Tuesday, January 25, 2011

トロントとホロコースト生存者

Toronto StarのGreater Torontoセクション(January 24)で、Open Windowというベーカリーが廃業に追い込まれたという記事を読んだ。

以前住んでいたSt. Clair×Bathurstあたりには、Open Windowベーカリーが1軒あって、どっしりしたパンが好きな私はそこでライブレッドをたまに買っていた(クロワッサンやバゲットはあまりおいしいとは思わなかったけどね・・・)。Open Windowとの名の通り、このベーカリーはパンづくりをしているベーカーがガラス越しに見え、他のベーカリーと比べてかなりヨーロッパ的(あるいはユダヤ系)な雰囲気が漂っていた。スタッフも親切な人が多かったし、そこのバクラバやハルバが私は大好きだった。

記事を読んで知ったのだが、Open Windowベーカリーの創始者は、わずか7ドルを持ってカナダに渡ってきたホロコースト生存者のMax Feigで、1957年の設立以後、どんどんチェーンを増やし、1980年代の最盛期には日本にも冷凍ベーグルを輸出していたとか。最近のリセッションの影響、小麦粉や砂糖、オイルなどの日常品の価格急騰などに押されて、ビジネスを畳むこととなったらしい。

Open Windowベーカリーの創立者Max Feigは現在、アルツハイマーが進行し、自ら興したビジネスが廃業に追い込まれた事実は認識できてないという。

多文化都市トロントには、各エスニックでシニア用施設が多く存在しているが、ユダヤ系のためのBaycrest はケアの面でも研究の面でもカナダで最高の高齢者施設とされている。私は以前、このBaycrestで撮られたドキュメンタリーをCBCで見たことがあって、そのときの衝撃はいまでも覚えている。

ホロコースト生存者の入居者はアルツハイマーを患うと、若いころに経験した悲惨な体験に根付いた行動に出ることが多いらしい。たとえば、ある入居者は、何度も何度も食事をこっそりとベッドの下や棚のなかに隠して、「そんなことをしなくてもいいのよ」と言われると、「いつ食べ物がなくなるかわからないし、いつ連行されるかわからない」と口癖に言っていたというし、看護婦がはいていた木靴(サボ)の音を聞くたびに強制収容所のドイツ人看守の思い出が蘇ってきてパニックになる入居者もいる。

また、アルツハイマーにかかった高齢者のなかには、成人して学んだ言語(トロントの場合は英語)をすっかり忘れても、小さいときに話していた母語だけははっきり覚えているという人が多いと聞く。そのため、Baycrestにイーディッシュ語を話す専門家やナースがいるように、移民都市トロントのエスニック用高齢者施設では特定の言語が話せるスタッフを抱えていることがカギになってくる。

ちょっと古いデータだけれど、2001年の統計調査によれば、カナダのホロコースト生存者2万3660人のうち、1万2815人がトロントエリアに住んでいるという。この数は、カナダ全国のホロコースト生存者の54.2%にあたる(ちなみに、1997年8月時点での世界の推定ホロコースト生存者数は834,000 から960,000 人)。

戦後、ヨーロッパに留まることを選んだ生存者はほとんどいなかったため、ヨーロッパではホロコースト生存者が世界に存在すると聞いて驚く人もいるという。しかし、トロント周辺ではこうして何らかの機会にホロコースト生存者の話がメディアに浮上することが時折ある。また、新聞のObituary欄にもときどき「ホロコースト生存者」という文字が出てきたりする。

なんだかベーカリー廃業の記事とはまったく関係のない話題になってしまったが、ホロコースト生存者の話がこうして何気なく出てくるところはトロントならではなのだろうね、と思ったのであった。

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