Tuesday, November 15, 2011

映画批評:  PROSECUTOR by Barry Stevens

"不処罰の時代は終わった"
 

11月14日、トロント大学のイザベル・ベーダー・シアターで、バリー・スティーブンスのドキュメンタリー映画PROSECUTORの上映会が開催された。上映後は、監督および、元国連大使Steven Lewis/スティーブン・ルイス、映画の主人公であるICC(国際刑事裁判所)主任検察官Luis Moreno- Ocampo/ ルイス・モレノ=オカンポによる討論および質疑応答がなされた。


映画では、2003年のICC設置と同時に、初代主任検察官として選出されたルイス・モレノ=オカンポ(アルゼンチン出身)をカメラが追う。世界中から集まった選りすぐりの法律専門家チームをしたがえ、モレノ=オカンポはDRC(コンゴ共和国)やウガンダ、ダーフォーで継続している戦争犯罪、ジェノサイド、マス・レイプ、子どもの誘拐と少年兵の利用といった事件を調査し、証拠書類を集め、加害者を法廷に立たせようとする。


ICCとモレノ=オカンポに対する批判は後を絶たない。司法が機能するためには、法律、裁判所、警察や軍といった法律を取り締まる強制手段の3条件がそろわねばならない。ICCは設立当時から、強制手段の欠如という弱みを指摘されていた。締結国以外の国の被告が法廷に立つのを拒否した場合、どうするのか、という問題である。


もっと難しいのは、国際法の基盤ともいうべき「国家主権の原則」をICCの存在は脅かすおそれがある事実である。これこそ、アメリカが最初からICCの締結国として加盟を拒んだ理由のひとつであった。また、映画上映後の質疑応答である観客が言ったように「ICCはアフリカの犯罪ばかりを調査しているが、トニー・ブレアやブッシュはどうなのだ? あるいはスリランカは?」と、取り扱っているケースが地域的に偏っていること、西洋社会の価値観の押し付けの可能性を指摘する声もある。


しかし、ルイス・モレノ=オカンポ検査官はそうした批判にかかわっている時間はない。カメラが追うモレノ=オカンポは、一刻も早く声を持たない被害者にかわって不正義を正し、加害を法のもとに裁き、加害者に加害責任を課す、という自らの任務を遂行することに全身全霊をかけている。彼はThe era of impunity is ending(不処罰を許す時代は終わりを迎えている)という力強いスピーチをするが、その言葉に突き動かされるように日々、正義のために戦っている。


映画には、ニュルンベルク裁判の検察官であったベンジャミン・フェレンツも出てくる。ニュルンベルクは世界で最初に国際司法を可能にし、人道に対する罪、ジェノサイド、戦争犯罪という凶悪犯罪のうちの最も凶悪な罪を裁いた裁判として歴史に刻まれている。100万人を越えるユダヤ人を殺害したアインザッツグルッペン「絶滅部隊」の指導者22名を裁いたのはフェレンツだった。彼もまた、被害者に正義をもたらすために一生をかけてきた世界の法曹界の重鎮である。


国際刑事裁判所は独立司法権を与えられている。つまり、制度上、国連や安全保障理事会からの圧力はかからない。しかし、事実上、拒否権をもつ安全保障理事会の存在は大きいし、国連平和維持軍と協働する必要もある。政治的には複雑な立場にあるが、会場からの質問「圧力を感じることはあるか」との問いに、モレノ=オカンポは「どの圧力のことを言っているのだ? 私は法に従って動いているだけで、法と正義のもとには圧力はありえない」と、至極当然のことのように言ってのけた。


映画の最後のシーンは、ルイス・モレノ=オカンポがこれまでの5年間を振り返って語るシーンである。

「振り返ってみれば、これまでにできるだけのことはやってきたし、ジェノサイドや戦争犯罪、人道に対する罪という重大な犯罪を法のもとに裁くという意味では部分的な勝利を収めてきたと思う。しかし、将来へ目を向けてみれば、やるべき仕事は山のようにある」


ICCに対する批判は、確かに的を得ている。しかし、だからといってICCの仕事が無効というわけではない。それどころか、ICCの存在、モレノ=オカンポ検察官の仕事には非常に重要な象徴的意味がある。国民を守るべき国家がその国の国民を殺害しているのを、国際社会が無言で傍観するだけでよいわけがない。コンゴ共和国で集団レイプされ、精神的トラウマを被って沈黙していた被害者たちは、ICCが加害者を法廷に立たせているのを見て、世界は自分たちを見捨ててはない、と希望を抱くであろう。時間がかかっても正義はなされる、ということが社会に徐々に浸透していけば、沈黙を決めていた傍観者が証言しようという気になるだろう。これから不正義を起こそうとしている指導者に対しては抑止作用となるだろう。


アーナ・パリスが『歴史の影』で強調しているように、正義はすでに起きてしまった罪に対する償いでしかない。それでも、正義が存在する、という象徴的意味を社会に広げることは、今の、あるいは次世代に「Never again / もう2度と繰り返さない」というメッセージを送ることになる。ICCの検察官は、計り知れない困難を伴なう戦いを戦っている。それでも、正義の側について戦う人の姿には何と勇気づけられることだろう。歴史を学んでわかるのは、人間が状況によっては非人道的なことも簡単に犯すキャパシティをそなえている、ということだ。私が想像しうる最もおそろしい状況とは、法が有効性をもたず、不正義が堂々とまかり通り、力と暴力によって強者が弱者をほしいままにする、ホッブズ的自然状態である。そんな状況のなかでは、女性や子どもはどんなに弱い存在であることだろう。正義が通る国をつくるためには、私たちの社会は、こうした正義の感覚をしっかりと身につけた人を世に送り出していく必要があると、親として、あるいは市民のひとりとして強く感じた。


討論のなかで、モレノ=オカンポ検察官は繰り返しICCに対するカナダの関与を強調していたのが印象的だった。カナダ政府およびカナダ人法律専門家はICCのデザインやローマ規程の導入に深く係わってきたし、これまでにもロザリー・アベラ、フィリップ・キリッシュなどの選りすぐりの専門家を送ってきた。映画にもオカンポ検察官のチームに数人のカナダ人(みんな若い)がいることが描かれている。オカンポ検察官が「カナダは正義がとおる国であり、グローバル機関で働ける能力のある若い法律専門家を輩出している」と褒めると、ハーパー政府に批判的なスティーブン・ルイスは「とはいっても、最近はアフガニスタンにも派兵して、グローバルな交渉役を引き受けてきたPKOのカナダという立場から、アメリカと同じ軍事国と見られ始めている」と苦々しく答えていた。映画上映に先立って、この映画の土台となったThe Sun Climb Slow: The International Criminal Court and the Struggle for Justiceを書いたErna Parisアーナ・パリスも、会場に多数の学生、若い世代がいることを指摘し、若者が社会正義に関心を持つことの大切さ、そして、正義を信じることの大切さとそこから成し遂げられることの大きさを強調していた。


余談になるが、夫は私がこのイベントに参加できるようにとエリックのシッター役を引き受けてくれた。私のために席まで取ってくれて、会場で別れてエリックとふたり、帰っていったのだが、後で聞くと、帰途、会場に向かうルイス・モレノ=オカンポに偶然出会ったという。検察官はエリックを見てHelloと言って話しかけてきたという。夫は「威厳のある雰囲気があるが、とても人間的な温かい人だということは一目瞭然だった」という。たしかに、ICCの検察官というとどんなすごい人かと思うが、映画のなかの、そして実際に熱のこもった表情で自分の仕事を語るモレノ=オカンポは非常にユーモアセンスが抜群で、人間味あふれるチャーミングな人だった。自分のやっていることが自分の心と、情熱と、公共の善と一致している人というのは何と人を惹きつける魅力を持っていることだろう。


PROSECUTORのトレイラーは以下。カナダではNFBファンディングで非常によい映画がたくさん作られている。
http://www.youtube.com/watch?v=Q0opWqPuBPw&feature=related

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