数ヶ月ほど前、Globeの記事に日本に関するものを見つけて読んだ。その記事は、動物の形をした日本製のシリコン輪ゴムが、北米の子どもたちの間で爆発的なヒット商品となっている、という内容だった。子どもたちは競うようにしてそれらを集め、学校に持ってきてはそれを交換したりしているうちはいいが、それがエスカレートして、輪ゴム欲しさに窃盗やいじめといった現象も見られ始めたという。
これを読んで、私は知人の小学生の子どもで私が遊びに行くと必ずポケモン・カードを見せてくれる男の子のことを思い出した。彼がそのカードを見せながら教えてくれるところによると、学校でこうしたカードを集めたり、交換したりするのが流行っているらしい。あるいは、たくさん集めるために、両親を説得したりするのも大きな仕事になっているらしい。
日本人の知人が子どもにくれたおみやげのなかに、日本製の入浴剤があったが、それは子ども向けで、おまけとして「虫キング」というスティッカーがついていた。それを見ながら、こうしたスティッカーやカードは、それ自体がCollectable(集めるもの)になりうるものだと、そしてそれは日本のConsumerismの特徴のひとつだと思った。
「集めさせて、次々に買わせる」。これは、明らかに子どもたち向けの戦略に違いない。子どもたちはものを集めるのが好きだし、それをネタに、学校でさまざまな社会的インタラクションが起こるのも確かである。しかし、夫のような北米人から見れば、これは「資本主義の汚い面」であって、掘り下げて考えてみると、プロテスタント文化では、とりわけ子どもを対象にものを売ろうとするのは道徳的に間違っているという考え方が、長い間根付いていた。
最近はそれも崩れ始めた感は否めないが、やはり企業はどこかで自制しているような感じを私は受けるし、一方の両親たちもこうした企業のやり方には警戒感を覚えていて、子どものときから誕生日会の会場を提供したりするマクドナルドは、いくら経営的には成功しているにしても、企業の一般的な社会的評価はかなり低い。
日本は、ある意味で、売れれば何でも出す、といった極度な消費社会である。こうした発想は、海外に住んでいる人たちにはちょっと理解しにくい。
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