Tuesday, November 29, 2011

アファマティブ・アクション(Affirmative Action)

トロント市教育委員会によるアフリセントリック学校設置について、先に思うことを書いたが、そのあとで夫とこの話をいろいろとしているうちに、私もひとつ考えなくてはならない点があることに気付いた。これは、「Visible Minorityという表現」に出てきたCanadian Employment Equity Actの4つのDesignated Groupとも関連するのでメモしておきたい。


夫の指摘で気付いたのだが、考えなくてはならない点とは、アファマティブ・アクションのことである。日本語にしづらい言葉だが、これはある特定のグループが歴史的に、制度的に差別を被ってきたことを考慮して、それによって生じた社会の不均等を是正するためにこのグループに対して認められる優遇措置のことである。ただし、この措置の根拠や効果に関しては賛否両論分かれており、反対派からは「逆差別」とみなされることもある。


例をあげてみよう。数年前、夫は連邦政府のインターンシップに応募したことがあったが、面接のときにはっきりと「カナダ政府は雇用均等法の4つの指定グループの地位向上に力を入れているため、もし、あなたと同じ得点の人がこの4つのグループのメンバーであった場合は、そちらを採用することになる」と言われた、という。


これを聞くと、「白人男性に対する逆差別だ」と憤慨する白人もいるが、このような「不平等にみえる制度=アファマティブ・アクション」が適用された背景とその目的を知っておく必要がある。アファマティブ・アクションには、不利益を被ってきたグループにより多くの機会を与えることで、歴史的な不正義を正すための一時的な是正措置といえる。


たとえば、カナダの大学も長年アングロサクソン系以外の学生は受け入れていなかった。こうして高等教育の恩恵をあるグループに限定した結果、社会において指導的立場に立つ人たちがすべてアングロサクソンで占められていた。企業のトップがアングロサクソンなら、従業員もアングロサクソンが採用されやすく、この悪循環は一部のグループによる権力や富の支配としてマイノリティにとっての制度的差別として存在してきた。


とりわけ黒人と白人の間の制度的差別を変えるためにはアファマティブ・アクションが有効的だとされ、社会の各方面で導入されたのが1960年代。その後、世界中で同じ名前では呼ばれないにしても同じようなアイデアで差別是正制度として取り入れられてきた。


話をアフリセントリック学校に戻すと、TDSB(トロント教育委員会)がこの特殊な学校の設置を許可した背景には、このアファマティブ・アクションという考え方があった、というのが夫の見方である。しかし、高校退学率を見るだけだと、ポルトガル系が43%で、黒人40%以上に高い。それならなぜポルトガル系にアファマティブ・アクションを適用しないのか。夫によると、TDSBが根拠として示している高校退学率は問題のほんの一部に過ぎず、より深刻な問題は黒人コミュニティに存在する広範な若者の問題(麻薬、マフィア、銃がらみの殺人、貧困、10代妊娠など)で、TDSBはこうした深刻な問題に日々対処しているが、既存のプログラム改善などでは対処できていない。こうした経過を経て、ひとつの解決法として示されたのが、このアフリセントリック学校なのではないか、ということである。


麻薬、マフィア、銃がらみの殺人という問題は、トロント全体の問題というより、一部コミュニティで頻発している問題である(実際、多くのトロントニアンはこれらの問題を自分にかかわる問題として意識していない)。もし、こうしたことを表立って言うと、すでに大きな負荷を与えられたブラック・コミュニティに更なるスティグマを負わせることになる、という配慮から、TDSBではこうした問題には言及せず「高校退学率」を根拠と出したのではないか、というのが夫の意見である。


それを聞くと確かに部分的には納得できる。それでは同じように社会的スティグマを負わされたネイティブ・コミュニティはどうなのだろう、と疑問に思う。私も実はトロントほどのマルチカルチャー都市が、さらにはトロントの優秀な教師や教育関係者を多数輩出しているOISE(Ontario Institute for Studies in Education)のプログラム内容からも、アフロセントリック学校設置許可までにはTDSBのなかで、非常に深い議論がなされたのだろうという気がする。

社会正義の反映とは、実に複雑なプロセスである。

シャリア法では殺人にならない名誉殺人とカナダの多文化主義

2009年6月30日、ナイアガラ旅行の帰途の家族の乗った車が、キングストンで川に転落し、4人の女性が命を落とした。死亡した4人のうち、3人はモントリオール在住のモハマド・シャフィアの娘で、上から19、17、13歳、残るひとりはシャフィアの第一の妻で、家族のなかでは「叔母」とされていた女性であった。


警察は直ちに別の車で移動していたモハマド・シャフィアと彼の妻、息子の関与を疑い、調査に乗り出した。現在、この裁判が進行するにつれて、この事件の全容が明らかになっている。Honour killing(名誉殺人)、子ども虐待、移民家庭における文化的軋轢という、マルチカルチャー社会に特有の興味深い問題を浮かび上がらせる。


検察側の見方はこうである。アフガニスタン生まれのビジネスマン、モハマド・シャフィアは、伝統的なイスラム教に基づく価値観を娘に押し付けており、娘はそれに抵抗、家庭は崩壊していたという。死亡した娘3人はカナダ生まれのティーンエイジャーとして、西洋スタイルの生活を望み、イスラム教徒のヘッドギアであるヒジャブ着用を拒否(あるいは、家を出るとすぐに取る)、禁じられているボーイフレンドをつくり、メイクアップをしていたことから、父親の怒りを買っていたという。

最も反抗的な長女ザイナブは、パキスタン系のボーイフレンド(父親は同じトライブの結婚相手以外は認めないという立場)をつくり、家族の目を盗んでデートを繰り返していた。家出の結果、女性用シェルターにも入ったこともあるという。また、2番目のサハーは学校のカウンセラーに家庭での父親との問題を理由に自殺をほのめかしており、福祉サービスを提供する組織が介入したが、父親の怒りを恐れて、証言を撤回した結果、福祉関係者もそれ以上の介入はしなかったという。


報道によれば、父親モハマドは息子に娘の監視をさせたり、ボーイフレンドと接触させないように学校を辞めさせようとまでしていた。また、何度となく娘たちがイスラム教的価値観に基づいた生活スタイルを破棄していることを批判し、家族の名誉を汚したこと、死をもってつぐなう以外に道はない、というコメントをしていたという。こうした経緯から、事故による溺死と見せかけ、妻と息子と共謀して娘3人を計画的に殺害した(子どものできなかった最初の妻は運悪く道連れになった・・・)、というのが検察側の主張である。


妻のヤヤは、夫には絶対服従で自分の考えで行動するということはなかったようだ。公判中、自分の娘たちの死の映像を見ることを拒否し、すすり泣きをしていることが多いと報道されている。また、「叔母」とされている女性がシャフィアの第一の妻であったことから、ポリガミー(多妻制度)という問題も浮かび上がらせている。


どこの家庭でも世代間のギャップによる誤解や衝突はあるものだが、移民家庭ではこれに文化的な違いからくる軋轢という要因が加わることがあり、私もこうした話はときどき耳にする。とくに親が強い宗教観や価値観をもっている場合には、子どもたちが「西洋的」と見え、毎日の生活のなかで「文化の衝突」の縮図が展開される。これが悪化した最悪のケースがHonour killingで、トロント周辺では年に1度はこうしたケースが表面化しているのが現状である。


もちろん、警察や検察は「honour killing(名誉殺人)」という言葉は使わない。カナダ刑法にはこの言葉はないため、彼らは注意深くこの言葉を避けている。しかし、事件に至った経緯が明るみになるにつれ、この事件を最もよく表現する言葉は「名誉殺人」であることは誰の目にも明らかである。


イスラム圏では、シャリア法のもとで家族の名誉を汚した女性メンバーの殺害は「殺人」とはみなされない。たとえば、結婚前に性的関係を持った娘や不倫関係にある妻、あるいは被害者としてレイプを受けた女性メンバーなどの存在は家族の恥とされ、これを償う唯一の方法としてhonour killing(名誉殺人)が許されている。


名誉殺人としか見えない事件が起こるたびに、私はこの事件を犯した男性たちの意識がどうなっているのかと、怒り心頭、メラメラと頭にくる。正直いって、カナダ社会の一員として、こうした女性蔑視の考え方は国境をまたいだ時に捨ててほしい、と思うが、政治的に正しい言い方ではないのは分かっているので、言いはしない。カナダ人にとっては、男女平等という考えは至極当然で、とりわけ女性を男性の従属物とみなすような価値観は、感覚的になじまない。この事件だって、平均的カナダ人の感覚からするとまったく理解できないだろう。


しかし、カナダのメディアはこの問題を、社会全体が短絡的な移民バッシングへと導かれないよう、非常に注意深く扱っている、という気がする。新聞のコメント欄には、コミュニティ内部をよく知る関係者や専門家が事件について多角的なコメントが寄せられる。社説でもこうした関係者の意見をもとに、問題が深く掘り下げられる。私がカナダの多文化主義の懐の深さを感じるのは、こんなときだ。文化間の軋轢に起因する問題や事件が起これば、まずはコミュニティ内で問題に関する議論が起きる。そこを飛び越して社会全体でこの問題を議論すると、問題の根本的解決にならないどころか、コミュニティそのものを誤解、さらには移民バッシングへと発展する恐れもある。なので、メディアは非常に慎重になる。カナダの多文化主義のカギとなっているのは、このメディアの慎重さだと思う。そして、それを支えているのは、言うまでもなく国民の他の文化に対する寛容性に他ならない。

Sunday, November 27, 2011

visible minority(ヴィジブル・マイノリティ)という表現

トロント市の掲げる謳い文句といえば’Diversity Is Our Strength’。

人口の半数が海外で生まれ、文化的多様性という意味では世界に例をみないトロントに住む私たちは、この謳い文句を誇りをもって受け止めている。


トロント人口のうちヴィジブル・マイノリティの占める割合は40.29%でほぼ半数。しかし、選挙で選ばれた政治家をみてみると、ヴィジブル・マイノリティの市議会議員は45人のうちわずかに5人、パーセンテージにすると10.9%と驚くほど低い。


これを連邦政府レベルでみてみると、47人中の8人(17%)、さらに州政府レベルでみると、47人中の12人(25.5%)となっている。


これを問題とみるか、問題ではないと見るかは人によって違う。白人以外は選挙に立候補できないという法律がないのだから、問題とではないという人もいれば、多様なバックグラウンドを持つ人口が反映されていないことを問題とみる人もいる。


しかし、同時に問題を感じるのは「ヴィジブル・マイノリティ」という言葉である。カナダの多文化主義を語るとき、あるいは統計局が出す統計調査の結果を見ると、「ヴィジブル・マイノリティ」という言葉にしばしば出くわす。その度にこの表現に違和感を感じずにはおれない。いわゆる、非白人という意味だが、白人のグループのなかにいれば目立つ、という意味のこの言葉、明らかに白人中心主義的な、問題大ありの言葉である。


カナダ連邦政府の法にthe Employment Equity Actという雇用の平等性に関する法律がある。この法では、4つのグループをDesignated Group(指定グループ)と定め、歴史的に不利益を被ってきたこれらのグループのメンバーに雇用者が積極的に職の機会を与えることを推進している。いわゆる、優遇政策である。

4つのグループにあたるのは、Aboriginal peoples(カナダ先住民)、Members of visible minorities(ヴィジブル・マイノリティの一員)、Persons with disabilities(障害をもった人)、Women(女性)。とりわけ、さまざまなレベルの政府関係、公務員の職に応募するときには、「私はヴィジブル・マイノリティです」という項にチェックするような申請用紙もあって、その下には「私たちの組織は就職の機会均等に力を注いでいます。あなたが指定グループの一員だと採用される可能性は高くなります」という注意書きがあることもある。


以前、このことでカレッジのクラスで大議論が起こったことがある。東欧、ロシア出身のクラスメイトが、「これはひどい。私も新移民で、英語もネイティブじゃない。移民としてはまったく同じ立場なのに、白人だというだけで採用される可能性が低いというのは差別的だ」と主張した。


「私たちロシアからの移民は、英語ネイティブではないし、カナダ文化にも精通しているわけじゃない。それは同じであるのに、たとえば非白人であればヴィジブル・マイノリティということで特に政府関係の組織では採用率が高くなるって、おかしすぎる」。彼女たちにしてみれば、肌の色だけを基準としたこの法こそが、「白人に対する逆差別」だというふうに見えるのである。


一方では、非白人と言われる私も、どうもひっかかる。ヴィジブル・マイノリティはノン・ホワイトであって、ホワイトを基軸としたホワイト・セントリックな差別的表現を未だに使っていてよいものか・・・。ときどき、この表現に対して批判の声があがっているのを見ると、いずれこの表現、消え去る運命にありそうな感じではあるが・・・。

Saturday, November 26, 2011

アフリセントリック高等学校開設が承認される

11月16日、TDSB(トロント市教育委員会)は、これまで議論が続いてきたアフリセントリック高等学校の開設を承認し、2012年あるいは2013年には開校したいとの意図を発表した。14対6という圧倒的賛成多数での決議だった。


Africentric school(アフリセントリック・スクール)とは、アフリカ系生徒のためのエスニック・スクールである。カリキュラムではアフリカ系の歴史や、コミュニティに特有な問題などを扱い、自らのルーツに対する自己意識を高める意図が込められている。


統計によれば、TDSB学区のアフリカ系生徒は約3万人。そのうち40%がドロップアウト(中途退学)している。他のエスニック・コミュニティのうち、アフリカ系グループは退学率が高いグループのひとつであり、学力的にも劣っていることは、長年指摘されてきた。その原因として考えられているのが、ヨーロッパ系文化を基盤としたメインストリームの学校では、自らのアイデンティティに対する自信と帰属意識を育むことができない点、さらにはロールモデルとなりうるアフリカ系教師が少ない点、コミュニティに特有の問題を深く理解しない教師との意識的な溝などである。こうした分析に基づいて、アフリカ系生徒の置かれた現状に最も見合った教育を提供することで中途退学率を減らし、卒業後の進学率を高めることができるとの判断で設置が考えられ始めたのが、このアフリセントリック学校であった。


2009年秋、TDSBは賛否両論渦巻くなか、アフリセントリック小学校を開設した。以後、2年が経つが、統一学力テストなどの結果、親や生徒の満足度などを総合的に評価すると、結果は成功とされている。


アフリカ系どころか、(現存するカソリック系教育委員会など)宗教ベースの独自の教育委員会に対しても反対の私は、トロント教育委員会委員会が出した今回の判断は間違っていると思う。


教育委員会の委員のひとりは、アフリセントリック学校を設置しないという決断は、アフリカ系コミュニティに対する差別であるとさえ主張しているが、それは行きすぎた議論である。


アフリセントリック・スクールは、言い方を変えてはいるが、一種のセグリゲーション(隔離)に違いない。皮肉にもアメリカ南部では1960年代まで黒人と白人の子どもたちが隔離された学校で教育を受けていたが、その例をあげるまでもなく、隔離されたコミュニティは内部では問題がないかのように見えるが、より広範なコミュニティという観点からすると多くの問題を抱えている。


カナダは建国の由来からいって2つの文化を同時に認めて統合国家を作ってきた歴史がある。この歴史のうえに、国民は多文化主義を選び、隔離ではなく融合、統合の方向で物事を解決してきた。カナダのなかでも、最も民族的多様性を内包するトロントは、これまでにも人種関係問題に関して比較にならないほど多くのリソースを有している。人口の約半数が海外生まれのトロントは、いわば多文化主義のリーダー的立場にあるといっていい。その意味でも、トロント教育委員会が隔離を推進する決断を下したことは残念としか言いようがない。コミュニティ間で問題が生じたなら、その問題を融合という枠内で解決していくのが、トロントの、カナダ多文化主義の伝統的なやり方ではなかったか。困難な道ではあるが、その中で私たち市民はお互いに多く学びあい、この過程から子どもたちはカナダ人としての誇るべきアイデンティティを身に付けてきたのではなかったか。


もうひとつの問題点は、アフリカ系に学校開設を許した事実は、今後、他のエスニック系コミュニティが独自の学校を開設することを要求する動きにドアを開いた点である。アフリカ系の生徒の中途退学率が高いのは事実としても、実はポルトガル系が43%と最も高い。アフリカ系以外にも問題を抱えるコミュニティに独自の学校開設を許さなければ、アフリセントリック学校を開設することを自体が「差別」といわれても当然であろう。


さらに、公的資金を使ってイスラム教ベースの、あるいはユダヤ教ベースの学校開設を求める声はトロントには長らく存在する。また、少数の白人至上主義者が「ユーロセントリック学校」をつくろうとする動きすら出るかもしれない。アフリカ系学校の設置を許したTDSBは、こうした声を拒絶し「差別」だと批判されないようにどういった説明をするのであろうか。


トロントの学校が世界中にある学校と比べて際立っている点のひとつは、さまざまな文化的バックグラウンドをもった子どもたちが、「平等」の原則を日々自らの経験のなかから学び、肌の色や文化バックグラウンドによって特別扱いされることのない点である。


親として、私は子どもにさまざまな文化的バックグラウンドをもった子どもたちと接するなかで、文化的差異以上に人間として共通点を見出し、差異や見解の違いから学び合い、お互いに妥協することを学び、文化的寛容性を培って欲しいと願っている。また、カナダと日本という2つの文化を受け継いだ子どもを持つ親として、子どもがひとつの文化だけを強制的に選択させられる機会がないことを願っている。トロントは、そうした願いをもつ私には理想的な教育環境と映っている。こうした環境で育つ子どもたちが、グローバル・ヴィレッジに出たときに持っているアドバンテージは図り知れない。


世界の趨勢が隔離という方向に向かっている現在、私はトロントには、カナダには今まで通り統合の方向で動いて欲しいと切に願う。移民としての経験から、私が学んだことのひとつは、私たちは物理的に場所を共有すること、共有する目標に向かって協働することから、最も多くを学べる、ということだった。これこそがカナダ多文化主義が世界に送ってきたメッセージではなかったか。私の目には、アフリセントリック学校開設は、カナダ・モデルの多文化主義の流れに逆行しているように見えてならない。

Tuesday, November 15, 2011

映画批評:  PROSECUTOR by Barry Stevens

"不処罰の時代は終わった"
 

11月14日、トロント大学のイザベル・ベーダー・シアターで、バリー・スティーブンスのドキュメンタリー映画PROSECUTORの上映会が開催された。上映後は、監督および、元国連大使Steven Lewis/スティーブン・ルイス、映画の主人公であるICC(国際刑事裁判所)主任検察官Luis Moreno- Ocampo/ ルイス・モレノ=オカンポによる討論および質疑応答がなされた。


映画では、2003年のICC設置と同時に、初代主任検察官として選出されたルイス・モレノ=オカンポ(アルゼンチン出身)をカメラが追う。世界中から集まった選りすぐりの法律専門家チームをしたがえ、モレノ=オカンポはDRC(コンゴ共和国)やウガンダ、ダーフォーで継続している戦争犯罪、ジェノサイド、マス・レイプ、子どもの誘拐と少年兵の利用といった事件を調査し、証拠書類を集め、加害者を法廷に立たせようとする。


ICCとモレノ=オカンポに対する批判は後を絶たない。司法が機能するためには、法律、裁判所、警察や軍といった法律を取り締まる強制手段の3条件がそろわねばならない。ICCは設立当時から、強制手段の欠如という弱みを指摘されていた。締結国以外の国の被告が法廷に立つのを拒否した場合、どうするのか、という問題である。


もっと難しいのは、国際法の基盤ともいうべき「国家主権の原則」をICCの存在は脅かすおそれがある事実である。これこそ、アメリカが最初からICCの締結国として加盟を拒んだ理由のひとつであった。また、映画上映後の質疑応答である観客が言ったように「ICCはアフリカの犯罪ばかりを調査しているが、トニー・ブレアやブッシュはどうなのだ? あるいはスリランカは?」と、取り扱っているケースが地域的に偏っていること、西洋社会の価値観の押し付けの可能性を指摘する声もある。


しかし、ルイス・モレノ=オカンポ検査官はそうした批判にかかわっている時間はない。カメラが追うモレノ=オカンポは、一刻も早く声を持たない被害者にかわって不正義を正し、加害を法のもとに裁き、加害者に加害責任を課す、という自らの任務を遂行することに全身全霊をかけている。彼はThe era of impunity is ending(不処罰を許す時代は終わりを迎えている)という力強いスピーチをするが、その言葉に突き動かされるように日々、正義のために戦っている。


映画には、ニュルンベルク裁判の検察官であったベンジャミン・フェレンツも出てくる。ニュルンベルクは世界で最初に国際司法を可能にし、人道に対する罪、ジェノサイド、戦争犯罪という凶悪犯罪のうちの最も凶悪な罪を裁いた裁判として歴史に刻まれている。100万人を越えるユダヤ人を殺害したアインザッツグルッペン「絶滅部隊」の指導者22名を裁いたのはフェレンツだった。彼もまた、被害者に正義をもたらすために一生をかけてきた世界の法曹界の重鎮である。


国際刑事裁判所は独立司法権を与えられている。つまり、制度上、国連や安全保障理事会からの圧力はかからない。しかし、事実上、拒否権をもつ安全保障理事会の存在は大きいし、国連平和維持軍と協働する必要もある。政治的には複雑な立場にあるが、会場からの質問「圧力を感じることはあるか」との問いに、モレノ=オカンポは「どの圧力のことを言っているのだ? 私は法に従って動いているだけで、法と正義のもとには圧力はありえない」と、至極当然のことのように言ってのけた。


映画の最後のシーンは、ルイス・モレノ=オカンポがこれまでの5年間を振り返って語るシーンである。

「振り返ってみれば、これまでにできるだけのことはやってきたし、ジェノサイドや戦争犯罪、人道に対する罪という重大な犯罪を法のもとに裁くという意味では部分的な勝利を収めてきたと思う。しかし、将来へ目を向けてみれば、やるべき仕事は山のようにある」


ICCに対する批判は、確かに的を得ている。しかし、だからといってICCの仕事が無効というわけではない。それどころか、ICCの存在、モレノ=オカンポ検察官の仕事には非常に重要な象徴的意味がある。国民を守るべき国家がその国の国民を殺害しているのを、国際社会が無言で傍観するだけでよいわけがない。コンゴ共和国で集団レイプされ、精神的トラウマを被って沈黙していた被害者たちは、ICCが加害者を法廷に立たせているのを見て、世界は自分たちを見捨ててはない、と希望を抱くであろう。時間がかかっても正義はなされる、ということが社会に徐々に浸透していけば、沈黙を決めていた傍観者が証言しようという気になるだろう。これから不正義を起こそうとしている指導者に対しては抑止作用となるだろう。


アーナ・パリスが『歴史の影』で強調しているように、正義はすでに起きてしまった罪に対する償いでしかない。それでも、正義が存在する、という象徴的意味を社会に広げることは、今の、あるいは次世代に「Never again / もう2度と繰り返さない」というメッセージを送ることになる。ICCの検察官は、計り知れない困難を伴なう戦いを戦っている。それでも、正義の側について戦う人の姿には何と勇気づけられることだろう。歴史を学んでわかるのは、人間が状況によっては非人道的なことも簡単に犯すキャパシティをそなえている、ということだ。私が想像しうる最もおそろしい状況とは、法が有効性をもたず、不正義が堂々とまかり通り、力と暴力によって強者が弱者をほしいままにする、ホッブズ的自然状態である。そんな状況のなかでは、女性や子どもはどんなに弱い存在であることだろう。正義が通る国をつくるためには、私たちの社会は、こうした正義の感覚をしっかりと身につけた人を世に送り出していく必要があると、親として、あるいは市民のひとりとして強く感じた。


討論のなかで、モレノ=オカンポ検察官は繰り返しICCに対するカナダの関与を強調していたのが印象的だった。カナダ政府およびカナダ人法律専門家はICCのデザインやローマ規程の導入に深く係わってきたし、これまでにもロザリー・アベラ、フィリップ・キリッシュなどの選りすぐりの専門家を送ってきた。映画にもオカンポ検察官のチームに数人のカナダ人(みんな若い)がいることが描かれている。オカンポ検察官が「カナダは正義がとおる国であり、グローバル機関で働ける能力のある若い法律専門家を輩出している」と褒めると、ハーパー政府に批判的なスティーブン・ルイスは「とはいっても、最近はアフガニスタンにも派兵して、グローバルな交渉役を引き受けてきたPKOのカナダという立場から、アメリカと同じ軍事国と見られ始めている」と苦々しく答えていた。映画上映に先立って、この映画の土台となったThe Sun Climb Slow: The International Criminal Court and the Struggle for Justiceを書いたErna Parisアーナ・パリスも、会場に多数の学生、若い世代がいることを指摘し、若者が社会正義に関心を持つことの大切さ、そして、正義を信じることの大切さとそこから成し遂げられることの大きさを強調していた。


余談になるが、夫は私がこのイベントに参加できるようにとエリックのシッター役を引き受けてくれた。私のために席まで取ってくれて、会場で別れてエリックとふたり、帰っていったのだが、後で聞くと、帰途、会場に向かうルイス・モレノ=オカンポに偶然出会ったという。検察官はエリックを見てHelloと言って話しかけてきたという。夫は「威厳のある雰囲気があるが、とても人間的な温かい人だということは一目瞭然だった」という。たしかに、ICCの検察官というとどんなすごい人かと思うが、映画のなかの、そして実際に熱のこもった表情で自分の仕事を語るモレノ=オカンポは非常にユーモアセンスが抜群で、人間味あふれるチャーミングな人だった。自分のやっていることが自分の心と、情熱と、公共の善と一致している人というのは何と人を惹きつける魅力を持っていることだろう。


PROSECUTORのトレイラーは以下。カナダではNFBファンディングで非常によい映画がたくさん作られている。
http://www.youtube.com/watch?v=Q0opWqPuBPw&feature=related

Monday, November 14, 2011

経済学という怪しい学問領域

昨今、グローバル経済危機の展開するのを見ながら、「このいちばん必要とされるとき、経済学者はどこで何をしているのだ」との思っている私。景気が悪くなると、政府に「支出をふやせ」といって経済刺激策を取らせてきたのは、経済学者ではなかったか。その結果、ギリシア政府は、お財布の底がついてしまっている。ユーロを守ろうとドイツをはじめとするEU諸国がまたまたお金をつぎ込んでも、同じことが起こるのではないか。最近の状況を見ながら、私は経済学に対して非常に懐疑的になっているが、それは私だけではないんじゃないか。

つい最近のGlobe紙に興味深い特集記事が掲載されていた。経済についての記事だったが、世間では「ノーベル経済学賞」として知られる国際的な賞は、正式名は「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」といい、アルフレッド・ノーベルが設置した賞と違い、1968年にスウェーデン国立銀行によって後になって設置されている。選考はスウェーデン王立科学アカデミー、認定はノーベル財団によってなされるが、ノーベル財団のなかには経済学賞の設置自体を疑問視する声もあるという。


以下はウィキからの引用

「ノーベル経済学賞の設置自体が間違いであったと考える者も多い。1997年にはノーベル文学賞の選考機関であるスウェーデン・アカデミーが経済学賞の廃止を要請した。ノーベル家の一部の人達はこの賞をノーベル賞として認めていないだけではなく、ノーベルの名の使用にも抗議している。2001年にはノーベルの兄弟の曾孫にあたるスウェーデン人の弁護士ら4人が地元紙ダーグブラデットに寄稿し、経済学賞は「全人類に多大な貢献をした人物の顕彰」というノーベルの遺言の趣旨にそぐわないと批判した」。


以下のエピソードはウィキピディアの英語版から取ったものだが、ハイエクの言葉はまさに的を得ていると思う(Taken from Wikipedia website)。

In his speech at the 1974 Nobel Banquet Friedrich Hayek stated that if he had been consulted whether to establish a Nobel Prize in economics he would "have decidedly advised against it" primarily because "the Nobel Prize confers on an individual an authority which in economics no man ought to possess... This does not matter in the natural sciences. Here the influence exercised by an individual is chiefly an influence on his fellow experts; and they will soon cut him down to size if he exceeds his competence. But the influence of the economist that mainly matters is an influence over laymen: politicians, journalists, civil servants and the public generally." 


経済学者は今まで「経済にはサイクルがある」とか「自由主義資本経済はマネージできる」とか主張して、まるで自分たちが経済をコントロールできるかのようなことを言ってこなかったか。私の記憶では、リーマンショック以前、確かに何度か「このままの状況が続けば経済は大打撃を受ける」というようなコメントを新聞で読んだが、それらは大半が経済学の分野の専門家ではなかった。株価についてもそうで、あがるだの下がるだの、分かっているようなことを言っているインベスターやコンサルタントはいるが、実際、株価の大暴落が起きると実はこういう輩は黙りこんで(あるいは証券取引所で呆然とした姿をさらして)、結局のところNo one saw it coming! というようなことになるのが落ちではないか。


素人なのはわかっているが、はっきり言わせてもらえば、経済学者や経済コンサルタントは素人の私たちと同じくらい経済の先行きなど見えていないのだと思う。だいたい、経済という分野は結局人間の活動がもとになっているわけであって、最近の心理学分野のリサーチが繰り返し示しているように、人間の活動の8割はIrrationalに、非合理的な判断に基づいていることを考えれば、さらに、フリードリッヒ・ハイエクの言うように、経済は政治家や国民やジャーナリズムなど他分野の要素に左右されることが多い、と考えれば、そこが自然学とは絶対的に違うところで、そんな人間の行動からどれだけの法則性が導き出されるのか、何とも疑問である。


先のGlobe紙の記事では、西洋でEconomicsという学問が生まれてしばらくの間は、そこに哲学の一部であるMoralityがしっかりと入っていたという。それが自由主義経済の発展とともに、いつの間にか取り払われて、経済学は数量を主な対象にするようになってきた。その弊害はいかほどか。素人意見で何とも失礼だが、もし経済学者が世界に貢献しようと思うなら、この利潤だけを唯一の目的とする巨大なグローバル経済システムにかわる新しいシステムとして、倫理、環境や次世代に対する配慮し、グローバル市民としての責任感を取れるような構造を確立してもらいたいものである。

Thursday, November 10, 2011

ゲイのペンギンカップル、引き離される


http://www.thestar.com/news/article/1083793--tale-of-same-sex-penguin-pair-goes-viral
スター紙の記事
ビデオもあり。最初にCanadian Wheat Boardの広告が載っていてちょっと面倒だけど・・・。


5日ほど前、トロント・スター紙がトロント市立動物園のペンギンのうち、ゲイ(同性愛)のペンギンがいる、という記事を載せたのを見て、「あー、またスターがどうでもいい記事を載せてるわ!」と呆れていたのだが、この「ペドロとバディー」、最近はアメリカのトークショーをはじめ、イギリスのガーディアン紙もこの話を掲載し、世界中で話題になっている。


スター紙によると、ことのきっかけは動物園の飼育係りがペドロとバディー(どちらも性別はM)が片時も離れないのに気付いたこと。どっちか忘れたが、片方には以前、メート(性別F)がいたというが、ふたりが同じ動物園で暮らすようになってからというもの、Fにはまったく興味を示さず、お互い、いつも一緒でinseparableなのですって。(夫に話したら、ある知人(性別M)が同じ状況にあった、と言っていた。以前は奥さんがいたのだけれど、ある男性と出会って自分がゲイだということに気付いた、という話・・・。たしかに、この手の話はたまに聞く。


しかし、このアフリカ・ペンギンは野生では絶滅の危機ある動物ということで、動物園ではこのカップルを引き離し、それぞれをメーティング・パートナーとくっつけて、次世代ペンギンを産んでもらおうという計画で、今朝はペドロとバディーが引き離されたストーリーがインターネットに載っていた。


単純に「かわいそう・・・」という声もある一方、昨日のCBCラジオでは専門家が「野生では絶滅の危機があるが、動物園ではそういうわけではないので、引き離しは不必要」と言っていた。

グローバル問題としての若者の失業率の高さ

ヨーロッパの経済危機が抱える問題は複雑だが、そのなかのひとつ、若者の失業率の高さ、というのを取り出して考えてみたい。


というのも、若者の失業率の高さは、さまざまな社会問題の根源的原因となっているからである。ここ最近見られる世界を揺るがした事件、たとえばアラブ・スプリングも、Occupy Wall Streetの動きも、さらには今年8月にロンドンを驚愕させた暴動も、中央ヨーロッパ各国やロシアでネオナチが台頭しているのも、直接、あるいは間接的に「若者の失業」問題と関連がある。


昨今では、ILO (International Labour Organization) までグローバル規模で広がっている若者の失業率の高さを懸念する声明を発表した。ILO報告によれば、世界中で失業中の若者は約75 millionにものぼるという。ILOは、若者の失業が長期間続けば、社会基盤を根底から揺るがし、社会の不安定要因になりえる、と警告している。(ちなみに、失業中、というのは仕事を積極的に探している人にあてはまり、仕事探しを諦めた人口は含まれていない)


カナダでは失業率は現在7.3%だが、最近、過去10ヶ月のうち、54,000件もの仕事が失われたというレポートが発表された。失業中の人口をグループわけをしてみると、若者が最も高く、続いて移民という順番となっている。先日、カナダの移民政策における変化について書いたが、仕事探しが行き詰まっているのはなにも移民だけではなく、もっと大変なのは若者というのが事実である。そのため、「海外から移民を受け入れる前に、カナダで職を得られない若者人口を何とかすべき」という意見も最近、ぼつぼつ見受けられるようになっている。


ところで、世界中で、グローバル規模で若者の失業率が増えているのは何故なのか。私がかき集めた情報によると、グローバル経済そのものが低迷し、全般的に仕事そのものが減っている状況のなかで、学校を卒業したばかりの、経験のない若者が不利益を被っている、という図が浮かび上がってくる。一方では、「定年年齢」を法的に解除した先進国では、ブーマー世代が引き続き仕事を続けている、というか仕事を続けざるを得ない現状もある。ブーマー世代は多額の借金を抱えていることが多く、おまけに子どもたちは大学を出ても就職できないので実家に同居するというケースも増えていて、そのサポート役をしている人たちも多い(これはカナダの状況だけなのかもしれないが)。


(ちなみに、先進国で失業率を比較的低く保っているのはドイツで、ドイツ政府は学校を出たばかりの若者に対して徒弟制度やインターン制度などを提供しており、それが功を奏していると見られている)


若者の失業が、社会に対する憤懣として具現化したのが、アラブ・スプリングであり、世界中に広がっているOccupyの動きである。こうして社会構造の変革を訴える政治的な動きであればまだいいが、一方では憤懣をかかえた人口が暴動化したり、移民や外国人というマイノリティに標的を定めて排斥運動をするような形も見られる。こうした傾向は、最近、ヨーロッパで噴出している移民排斥、マイノリティ弾圧と大きな関係がある。今年7月末、ノルウェー(オスロ)のテロ事件を起こしたブレイビク容疑者の反移民思想を一部の狂信者の妄想と無視するには、部分的に関連する事件がヨーロッパで多数起き過ぎている。


1994年、ジェノサイドが繰り広げられるルワンダに国連平和維持軍司令官として派遣されたロメオ・ダレアが言ったように、将来に希望を持てない人たちはどんな残虐なことにでも手を貸すようになる。失業率を放置する危険性は強調されてしかるべきである。


思うに、戦後続いてきたグローバル経済システムは、破綻の兆候を随所で見せているのではないか。若者の失業率の高さは、その兆候のひとつではないか。Occupyの動きは、金融業界と政治をターゲットにしているが、それよりもっともっと深いところに、実は問題は横たわっていると思う。大量に無駄なものを作っては破壊し、環境を破壊しながら、「消費こそが経済を助ける」という土台に基づいたこのシステムにかわる、新しい経済システムをつくりだす必要があるのではないか。

Tuesday, November 8, 2011

ヨーロッパのロマ問題と市民権を得つつあるネオナチ

先週はホロコースト教育ウィークということで、近所のトロント市立図書館でロマ問題についてのレクチャーが開かれていた。


「ホロコースト」といえばユダヤ人虐殺に対してつけられたことばであるが、ナチスによって殺害されたグループのなかには、ほかにもロマや同性愛者、障害者、共産主義者などもいたことを忘れてはならない。


この講演で知ったことだが、ロマにとってナチによる民族虐殺は「ポライモス」と呼ばれ、正確にどれだけの人口が殺害されたかは分かっていないが、戦後、ヨーロッパのロマ人口は3分の1まで激減したという。


ロマとは、インド北西部が起源とされる移動型民族で、ヨーロッパを放浪しながら暮らし、長年、少数民族として差別の対象となってきた。「ジプシー」という名称は、誤解に基づいて外部からつけられた名称であり、この言葉自体が差別用語だとされている。


講演のなかで、ルーマニアからカナダに難民申請している女性の話が出たが、彼女によればルーマニアにおけるロマ迫害のすざまじさといったら想像を絶するものらしい。突然、路上で襲われ、まわりには見ている人もいたうえに、警察もいたというのに彼らは何もせず黙って見ていたという。


ここ十数年ほどのあいだにヨーロッパ全土でネオナチの動きが活発化しているが、少数民族であるロマも迫害の対象になっている。「働かず、盗みを働いている」と言われ嫌悪されているが、ロマであるということを理由に就職や教育をはじめとする経済活動から締め出している社会構造をみると、これはれっきとした迫害であると思われる。


ちなみに、私も最近、新聞記事で知ったことだが、ここ最近、中央ヨーロッパのロマがカナダに難民申請をし、難民として入ってくるケースが非常に増えているという。講演をした女性は、「昨日、ジェイソン・ケニー(移民大臣)と会って、ロマ難民受け入れを要請してきた」と言っていた。


ところで、ルーマニアやハンガリーなどでは、反移民、反ヨーロッパ系の思想をもつ自警団の動きが活発化している。それとともに、同じ思想で動いているネオナチの動きも活発で、ハンガリーでは「ロマを収容所に入れよ」といったようなことを平気で政治家などが発言している。反移民、反外国人というスタンスを示している市長や政治家も実際にいる。ロシアでも数十年にわたって、同じようなネオナチの動きが活発化していて、これはプーチンがパワー・バキュームの後、ナショナリズムを煽り立てた挙句の醜い結末という感じがする。こうした話をちらほらとメディアで読んだり聞いたりしてきたが、その現状はどんどん悪化し、ヨーロッパに暮らす移民、あるいはエスニック・マイノリティにとって大変なことになっている、との思いを講演を聴きながら新たにした。


そうした状況をカナダから見ていると、あまりにもヨーロッパとの違いが明白になってきて、カナダの平和さに感謝の気持ちが湧いてくる。ナショナリズムは国民のあいだに案外簡単に植えつけられるが、一方ではその結末は醜いものであることは、歴史を見ると明らかである。ナショナリズムほど危険で胡散臭いものはない。

Monday, November 7, 2011

カナダ移民政策の転換

カナダの移民政策に重要な変化が見られている。

先日、CBCラジオの Metro Morningで、Jason Kenny(保守党政府のImmigration Minister) が、来年度の移民政策についてインタビューを受けていた。ケニーによれば、カナダ政府は当面は移民の受け入れ数を現状維持としておきたいが、誰を受け入れるかに関しては政策に変化があるという。カナダはこれまで「技術移民Skilled worker」クラスの移民の呼び込みに最も積極的であったが、今後この傾向はさらに加速するという。一方、減少傾向にあるのは、スパウス(合法的結婚をしている、あるいは同棲パートナー、家族クラス)とその子どもたち、そしてlive-in caregiver(ナニー)プログラム(このプログラムについてはリンク参照:http://torontostew.blogspot.com/2010/11/blog-post_27.html)。また、ケニーによれば、2012年には240,000から265,000人を目標にしているという(カナダは毎年、全人口の1%にあたる移民をターゲットとして受け入れている)。


また、最も大きな変化のひとつは、両親、祖父母の呼び寄せプログラムで、このプログラムを2年間モラトリアムとすることとし、今後2年間は申請ができなくなること。そのかわりに、8週間ほどで申請許可がおりるスーパービザの発行が始まり、これによると親族は10年の間に最長2年間継続して滞在することができるようになるという。ただ、もちろんこれはビジタービザなので、滞在中の医療費は自分持ち、さらには$17K/yrの所持金が必要となる(つまり、カナダ政府の世話にならないのであれば、長期滞在は大歓迎、というスタンス)。


どの移民国でもそうだが、カナダが求めている移民は、カナダの経済に最もスムースに適合するカテゴリーの移民である。今回の政策変更を見る限り、カナダ政府が欲しい移民の像とは、独身で、英語かフランス語ができ、大学、または大学院レベルの高等教育を受けた専門職クラスの人、ということになる。数年前に設置された比較的新しいカテゴリー、the Canadian Experience Classでの申請は、移民申請から移民許可が下りるまでの時間が最も早急になされるという。このカテゴリーに相当するのは、カナダの高等教育を受け、英語フランス語のどちらかの言語に堪能な若い人たち。the Canadian Experience Classでの受け入れ移民数は2009年には2545人であったが、2012年には7000人に増加すると見込まれている。


インタビューで、ケニーは世界の先進国で移民競争が加速していることを強調し、カナダは現状の経済に見合った移民を受け入れる必要性を繰り返していた。さらに、カナダには、たとえばヨーロッパ諸国に比べると移民排斥を目指す政党はないし、一般のカナダ人も移民をあたたかく迎え入れているため、ヨーロッパで昨今見られる移民排斥の動きを心配する必要はない、と言っていた。


歴史的に見て、移民政策にどちらかというと消極的な保守党も、現状の経済水準を維持するためには移民数の維持が必要、という点では合意しているようだ。しかし、リベラル(自由)党政府との違いは、移民の選別に表れている。とりわけ問題の多い家族クラスや難民クラスをなるべく減らし、カナダ経済に寄与してくれそうな技術移民を積極的に受け入れることがその特徴である。家族クラスでは、最近、偽装結婚の問題が取り上げられており、難民クラスは難民申請をしてから後に国が生活費を提供しなくてはならないことから、どちらかというと問題が多いのである。また、保守党政権になって、移民に対する生活補助のSettlementプログラム予算は年々削減傾向にある。


カナダの移民問題の大きな課題のひとつは、受け入れた移民が自らのスキルをカナダ社会に還元できるような就職先を保障できる環境が作り出せるかどうか、である。カナダはニュージーランド同様、人口比でみると移民受け入れ数が最も高い国である。また、カナダの移民政策は、the best and brightestという言葉で知られる通り、世界でも最も優れた人材を集めることが基本である。そして、実際に移民でトロントに住んでいる人たちの大半が高学歴、技術職の人が多く見られる。就職エージェンシーでは、こうした元エンジニア、元IT技術者、元教師、元ビジネス・コンサルタントなどが多数、仕事を探している。私たちが実際に知っているのは、こうした移民たちが自分たちのスキルを活かせず、仕事が見つからず通常は賃金の安い仕事についているか(トロントのタクシー運転手の大半が博士号を持っている、というのはジョークにもならない事実)、失望して自国に帰国するか、あるいは最悪のケースは生活保護を受けている現実である。


この問題の鍵を握っているのは、いうまでもなく雇用者である。最近出されたある研究結果によると、アングロナイズされた名前の履歴書を送ると、非アングロサクソン系の名前より面接に呼ばれる可能性がはるかに高いということだ(10年ほど前にも同じ研究結果が出ている)。ことばや習慣の問題、会社の雰囲気にあっているかどうか、という点を雇用者は気にしているようだが、どこかに移民に対する偏見が見え隠れしているように思う。実際、移民といってもアメリカやイギリス、ヨーロッパからの英語の堪能な移民にとっては、就職は比較的難がない。


確かに連邦政府(あるいは州政府)の移民政策は、かなり公正であると思う。ただ、だからといってカナダでは移民差別がないというわけではなく、この国では制度上の差別はすでに撤廃されているが、実際問題としてみると、個々の心のなかにほんのわずかな偏見が残っている、というのが私の感じであり、これこそがカナダに移住した移民が数年後に気付くフラストレーションなのではないか。

Tuesday, November 1, 2011

フカヒレ禁止は中国文化に対する差別的待遇か、という問い

10月下旬、トロント市議会はシャークフィン(フカヒレ)の販売、所有を禁止する法を可決し、来年の9月1日には法施行することが決められた。このブログでも数回にわたってトロント市の動きをアップデートしてきたが、今日はこのフカヒレ禁止が中国文化に対する差別かどうか、に焦点を絞って書いてみたい。


もちろん、差別に違いない、という声は中国系コミュニティを中心に出ている。市議会での決議がなされる当日、中国系の商工会は地方紙に全面広告を掲載した。その広告は「シャーク・ステーキを料理して出すことに問題はなくて、フカヒレのスープを出せば多額の罰金が課される」ことに対する矛盾をついていた。私も部分的にそう思っていた。


そもそも、フカヒレに反対する勢力は、フカヒレ漁の仕方が残酷であるといってフカヒレ消費を反対している。フカヒレ漁とは、ヒレだけ切り取って残りを海に戻すやり方だが、サメはそのうち大量の出血が原因で死んでしまう。


一方、世界中でシャーク(サメ)が消費されているのは事実であり、トロントでもスーパーにいけば「シャーク・ステーキ」の切り身は簡単に見つかる。ということならば、フカヒレを禁止するよりも、フカヒレ漁のやり方を変えればいいんじゃないか、と私は思うのだけれど、どうなのだろう。だいたい、サンフランシスコやトロントでフカヒレをメニューに出すこと、フカヒレを売ることを禁止するというのでは、フカヒレ反対勢力が否定しているフカヒレ漁のやりかたを抜本的に変え、苦しみのなかで死ぬシャークを劇的に助けることにはならない。


グローバライゼーション。食品の出所は海外であるという事実。この事実もあわせて考える必要がある。北米で消費されるシャークはアジアで捕獲されたものが大半で、トロント市としては海外の漁業の仕方を変える力はない。せいぜい、私が食肉産業に対してやっているのと同じような、消費者によるボイコットくらいしかできないのだ。


そう考えると、恐らく、フカヒレ禁止の動きは動物愛護の動きに対する、「トロント」のイメージを上げるためのトークニズムではないか、と思えてくる。


ついでに言うと、特別な日のアイテムとして珍重されているフカヒレ・スープが中国文化の象徴であることを考え合わせると、フカヒレだけをターゲットにするのなら、中国文化に対する差別的待遇ではないか、と問いただしたくなる気持ちもうなづける。


フォアグラはどうなのか。エスカルゴはどうなのか。馬の肉はどうなのか。くじらはどうなのか。


同時に、北米のスローターハウスで日々残酷なやり方で殺されている牛や、卵を産まされ続けている鶏などの扱いも、フカヒレ漁に比べると「人間的」と言えるのか。


文化という壁を突き抜けて見るとき、さまざまな食べものを食べる「正当性」の基準が揺らいでくる。何を食べて是とするか、は、文化によって、あるいは時代によっても異なる。つまり、食べ物の正当性の基準は絶対ではない。だからこそ、食べ物そのもの、ではなくて、「狩猟の仕方」や「屠殺の仕方」あるいは「飼育の仕方」に焦点を絞ることの方がずっと的を得ているという気がする。トロントで「フカヒレ」は禁止されたけれど、同じような議論が他の食べ物に対して出てくるのは時間の問題だと思われる。