Saturday, November 27, 2010

グローバル経済格差とナニーの実態

カナダ人の大半は、カナダは国際社会で積極的に人道的支援を行い、国際協調の仲介役、あるいは人権問題でも主導的立場に立っていると考えている。それゆえに、もし、カナダが発展途上国の人たちをExploitしていると聞けばにわか信じがたいだろう。

カナダ人の多くが見逃している人権問題のひとつは、外国人労働者に対するSystemic discrimination(構造的差別)である。Systemic discriminationというのは、社会構造や社会の規則(法律やルール)のなかに温存されている形でおこる差別で、極端な例をあげるとカースト制やアパルトヘイトなどがこれにあたる。カナダ国内で起こっている外国人労働者に対する差別は、グローバライゼーション、もっと細かく言うとグローバル経済格差、グローバル人身売買の問題とからんで複雑なのだが、これらの問題はカナダ政府が導入したLive-in Caregiver Program というプログラムによく反映されている。

Live-in Caregiver Programは、高齢化による社会変化に対応するために30年ほど前に導入された移民政策にかかわる制度で、簡単に言えば国内で需要があるにもかかわらず供給が不足している介護(Caregiver-介護や育児にあたる人材)分野に海外から安い労働力を導入することを目的に考案された制度である。

Live-in Caregiver Programの対象になるのは、介護者やPSW(Personal Support Worker)、ナニー(子どもの世話役)で、期間は2年間。2002年には93%がフィリピン出身者、とりわけ女性が大半を占めているという統計が示す通り、この制度のほとんどがフィリピン人労働者によって補われている(トロントでは「ナニー」といえば「フィリピン人」と連想されるほど、フィリピン人ナニーへの需要は高い)。カナダの移民制度はポイント・システムをとっているため、学歴や職歴などで高いポイントを取れるエリートたち(たいていは発展途上国で高学歴・高収入の男性)に有利に働く。そのため、たとえばフィリピンの農村出身の女性たちには、Live-in Caregiver Programはカナダでの労働を可能にする唯一のパスポートということができる。このプログラムをはじめ、外国人労働者を一時的に受け入れる移民制度は、ヘルスケア、建設業、農業といった国内の労働力不足の分野に労働力をもたらしたとして評価されているが、他方では外国人労働者の権利を確実に保護していない点、自国のリッチ層のために海外の安い労働力を使うという倫理性の問題、仲介エージェンシーによる人身売買の問題といった暗部も指摘されている。

一方で、フィリピンの現状に目を向けてみれば、1970年代以降、フィリピンは高い失業率や貧困といった国内問題を解決する手段として、外貨を稼ぐことを目的として安い労働力を海外に輸出するという政策を取ってきたことが分かる。とりわけ農村の女性たちが安い労働力として、欧米はもとより中東、香港などにも大量に出て、ナニーとして働いている(ごく最近、UAE発マニラ行きの飛行機のなかで子どもを産んだフィリピン人ナニーが、子どもを遺棄したとして逮捕された事件があった。彼女の妊娠は雇用主によるレイプとされ、外国人の一時的労働者の労働条件の過酷さや権利の欠如を浮き彫りにしている)。

これらを考えあわせると、カナダおよび外国人一時労働者を受け入れている国々とフィリピン政府にとっては、Win-win situationにあたるわけだけれど、この制度は非常に深刻な問題をはらんでいる。

私がナニーと接点を持ったのは、エリックが生まれてからで、その当時、私たちはトロントでも高級住宅街として知られるフォレストヒルにあるアパートに住んでいたため、公園で多くのフィリピン系ナニーと知り合いになった。

彼らの話には度肝を抜かれた。ほとんどの女性たちが、フィリピンに幼い子どもたちを残してきており、1年に1度、雇用者が許せば国に帰れるということだった。ほとんどが、長時間労働、コンディションに関して不満を持っていて、最初は子育てと簡単なハウスキーピングが仕事だったのに、徐々に掃除や洗濯、料理や、パーティーがあれば給仕の仕事などもさせられるようになったと言っていた。

マリアという若いフィリピン人ナニーの話には耳をうたがった。雇用主はあるドラッグストアのオーナーで、家にはプールが2つ、テニスコートがひとつあるという大きな邸宅に住んでいる。マリアに与えられた部屋は窓もない物置部屋みたいな部屋で、ベッドがひとつ、小さなテーブルと椅子があるだけで、テレビも電話もなかった。1歳と3歳の子どもの世話を6時から7時という約束にもかかわらず、朝6時から夜、子どもたちが寝るまで(たいてい10時ごろ)面倒をみているという。苦情を訴えると、「それなら、他のナニーを雇う」と一蹴されてしまったらしい。国では彼女の仕送りを待っている家族がいる。帰りたいけれど、帰れないという状況に、彼女は窒息しそうだと言っていた。

フィリピンに残してきた2歳の子どもの写真を見せてくれながら、マリアは涙をこぼしていた。
自分の子どもを国に残して、カナダの地で裕福なカナダ人の1、3歳の子どもの世話をしているこの小柄な20代の女性の置かれている状況に、グローバル経済格差、ポスト・コロニアリズム、南北問題などといった国際問題が複雑に絡んで見えた。

まず、グローバル経済格差が1国のうちに見られるようになっていること。従来、ある国で見られた社会的階層(労働者階級、中間階級、上流階級など)の差が、グローバライゼーションの影響により、国際社会における経済格差を反映するようになっていること。具体的にいえば、貧しい国から来た移民が社会の下層部に位置し、低賃金労働に従事するような現状がそれである。結局のところ、グローバル社会では個人は国境を自由に行き来することができるけれど、国際経済秩序の影響から逃れることはできないということなのだろうか。

ポスト・コロニアリズム。フィリピン人ナニーが好まれる理由のひとつは、彼らが英語を理解することにある。フィリピンがアメリカの元植民地だったことを考え合わせなくてはならない。

移民制度。私も以前はJanice Steinの言うように「今後は先進国は深刻な労働力不足という問題に直面する。そのとき海外から労働力を入れられるかどうかが、その国が経済的に成功するかどうかのカギになる」と考えていた。そのため、カナダのように積極的にスキルを持つ移民を獲得することを目的とした移民政策は必須だと考えていた。しかし、移民政策や労働力不足の問題を考えるなら、1国の経済的繁栄だけに絞って考えてもいいものかと、今は考えている。たとえば、カナダ国内の医師不足を理由に、カナダは海外で医師の移民に高いポイントを与えているが、それがエチオピアで不足している医師をエチオピア人から奪うことになるという側面があることにはあまり考慮をはさまない。そして、一方ではエチオピアに対する経済支援をしているという現状には何か問題がある。それに、貧しい国からエリートを奪う先進諸国の移民政策は、国際人道上、あるいは倫理的に正しいことだとも思われない。

国際経済支援の問題、および先進諸国に住む人たちの発展途上国に住む人たちに対する理解。さらに、多くのカナダ人は、外国人一時労働者を雇うことは、お互い(外国人労働者およびカナダ人)の利益になると考えている。ナニーの雇用者の多くは、良心的にフィリピン人ナニーを雇うことが、貧しいフィリピン人女性を助けることになると考えている。しかし、本当にそうだろうか。フィリピン経済が長期的に安定するような援助をすべきではないだろうか。

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