先日、エリックの行く保育園で保護者会があり、そのときにお母さんのひとりが「保育園で出される食事の安全性を確保すること」について話し合いの糸口を提示した。対応した保育士は、「それは放射能のことですか」と言って、「それは難しいですねえ。産地を特定することで、被災地の人たちが困っているという状況もありますし、被災地支援にはならないと思いますし」とコメントした(このコメントだけ読むとわかりにくいけれども、保育士の口調からはお母さんの不安を一蹴しているわけではないと私には感じられた。ただ、「子どもの安全」に対して「被災地支援」という言葉で応えた感覚に、私はむしろ驚いた)。
そのときのやりとりで考えさせられたのは、share the pain(痛みを分かち合う)という考え方。日本に来てから、日本人が震災と原発事故、その後の「被災地支援」や「復興」を語るときに、よく出てくるナラティブのひとつが、これであることに徐々に気付き始めていた。
私が見る限り、share the painという考え方は何も日本文化に独特のものではないが、ことさら日本人の心の琴線に響くような気がする。そして、私にはこの考え方を推進しようとする力がどこかで働いているようにも思う。つまり、この考え方を推進しようという人が、あるいは団体がどこかにいるように思う。「がんばろう日本」のなかにも、「がれき問題」にもこれは明らかに見える。
日本に来てみると、原発問題は「がれき受け入れ問題」に集中していて驚いた。そして、以前読んだ新聞の投書欄には「日本全国の市町村ががれきを受け入れるのは当然。日本人として痛みを分かち合うのは当然」という意見が多数出てきたが、これは「share the pain」の典型的なものだ。一方では、がれき受け入れに反対している人たちに対して「身勝手だ」とかいう意見が出てくる。放射能に汚染された震災がれきは被災地では焼却能力を上回っていることから、全国の都道府県が「復興」という横断幕のもと、瓦礫の受け入れに積極的になってほしいと、政府は都道府県に伝えている。
この状況を目の当たりにして、思い出すのは戦争があった時代のこと。そのときも「お国のため」に国民の自由が制限された。「戦地で苦しい思いをしながらお国のために戦っている兵士のことを思えば、これくらいのことは我慢できると思ってがんばった」と言った祖母の言葉のなかには、share the painの考え方にどっぷりと浸かっていたのだということが伺える。
share the painは確かに美しい考えであるし、コミュニティが強く結束して何かを成し遂げるための秘密であると思う。しかし、問題は、そうすることで問題の根本的原因をうやむやにしてしまう可能性があることだ。「がれきに反対するなんて、君は非国民か!」といった論だけに感情的に集中してしまうと、この汚染されたがれきがどういういきさつで出てきたのかが追いやられる。実際、日本に来て以来、私には放射能汚染に対する受け止め方に関する意見の違いの方がやたら取り沙汰されていて(意見の感情的二分化)、この汚染を引き起こした東電やこれまでの政府の原子力推進政策に対する批判がほとんど出てこない現実に唖然としている(これがカナダだったら絶対にありえない)。
もうひとつ言わせてもらえば、「share the pain」に子どもを含めた市民の健康や将来をねじりこむのはやめてもらいたい。議論がここまで行くならば、この国は市民の権利が剥奪された戦時中や独裁体制にあると言われるべきであろう。民主主義の柱のひとつは国が国民の権利を蹂躙しないことである。こうした暴論に民主主義を踏みにじらせてはならない、と強く思う。
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