11月16日、TDSB(トロント市教育委員会)は、これまで議論が続いてきたアフリセントリック高等学校の開設を承認し、2012年あるいは2013年には開校したいとの意図を発表した。14対6という圧倒的賛成多数での決議だった。
Africentric school(アフリセントリック・スクール)とは、アフリカ系生徒のためのエスニック・スクールである。カリキュラムではアフリカ系の歴史や、コミュニティに特有な問題などを扱い、自らのルーツに対する自己意識を高める意図が込められている。
統計によれば、TDSB学区のアフリカ系生徒は約3万人。そのうち40%がドロップアウト(中途退学)している。他のエスニック・コミュニティのうち、アフリカ系グループは退学率が高いグループのひとつであり、学力的にも劣っていることは、長年指摘されてきた。その原因として考えられているのが、ヨーロッパ系文化を基盤としたメインストリームの学校では、自らのアイデンティティに対する自信と帰属意識を育むことができない点、さらにはロールモデルとなりうるアフリカ系教師が少ない点、コミュニティに特有の問題を深く理解しない教師との意識的な溝などである。こうした分析に基づいて、アフリカ系生徒の置かれた現状に最も見合った教育を提供することで中途退学率を減らし、卒業後の進学率を高めることができるとの判断で設置が考えられ始めたのが、このアフリセントリック学校であった。
2009年秋、TDSBは賛否両論渦巻くなか、アフリセントリック小学校を開設した。以後、2年が経つが、統一学力テストなどの結果、親や生徒の満足度などを総合的に評価すると、結果は成功とされている。
アフリカ系どころか、(現存するカソリック系教育委員会など)宗教ベースの独自の教育委員会に対しても反対の私は、トロント教育委員会委員会が出した今回の判断は間違っていると思う。
教育委員会の委員のひとりは、アフリセントリック学校を設置しないという決断は、アフリカ系コミュニティに対する差別であるとさえ主張しているが、それは行きすぎた議論である。
アフリセントリック・スクールは、言い方を変えてはいるが、一種のセグリゲーション(隔離)に違いない。皮肉にもアメリカ南部では1960年代まで黒人と白人の子どもたちが隔離された学校で教育を受けていたが、その例をあげるまでもなく、隔離されたコミュニティは内部では問題がないかのように見えるが、より広範なコミュニティという観点からすると多くの問題を抱えている。
カナダは建国の由来からいって2つの文化を同時に認めて統合国家を作ってきた歴史がある。この歴史のうえに、国民は多文化主義を選び、隔離ではなく融合、統合の方向で物事を解決してきた。カナダのなかでも、最も民族的多様性を内包するトロントは、これまでにも人種関係問題に関して比較にならないほど多くのリソースを有している。人口の約半数が海外生まれのトロントは、いわば多文化主義のリーダー的立場にあるといっていい。その意味でも、トロント教育委員会が隔離を推進する決断を下したことは残念としか言いようがない。コミュニティ間で問題が生じたなら、その問題を融合という枠内で解決していくのが、トロントの、カナダ多文化主義の伝統的なやり方ではなかったか。困難な道ではあるが、その中で私たち市民はお互いに多く学びあい、この過程から子どもたちはカナダ人としての誇るべきアイデンティティを身に付けてきたのではなかったか。
もうひとつの問題点は、アフリカ系に学校開設を許した事実は、今後、他のエスニック系コミュニティが独自の学校を開設することを要求する動きにドアを開いた点である。アフリカ系の生徒の中途退学率が高いのは事実としても、実はポルトガル系が43%と最も高い。アフリカ系以外にも問題を抱えるコミュニティに独自の学校開設を許さなければ、アフリセントリック学校を開設することを自体が「差別」といわれても当然であろう。
さらに、公的資金を使ってイスラム教ベースの、あるいはユダヤ教ベースの学校開設を求める声はトロントには長らく存在する。また、少数の白人至上主義者が「ユーロセントリック学校」をつくろうとする動きすら出るかもしれない。アフリカ系学校の設置を許したTDSBは、こうした声を拒絶し「差別」だと批判されないようにどういった説明をするのであろうか。
トロントの学校が世界中にある学校と比べて際立っている点のひとつは、さまざまな文化的バックグラウンドをもった子どもたちが、「平等」の原則を日々自らの経験のなかから学び、肌の色や文化バックグラウンドによって特別扱いされることのない点である。
親として、私は子どもにさまざまな文化的バックグラウンドをもった子どもたちと接するなかで、文化的差異以上に人間として共通点を見出し、差異や見解の違いから学び合い、お互いに妥協することを学び、文化的寛容性を培って欲しいと願っている。また、カナダと日本という2つの文化を受け継いだ子どもを持つ親として、子どもがひとつの文化だけを強制的に選択させられる機会がないことを願っている。トロントは、そうした願いをもつ私には理想的な教育環境と映っている。こうした環境で育つ子どもたちが、グローバル・ヴィレッジに出たときに持っているアドバンテージは図り知れない。
世界の趨勢が隔離という方向に向かっている現在、私はトロントには、カナダには今まで通り統合の方向で動いて欲しいと切に願う。移民としての経験から、私が学んだことのひとつは、私たちは物理的に場所を共有すること、共有する目標に向かって協働することから、最も多くを学べる、ということだった。これこそがカナダ多文化主義が世界に送ってきたメッセージではなかったか。私の目には、アフリセントリック学校開設は、カナダ・モデルの多文化主義の流れに逆行しているように見えてならない。
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