Thursday, July 22, 2010

書評『日本人の国際結婚—カナダからの報告』(彩流社)「日系ボイス」2010年7・8月合併号掲載  

本著はトロント在住ジャーナリスト、サンダース宮松敬子氏の第三作目。一世母の半生記、同性愛問題と幅広い視点からカナダおよび日本の社会事象を見つめてきた著者が今回選んだテーマは「国際結婚」。この本が他の「国際結婚モノ」と異なる点は「国際結婚をしている日本人側の思いばかりでなく、多くの配偶者やパートナーの方たちの意見も同時に聞けた」ことである。つまり、当事者の「生の声」が綴られている点が本著の特徴だ。

自ら国際結婚をし、長い間、国際結婚というトピックに関心を寄せてきた著者は、特に近年になって日本で国際結婚が日常化し、一方では、その現象が著者の住むカナダの国勢調査に反映されている事実との間に興味深い関連性を見つけたのである。

「2006年の国勢調査でも、同じようにmixed unionの率が一番高いのは、日本人(約75%)(中略)、その数値はカナダ在住のどのエスニックのグループよりも高率」となっており、著者はその理由を考えるため、さらに日本人の国際結婚の実態を調査するため、二〇〇八年秋からカナダ全土で日本人の国際結婚者に対するアンケート調査を開始する。この調査で約二〇〇名から得られた回答およびそれらをめぐるストーリーが、本著の大きな柱となっている。

内容を概観すると、カナダ紹介、カナダと日本における国際結婚、その(可能的)背景、さらには国際結婚で生まれた子どもたち、両親との関係、日本・カナダ・アメリカにおける国際結婚の受け取られ方、今後の日本人移住者コミュニティーなど、国際結婚をめぐる多彩な事項を扱う構成となっている。

アンケートという方法によって、国際結婚カップルの実態を把握しようとした意図を、著者はできるだけ回答者のことばで伝えることで達成しようとしている。とりわけ著者が関心を寄せている「日本人のカナダ観、カナダ人の日本観」は、2文化にまたがって生活している者には実感としてうなずけるものも多い。そして、こうした声に触れるうち、「個」と「文化」の多重性、曖昧性についていろいろと考えさせられた。
 
ネット上にも西欧人と日本人の国際結婚の問題点が双方の文化的違いの縮図としてあらわれていると示唆する例は氾濫している。集団より個を、先のことより今を重んじるカナダ文化で育ったパートナーに、以心伝心や謝罪文化で育ってきた相方が困惑するのはうなづけるし、結局のところ、お互いの文化を認めた上で歩み寄りの態度が必要となることもわかっている。ただし、こうしたカップル間の問題も厳密にはどこからが「文化的」でどこからが「個人的」なのかと考えると、そんなにはっきりとは言えない。

そのよい例が、あるエピソードにあらわれている。国際離婚を通じて言葉でのコミュニケーションの大切さをつくづく感じた人が、帰国直前に国際結婚している女友だちに言葉について聞いてみると、「それほど深い話をするわけではないので、不満はない」と言ったというエピソードに、著者は「めし」「風呂」「寝る」で用が足せる日本の中年夫婦の実態を対比させ、国際結婚であろうとなかろうと夫婦間のダイナミズムの問題が根本的問題なのだと気付かせてくれる。

言葉を介したコミュニケーションということでいえば、個人的には夫との間というより、夫の友達や家族(義兄がBritish!)との間でよっぽど苦労している。そして、これが何度か出てくる「日本人の妻は人を呼ぶと、キッチンに入ってばかりで会話に加わろうとしない」というクリシェとして表れているのかもしれない。実際、私にも会話に興味がもてなくなるとキッチンに入り込む傾向があるので、これを読んで「私個人の傾向かと思っていたけれど、あれって文化的なのね」とひとり苦笑してしまった。「文化的」も「個人的」もそう簡単に切り離せるものではないようだ。

さて、これは私の推測に過ぎないのだが、著者はひょっとすると結婚という形であれ何であれ、海外で長年生活していくことと日本人としてのアイデンティティということに関心を寄せているのかもしれない。著者が岸恵子のいう「日本人の血のいのち」という言葉を取り上げたり、長年、海外に住んでいる人たちの「日本回帰」の例を取り上げている部分は、本著で最も洞察深さを感じる。

著者が以前本紙に寄せた文章を参照にすれば、岸恵子の結婚は、最後には彼女の「日本人の血のいのち」に対するこだわり、一方では「ぼくは、君の日本に打ち勝てない」という元夫のコメントにあらわれるように、文化の違いによって破綻している。

国際結婚の破綻は文化という「壁」を越えられないときに起こるのか。国際結婚カップルにとって、お互いの文化はどのような位置を占めるのか。文化的要因は「個人」を押しつぶし、年を追うごとに湧き出してくるのか。このあたり、非常に興味深いテーマだと感じた。

長年にわたり日本・カナダをバイリンガルで見据えて考えてきた著者の強みは、何といっても両国(さらには世界)の情報リソースをたくみに操るスキルであり、折に触れ、オバマ大統領の出生のエピソードなど、日常的な社会事象を挟み込み、より広い事柄との関連性を考えさせてくれる。また、国際同性婚(ほら、私のコンピュータでは一度に変換できない!)について焦点を当てている点も大いに共感できた。『カナダのセクシュアル・マイノリティたち』の著者にとっては当然であろうが、日本人読者にはこの章は多くの示唆・メッセージを提供していると思う。

最後にひとつ気になった点を補足しておく。
アンケート中のいくつかの質問に対して疑問を感じずにはいられなかった。たとえば、カナダ・カナダ人が好きですか」「日本・日本人が好きですか」という質問は、マイノリティとしての意識とともに生きてきた私にしてみれば排他性を感じるし、回答者や読者をステレオタイプへと陥らせる危険性がある。「何かあると、物凄い勢いで、文句を言って来る。しかも納得する結果が出るまでは、周囲を気にすることもなく、怒り丸出しで気持ちを伝えてくる」という回答が「カナダ人の気質・人間性」というところでくくられていたり、「文化的な探究心が少ない人が多い」「会うカナダ人ほぼ全員が日本は中国の南にあって暑い国だと思っているようで…」には、心底驚いた。一体、何をして「日本人」、何をして「カナダ人」なのか。個人と文化が曖昧に交錯する現実を考えれば、最後までこの疑問がぬぐえず、言い知れない居心地の悪さを感じた。とりわけ、日本でのカナダの知名度が低い事実を考え合わせれば、質問の投げ方を工夫する必要があったのではないかと思えてならない。

本著は、これからカナダで(あるいはカナダ人と)国際結婚をしようと考えている人にとっては、子どものことや離婚、日本のハーグ条約問題、老後のことなど長い目で見られ、国際結婚の実態が見えて有用であろう。一方、私たちのように国際結婚しているカップルにとっては、自らの結婚生活にあらわれる問題点を文化的側面から捉え直すうえで興味深いヒントを与えてくれる。回答として出されたエピソードやコメントをもとに、すでに私と夫の間では日々、議論に華が咲いている。

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