1ヶ月ほど前に、CBCラジオ番組のCurrentでparental abductionについて話していた。聞いていると、元妻(日本人)が2004年に子どもを日本に連れ去ったまま子どもと離れ離れになっている、というモリー・ウッドという人がインタビューを受けていた。彼の話によれば、カナダの裁判所からは彼が親権を与えられていたにもかかわらず、2004年、元妻が日本に子どもを連れたまま帰ってしまったとのことである。現在、子どもたちは17、15歳になっており、日本に帰ってから、母親は子どもたちからカナディアン・アイデンティティを奪い、カナダの家族と連絡を取らせないようにしているとのことである。モリー・ウッドは、「親による子どもの拉致」が子どもにもたらす心理的虐待について幾度となく強調していた。
彼の話だけ聞いていると、リスナーはみんな、子どもを取り上げられた父親の悲しみを感じて、「何という母親だろう!」と思ったことだろう。このプログラムのアンカーも彼に同情的だったし、この父親側の話だけ聞くと、ハーグ条約加盟は当然!という意見を抱くのは自然な成り行きだろう。
しかし、実際には国際離婚にともなう「親による子どもの拉致」の実態はもっともっと複雑である。そして、長年、日本政府が欧米から批准を迫られていたHague Convention on the Civil Aspects of International Child Abduction(国際的な子の奪取の民事面に関するハーグ条約)を考えるとき、この複雑性が日本政府の批准に足踏みさせていたのだろうかと思えば、ちょっぴり日本政府にも希望が持てるように思ったものだ。だから、2011年5月に日本政府が批准に前向きな姿勢を示したときは、あれっと思った。時事通信 (5月19日付)の”同条約に関する副大臣会議座長を務めた福山哲郎官房副長官は記者団に「子どもの福祉を第一に考え、加盟してもいいのではないかという結論に至った」と語った”を読んときには、「子どもの福祉を第一に考える、なんてそんなの当たり前じゃない! それが結論なら、なんでこんなに長い時間がかかったのよ?」と思ったものだ。
たとえば、このシチュエーションを自分の状況に照らし合わせてみたとき、カナダという外国に住む私(母親)の状況は明らかに不利である。たとえば、裁判になれば、外国人であり、フルタイムで働いていない私に親権が100%下りる可能性はきわめて低い。親権がいくらか下りたとしても、あるいは下りなくても、定期的に夫は面会の権利を求めてくるだろうから(それにそれは裁判所の指示であって断れないから)、日本に帰ることもできない。そうなると、異国の地でシングル・マザーとして生きていく決断をしなくてはならないが、その決断が簡単に下せるわけがない。
しかし、だからといってモリー・ウッドの元妻のように二国間の司法のギャップを考慮もせず子どもを連れて帰るのを推奨することは到底できない。ウッドが主張するように、子どもたちは友達や家族(親類)と突然連絡を閉ざされるのだから、母親の行動に起因する孤立と重荷は計り知れない。
個人的には、日本にはハーグ条約に加盟してほしいと思う。しかし、批准する、批准しないとは別に、国際離婚に伴なう子どもの拉致に関して、欧米諸国と日本政府との間で、先に記したような現実を照らし合わせた相互理解をより深める必要があると思われる。それなくしては、批准しても、批准しなくても、この問題は私たちのような国際結婚カップルに突然襲い掛かってきて、二国間の理解の違いという大きなクレバスのなかに陥って身動きが取れなくなるのは目に見えている。具体的には、二国間の間の法律や文化の違いを理解する専門家やカウンセラーの設置、さらには国際離婚を考えている人たちに対するサポートやメンタル面での援助などを提供する機関の設置が求められる。
数年前、外務省は領事館を通して国際結婚している日本人に「ハーグ条約に関しての意見書」みたいなのを配って、アンケート調査をしていたことがある。実際に当事者となるであろう国際結婚カップルの意見や、その集計はどういう形で、今回の判断(批准するという)につながったのであろうか。せっかく取った調査の結果をきちんと活かすことが必要だろう。
しかし、私にはひとつ腹が立つことがある。それは、こうして国際結婚カップルの問題になると、国際結婚した日本人女性が「非国民」だの「パンパン」だのと野次られることである。そんな低俗な野次に私も応える必要はないと思いながら、そういう輩はKaren KelskyのWomen on the Vergeを読んで自らも一生懸命けなしている当のスキームに巻き込まれている事実を認識することをお勧めしたい。
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