Tanaka-san Will Not Do Callisthenics by Maree Delofski
田中さんはラジオ体操をしない
以前のクラスメートが流した一斉メールには、「ヨーク大学で労働・雇用関係(Labour relations)関連の無料映画上映会をするので来てね」というメッセージがあった。いくつか映画のタイトルのうちのひとつがTanaka-san Will Not Do Callisthenicsだった。明らかに日本人の名前なので興味をひかれてネットでサーチしてみたら、なんとこれが非常におもしろそうなドキュメンタリー映画なのだ。なにより田中さんという人がいいのだ。
シノプシスは以下。
http://www.tanakafilm.com/synopsis
映画を見てない立場でその映画について書くのもちょっとね・・・と思いつつやっぱり書きたいので書いておこう。
大手電気メーカーに勤務するエンジニアの田中哲朗さんは、同僚の解雇に抗議したあと、それから始まった会社によるラジオ体操を拒否し、低いポジションに配属されて給料カットにあい、次に転勤を要求されてこれを拒むと、あっさり解雇されてしまう。解雇された翌日から会社前でたったひとりでピケを張り、抗議運動をはじめる。自らつくった歌をギターで歌いながらの抗議活動は継続し、株主総会にも出席して、不正義に対する抗議を行う。それから25年後。オーストラリアの監督マレー・デロフスキーが田中さんの世界を、企業と個人の抗争、さらには日本の知られざる現状をフィルムに収め、世界に知らしめることになる。
ラジオ体操。ほとんどの日本人が、会社のラジオ体操への出席がたとえ無給であっても仕方ないと感じつつ参加するだろう。転勤を要求されたら、たとえ家族と別れるのが辛くても家族を残してでも転勤するだろう。会社内で不正が行われているのを目撃しても、それを批判することなく、無視するか黙認するだろう。ま、ラジオ体操をはじめとする会社側の権力乱用を、不正とも思わない人の方がもっと問題だけれど・・・。
でも、田中さんはそれができない人である。こういう人はどこの社会でも極めて貴重な人であるが、とりわけ日本社会では極めて稀である。先に田中さんのような人は貴重だと書いたが、なぜこういう人が貴重かというと、こういう人なしでは社会はいとも簡単に不正義の谷底に陥ってしまうからである。社会が多くの人にとって開かれた、平和な住みやすい社会であるかどうかは、田中さんのような人をいかに多く生み出せるかにかかっている。
多くの人は不正だと分かっていても自分の身をかばうために黙認するか無視するか、一緒になって不正を行う。これは、あきらかに「いじめ」の構図と同じである。学校でのいじめも、会社でのいじめ解決にも、バーバラ・コロロッソが指摘するように「傍観者」がカギを握っている。彼らがいじめの加害者に対して有効に批判することができれば、多くのいじめは解消される。そして、こうした「傍観者」はいつも「多数」なのである。
私も日本にいるときは周りからよく言われたものだ。
「そんなことに目くじらを立てて反論するなんて・・・」
と。「そんなこと」とは、「そんな小さなこと」で、隠された意味は「ま、イヤかもしれないけど、へらへら笑って一緒にやってれば問題なくその場をやり過ごせるのだから」ということなんだと思う。
しかし、小さくても不正や企業や社会的地位の高い人などの権力乱用、さらには人種差別や部落差別、あらゆる種類の差別的発言を許せば、ファシズムはいとも簡単にやってくるという事実は、私たち日本人が太平洋戦争から学んだことではなかったのか。
そういう意味でも、田中さんが対抗している相手は田中さんを解雇した電気会社をはるかに超えて、日本社会の大きな権力、不正に声を挙げない人たちへと向かっている。
うーん、この映画、ぜひ見てみたい。
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