Saturday, December 4, 2010

Who are you?

現在、私がカレッジ学生としてPracticumをしている場所でワークショップが行われた。
参加者は、1)白人カナダ人、2)アジア系カナダ人、3)メキシコ出身の移民、4)中国出身の移民の計4人。

自己紹介をしたり、ちょっとしたアクティビティをしたあとで、「第二外国語は話せますか」という質問に対して(多文化都市トロントではバイリンガルが大半)、2の人が「日本語を少しだけ・・・」と答えた。
それからしばらくして、4の人が2の人に向かって「あなたの英語にはアクセントがまったくないが、どうしてなのか」という質問を投げかけた。2の人は苦笑し、”I’m Canadian”と言った。

さらに、このワークショップにゲストスピーカーとして招かれていたフランス出身の女性が、2の人に向かって”You are a newcomer, too, right?(あなたも移民でしょう)”と言った場面があった。2の人は”No, I’m not”と言いながら、またまた苦笑していた。

これを見ながら、私は考えていた。人は見かけで判断するのだ、やっぱり。2の人は明らかにアジア系の容貌で(日系と韓国系のカナダ人と言っていた)、シャイであまり自分から話をするタイプではなかったので、会場にいた人の多くが「彼はアジア出身の移民に違いない」というAssumptionを抱いたに違いない。Assumptionのひとつは容姿(見た目、肌の色、髪や目の色)に関するもので、もうひとつは態度(口数の少なさ)だったのだろう。もちろん、私たちは見かけ(Appearance)で判断する、というより私たちはいつも情報を探っているのであるから、Appearanceからも何らかの情報を受け取ろうという態度を常に保っている。だから、たとえば「私がどう見えるか」は他人にとっては「私という人間」を規定する大きなひとつの基準となる。仕事や何かの面接に行くとき、きちんとした装い、清潔な風貌で現れるのはそのためである。

しかし、それをその場で口に出して言うか、あるいは相手に自分のAssumptionを確認するか、という段になると、人は大きく2つに分かれる。私個人の経験を言えば、多文化のなかに長年住むうちに、Assumptionを相手にぶつけないような術を自然に学んできたような気がする。私だって見かけで判断されてAssumptionをぶつけられたことがあるし(そして、それは全く気分のよいものではない)、それがあるからこそ2の人(アジア系カナダ人)について思いをめぐらせた。この人はこれまでどれほどたくさんの人から同じような質問を投げかけられてきたことだろう。その度に苦笑するしかない彼の心情を思うと、何だか非常にやりきれない。

というわけで、AssumptionがFactになるまではそのことについては口をつむいでおく、というのが私のやり方。一方では、Assumptionをぶつけられたときは(2の人のように)苦笑しながらやりすごすという仕方も学んだ。

どこにも書かれてはいないけれど、多文化のなかで快適に暮らすためのTipのひとつだと私は思っている。

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