。また、「都会の虫はお勧めできない」とも。いろんな菌がついている可能性もあるし、衛生上の問題がある。なので、「ファームで育てられた飼育昆虫がお勧め」らしい。
このインタビュー、かなり興味深かったのだが、聞いたあとは何だか気持ち悪くなっていた。もちろん、環境にもやさしいし、グローバル食糧難に抗する有効な手段であることも納得しているのだが、どうもやっぱり私には食べられそうにない・・・。食糧難になったらそのときに考えたい(ごめんね、ダニエラ・・・)。
そういえば、ふと思い出したが、1年ほど前、母が日本から送ってきてくれた「イカナゴのくぎ煮」を見て、「キャー!」と思ったことがある。同時に小さなエビの佃煮もちょっと気持ち悪く感じた。その反応に自分でも驚いた。日本にいるときはまったく違和感を感じなかったのだから、恐らく北米でこうしたものを食べないで12年間暮らした結果なのだろう。文化というのは私たちの身体や感覚に深く染み付いていて、私には犬を食べたり、ウサギを食べたりすることに対する嫌悪はあるが、ユダヤ系の友人が嫌悪するタコやイカ、甘エビなどは大丈夫というのだから、「何を食べて是とするか」に関しては線引きが曖昧な判断なのである。
ダニエラ・マーティンは小さいとき東京で育ったと言っていた。その経験が、「自分の文化や特定の文化が絶対ではない」ことを教えてくれたという。たしかに、自分の文化がチャレンジされるような、そうした経験こそグローバライズ世代の子どもたちにぜひさせておかなくてはならないものだと思う。
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