今朝のCBCラジオ番組Currentで、カナダの若者の失業率を取り上げていて非常に興味深いと思った。
統計によれば、若者(15~25歳)の失業率は15%。率としてはそれほど高くないが、専門家によればそのうち仕事を探している人の割合は約63%で、残り約35%は自ら仕事を探すことをやめた人たち(Opt outした人たち)だという。
昨日のToronto Star紙にはカナダで今、失業中なのは若者および移民であるという記事が載っていたが、実際、私の感覚としても、その通りである。カナダの移民制度はポイント・システムを採っているため、高学歴の移民が多く、カナダの若者もまた、多くが大学を卒業している。ただ、移民にとっては仕事がない、ということは危機的な問題なので、低賃金労働であるエントリー・レベルの仕事でもとりあえず見つける。しかし、ジェネレーションXである親や教授たちに「学位をとればよい仕事が見つかる」と言われ続けて大学を出た若者の感覚としては、低賃金労働に就くぐらいなら再び学校に戻って新しいスキルを身につけようとする。そのため、移民は低賃金労働に従事、カナダ生まれの若者は仕事に就く時期を復学によって延期するという現象が現れているという。
番組のなかで、専門家が昔の若者も同じように失業率の高さに直面していたが、昔と違って、現在、失業中の若者が陥っている大きな問題は、毎年のようにかさむ借金であると指摘していた。
以前ほどではないが、カナダでは今も大学の学費は自分で払っている学生が多く、彼らは年々増える学費に首を締められている。仕事が探せればいいが、さらにまた学校に戻ったりするようなことになれば、またまた借金が増える。また、グローバライゼーションにともなう競争の激化、アウトソーシングといった労働市場の変化も彼らには向かい風となって立ち向かってくる。失業率の高さは長年、先進国では社会問題のひとつとなっているが、実に仕事を探している人たちの数といったら半端ではない。
話をちょっと変えるが、私にとっては9時から5時まで働くというリズムがどうしてもライフスタイルにあわない。9時から仕事が始まるとして、家を出るのが8時、帰ってくるのは6時。ということは、1日24時間のうち10時間を仕事に拘束されるということで、睡眠時間を7時間と考えれば、残りの7時間が自分の時間となる。でも、この7時間は、食事をしたり、料理をしたり、シャワーをしたりという時間が含まれるわけで、決して純粋な意味での「自分の時間」ではない。「自分の時間」という言葉で私が意味したいのは、自分の人生をゆたかにするために使える時間ということ。
(シュタイナーのFour Temperamentsのうち)Melancholyに属し、明らかなIntrovert(自分の外の世界より内の世界を広く持っている人たち)に属する私にしてみれば、こうした時間がないと精神的にどうもやっていけない。いや、一体全体、どうして1日の半分の時間を仕事に費やす必要があるのだろう、と私は疑問に思う。もちろん、こうしたリズムで問題なく生活できる人もたくさんいるし、それが社会のノームであるとされてきた。しかし、社会全体が9-5の人たちのリズムで動いているなかで生活するのは、私のような少数派に属する人たちにはかなりきつい。私もよく考えれば、今までこうしたリズムの生活から無意識的にOpt outしてきたと思う。
そこで、どうだろう。私たちのような9-5が合わない人のためにも、失業率の高さを軽減するためにも、もっともっとフレキシブルな労働形態を導入してみるのはいかがだろう。長時間働いている人たちと仕事がない人たちのあいだで、仕事の量をシェアするような労働形態を考えてみるのはいかがだろう。9-5が社会のノームであるというのは所詮、誰かが生み出した幻想なのだ。もっと別の労働形態を考えることができるはずだし、そうすれば、もっと家族で過ごす時間も増えるだろうし、趣味に時間を割くこともできる。自分を高めたり自分に向き合ったりする時間だって増えるだろう。仕事の量をシェアすることによって、失業率は低くなるし、GNPは減っても、もっと心ゆたかな生活ができるのではないかしらね・・・。
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