Sunday, November 27, 2011

visible minority(ヴィジブル・マイノリティ)という表現

トロント市の掲げる謳い文句といえば’Diversity Is Our Strength’。

人口の半数が海外で生まれ、文化的多様性という意味では世界に例をみないトロントに住む私たちは、この謳い文句を誇りをもって受け止めている。


トロント人口のうちヴィジブル・マイノリティの占める割合は40.29%でほぼ半数。しかし、選挙で選ばれた政治家をみてみると、ヴィジブル・マイノリティの市議会議員は45人のうちわずかに5人、パーセンテージにすると10.9%と驚くほど低い。


これを連邦政府レベルでみてみると、47人中の8人(17%)、さらに州政府レベルでみると、47人中の12人(25.5%)となっている。


これを問題とみるか、問題ではないと見るかは人によって違う。白人以外は選挙に立候補できないという法律がないのだから、問題とではないという人もいれば、多様なバックグラウンドを持つ人口が反映されていないことを問題とみる人もいる。


しかし、同時に問題を感じるのは「ヴィジブル・マイノリティ」という言葉である。カナダの多文化主義を語るとき、あるいは統計局が出す統計調査の結果を見ると、「ヴィジブル・マイノリティ」という言葉にしばしば出くわす。その度にこの表現に違和感を感じずにはおれない。いわゆる、非白人という意味だが、白人のグループのなかにいれば目立つ、という意味のこの言葉、明らかに白人中心主義的な、問題大ありの言葉である。


カナダ連邦政府の法にthe Employment Equity Actという雇用の平等性に関する法律がある。この法では、4つのグループをDesignated Group(指定グループ)と定め、歴史的に不利益を被ってきたこれらのグループのメンバーに雇用者が積極的に職の機会を与えることを推進している。いわゆる、優遇政策である。

4つのグループにあたるのは、Aboriginal peoples(カナダ先住民)、Members of visible minorities(ヴィジブル・マイノリティの一員)、Persons with disabilities(障害をもった人)、Women(女性)。とりわけ、さまざまなレベルの政府関係、公務員の職に応募するときには、「私はヴィジブル・マイノリティです」という項にチェックするような申請用紙もあって、その下には「私たちの組織は就職の機会均等に力を注いでいます。あなたが指定グループの一員だと採用される可能性は高くなります」という注意書きがあることもある。


以前、このことでカレッジのクラスで大議論が起こったことがある。東欧、ロシア出身のクラスメイトが、「これはひどい。私も新移民で、英語もネイティブじゃない。移民としてはまったく同じ立場なのに、白人だというだけで採用される可能性が低いというのは差別的だ」と主張した。


「私たちロシアからの移民は、英語ネイティブではないし、カナダ文化にも精通しているわけじゃない。それは同じであるのに、たとえば非白人であればヴィジブル・マイノリティということで特に政府関係の組織では採用率が高くなるって、おかしすぎる」。彼女たちにしてみれば、肌の色だけを基準としたこの法こそが、「白人に対する逆差別」だというふうに見えるのである。


一方では、非白人と言われる私も、どうもひっかかる。ヴィジブル・マイノリティはノン・ホワイトであって、ホワイトを基軸としたホワイト・セントリックな差別的表現を未だに使っていてよいものか・・・。ときどき、この表現に対して批判の声があがっているのを見ると、いずれこの表現、消え去る運命にありそうな感じではあるが・・・。

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