夫にも言ったのだが、昨年の秋くらいから、そして12月の総選挙以降、軽いディプレッションになっていたように思う。ディプレッション、というより「失望感」にかな・・・。
ちょうど1年前の今日、私たち家族は日本にやってきた。
日本で生まれ育ったとはいえ、12年間をカナダで過ごして帰ってきた私にとって日本への再帰文化適応は大変だった(し、今も大変)。年末にふと気付いたのだが、きっとこれも私のマイルドな日本に対する「失望感」が原因だったと思う。
その「失望感」を晴らしてくれたのが、表題の本だった。この本は「人権」という概念が西洋でどのようにして生まれ、どのように発展してきたのか(そして、それは当然、民主主義という政治体制の発展と大いに関係がある)、それを日本ではどう受け入れてきたのか、という政治思想史を扱った本であるのだが、私にとっては「そうなんだ、今の日本に失望する必要はないんだ」と気付かせてくれた大切な本でもある。
どうして日本の民主主義は薄っぺらいんだろう。どうして太平洋戦争中の日本兵のPoWに対する扱いはひどかったんだろう。どうして憲法の精神を蹂躙するようなことを政治家が平気でやれるのだろう。今までこうした疑問にぶちあたるたびに、それが「人権」と「民主主義」、「権力」という政治学では重要な概念と関連があるとは気付いてはいたが、こうした疑問は西洋の政治思想史を勉強すると理解しやすいのだ、ということに今更ながらに気付いた。というか、私もカナダに暮らしてカナダ政治を日々観察しているなかで感じていた漠としていた考えや、日本政治に対する考えなどがやっと理論的に結びついて、点が線になったという感じを覚えた。
日本の政治に「人権」や「尊厳」、「権力の正当性」という概念が根付くまでにはこれから長い年月がかかるのだろう。その一方で「価値の多様化」や「グローバライゼーション」はどんどん進んでいき、その流れのなかで日本政治の歴史は当然ながら日本独自の展開をしていくことになる。その展開に大きな鍵をにぎるのはとりもなおさず市民である、と私も強く感じるが、ひとつ大きな問題だと思うのは、日本の知識層、ジャーナリストたちのクオリティである。
はっきり言って、私たち一般市民は日々、仕事として歴史研究や政治分析をしているわけではないので、厳密な意味ではこうした分野のことは「まったくの主観的意見」としてしか語り得ない。たとえば、領土問題に対して怒っているその辺のおじちゃんに歴史的経緯に裏付けられた説明を問いただしてみても、そんなことはたいてい答えられない。いったい、こうしたおじちゃんやおばちゃんの意見がどこから来ているかというと、新聞やテレビ、雑誌に書かれたことや、そこで言われたことをそれぞれがそれぞれの感情やこれまでの経験に基づいて判断した意見なのである。ということは、専門書籍からバラエティ番組まで、さまざまなメディアで流される情報のクオリティが非常に大切だということだ。
反論もあるかもしれないが、私には日本のメディアに比べればカナダの大手メディアは少なくともある問題に対する両極端の意見をもつ専門家の書いたものを載せようとしているように見受けられる。こうした多様な意見を市民は吟味したうえで自らの感情や経験に照らし合わせて、最も自分で納得がいく、という意見を選び取る。このプロセスにおける知識人、ジャーナリストの役割が日本に比べてはるかに大きいと思う。日本で市民が自らの権利を行使し、自らの義務を果たし、本当の意味での「市民」として成長するには、知識人やジャーナリストたちにもっとしっかり働いてもらわなければならない。
こういう本が著者が言うように「通勤電車のなかで読まれる」ような状況になればいいのに、と心より思う。
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Saturday, February 2, 2013
Wednesday, March 28, 2012
書評:Karen Kelsky “Women on the Verge- Japanese Women, Western Dreams” 2001
NOTE: 数ヶ月前に書いたレビューですが、今朝、コンピュータに残っていたのを見つけるまで、すっかり忘却の果てに追いやられていました。かなり時間かけて書いたのに・・・。書評だから今更ですが、アップします。
海外在住もかれこれ12年になる私は、カレン・ケルスキーのいうInternationalist というカテゴリーに属するひとりに多少なりともあたるのだろうか。著者が探求する西洋への「憧れ」というキーワードは若い私の脳裏にあったとは思うが、私のその後の人生を変えるほど大きなものだったのだろうか。私の人生の選択は、ひょっとするとより大きな流れのなかでなされてきたのだろうか、という疑問を抱きながら、本著を読み進めた感想を書いてみたい。
著者カレン・ケルスキーはイリノイ大学の文化人類学および東アジア学の助教授。
まず、本著の構成。序章では研究対象がどういった思想的枠組みのなかで捉えられるかが提示される。日本人女性の西洋に対する「あこがれ」を通して現代の日本人女性の西洋および日本に対する意識を検証することが研究対象であることが示され、かなり専門的な内容だが、方法論が語られる重要な部分である。著者がインタビューする女性は「大半が高学歴で、都市居住者、ほとんどが独身のキャリアウーマン、年齢は20歳から45歳」。すべての日本人女性が対象ではない。
第1章では、19世紀中頃から戦後のアメリカ軍による占領時代にかけての日本における女性の国際化の系譜が「憧れ」をめぐって検証される。津田梅子や彼女の教え子である三島すみえ(My Narrow Isle: The Story of a Modern Woman in Japan (1941))の著作や手紙を読み解きながら、渡米と渡米後の経験に即して、日本および西洋に対する意識を検証する。
2章では、戦後、「国際派・国際主義者」の女性たちが書いてきた著作などをもとに、国際派ナラティブがどのように発展していったかを考察する。
さらに、第3章は、現代の日本における白人男性のつくられたイメージを、広告やメディアを通して検証する。白人と日本人がお互いに抱いている、ステレオタイプ化されたエロチック・イメージと、その背後にあるさまざまな影響にも焦点をあてている。
第4章はいわゆる「国際派」とされる女性たちが直面する困難、さらにはそうした困難とどのように折合いをつけているのかを女性たちへのインタビューから浮かび上がらせる。
私にとってはエスノグラフィという分野は未知なので、本著を読んだ後はちょっと戸惑った。いろいろな側面を提示されたにもかかわらず、その現実に対する批判や問題解決がないことに対する戸惑いなのだけれど、多様な環境や歴史的事実、アクターの思いや経済的状況など、さまざまな局面が交差する現実というのは、実際に簡素化して語れるものではない。エスノグラフィは社会的現象の複雑性、相互性という深みに気づかせてくれるものでもある。読み手の関心により、それぞれの側面をより深く探ってみると興味深い考察へと結びつく可能性を秘めている。というわけなので、私が興味をひかれたいくつかのファクターに絞って考えをまとめてみたいと思う。
・イメージと「あこがれ」
まず、internationalist narrativeというキーワードを理解しておく必要がある。これは、家父長制、男尊女卑の思想の強い日本で最初から構造的に組み入れられない、高学歴で野心をもった「国際主義者」の女性たちが使う「言い分」であり、その内容とは、日本で能力を認められない、発揮できないのなら、男女が平等に扱われる海外(西洋)に出て自由を謳歌しながら、海外の人たちと付き合ったり、海外企業に職を求めたり、留学を通して自分を磨くことが許される、というものである。こうして西洋との接触を通して磨かれ、探し当てた自らは「新しい自分」であり、封建的価値が残る「古い日本的伝統」のなかでは決して見出し得ない「真の自分の姿」である。つまり、西洋という鏡を通してはじめて、「国際主義者」を名乗る女性たちは自己を確立する、といえるのだが、厳密にいえばこの「西洋」というのは、「西洋というイメージ」であることが明らかにされる。
ここで、「イメージ」という非常に重要なキーワードが出てくる。イメージとは、実際の姿ではなく、ある程度実際の姿に「自らが見たいと思うもの」=「あこがれ」を投影しながら作られる姿である。日本社会の「後進性」に幻滅した国際派の日本人女性は、「救世主」としての西洋および「西洋人男性」のイメージのもとに、日本を脱し、海外に出ていく。それは実に積極的なるdefect(「棄国」という言葉があるが)であり、後戻りはできないという覚悟とともに人生を大きく変える選択でもある。
同時に、捨ててきたものに対するビターな感情は、日本の社会や日本の男性そのものへと向けられ、その反動として向かった西洋でこうした主張を買う西洋人男性やメディアを通し、イメージが広まる原因となる(「世界一魅力のない日本人男性」、「世界一魅力的な日本人女性」、あるいは「日本人男性は女性を喜ばせられない」、さらには「イエローキャブ」というレトリック)。
このイメージは「国際主義者」の日本人女性の占有物ではない。著者は、国際派女性の、あるいは西洋人男性の日本人男性に対するイメージ(非常にネガティブなイメージ)、あるいはそれを煽ってきた日本や海外のメディアにも焦点を当てる。
ここで気付くのは、「国際主義者」の日本人女性をはじめ、一部の西洋人男性、日本人の西洋に対するあこがれを煽り続けてきた日本のメディア(“seling of white men as commodity markers of upward mobility, 187)、旅行産業、外資系の会社や留学エージェンシーやサービスなど、さまざまなアクターがその西洋の「イメージ」と「リイマジンドされた西洋と西洋人」を自らの利益に都合のよいように利用してきた事実である。私としては、このうちで日本のメディア、旅行産業がとりわけ「PR」効果という側面を重視してることを考えると非常に問題を感じる。
・日本人女性と西洋男性のあいだのロマンス、消費主義の行きつく先・・・
日本人女性と西洋男性のカップル、西洋人女性と日本人男性のカップルをみると、数からして明らかに前者が多い。この事実を不思議に思う人は多いし、どうしても単なる偶然であるとは思われない。かくいう私と夫も前者例にあたるのだが、巷に転がっている理由は、基本的にネガティブなものが多いこと(たとえば、日本人にはモテない日本人女性とルーザー外国人との結婚、など)、さらに結局は個人間の関係性は私たち固有のものである、という気付きから、どこかでこの問題は「取り扱うに足らず」と認識してきた、というのが妥当だという気がする。
大学卒業したころの私はケルスキーの研究対象のような上昇志向をもった野心的な「国際主義者」の日本人女性では決してなかったし、今もそれは変わらない。私のなかにあったのは、海外への憧れ、というよりは、日本社会における居心地の悪さ、であったと言うのが最もしっくりくる。日本社会では私のもつあまりに個人主義的、自由主義的(あるいは社会主義的)な価値観はいずれ衝突を来たすであろうことを肌で感じていた。経済的には何の問題もなかったが、思想的な行き詰まりの予感は実にあった。そんなときにカナダ人の(今の)夫に出会った。なので、私はケルスキーの調査対象に当てはまらないと思われるが、トロントで国際結婚している日本人女性を見渡してみても、ケルスキーの調査対象に当てはまる人はほとんど見当たらない。そこで思うのだが、「彼女たち」は一体、誰なのか。
本著を読む限り、この「国際主義者」の日本人女性は、ひとつの見方をすれば女性の伝統的役割を押し付ける日本社会に対する抗議者であるが、同時に極度な日本の消費主義の行き着く末としての、「カニバリズム的」消費者でもある。つまり、海外旅行やブランド品を追いかけた末に、最も手に入りにくい欲望の対象としての「外国人ボーイフレンド」は、彼女たちにとっては最後の砦なのである。
この「国際主義者」として描写されるふたつの像が、私にはどうも腑に落ちない。日本社会に対する抗議者でありながら、日本の過度な消費主義を無批判に鵜呑みにする、という状況に、思想的な二律背反を感じるからである。具体的に言うと、日本社会の構造的差別には抗するが、際限なき消費欲を満たすために海外へ出て、自分の置かれた地位を利用し「搾取」に精を出しているのである。「外国へ目を向けることは、おそらく日本社会で女性の伝統的生き方への期待に抗する、最も重要な手段であるのではないか」(序章)とケルスキーは言うが、この「抗し方」がまるで徹底していない、と感じられてならない。
・植民地主義と消費主義
ケルスキーが指摘するように、国際派の日本人女性が海外に出ていく現状は、彼女たちの経済的パワーに裏付けられている。いくら社会的制約は厳しいといってもOLはそれなりの給料をもらっているわけで、その経済力を海外で利用する(留学、遊学、語学研修、旅行)力を備えている。たとえば、女性の地位が非常に低いインド社会を例にとってみると、インド社会の女性たちは現状から脱出するための経済的手段を持たない。日本人女性が「息抜き」として海外に出ていける背景には、日本経済という大きなバックアップがあってこそなのだ。これは国際派の日本人女性もよく心得て利用している「力」である。この事実は、日本という国で「力」を奪われマージナライズされた女性が、海外では発揮できる「力」という意味で非常に興味深い。さらには、ポスト・コロニアリズムの影響、オリエンタリズム(サイード)の影響を無批判に受け入れ、日本およびアジアの女性に対するイメージを描いている西洋男性(the commodification of the Japanese women)を受け入れることとなる。
同時に、日本が連合軍(なかでもアメリカ)に敗戦したという歴史的事実も、日本人の西洋へのあこがれに大きく関与している。津田梅子の時代から日本人女性を驚かせ、喜ばせてきた「レディ・ファースト」の西洋文化のイメージは、アメリカ進駐軍GIの存在を通して一般の女性たちの間にも浸透していくことになる。実際、アメリカ進駐軍が敗戦後の日本に来たという事実は、日本人に大きな心理的影響を与えたし、その影響は見えない形で未だに尾を引いている。
・国際化という神話。日本社会の変革までは思いが至らないエゴイスティックな国際主義者
人類学者のケルスキーは、さまざまな側面を提示してくれるが、あからさまに彼らの関与を批判することはない。ただし、フェミニストを自称する彼女は、日本での低い立場に不服を申し立てる手段、レジスタンスとして海外に出た日本人女性が、日本で女性の地位向上を目指すための連帯した運動には結びついていない事実に対してだけは批判の矛先を向ける。
時代をさかのぼって見れば、津田梅子や三島すみえ、加藤シヅエなどは日本帰国後、アメリカにおける男女平等社会を日本に取り入れようと尽力してきた。あの当時の様相を思い合わせると、周囲の酷い反対にあいながらも女性のための学校を作ったり女性の地位を向上させるための法案を通すために働いたりしてきた彼女たちの努力は並大抵ではなかっただろう。
一方で、現代の「国際主義者」の女性たちはどうだろう。日本社会の構造を変えようという意図は少しもなく、日本社会から脱した自分と自分が入った文化を理想化することに終始している。極端な例はマークス寿子(「大人の国イギリスと子どもの国日本」)や斎藤澪奈子(「超一流主義」)で、日本に蔓延する一部ヨーロッパのイメージを誇張した挙句、レイシズムまで使って自分の主張を繰り返していて、私はベストセラーとなったらしいこの本の内容を知り、唖然としてしまった(”Japanese and Arabs are scavenging up the hotels of English girls finishing school… What kind of finishing school is it where you only hear Arabic and Japanese spoken?!” “There are no more real English girls... Instead… they are full of Arabs and Japanese. In such an atmosphere, can anyone learn true manners? To put it bluntly, can anyone even learn to speak proper English.P125)。このような人種差別的で偏見に満ちた本がベストセラーになる背景には、ジャーナリズムの質の低さや差別に対する研ぎ澄まされた感性の欠如があるだろうと思う。
このような現実を見るとき、最後に疑問が出てくる。一体、彼女たちは本当に国際派と言えるのだろうか。日本は国際化したのだろうか、という疑問である。
日本人にとっては「国際化」という言葉は、殺し文句にも等しい。当時から言われていたことだが、言葉の中身は空っぽで、誰も「国際化とは何なのか」という問いに満足に回答を出すことはできなかった。言語(英語)習得ではない。結局、ナショナリズムの影響を振り切ることができず、まず日本人として日本文化を知り、日本人としての教養と知識を身に着けることだ・・・とか何とかひねり出してきた最もらしい答えは、日本人の趣向にはあったようだ。
過去、「国際化」の掛け声とともに、英語学習ブーム、海外旅行ブームが広がったり、西洋を日本人の文脈で読んだり、日本を特殊な外国人の文脈で読んだり(アレックス・カーなど)、同時にまったく逆に今度はねじれ切って日本文化を絶対視するナショナリズムなどが出てきたが、すべて何かおかしいような気がする。
津田梅子や加藤シヅエには西洋文化の、具体的にどの部分が、どの社会的構造が、どの法律が日本には欠けていてそれを導入することによって日本人女性、ひいては日本社会がよりよい社会になるという確信があった。そういう意味で、彼女たちはフェミニストであったし、真に理想の日本像を捉えることのできたリーダー的人物だったと思うが、斎藤澪奈子やマークス寿子などはエゴセントリックなキャピタリストでしかない。こうした論客は少し突いてみれば、人種差別や排他主義、ナショナリズムの思想的断片がぞろりぞろりと姿を現すことだろう。現代に生きる私たちは、彼女たちが崇拝するような西洋的価値に根ざしたグローバライゼーションやグローバル経済という現実を無批判に受け入れるべきではない。
日本を出て以降、ことあるごとに感じてきたのだが、日本が長年抱えている問題のひとつは、リーダーシップの不在に違いない。政治の世界でも産業界でも、教育界でも、どんな分野でも、将来、こういう形に導いていきたい、というイメージをもってそれを周囲の人たちに信じさせ、エンパワーしていく情熱とスキルを持った人が育っていない。「国際化」にしても、そのフワフワしたイメージだけを売り物にして(資本主義がそれを食い物にして)、中身を詰めてこなかった日本はInternationalizationに実質、乗り遅れてきた。
あるいはこう言うこともできるだろう。多くの日本人は、日本には国際化は必要ない、あるいは国際化は「百害あって一利なし」と、実は無意識のうちに信じてきたようなところもある。でも、最もお金をもっている若い女性のために、日本の産業がよってたかって国際化をファッションとして売ってきたという一面もあると思う。つまり、80年代から言われてきた「国際化」は、日本が国運をかけて取り組んでいく必要のある問題ではなかったのだろう。
・ 最後に、再びイメージについて
だからこそ、「イメージ」という概念がカギになる。ケルスキーが第3章Capital and the Fetish of the White Man で省察するように、日本のコマーシャルには白人男性が大活躍している。こうしたコマーシャルに乗って、若くて野心的な日本人女性が信じてきた西洋のイメージ、旅行会社やファッション業界が売り込みに懸命になっている西洋や西洋文化のイメージ、はたまた国際結婚エージェンシーが売り込む西洋男性のイメージ・・・、これらは実際には、私たちを中身のない幻想へと導く資本主義の道具に過ぎないということを見破る必要がある。
実は、私も異文化に暮らして思うのだが、この「イメージ」というのは私たちのコミュニケーションに計り知れない意味をもっている。例をあげると、私にも「インド人」のイメージや「ドイツ人」のイメージを持っているし、こうしたイメージはそのイメージから例外的なインド人を友達に持っていても未だに根強く残っているほどだ。一方では、西洋ではある「日本人女性」のステレオタイプ(イメージ)が蔓延している事実に気付かされる。このステレオタイプはマダム・バタフライからイエローキャブまでさまざまだが、自分ではまったく関係ないと思っていた自分がそうしたイメージに影響を被るというのは事実である。
異文化に暮らす経験の真髄は、この私たちが知らずに持っている「イメージ」が繰り返し繰り返し破壊され、新しく作られては破壊され・・・、という経験の連続である。最近の私は、こうした経験を繰り返すなかでしか、自分以外の他人とお互いにより深い理解に近づくということはないのではないか、と思う。言い方を換えれば、自分の持っている「イメージ」に固執した他者とのかかわり方に創造的で発展的な意味はない、ということである。
本著が出版されてすでに10年が過ぎているが、日本の状況はどう変わっているのだろうか。「国際化」の内情が実は「空洞化」であったなど、誰が信じるだろうか。しかし、私たちはよりものごとの表層に現われない部分を見る必要がある。
Tuesday, December 6, 2011
Tanaka-san Will Not Do Callisthenics by Maree Delofski
Tanaka-san Will Not Do Callisthenics by Maree Delofski
田中さんはラジオ体操をしない
以前のクラスメートが流した一斉メールには、「ヨーク大学で労働・雇用関係(Labour relations)関連の無料映画上映会をするので来てね」というメッセージがあった。いくつか映画のタイトルのうちのひとつがTanaka-san Will Not Do Callisthenicsだった。明らかに日本人の名前なので興味をひかれてネットでサーチしてみたら、なんとこれが非常におもしろそうなドキュメンタリー映画なのだ。なにより田中さんという人がいいのだ。
シノプシスは以下。
http://www.tanakafilm.com/synopsis
映画を見てない立場でその映画について書くのもちょっとね・・・と思いつつやっぱり書きたいので書いておこう。
大手電気メーカーに勤務するエンジニアの田中哲朗さんは、同僚の解雇に抗議したあと、それから始まった会社によるラジオ体操を拒否し、低いポジションに配属されて給料カットにあい、次に転勤を要求されてこれを拒むと、あっさり解雇されてしまう。解雇された翌日から会社前でたったひとりでピケを張り、抗議運動をはじめる。自らつくった歌をギターで歌いながらの抗議活動は継続し、株主総会にも出席して、不正義に対する抗議を行う。それから25年後。オーストラリアの監督マレー・デロフスキーが田中さんの世界を、企業と個人の抗争、さらには日本の知られざる現状をフィルムに収め、世界に知らしめることになる。
ラジオ体操。ほとんどの日本人が、会社のラジオ体操への出席がたとえ無給であっても仕方ないと感じつつ参加するだろう。転勤を要求されたら、たとえ家族と別れるのが辛くても家族を残してでも転勤するだろう。会社内で不正が行われているのを目撃しても、それを批判することなく、無視するか黙認するだろう。ま、ラジオ体操をはじめとする会社側の権力乱用を、不正とも思わない人の方がもっと問題だけれど・・・。
でも、田中さんはそれができない人である。こういう人はどこの社会でも極めて貴重な人であるが、とりわけ日本社会では極めて稀である。先に田中さんのような人は貴重だと書いたが、なぜこういう人が貴重かというと、こういう人なしでは社会はいとも簡単に不正義の谷底に陥ってしまうからである。社会が多くの人にとって開かれた、平和な住みやすい社会であるかどうかは、田中さんのような人をいかに多く生み出せるかにかかっている。
多くの人は不正だと分かっていても自分の身をかばうために黙認するか無視するか、一緒になって不正を行う。これは、あきらかに「いじめ」の構図と同じである。学校でのいじめも、会社でのいじめ解決にも、バーバラ・コロロッソが指摘するように「傍観者」がカギを握っている。彼らがいじめの加害者に対して有効に批判することができれば、多くのいじめは解消される。そして、こうした「傍観者」はいつも「多数」なのである。
私も日本にいるときは周りからよく言われたものだ。
「そんなことに目くじらを立てて反論するなんて・・・」
と。「そんなこと」とは、「そんな小さなこと」で、隠された意味は「ま、イヤかもしれないけど、へらへら笑って一緒にやってれば問題なくその場をやり過ごせるのだから」ということなんだと思う。
しかし、小さくても不正や企業や社会的地位の高い人などの権力乱用、さらには人種差別や部落差別、あらゆる種類の差別的発言を許せば、ファシズムはいとも簡単にやってくるという事実は、私たち日本人が太平洋戦争から学んだことではなかったのか。
そういう意味でも、田中さんが対抗している相手は田中さんを解雇した電気会社をはるかに超えて、日本社会の大きな権力、不正に声を挙げない人たちへと向かっている。
うーん、この映画、ぜひ見てみたい。
田中さんはラジオ体操をしない
以前のクラスメートが流した一斉メールには、「ヨーク大学で労働・雇用関係(Labour relations)関連の無料映画上映会をするので来てね」というメッセージがあった。いくつか映画のタイトルのうちのひとつがTanaka-san Will Not Do Callisthenicsだった。明らかに日本人の名前なので興味をひかれてネットでサーチしてみたら、なんとこれが非常におもしろそうなドキュメンタリー映画なのだ。なにより田中さんという人がいいのだ。
シノプシスは以下。
http://www.tanakafilm.com/synopsis
映画を見てない立場でその映画について書くのもちょっとね・・・と思いつつやっぱり書きたいので書いておこう。
大手電気メーカーに勤務するエンジニアの田中哲朗さんは、同僚の解雇に抗議したあと、それから始まった会社によるラジオ体操を拒否し、低いポジションに配属されて給料カットにあい、次に転勤を要求されてこれを拒むと、あっさり解雇されてしまう。解雇された翌日から会社前でたったひとりでピケを張り、抗議運動をはじめる。自らつくった歌をギターで歌いながらの抗議活動は継続し、株主総会にも出席して、不正義に対する抗議を行う。それから25年後。オーストラリアの監督マレー・デロフスキーが田中さんの世界を、企業と個人の抗争、さらには日本の知られざる現状をフィルムに収め、世界に知らしめることになる。
ラジオ体操。ほとんどの日本人が、会社のラジオ体操への出席がたとえ無給であっても仕方ないと感じつつ参加するだろう。転勤を要求されたら、たとえ家族と別れるのが辛くても家族を残してでも転勤するだろう。会社内で不正が行われているのを目撃しても、それを批判することなく、無視するか黙認するだろう。ま、ラジオ体操をはじめとする会社側の権力乱用を、不正とも思わない人の方がもっと問題だけれど・・・。
でも、田中さんはそれができない人である。こういう人はどこの社会でも極めて貴重な人であるが、とりわけ日本社会では極めて稀である。先に田中さんのような人は貴重だと書いたが、なぜこういう人が貴重かというと、こういう人なしでは社会はいとも簡単に不正義の谷底に陥ってしまうからである。社会が多くの人にとって開かれた、平和な住みやすい社会であるかどうかは、田中さんのような人をいかに多く生み出せるかにかかっている。
多くの人は不正だと分かっていても自分の身をかばうために黙認するか無視するか、一緒になって不正を行う。これは、あきらかに「いじめ」の構図と同じである。学校でのいじめも、会社でのいじめ解決にも、バーバラ・コロロッソが指摘するように「傍観者」がカギを握っている。彼らがいじめの加害者に対して有効に批判することができれば、多くのいじめは解消される。そして、こうした「傍観者」はいつも「多数」なのである。
私も日本にいるときは周りからよく言われたものだ。
「そんなことに目くじらを立てて反論するなんて・・・」
と。「そんなこと」とは、「そんな小さなこと」で、隠された意味は「ま、イヤかもしれないけど、へらへら笑って一緒にやってれば問題なくその場をやり過ごせるのだから」ということなんだと思う。
しかし、小さくても不正や企業や社会的地位の高い人などの権力乱用、さらには人種差別や部落差別、あらゆる種類の差別的発言を許せば、ファシズムはいとも簡単にやってくるという事実は、私たち日本人が太平洋戦争から学んだことではなかったのか。
そういう意味でも、田中さんが対抗している相手は田中さんを解雇した電気会社をはるかに超えて、日本社会の大きな権力、不正に声を挙げない人たちへと向かっている。
うーん、この映画、ぜひ見てみたい。
Tuesday, November 15, 2011
映画批評: PROSECUTOR by Barry Stevens
"不処罰の時代は終わった"
11月14日、トロント大学のイザベル・ベーダー・シアターで、バリー・スティーブンスのドキュメンタリー映画PROSECUTORの上映会が開催された。上映後は、監督および、元国連大使Steven Lewis/スティーブン・ルイス、映画の主人公であるICC(国際刑事裁判所)主任検察官Luis Moreno- Ocampo/ ルイス・モレノ=オカンポによる討論および質疑応答がなされた。
映画では、2003年のICC設置と同時に、初代主任検察官として選出されたルイス・モレノ=オカンポ(アルゼンチン出身)をカメラが追う。世界中から集まった選りすぐりの法律専門家チームをしたがえ、モレノ=オカンポはDRC(コンゴ共和国)やウガンダ、ダーフォーで継続している戦争犯罪、ジェノサイド、マス・レイプ、子どもの誘拐と少年兵の利用といった事件を調査し、証拠書類を集め、加害者を法廷に立たせようとする。
ICCとモレノ=オカンポに対する批判は後を絶たない。司法が機能するためには、法律、裁判所、警察や軍といった法律を取り締まる強制手段の3条件がそろわねばならない。ICCは設立当時から、強制手段の欠如という弱みを指摘されていた。締結国以外の国の被告が法廷に立つのを拒否した場合、どうするのか、という問題である。
もっと難しいのは、国際法の基盤ともいうべき「国家主権の原則」をICCの存在は脅かすおそれがある事実である。これこそ、アメリカが最初からICCの締結国として加盟を拒んだ理由のひとつであった。また、映画上映後の質疑応答である観客が言ったように「ICCはアフリカの犯罪ばかりを調査しているが、トニー・ブレアやブッシュはどうなのだ? あるいはスリランカは?」と、取り扱っているケースが地域的に偏っていること、西洋社会の価値観の押し付けの可能性を指摘する声もある。
しかし、ルイス・モレノ=オカンポ検査官はそうした批判にかかわっている時間はない。カメラが追うモレノ=オカンポは、一刻も早く声を持たない被害者にかわって不正義を正し、加害を法のもとに裁き、加害者に加害責任を課す、という自らの任務を遂行することに全身全霊をかけている。彼はThe era of impunity is ending(不処罰を許す時代は終わりを迎えている)という力強いスピーチをするが、その言葉に突き動かされるように日々、正義のために戦っている。
映画には、ニュルンベルク裁判の検察官であったベンジャミン・フェレンツも出てくる。ニュルンベルクは世界で最初に国際司法を可能にし、人道に対する罪、ジェノサイド、戦争犯罪という凶悪犯罪のうちの最も凶悪な罪を裁いた裁判として歴史に刻まれている。100万人を越えるユダヤ人を殺害したアインザッツグルッペン「絶滅部隊」の指導者22名を裁いたのはフェレンツだった。彼もまた、被害者に正義をもたらすために一生をかけてきた世界の法曹界の重鎮である。
国際刑事裁判所は独立司法権を与えられている。つまり、制度上、国連や安全保障理事会からの圧力はかからない。しかし、事実上、拒否権をもつ安全保障理事会の存在は大きいし、国連平和維持軍と協働する必要もある。政治的には複雑な立場にあるが、会場からの質問「圧力を感じることはあるか」との問いに、モレノ=オカンポは「どの圧力のことを言っているのだ? 私は法に従って動いているだけで、法と正義のもとには圧力はありえない」と、至極当然のことのように言ってのけた。
映画の最後のシーンは、ルイス・モレノ=オカンポがこれまでの5年間を振り返って語るシーンである。
「振り返ってみれば、これまでにできるだけのことはやってきたし、ジェノサイドや戦争犯罪、人道に対する罪という重大な犯罪を法のもとに裁くという意味では部分的な勝利を収めてきたと思う。しかし、将来へ目を向けてみれば、やるべき仕事は山のようにある」
ICCに対する批判は、確かに的を得ている。しかし、だからといってICCの仕事が無効というわけではない。それどころか、ICCの存在、モレノ=オカンポ検察官の仕事には非常に重要な象徴的意味がある。国民を守るべき国家がその国の国民を殺害しているのを、国際社会が無言で傍観するだけでよいわけがない。コンゴ共和国で集団レイプされ、精神的トラウマを被って沈黙していた被害者たちは、ICCが加害者を法廷に立たせているのを見て、世界は自分たちを見捨ててはない、と希望を抱くであろう。時間がかかっても正義はなされる、ということが社会に徐々に浸透していけば、沈黙を決めていた傍観者が証言しようという気になるだろう。これから不正義を起こそうとしている指導者に対しては抑止作用となるだろう。
アーナ・パリスが『歴史の影』で強調しているように、正義はすでに起きてしまった罪に対する償いでしかない。それでも、正義が存在する、という象徴的意味を社会に広げることは、今の、あるいは次世代に「Never again / もう2度と繰り返さない」というメッセージを送ることになる。ICCの検察官は、計り知れない困難を伴なう戦いを戦っている。それでも、正義の側について戦う人の姿には何と勇気づけられることだろう。歴史を学んでわかるのは、人間が状況によっては非人道的なことも簡単に犯すキャパシティをそなえている、ということだ。私が想像しうる最もおそろしい状況とは、法が有効性をもたず、不正義が堂々とまかり通り、力と暴力によって強者が弱者をほしいままにする、ホッブズ的自然状態である。そんな状況のなかでは、女性や子どもはどんなに弱い存在であることだろう。正義が通る国をつくるためには、私たちの社会は、こうした正義の感覚をしっかりと身につけた人を世に送り出していく必要があると、親として、あるいは市民のひとりとして強く感じた。
討論のなかで、モレノ=オカンポ検察官は繰り返しICCに対するカナダの関与を強調していたのが印象的だった。カナダ政府およびカナダ人法律専門家はICCのデザインやローマ規程の導入に深く係わってきたし、これまでにもロザリー・アベラ、フィリップ・キリッシュなどの選りすぐりの専門家を送ってきた。映画にもオカンポ検察官のチームに数人のカナダ人(みんな若い)がいることが描かれている。オカンポ検察官が「カナダは正義がとおる国であり、グローバル機関で働ける能力のある若い法律専門家を輩出している」と褒めると、ハーパー政府に批判的なスティーブン・ルイスは「とはいっても、最近はアフガニスタンにも派兵して、グローバルな交渉役を引き受けてきたPKOのカナダという立場から、アメリカと同じ軍事国と見られ始めている」と苦々しく答えていた。映画上映に先立って、この映画の土台となったThe Sun Climb Slow: The International Criminal Court and the Struggle for Justiceを書いたErna Parisアーナ・パリスも、会場に多数の学生、若い世代がいることを指摘し、若者が社会正義に関心を持つことの大切さ、そして、正義を信じることの大切さとそこから成し遂げられることの大きさを強調していた。
余談になるが、夫は私がこのイベントに参加できるようにとエリックのシッター役を引き受けてくれた。私のために席まで取ってくれて、会場で別れてエリックとふたり、帰っていったのだが、後で聞くと、帰途、会場に向かうルイス・モレノ=オカンポに偶然出会ったという。検察官はエリックを見てHelloと言って話しかけてきたという。夫は「威厳のある雰囲気があるが、とても人間的な温かい人だということは一目瞭然だった」という。たしかに、ICCの検察官というとどんなすごい人かと思うが、映画のなかの、そして実際に熱のこもった表情で自分の仕事を語るモレノ=オカンポは非常にユーモアセンスが抜群で、人間味あふれるチャーミングな人だった。自分のやっていることが自分の心と、情熱と、公共の善と一致している人というのは何と人を惹きつける魅力を持っていることだろう。
PROSECUTORのトレイラーは以下。カナダではNFBファンディングで非常によい映画がたくさん作られている。
http://www.youtube.com/watch?v=Q0opWqPuBPw&feature=related
11月14日、トロント大学のイザベル・ベーダー・シアターで、バリー・スティーブンスのドキュメンタリー映画PROSECUTORの上映会が開催された。上映後は、監督および、元国連大使Steven Lewis/スティーブン・ルイス、映画の主人公であるICC(国際刑事裁判所)主任検察官Luis Moreno- Ocampo/ ルイス・モレノ=オカンポによる討論および質疑応答がなされた。
映画では、2003年のICC設置と同時に、初代主任検察官として選出されたルイス・モレノ=オカンポ(アルゼンチン出身)をカメラが追う。世界中から集まった選りすぐりの法律専門家チームをしたがえ、モレノ=オカンポはDRC(コンゴ共和国)やウガンダ、ダーフォーで継続している戦争犯罪、ジェノサイド、マス・レイプ、子どもの誘拐と少年兵の利用といった事件を調査し、証拠書類を集め、加害者を法廷に立たせようとする。
ICCとモレノ=オカンポに対する批判は後を絶たない。司法が機能するためには、法律、裁判所、警察や軍といった法律を取り締まる強制手段の3条件がそろわねばならない。ICCは設立当時から、強制手段の欠如という弱みを指摘されていた。締結国以外の国の被告が法廷に立つのを拒否した場合、どうするのか、という問題である。
もっと難しいのは、国際法の基盤ともいうべき「国家主権の原則」をICCの存在は脅かすおそれがある事実である。これこそ、アメリカが最初からICCの締結国として加盟を拒んだ理由のひとつであった。また、映画上映後の質疑応答である観客が言ったように「ICCはアフリカの犯罪ばかりを調査しているが、トニー・ブレアやブッシュはどうなのだ? あるいはスリランカは?」と、取り扱っているケースが地域的に偏っていること、西洋社会の価値観の押し付けの可能性を指摘する声もある。
しかし、ルイス・モレノ=オカンポ検査官はそうした批判にかかわっている時間はない。カメラが追うモレノ=オカンポは、一刻も早く声を持たない被害者にかわって不正義を正し、加害を法のもとに裁き、加害者に加害責任を課す、という自らの任務を遂行することに全身全霊をかけている。彼はThe era of impunity is ending(不処罰を許す時代は終わりを迎えている)という力強いスピーチをするが、その言葉に突き動かされるように日々、正義のために戦っている。
映画には、ニュルンベルク裁判の検察官であったベンジャミン・フェレンツも出てくる。ニュルンベルクは世界で最初に国際司法を可能にし、人道に対する罪、ジェノサイド、戦争犯罪という凶悪犯罪のうちの最も凶悪な罪を裁いた裁判として歴史に刻まれている。100万人を越えるユダヤ人を殺害したアインザッツグルッペン「絶滅部隊」の指導者22名を裁いたのはフェレンツだった。彼もまた、被害者に正義をもたらすために一生をかけてきた世界の法曹界の重鎮である。
国際刑事裁判所は独立司法権を与えられている。つまり、制度上、国連や安全保障理事会からの圧力はかからない。しかし、事実上、拒否権をもつ安全保障理事会の存在は大きいし、国連平和維持軍と協働する必要もある。政治的には複雑な立場にあるが、会場からの質問「圧力を感じることはあるか」との問いに、モレノ=オカンポは「どの圧力のことを言っているのだ? 私は法に従って動いているだけで、法と正義のもとには圧力はありえない」と、至極当然のことのように言ってのけた。
映画の最後のシーンは、ルイス・モレノ=オカンポがこれまでの5年間を振り返って語るシーンである。
「振り返ってみれば、これまでにできるだけのことはやってきたし、ジェノサイドや戦争犯罪、人道に対する罪という重大な犯罪を法のもとに裁くという意味では部分的な勝利を収めてきたと思う。しかし、将来へ目を向けてみれば、やるべき仕事は山のようにある」
ICCに対する批判は、確かに的を得ている。しかし、だからといってICCの仕事が無効というわけではない。それどころか、ICCの存在、モレノ=オカンポ検察官の仕事には非常に重要な象徴的意味がある。国民を守るべき国家がその国の国民を殺害しているのを、国際社会が無言で傍観するだけでよいわけがない。コンゴ共和国で集団レイプされ、精神的トラウマを被って沈黙していた被害者たちは、ICCが加害者を法廷に立たせているのを見て、世界は自分たちを見捨ててはない、と希望を抱くであろう。時間がかかっても正義はなされる、ということが社会に徐々に浸透していけば、沈黙を決めていた傍観者が証言しようという気になるだろう。これから不正義を起こそうとしている指導者に対しては抑止作用となるだろう。
アーナ・パリスが『歴史の影』で強調しているように、正義はすでに起きてしまった罪に対する償いでしかない。それでも、正義が存在する、という象徴的意味を社会に広げることは、今の、あるいは次世代に「Never again / もう2度と繰り返さない」というメッセージを送ることになる。ICCの検察官は、計り知れない困難を伴なう戦いを戦っている。それでも、正義の側について戦う人の姿には何と勇気づけられることだろう。歴史を学んでわかるのは、人間が状況によっては非人道的なことも簡単に犯すキャパシティをそなえている、ということだ。私が想像しうる最もおそろしい状況とは、法が有効性をもたず、不正義が堂々とまかり通り、力と暴力によって強者が弱者をほしいままにする、ホッブズ的自然状態である。そんな状況のなかでは、女性や子どもはどんなに弱い存在であることだろう。正義が通る国をつくるためには、私たちの社会は、こうした正義の感覚をしっかりと身につけた人を世に送り出していく必要があると、親として、あるいは市民のひとりとして強く感じた。
討論のなかで、モレノ=オカンポ検察官は繰り返しICCに対するカナダの関与を強調していたのが印象的だった。カナダ政府およびカナダ人法律専門家はICCのデザインやローマ規程の導入に深く係わってきたし、これまでにもロザリー・アベラ、フィリップ・キリッシュなどの選りすぐりの専門家を送ってきた。映画にもオカンポ検察官のチームに数人のカナダ人(みんな若い)がいることが描かれている。オカンポ検察官が「カナダは正義がとおる国であり、グローバル機関で働ける能力のある若い法律専門家を輩出している」と褒めると、ハーパー政府に批判的なスティーブン・ルイスは「とはいっても、最近はアフガニスタンにも派兵して、グローバルな交渉役を引き受けてきたPKOのカナダという立場から、アメリカと同じ軍事国と見られ始めている」と苦々しく答えていた。映画上映に先立って、この映画の土台となったThe Sun Climb Slow: The International Criminal Court and the Struggle for Justiceを書いたErna Parisアーナ・パリスも、会場に多数の学生、若い世代がいることを指摘し、若者が社会正義に関心を持つことの大切さ、そして、正義を信じることの大切さとそこから成し遂げられることの大きさを強調していた。
余談になるが、夫は私がこのイベントに参加できるようにとエリックのシッター役を引き受けてくれた。私のために席まで取ってくれて、会場で別れてエリックとふたり、帰っていったのだが、後で聞くと、帰途、会場に向かうルイス・モレノ=オカンポに偶然出会ったという。検察官はエリックを見てHelloと言って話しかけてきたという。夫は「威厳のある雰囲気があるが、とても人間的な温かい人だということは一目瞭然だった」という。たしかに、ICCの検察官というとどんなすごい人かと思うが、映画のなかの、そして実際に熱のこもった表情で自分の仕事を語るモレノ=オカンポは非常にユーモアセンスが抜群で、人間味あふれるチャーミングな人だった。自分のやっていることが自分の心と、情熱と、公共の善と一致している人というのは何と人を惹きつける魅力を持っていることだろう。
PROSECUTORのトレイラーは以下。カナダではNFBファンディングで非常によい映画がたくさん作られている。
http://www.youtube.com/watch?v=Q0opWqPuBPw&feature=related
Tuesday, August 30, 2011
書評:Thousand Autumns of Jacob de Zoet by David Mitchelle
Cloud Atlasで話題になったイギリス人作家デイビッド・ミッチェルの新作Thousand Autumns of Jacob de Zoetは、長崎の出島を舞台にした小説。夫が先に読んで非常に感銘を受けて、He is exceptionally skilled writer!とか何とか諸手を挙げて賞賛していたので、いつもはノンフィクション漬けになっている私も読んでみた。
舞台は17~19世紀半ばまで鎖国をしていた日本、長崎の出島。宗教は持ってこない、貿易だけをすると約束したオランダ人だけが居住を許されていた出島にオランダの東インド会社の書記としてやってきた若きJacob。彼らオランダ人にとって日本にいるといえども、実際に出会う日本人は通訳や貿易関連の官僚たち。
そんな環境のなかで、Jacobは同じく出島に居住していたオランダ人医師から西洋医学を学んでいた日本人の女性Orito Aibagawaに出会う。顔面に火傷の跡が残るOritoはそれを隠すためのスカーフ(日本語でなら頭巾となるのかしら?)を被っている。父親は高名な西洋医学者で、大名の妻の難産を助けたOritoは、女性であるにもかかわらず、特別に出島のオランダ人医師から教えを受けることを許可されていた。Jacobと書物に対する愛情を共有するOgawaという通訳が、実はOritoと恋愛関係にあったことなど知らないJacobは、彼にOritoへのプレゼントとして辞書を渡す。
しかし、OritoはKyoga DomainのLord Enomotoに誘拐され、Shiranui山の尼寺に幽閉されてしまう。この尼寺は下界とのつながりを全く絶たれたお寺で、実は寺というのは表向きに過ぎず、大抵が売春宿のようなところから連れ去られた女性たちに奇妙な規則が課されているのだった。しかし、後になって通訳のOgawaはMt. Shiranuiの恐るべき秘密を知り、Oritoを救うべく旅に出るが、Lord Enomotoの部下によって殺害されてしまう。
一方の出島では、Jacobがオランダ東インド会社の内部腐敗を知り、その改革に乗り出そうとするが、敵が多く思うようにいかない。そのうちに、出島に貿易拠点を設置しようとしているイギリスの船が出島沖にやってきて、オランダ出島の存在を危機的なものにする。
David Mitchellの文体は古典的でもありながら、非常に詩的オリジナリティにあふれ悲しくて美しい。Jacobが若いときに恋に落ちた異国の女性と結ばれることがなかったにもかかわらず、心のなかにずっと思い続けてきた感情にぴったりと沿うような文体である。とりわけ、最後の部分、Jacobが死ぬ間際になって、Oritoの姿を垣間見る場面にすべてのストーリーが巧く結晶されている。
一方では史実に基づいた非常に精巧な歴史小説であり、他方では叶うことのなかったロマンスを描いた小説でもある。また、この小説には悪党がたくさん出てくる。500年生きているというEnomotoをはじめ、東インド会社で自分の利益を貪る人たちなど、こうした悪党に挑む、この時代の人物としては驚くほど道徳的で、他の国の文化に対してオープンなJacobをどうしても応援したくなる。私にとっては難しい単語がたくさん出てきて読むのに時間がかかったが、いったん読み始めたら他のことを忘れてページをめくるのに没頭するような、スリルとサスペンスに満ちた小説でもある。
Jacobは出島ワイフ(娼婦)との間にできた子どもを日本にいるときには育ててきたが、最終的にオランダに戻る際には日本に残していくことになる。そして、祖国のオランダではイギリスの脅威からオランダ出島を守ったことで名誉市民とされ、若い地元の女性と結婚し、死を迎える。ある部分で、Jacobは出島で最後にOritoを見たときに(彼女はJacobの出島ワイフの申し出を受け入れようとしていたのだったが、警備の人に追い返されたが、その後、すぐに誘拐されたのだった)どんなことをしてでも彼女を助けていれば、と後悔する。そして、彼が死の直前に見たのがOritoだったという事実はとても悲しく、Jacobの失ったものに対する思いを十分に、見事に描き出していると思う。私たちはひとつの人生だけを生きるのだけれど、そのなかで失った、大切なものに対する思いというのは深く、深く心の奥深いところに残っているものだ。その美しさ、可能性、不可能性をこういう形で描き出すことのできるデイビッド・ミッチェルの表現力は例外的だと思う。
以前、CBCラジオでインタビューを受けていたデイビッド・ミッチェルは、広島でAET(英語補助教員)として働いていた経験を話していた。その経験があるからなのだろう、お寺の匂いとか、夏の夕方の空気、座敷の音など、ミッチェルが描き出す日本の細かい風景は、日本を知る者にはAuthenticに感じられる。「当時、オランダ人が髭剃りのときにシェイビング・クリームを使っていたかどうか、といった史実を調べるのに非常に長い時間がかかった」とどこかで書いていたが、最近の作家はオリジナルな空想力に加えて、リサーチ力も必要とされているようだ。
Saturday, July 23, 2011
書評+タイガー・マザーをめぐる議論を考える (Nikkei Voice, July/Aug, 2011 掲載)
“Battle Hymn of the Tiger Mother” by Amy Chua
今年上旬に出版されて以降、メディアで数多くの賛否両論を引き起こした本著は、イエール大学法学部教授エイミー・チュアの子育てに関するメモワール。最初に書評が発表されたウォールストリート・ジャーナルでは、「なぜ中国式の子育てが優れているか」というセンセーショナルなタイトルが掲げられていたり、「子どもの自尊心ばかり気にしている西洋式では結局子どもは何も成し遂げることができない」といったコメントに表れるような、北米社会で浸透している子育てのやり方を否定的に描いていることから大反響を浴びた。The Globe and Mail紙によれば、この本が出版されて以降、エイミー・チュア宛てに「子ども虐待」「最悪の母親」といったメールが殺到したという。
本著を読み終えて思うのは、いかにメディアがセンセーショナルな描き方をしてきたか、ということだ。確かに、著者は「中国式の子育ては優れている」と信じている。しかし、この本は、次女ルルの反抗にあった挙句、中国式では手なずけられない場合もある、という点に気付いた著者の記録だと、私は読んだし、実際、この本のサブタイトルはこうなっている。「本著は子育てに関しては西欧のやり方より中国系のやり方の方が優れている、という本になるはずだった。しかし、実際には、激しい文化的衝突、つかの間に味わった勝利、13歳の娘がいかに私を謙虚にさせたかを綴った記録となった」。
中国式は従順な長女ソフィアにはうまくいった(ように見える)。しかし、性格的には「著者そのもの」である次女ルルとの熾烈な戦いの末(旅行先モスクワのカフェでの驚くべき大喧嘩!)、著者は最終的に「選択肢を与える」という、彼女が嫌った西洋的なやり方にトライしてみるのだ。表面上は「中国式の方が優秀」と主張してはばからない著者だが、よく読んでみれば、ハードルが立ちはだかるたび何度となく密かに自分の信念を疑問視し、葛藤している様子が描かれている。彼女がこの本を書き始めたのは、モスクワから帰った後だというのは意味深い事実だと思う。
私が読んだ書評の多くはこの点を故意に避けたか、触れても最小限に留めていた。メディアは、「中国式の子育てが優れている」というテーゼが、西欧的価値に対する大きな挑戦であることに目をつけ、「売れる」と踏んだ末に、その部分だけを意図的にデフォルメしたのだと思う。結果的に見ればこうした賛否両論は本著に対する最大の宣伝効果になったし、したたかな著者のこと、内心ほくそえんでいることだろう。
しかし、メディアが喜ぶ、このような二分対立の図式を買ってもよいものだろうか。また、子育てのやり方を「西洋式」「中国式」という真っ向から対立するものとして描くエイミー・チュアの方法論を買ってもよいのだろうか。著者の子育ては、何も「中国式」とは限らず、「スパルタ式」とか「エリート教育(音楽家やスポーツ選手を育てるやり方)」という言い方でも表現できるし、西欧社会でもこうしたやり方で育てている親はいるはずである。著者も実は、「中国式」が何も中国系家庭特有のものではなく、ポルトガル系家庭でも、イギリス系家庭でも見られる、と言う。しかし、そう言いながらも、やはり自らの育て方を「中国式」と言ってはばからない。チュアの夫が言うように、彼女には「西洋のやり方」、「中国式のやり方」とステレオタイプ化する傾向がある。こうした類のステレオタイプは、実は今年初頭、話題になったマクレーン誌のToo Asian記事をめぐる論争でも現れ、他でもない、メディアにとっては大きな利益に結びついた。
数十年前、アイビー・リーグにユダヤ系学生が増え始めたころ、「ジューイッシュ・マザー」は「教育ママ」と同義であった。それが今回、ドラゴン・マザーに代わっただけである。国際政治におけるアメリカのヘゲモニーが崩れた今、「チャイニーズ・マザー」という言葉が北米社会にもたらす意味は、単なる「教育ママ」以上に、中国文化に対する羨望や畏怖といったさまざまな感情をも反映しているのであろう。
というわけで、私は著者のアプローチを「タイガー・マザー・アプローチ」と呼ぶことにしたいが、この子育てには、素晴らしい点があると同時に、問題点もあることを考え合わせなければなるまい。たとえば、プリンストン大学のピーター・シンガー(バイオエシックス)は、このアプローチは「たしかにエリートをつくりだすかもしれないけれど、子どもがそれで幸せになれるかどうかという点は意識的に無視されている」点を指摘する。子どもの成績はすべてAを期待しながら、協力と協調が要求される体育と演劇を除外している点、音楽や勉強といった単独で成功を収められるものだけを重要視していることから、この方法では社会生活で必要なSocial Skillsを獲得できないうえ、友達や周囲を「なかま」としてではなく「競争相手」として見る傾向を助長する。結果、子どもを社会的に孤立させ、真の喜び、幸せである「コミュニティのなかで協調的に生きる」側面を子どもから奪ってしまう可能性がある。アメリカのアジア系女性にとりわけ多い自殺やうつ病といった精神障害も、親からのプレッシャーと社会性を身につけられなかったことが原因かもしれない、とシンガーは指摘する。
親として私が著者にひとつ共感することがあるとすれば、それは子育てに関する親のコミットメントという点である。エイミー・チュアは困った人だと、本著を読みながら何度も思った。もし、まわりに彼女のような母親がいれば、私はさっさと逃げ出すだろう。彼女が何と言おうと、私には彼女が物質主義に見えるし、エリート主義だと思う。ただ、母親としての彼女のコミットメントは例外的だ。大学の仕事をしながら、毎日五時間、二人の娘のピアノとバイオリンのレッスンに付きっ切りでコーチし、毎週土曜日には片道二時間、車を運転して子どもをバイオリンのレッスンに連れていく。子どものためなら時間も努力もお金も惜しまない。子どもの傍で、子どもを観察しながらの子育ては、大変な努力を要する。しかし、子どもに何かを教えようと思えば(あるいは子どもから何かを学ぼうとすれば)「深いかかわり」が必要だ。エイミー・チュアが例外的なのは、そうした深い親子のかかわりの中で立ち現れる葛藤や対立を恐れることなく受け止め、目標に向かって邁進していく態度である。The Daily Telegraphのアリソン・ペアソンが主張するように、「エイミー・チュアの子育ての方法は過酷なものではあるけれど、子どもにまったく無関心で、テレビにベイビー・シッティングをさせ、レッセ・フェール(好きなようにやらせる)で育てている親とどっちが残酷なのか」と私も思う。親としてこの点には深く共感するし、「中国式」とか「西洋式」などといったステレオタイプよりずっと大切なポイントであると思う。
今年上旬に出版されて以降、メディアで数多くの賛否両論を引き起こした本著は、イエール大学法学部教授エイミー・チュアの子育てに関するメモワール。最初に書評が発表されたウォールストリート・ジャーナルでは、「なぜ中国式の子育てが優れているか」というセンセーショナルなタイトルが掲げられていたり、「子どもの自尊心ばかり気にしている西洋式では結局子どもは何も成し遂げることができない」といったコメントに表れるような、北米社会で浸透している子育てのやり方を否定的に描いていることから大反響を浴びた。The Globe and Mail紙によれば、この本が出版されて以降、エイミー・チュア宛てに「子ども虐待」「最悪の母親」といったメールが殺到したという。
本著を読み終えて思うのは、いかにメディアがセンセーショナルな描き方をしてきたか、ということだ。確かに、著者は「中国式の子育ては優れている」と信じている。しかし、この本は、次女ルルの反抗にあった挙句、中国式では手なずけられない場合もある、という点に気付いた著者の記録だと、私は読んだし、実際、この本のサブタイトルはこうなっている。「本著は子育てに関しては西欧のやり方より中国系のやり方の方が優れている、という本になるはずだった。しかし、実際には、激しい文化的衝突、つかの間に味わった勝利、13歳の娘がいかに私を謙虚にさせたかを綴った記録となった」。
中国式は従順な長女ソフィアにはうまくいった(ように見える)。しかし、性格的には「著者そのもの」である次女ルルとの熾烈な戦いの末(旅行先モスクワのカフェでの驚くべき大喧嘩!)、著者は最終的に「選択肢を与える」という、彼女が嫌った西洋的なやり方にトライしてみるのだ。表面上は「中国式の方が優秀」と主張してはばからない著者だが、よく読んでみれば、ハードルが立ちはだかるたび何度となく密かに自分の信念を疑問視し、葛藤している様子が描かれている。彼女がこの本を書き始めたのは、モスクワから帰った後だというのは意味深い事実だと思う。
私が読んだ書評の多くはこの点を故意に避けたか、触れても最小限に留めていた。メディアは、「中国式の子育てが優れている」というテーゼが、西欧的価値に対する大きな挑戦であることに目をつけ、「売れる」と踏んだ末に、その部分だけを意図的にデフォルメしたのだと思う。結果的に見ればこうした賛否両論は本著に対する最大の宣伝効果になったし、したたかな著者のこと、内心ほくそえんでいることだろう。
しかし、メディアが喜ぶ、このような二分対立の図式を買ってもよいものだろうか。また、子育てのやり方を「西洋式」「中国式」という真っ向から対立するものとして描くエイミー・チュアの方法論を買ってもよいのだろうか。著者の子育ては、何も「中国式」とは限らず、「スパルタ式」とか「エリート教育(音楽家やスポーツ選手を育てるやり方)」という言い方でも表現できるし、西欧社会でもこうしたやり方で育てている親はいるはずである。著者も実は、「中国式」が何も中国系家庭特有のものではなく、ポルトガル系家庭でも、イギリス系家庭でも見られる、と言う。しかし、そう言いながらも、やはり自らの育て方を「中国式」と言ってはばからない。チュアの夫が言うように、彼女には「西洋のやり方」、「中国式のやり方」とステレオタイプ化する傾向がある。こうした類のステレオタイプは、実は今年初頭、話題になったマクレーン誌のToo Asian記事をめぐる論争でも現れ、他でもない、メディアにとっては大きな利益に結びついた。
数十年前、アイビー・リーグにユダヤ系学生が増え始めたころ、「ジューイッシュ・マザー」は「教育ママ」と同義であった。それが今回、ドラゴン・マザーに代わっただけである。国際政治におけるアメリカのヘゲモニーが崩れた今、「チャイニーズ・マザー」という言葉が北米社会にもたらす意味は、単なる「教育ママ」以上に、中国文化に対する羨望や畏怖といったさまざまな感情をも反映しているのであろう。
というわけで、私は著者のアプローチを「タイガー・マザー・アプローチ」と呼ぶことにしたいが、この子育てには、素晴らしい点があると同時に、問題点もあることを考え合わせなければなるまい。たとえば、プリンストン大学のピーター・シンガー(バイオエシックス)は、このアプローチは「たしかにエリートをつくりだすかもしれないけれど、子どもがそれで幸せになれるかどうかという点は意識的に無視されている」点を指摘する。子どもの成績はすべてAを期待しながら、協力と協調が要求される体育と演劇を除外している点、音楽や勉強といった単独で成功を収められるものだけを重要視していることから、この方法では社会生活で必要なSocial Skillsを獲得できないうえ、友達や周囲を「なかま」としてではなく「競争相手」として見る傾向を助長する。結果、子どもを社会的に孤立させ、真の喜び、幸せである「コミュニティのなかで協調的に生きる」側面を子どもから奪ってしまう可能性がある。アメリカのアジア系女性にとりわけ多い自殺やうつ病といった精神障害も、親からのプレッシャーと社会性を身につけられなかったことが原因かもしれない、とシンガーは指摘する。
親として私が著者にひとつ共感することがあるとすれば、それは子育てに関する親のコミットメントという点である。エイミー・チュアは困った人だと、本著を読みながら何度も思った。もし、まわりに彼女のような母親がいれば、私はさっさと逃げ出すだろう。彼女が何と言おうと、私には彼女が物質主義に見えるし、エリート主義だと思う。ただ、母親としての彼女のコミットメントは例外的だ。大学の仕事をしながら、毎日五時間、二人の娘のピアノとバイオリンのレッスンに付きっ切りでコーチし、毎週土曜日には片道二時間、車を運転して子どもをバイオリンのレッスンに連れていく。子どものためなら時間も努力もお金も惜しまない。子どもの傍で、子どもを観察しながらの子育ては、大変な努力を要する。しかし、子どもに何かを教えようと思えば(あるいは子どもから何かを学ぼうとすれば)「深いかかわり」が必要だ。エイミー・チュアが例外的なのは、そうした深い親子のかかわりの中で立ち現れる葛藤や対立を恐れることなく受け止め、目標に向かって邁進していく態度である。The Daily Telegraphのアリソン・ペアソンが主張するように、「エイミー・チュアの子育ての方法は過酷なものではあるけれど、子どもにまったく無関心で、テレビにベイビー・シッティングをさせ、レッセ・フェール(好きなようにやらせる)で育てている親とどっちが残酷なのか」と私も思う。親としてこの点には深く共感するし、「中国式」とか「西洋式」などといったステレオタイプよりずっと大切なポイントであると思う。
Wednesday, April 6, 2011
チベット文化はあとどれだけ残されているのか「日系の声・Nikkei Voice」2005年5月号掲載
カナダのドキュメンタリー映画「What Remains of Us」Review
(ちょっと古くなりましたが、UPしておきます)
世界のなかで1つの国が消えようとしている。それに対する武力蜂起でもあれば新聞記事にもなろうが、チベットの人々は精神的指導者であるダライ・ラマの教え「非暴力」を実行しているため、その文化は文字通り音もなく消えようとしている。
カナダ人監督によるドキュメンタリー「What Remains of Us」は、チベット人亡命者の両親を持つカルサング・ドルマがダライ・ラマによる五分間のビデオ・メッセージを手にチベットの人たちを訪れ、その反応を描いている。消えつつあるチベット文化は、あとどのくらい残っているのか。すべてのシーンがその問いに対する答えを垣間見せてくれる。
この映画は大きな危険と背中合わせで撮られている。中国政府の支配下にあるチベットでは、ダライ・ラマ(インドへ亡命)の存在を示唆したり、彼の写真を所有することは禁じられており、発見されれば「人権」という言葉が意味をなさない収容所へと送られる。ラサ市内には至るところに中国人兵士が配置され、建物の上に設置されたカメラが人々のあらゆる行動を監視している。ふと思い出したが、1988年にチベットを旅したとき、中国の軍用車に詰め込まれて連行されるチベット僧を何人も見た、とこっそり教えてくれた旅行者がいた。プロの写真家の彼にはいつも中国人ガイドが動向していた。
こうした状況下で半世紀を過ごしてきたチベット人は、ナレーターが言うように「ごく身近な人以外には誰もが他人を信用しない」。そのチベットで、カルサング・ドルマは両親の知人や寺院、遊牧テントを訪れ、ダライ・ラマのメッセージを届ける。ポータブル・ビデオを前にして、人々は極度に神経質な表情を見せる。画面にあずき色のローブを着たダライ・ラマが現れると、多くの人たちが手を合わせる。それまで曇っていた表情に希望のかけらが見える。涙を浮かべる人たちもいる。メッセージが終わると、ビデオの前に進み出て、頭を下げて拝む。ドルマが彼らに感想を求めるが、多くが声にならない。相当の人々がダライ・ラマの帰還を求め、中国政府に対する不満や怒りをぶつける。なかにはダライ・ラマの「非暴力」に懐疑を挟む声も出される。
ダライ・ラマのビデオ・メッセージはこうだ。平和を愛する心と非暴力はチベットの文化であり、この文化は暴力にあふれた現代の世界に大きな示唆を与えてくれるはずだ。このチベット文化を守ってほしい。一方、ドルマはこう自問する。「多くのチベット人は国が失われつつあるのは彼らの祈りが足りないせいだと思っている。しかし、実のところ祈っているばかりだから国を失おうとしているのではないか」。
一九五〇年、中国政府はチベットを武力併合し、以降、多くの中国人を入植させてチベット文化の同化政策を進めてきた。その結果、現在、チベット人は自国のなかでマイノリティとなっている。チベット文化、とりわけその源泉である言語は旅行者ですら気付かざる得ないほど急速に消滅しつつある。中国語ができなければ就職できない。高等教育も受けられない。結果、親は子どもの幸せを願ってヘリテージ言語ではなく中国語を教える。家族のなかで、社会のなかで老人たち、チベット語を話す人たちが孤立していく。
国際社会の反応に限っていえば、ダライ・ラマはたびたび国連にチベットのメッセージを届け、国際的指導者たちもことあるごとに中国の人権問題を非難してきた。にもかかわらず、中国が経済的派遣を握りつつある今、チベット問題をわざわざ持ち出そうとする政府高官はほとんどいなくなり、これまでチベットが単なる外交カードに過ぎなかった事実が露顕されつつある。
このドキュメンタリーを見ながら私が思い出していたのは、かつて日本が行った朝鮮、台湾、中国などアジア各国の支配であり、イスラエルの入植者であり、オーストラリアのアボリジニであり、ルワンダのジェノサイドであった。夫はカナダやアメリカにおけるネイティブの人たちを思い出したという。そう、チベットの状況は特異ではないのだ。それは、プラトンが「国家」のなかで提示して見せたアンチテーゼ「正義とは強者の利益である」というむき出しの現実を思い出させる。そして、それを正当化するために用いられる人種差別のプロパガンダ。以前、ある中国人の友人は、鳥葬(死体を屋外に置いて鳥についばむのにまかせる)を例にとって「チベット文化は野蛮」であると何のためらいもなく言ってのけた。彼女が大学教授だったことがことのほかショックだった。一九九四年のルワンダに国連平和維持軍司令官として派遣されたロメオ・ダレア氏(現在はカナダ連邦上院議員)は、一生消せない記憶を刻印されたジェノサイドを目の当たりにし、以来、ことあるごとに国際社会の冷淡さを非難している。国連をはじめとする国際社会は、欧州の一端であるコソボには軍隊を送りながら、資源もなく黒人国家であるルワンダを見捨てた。あれから十年たった今、同じアフリカ大陸のスーダンで恐ろしく酷似した状況が繰り返されている。
このような不正義に対して、What Remains of Usのなかで命をかけて語ることを了承したチベット人たち、二人のカナダ人監督、カルサング・ドルマの勇気と覚悟が際立って見える。この映画を見ようとする人は、映画館入り口で異例ともいえるセキュリティ・チェックを受けなければならない。ビデオやカメラによる撮影で中国当局が登場人物を特定することを避けるためである。
映画上映後、カルサング・ドルマが会場からの質問に答えた。「映画に参加した人物の身の安全性を完全に確保できると思うか」。この問いに対して、彼女は確固たる口調でこう答えた。「私たちはある種の危険をおかしてこの映画を撮りました。そのことは私たち自身、そして登場してくれた人たちがちゃんと心得ています。チベットを取り巻く状況は映画に描かれていた通り、非常に暗澹としています。もはや危険をおかすことなく、私たちの文化を守ることは不可能だと思いませんか」。
巨人ゴリアテに挑む小さな羊飼いダビデのストーリーは、いつも私の心をかき乱す。非暴力を特徴とするがゆえ、チベット文化はいずれ世界から消えてしまうのか。私たちはそれを黙って許すのか。世界からチベットが失われることは、ひとつの正義が失われることではなかろうか。あるいは、私たちの世界における暴力や武力の勝利を意味するのではなかろうか。
なお、皮肉なことに中国のチベット抑圧は、チベット人ディアスポラを増加させ、結果としてチベット仏教は世界で最も急速に信者を増やしている宗教のひとつとなっている。
(ちょっと古くなりましたが、UPしておきます)
世界のなかで1つの国が消えようとしている。それに対する武力蜂起でもあれば新聞記事にもなろうが、チベットの人々は精神的指導者であるダライ・ラマの教え「非暴力」を実行しているため、その文化は文字通り音もなく消えようとしている。
カナダ人監督によるドキュメンタリー「What Remains of Us」は、チベット人亡命者の両親を持つカルサング・ドルマがダライ・ラマによる五分間のビデオ・メッセージを手にチベットの人たちを訪れ、その反応を描いている。消えつつあるチベット文化は、あとどのくらい残っているのか。すべてのシーンがその問いに対する答えを垣間見せてくれる。
この映画は大きな危険と背中合わせで撮られている。中国政府の支配下にあるチベットでは、ダライ・ラマ(インドへ亡命)の存在を示唆したり、彼の写真を所有することは禁じられており、発見されれば「人権」という言葉が意味をなさない収容所へと送られる。ラサ市内には至るところに中国人兵士が配置され、建物の上に設置されたカメラが人々のあらゆる行動を監視している。ふと思い出したが、1988年にチベットを旅したとき、中国の軍用車に詰め込まれて連行されるチベット僧を何人も見た、とこっそり教えてくれた旅行者がいた。プロの写真家の彼にはいつも中国人ガイドが動向していた。
こうした状況下で半世紀を過ごしてきたチベット人は、ナレーターが言うように「ごく身近な人以外には誰もが他人を信用しない」。そのチベットで、カルサング・ドルマは両親の知人や寺院、遊牧テントを訪れ、ダライ・ラマのメッセージを届ける。ポータブル・ビデオを前にして、人々は極度に神経質な表情を見せる。画面にあずき色のローブを着たダライ・ラマが現れると、多くの人たちが手を合わせる。それまで曇っていた表情に希望のかけらが見える。涙を浮かべる人たちもいる。メッセージが終わると、ビデオの前に進み出て、頭を下げて拝む。ドルマが彼らに感想を求めるが、多くが声にならない。相当の人々がダライ・ラマの帰還を求め、中国政府に対する不満や怒りをぶつける。なかにはダライ・ラマの「非暴力」に懐疑を挟む声も出される。
ダライ・ラマのビデオ・メッセージはこうだ。平和を愛する心と非暴力はチベットの文化であり、この文化は暴力にあふれた現代の世界に大きな示唆を与えてくれるはずだ。このチベット文化を守ってほしい。一方、ドルマはこう自問する。「多くのチベット人は国が失われつつあるのは彼らの祈りが足りないせいだと思っている。しかし、実のところ祈っているばかりだから国を失おうとしているのではないか」。
一九五〇年、中国政府はチベットを武力併合し、以降、多くの中国人を入植させてチベット文化の同化政策を進めてきた。その結果、現在、チベット人は自国のなかでマイノリティとなっている。チベット文化、とりわけその源泉である言語は旅行者ですら気付かざる得ないほど急速に消滅しつつある。中国語ができなければ就職できない。高等教育も受けられない。結果、親は子どもの幸せを願ってヘリテージ言語ではなく中国語を教える。家族のなかで、社会のなかで老人たち、チベット語を話す人たちが孤立していく。
国際社会の反応に限っていえば、ダライ・ラマはたびたび国連にチベットのメッセージを届け、国際的指導者たちもことあるごとに中国の人権問題を非難してきた。にもかかわらず、中国が経済的派遣を握りつつある今、チベット問題をわざわざ持ち出そうとする政府高官はほとんどいなくなり、これまでチベットが単なる外交カードに過ぎなかった事実が露顕されつつある。
このドキュメンタリーを見ながら私が思い出していたのは、かつて日本が行った朝鮮、台湾、中国などアジア各国の支配であり、イスラエルの入植者であり、オーストラリアのアボリジニであり、ルワンダのジェノサイドであった。夫はカナダやアメリカにおけるネイティブの人たちを思い出したという。そう、チベットの状況は特異ではないのだ。それは、プラトンが「国家」のなかで提示して見せたアンチテーゼ「正義とは強者の利益である」というむき出しの現実を思い出させる。そして、それを正当化するために用いられる人種差別のプロパガンダ。以前、ある中国人の友人は、鳥葬(死体を屋外に置いて鳥についばむのにまかせる)を例にとって「チベット文化は野蛮」であると何のためらいもなく言ってのけた。彼女が大学教授だったことがことのほかショックだった。一九九四年のルワンダに国連平和維持軍司令官として派遣されたロメオ・ダレア氏(現在はカナダ連邦上院議員)は、一生消せない記憶を刻印されたジェノサイドを目の当たりにし、以来、ことあるごとに国際社会の冷淡さを非難している。国連をはじめとする国際社会は、欧州の一端であるコソボには軍隊を送りながら、資源もなく黒人国家であるルワンダを見捨てた。あれから十年たった今、同じアフリカ大陸のスーダンで恐ろしく酷似した状況が繰り返されている。
このような不正義に対して、What Remains of Usのなかで命をかけて語ることを了承したチベット人たち、二人のカナダ人監督、カルサング・ドルマの勇気と覚悟が際立って見える。この映画を見ようとする人は、映画館入り口で異例ともいえるセキュリティ・チェックを受けなければならない。ビデオやカメラによる撮影で中国当局が登場人物を特定することを避けるためである。
映画上映後、カルサング・ドルマが会場からの質問に答えた。「映画に参加した人物の身の安全性を完全に確保できると思うか」。この問いに対して、彼女は確固たる口調でこう答えた。「私たちはある種の危険をおかしてこの映画を撮りました。そのことは私たち自身、そして登場してくれた人たちがちゃんと心得ています。チベットを取り巻く状況は映画に描かれていた通り、非常に暗澹としています。もはや危険をおかすことなく、私たちの文化を守ることは不可能だと思いませんか」。
巨人ゴリアテに挑む小さな羊飼いダビデのストーリーは、いつも私の心をかき乱す。非暴力を特徴とするがゆえ、チベット文化はいずれ世界から消えてしまうのか。私たちはそれを黙って許すのか。世界からチベットが失われることは、ひとつの正義が失われることではなかろうか。あるいは、私たちの世界における暴力や武力の勝利を意味するのではなかろうか。
なお、皮肉なことに中国のチベット抑圧は、チベット人ディアスポラを増加させ、結果としてチベット仏教は世界で最も急速に信者を増やしている宗教のひとつとなっている。
Tuesday, January 11, 2011
One of the greatest novels I have ever read--Life of Pi (Yann Martel)
この記事は、日本語訳が出ているヤン・マーテルの「パイの物語」を英語版で読んで書いた感想です。
書評となるとかなり辛口の私だけれど、この小説はどう考えても今まで読んだ数多くの小説のうち最も完璧な小説のひとつに違いない。
2001年に発表されたこの小説は、カナダ人作家 (!) Yann Martelの2作目。10年たった今頃読み終えて、どうしてもっと早く読まなかったのだろうと悔やまれる私だけれど、当時、この小説がメディアで「最後にどんでん返しを食らう」という部分がひっかかっていたのだと思う。しかし、ひるがえって考えると、なぜこの小説がこの点に限って強調されたのかが今更ながらに理解できる。たしかに最後には大どんでん返しが待っている。とはいえ、その点だけが強調されるならば、この小説をヤン・マーテル(Yann Martel)が書いたポイントはまったく外れてしまうだろう。Yann Martelの関心は、「物語」「サバイバル」「信仰/宗教/神」にあって、この小説を読む読者はそのすべてを余すところなく考えさせられる。この小説は、どんでん返しなんかよりずっとずっと奥深い形而学的な小説なのである。
カナダ人作家がポンディチェリ(南インドの都市)のカフェで隣に座った老人と会話をする。その老人は、彼が作家だと知ると、”I have a story that will make you believe in God”.(神がいることを信じさせてくれる話がある)と言って、彼の知人のストーリーを話し始める。
小説の大部分はその話の内容、Piというポンディチェリの少年が家族とともにカナダに船で移住する途中で、太平洋上で遭難し、動物とともに小さな船の上で226日を過ごした話になっている。その前の章では、Piと宗教の関係を軸として、Piの過去(ポンディチェリでの生活)と現在(カナダで家族とともに暮らしている)が交錯して語られる。最後の章は、貨物船沈没の真相を探る日本人2人(船はOika汽船という日本の船が所有)がPiを尋問する様子とその内容が描かれる。そして、この部分で、日本人2人が前章(小説の大部分)で語られたベンガル・トラと漂流したPiの話をまったく信じないことから、Piによって最終的に「もうひとつの物語」が語られることになる(”You want a story without animals… Here’s another story”-動物が出てこない話を聞きたいわけですね。・・・では、もうひとつの物語を話しましょう…)。
1.小説、物語、ストーリーテリング(語り)とは
小説の冒頭、Author’s Noteとして、「書き手」がなぜこの小説を書くに至ったかを語る部分がある。この部分の終わりで、この小説を執筆するうえで援助を提供してくれた人たちに謝辞を述べるのだが、最終部分はCanada Council for the Arts(カナダ芸術評議会)の助成金がなければこの小説が世に出ることはなかったと述べる。最終行の文章を引用する。
“If we, citizens, do not support our artists, then we sacrifice our imagination on the altar of crude reality and we end up believing in nothing and having worthless dreams.” (われわれ市民が芸術家を援助しなければ、我々は荒々しい現実の前に想像力を犠牲にし、結局のところ何ひとつ信じられなくなって、無価値な夢だけを抱くはめになる。)
長らく無名の作家として暮らしてきたヤン・マーテル自身のことばとして、これを取ることもできるが、この文章にはこの小説の真髄ともいえる奥深いテーマがひそんでいる。
いったい、どうして私たちには小説(物語・語り)が必要なのか。
それこそがそのテーマである。これはまた、ひるがえって、どうして小説家はフィクションを創り出すのか。そして、社会はなぜフィクションを作り出す芸術家(小説家を含む)を援助する必要があるのか、という疑問をも同時に投げかける。
ちなみに、「社会はなぜフィクションを作り出す芸術家を援助する必要があるのか」は、ギリシア哲学者のプラトンが「ものがたり」として語ったテーマでもあり、哲学を勉強した作家ならではの切り口といえる。
2.サバイバル
太平洋上を226日間漂流し、Pi は生き残った。しかし、そこで人生は終わるわけではない。
1章では、ポンディチェリでのPiの生活の様子とともに、漂流の後トロントに移住し、彼がトロント大学で動物学と宗教学を専攻し、薬剤師の妻との間に子どもが2人いることが簡単に描かれる。その章の最終の文章は“This story has a happy ending.”となっている。Piがかいくぐった、このおぞましい物語がHappy Endingになるためには、生き延びるためのスキルとして想像力が必要だったのだ。私には、ヤン・マーテルは芸術家として想像力こそが私たちの人生・社会に付き物の悲劇をなぐさめ、乗り切るための道具として不可欠なのだと言っているようにも思える。
再度繰り返すが、いったい、どうして私たちには小説(物語・語り)が必要なのか。
Piが語る「最初の物語」は、それに対する答えである。Piが実際に経験した「もうひとつの物語」は、吐き気を催すようなカニバリズムの記録(Crude reality/荒々しい現実)である。「もうひとつの物語」を生き延びねばならなかったPiにとって、「最初の物語」は死が彼の人生を終わらせるまで必要不可欠な物語、Crude realityを克服できる唯一の手段だと言える。Piは想像力によってのみ、おぞましい現実を乗り越え、Happy endingを自分のものにすることができたのだと私は読み取った。
「最初の物語」では、メキシコの陸地に上陸する前にベンガル・トラのリチャード・パーカーはPiにさよならも言わず、船を去っていく。リチャード・パーカーがPiであると読めば、極限まで追い詰められた人間が殺人を犯して生き残った残酷性を、人間の社会へ入っていく前に捨て去る必要があったという意味が込められているのではないか。
最近ホロコーストに関する小説を読んでいて、そのなかで恐ろしい現実をなぐさめるために夜になると子どもたちはそれぞれ「おはなし」を語ったという文章に出会った。信じられないような惨事を乗り切るために、私たちは「物語」を利用する。あるいは、生きるために最も大切なメッセージを伝達するために古くから「物語・たとえばなし」が利用されてきた。聖書もプラトンの著述も仏典もフォークロアも昔話もみんな「ものがたり」として書かれているのは興味深い共通点である。
最終章のうち、非常に印象深い会話が描かれる。
“Isn't telling about something - using words, English or Japanese -- already something of an invention? Isn't just looking upon this world already something of an invention?” (英語にしろ日本語にしろ、言葉によって語れば、それは作り事(創造)となるのでは? 世界をただ見ているだけでもすでにそれは我々の作り事(創造)なのでは?)
“The world isn't just the way it is. It is how we understand it, no?”(世界がありのまま存在することはありえないのであって、それを我々がどう理解するかに拠るのでは?)
これは、一方では「現実」とは何なのか、を考えさせてくれる会話でもある。
Life of Piは、実に、現実と想像が幾重にも重なって織り成されている。
まず、この小説を書いた「語り手」が現れる。それはヤン・マーテルのようにも思えるが、実際には私たちには分からない。そして、ポンディチェリでPiの漂流の話をするインド人老人が現れる。漂流を経験したPi自身がいる。最後に、メキシコでPiを尋問するMr. OkamotoとMr. Chibaがいる。小説全体を通して、これらの人たちそれぞれがそれぞれにPiの漂流をテーマとした話をまったく違う角度から語っている。それに、忘れてならないのは、これを読む私たち読者がいること。
私は「もうひとつの物語」が実際に起こった物語だと捉えたけれど、読む人によってはそうはとらないかもしれない(最後にインタビューした日本人によって書かれた報告書によると、彼は最初の物語が実際の物語だと捉えている)。「現実」とは何を言うのか。私たちは見たいものだけを見ているということ、そして、想像力は私たちの生きる源であるということは確かだろう。
3.信仰/宗教/神
ヤン・マーテルは明らかに宗教に非常に関心を寄せている。どこだったか、インタビューに答えて彼はイスラム教の内容を知り、とても共鳴した、と述べていた。一方で、神を信じない人たち(Agnostic)、とりわけ薄っぺらい無神論者の論には手厳しい。
第1章では、ポンディチェリでのPiがキリスト教とイスラム教、ヒンズー教の3つを信仰しようとしている姿が描かれている。しかし、彼が本当に神に救いを求めたのは、同乗のコックを殺した後だったというのが興味深い。「物語」と同じように、神もまた、おぞましい現実を乗り越えるためのサバイバルに必要なのだと読めば、「物語」と「神」の同一性にも思いをめぐらせることができる。
私たち人間は、神をも「創造」したのだろうか。神をも創造する必要があるのだろうか。
最後に、Yann Martelの作家としてのスキルについて書いておきたい。英語圏で出版された本に与えられる文学の最高峰ともいわれるマン・ブッカー・プライズを獲得したとあって、彼の文学的スキルは疑う余地はない。私はこの本を読んだ後、ベストセラー小説を読み始めたが、ハーレクイン小説のような文章の薄っぺらさに驚いた。
マーテルは「ページ・ターナー(どんどん読みたくなる)」といわれるような本を書く作家ではない。彼は作家という職業の何たるかを自ら考え尽くし、読者を問いただそうとしている。彼の言葉を文字通り信じてはいけない。彼の言葉や文章の構成の裏には必ずドアが待っている。そのドアをあければ、私たち読者は必ず自分の存在の根源に向き合う必要に迫られる。
マーテルの語りは、実にあちこちで笑いをそそう。(私が最も好きなのは、モントリオールでピザを電話で注文しようとして、名前を聞かれたPiがどうせ自分の本名Pisine Molitor Patelを言っても理解してもらえないと、”I am who I am.”(在りて在るもの=聖書のなかでモーセが神に名前を聞いたときに、説明された言葉でもある)と言ったのが、”Ian Hoolihan”という宛名で来たというエピソード)。最終章の日本人インタビュアとPiの間の会話もまた、これが非常におかしいのだけれど、この悲惨極まりないカニバリズムの物語を背景に読みながら、笑っていいものやら、悪いのやら困惑してしまった。
また、この小説のPiという非常にスマートなキャラクター、インドを文化的背景にしたセッティングは、Yann Martelの語りにピッタリだと思う。果たして、この作家にそれ以外の人物が描かれるのだろうか、とすら思える。Yann Martelの生み出したPiは実に生き生きと描かれている。
ところで、ちらっとAmazonの日本語レビューを読んでみたが、どれひとつとしてこの小説の核心に迫るレビューはないようだった。これはいったいどうしたことなのだろう。メジャーの文学批評を読んでない私には知る由もないが、ちょっぴり気になる。
日本語訳は「パイの物語」として出版されている。Amazonのレビューは以下。
http://www.amazon.co.jp/gp/switch-language/product/4812415330/ref=dp_change_lang?ie=UTF8&language=ja_JP#_
書評となるとかなり辛口の私だけれど、この小説はどう考えても今まで読んだ数多くの小説のうち最も完璧な小説のひとつに違いない。
2001年に発表されたこの小説は、カナダ人作家 (!) Yann Martelの2作目。10年たった今頃読み終えて、どうしてもっと早く読まなかったのだろうと悔やまれる私だけれど、当時、この小説がメディアで「最後にどんでん返しを食らう」という部分がひっかかっていたのだと思う。しかし、ひるがえって考えると、なぜこの小説がこの点に限って強調されたのかが今更ながらに理解できる。たしかに最後には大どんでん返しが待っている。とはいえ、その点だけが強調されるならば、この小説をヤン・マーテル(Yann Martel)が書いたポイントはまったく外れてしまうだろう。Yann Martelの関心は、「物語」「サバイバル」「信仰/宗教/神」にあって、この小説を読む読者はそのすべてを余すところなく考えさせられる。この小説は、どんでん返しなんかよりずっとずっと奥深い形而学的な小説なのである。
カナダ人作家がポンディチェリ(南インドの都市)のカフェで隣に座った老人と会話をする。その老人は、彼が作家だと知ると、”I have a story that will make you believe in God”.(神がいることを信じさせてくれる話がある)と言って、彼の知人のストーリーを話し始める。
小説の大部分はその話の内容、Piというポンディチェリの少年が家族とともにカナダに船で移住する途中で、太平洋上で遭難し、動物とともに小さな船の上で226日を過ごした話になっている。その前の章では、Piと宗教の関係を軸として、Piの過去(ポンディチェリでの生活)と現在(カナダで家族とともに暮らしている)が交錯して語られる。最後の章は、貨物船沈没の真相を探る日本人2人(船はOika汽船という日本の船が所有)がPiを尋問する様子とその内容が描かれる。そして、この部分で、日本人2人が前章(小説の大部分)で語られたベンガル・トラと漂流したPiの話をまったく信じないことから、Piによって最終的に「もうひとつの物語」が語られることになる(”You want a story without animals… Here’s another story”-動物が出てこない話を聞きたいわけですね。・・・では、もうひとつの物語を話しましょう…)。
1.小説、物語、ストーリーテリング(語り)とは
小説の冒頭、Author’s Noteとして、「書き手」がなぜこの小説を書くに至ったかを語る部分がある。この部分の終わりで、この小説を執筆するうえで援助を提供してくれた人たちに謝辞を述べるのだが、最終部分はCanada Council for the Arts(カナダ芸術評議会)の助成金がなければこの小説が世に出ることはなかったと述べる。最終行の文章を引用する。
“If we, citizens, do not support our artists, then we sacrifice our imagination on the altar of crude reality and we end up believing in nothing and having worthless dreams.” (われわれ市民が芸術家を援助しなければ、我々は荒々しい現実の前に想像力を犠牲にし、結局のところ何ひとつ信じられなくなって、無価値な夢だけを抱くはめになる。)
長らく無名の作家として暮らしてきたヤン・マーテル自身のことばとして、これを取ることもできるが、この文章にはこの小説の真髄ともいえる奥深いテーマがひそんでいる。
いったい、どうして私たちには小説(物語・語り)が必要なのか。
それこそがそのテーマである。これはまた、ひるがえって、どうして小説家はフィクションを創り出すのか。そして、社会はなぜフィクションを作り出す芸術家(小説家を含む)を援助する必要があるのか、という疑問をも同時に投げかける。
ちなみに、「社会はなぜフィクションを作り出す芸術家を援助する必要があるのか」は、ギリシア哲学者のプラトンが「ものがたり」として語ったテーマでもあり、哲学を勉強した作家ならではの切り口といえる。
2.サバイバル
太平洋上を226日間漂流し、Pi は生き残った。しかし、そこで人生は終わるわけではない。
1章では、ポンディチェリでのPiの生活の様子とともに、漂流の後トロントに移住し、彼がトロント大学で動物学と宗教学を専攻し、薬剤師の妻との間に子どもが2人いることが簡単に描かれる。その章の最終の文章は“This story has a happy ending.”となっている。Piがかいくぐった、このおぞましい物語がHappy Endingになるためには、生き延びるためのスキルとして想像力が必要だったのだ。私には、ヤン・マーテルは芸術家として想像力こそが私たちの人生・社会に付き物の悲劇をなぐさめ、乗り切るための道具として不可欠なのだと言っているようにも思える。
再度繰り返すが、いったい、どうして私たちには小説(物語・語り)が必要なのか。
Piが語る「最初の物語」は、それに対する答えである。Piが実際に経験した「もうひとつの物語」は、吐き気を催すようなカニバリズムの記録(Crude reality/荒々しい現実)である。「もうひとつの物語」を生き延びねばならなかったPiにとって、「最初の物語」は死が彼の人生を終わらせるまで必要不可欠な物語、Crude realityを克服できる唯一の手段だと言える。Piは想像力によってのみ、おぞましい現実を乗り越え、Happy endingを自分のものにすることができたのだと私は読み取った。
「最初の物語」では、メキシコの陸地に上陸する前にベンガル・トラのリチャード・パーカーはPiにさよならも言わず、船を去っていく。リチャード・パーカーがPiであると読めば、極限まで追い詰められた人間が殺人を犯して生き残った残酷性を、人間の社会へ入っていく前に捨て去る必要があったという意味が込められているのではないか。
最近ホロコーストに関する小説を読んでいて、そのなかで恐ろしい現実をなぐさめるために夜になると子どもたちはそれぞれ「おはなし」を語ったという文章に出会った。信じられないような惨事を乗り切るために、私たちは「物語」を利用する。あるいは、生きるために最も大切なメッセージを伝達するために古くから「物語・たとえばなし」が利用されてきた。聖書もプラトンの著述も仏典もフォークロアも昔話もみんな「ものがたり」として書かれているのは興味深い共通点である。
最終章のうち、非常に印象深い会話が描かれる。
“Isn't telling about something - using words, English or Japanese -- already something of an invention? Isn't just looking upon this world already something of an invention?” (英語にしろ日本語にしろ、言葉によって語れば、それは作り事(創造)となるのでは? 世界をただ見ているだけでもすでにそれは我々の作り事(創造)なのでは?)
“The world isn't just the way it is. It is how we understand it, no?”(世界がありのまま存在することはありえないのであって、それを我々がどう理解するかに拠るのでは?)
これは、一方では「現実」とは何なのか、を考えさせてくれる会話でもある。
Life of Piは、実に、現実と想像が幾重にも重なって織り成されている。
まず、この小説を書いた「語り手」が現れる。それはヤン・マーテルのようにも思えるが、実際には私たちには分からない。そして、ポンディチェリでPiの漂流の話をするインド人老人が現れる。漂流を経験したPi自身がいる。最後に、メキシコでPiを尋問するMr. OkamotoとMr. Chibaがいる。小説全体を通して、これらの人たちそれぞれがそれぞれにPiの漂流をテーマとした話をまったく違う角度から語っている。それに、忘れてならないのは、これを読む私たち読者がいること。
私は「もうひとつの物語」が実際に起こった物語だと捉えたけれど、読む人によってはそうはとらないかもしれない(最後にインタビューした日本人によって書かれた報告書によると、彼は最初の物語が実際の物語だと捉えている)。「現実」とは何を言うのか。私たちは見たいものだけを見ているということ、そして、想像力は私たちの生きる源であるということは確かだろう。
3.信仰/宗教/神
ヤン・マーテルは明らかに宗教に非常に関心を寄せている。どこだったか、インタビューに答えて彼はイスラム教の内容を知り、とても共鳴した、と述べていた。一方で、神を信じない人たち(Agnostic)、とりわけ薄っぺらい無神論者の論には手厳しい。
第1章では、ポンディチェリでのPiがキリスト教とイスラム教、ヒンズー教の3つを信仰しようとしている姿が描かれている。しかし、彼が本当に神に救いを求めたのは、同乗のコックを殺した後だったというのが興味深い。「物語」と同じように、神もまた、おぞましい現実を乗り越えるためのサバイバルに必要なのだと読めば、「物語」と「神」の同一性にも思いをめぐらせることができる。
私たち人間は、神をも「創造」したのだろうか。神をも創造する必要があるのだろうか。
最後に、Yann Martelの作家としてのスキルについて書いておきたい。英語圏で出版された本に与えられる文学の最高峰ともいわれるマン・ブッカー・プライズを獲得したとあって、彼の文学的スキルは疑う余地はない。私はこの本を読んだ後、ベストセラー小説を読み始めたが、ハーレクイン小説のような文章の薄っぺらさに驚いた。
マーテルは「ページ・ターナー(どんどん読みたくなる)」といわれるような本を書く作家ではない。彼は作家という職業の何たるかを自ら考え尽くし、読者を問いただそうとしている。彼の言葉を文字通り信じてはいけない。彼の言葉や文章の構成の裏には必ずドアが待っている。そのドアをあければ、私たち読者は必ず自分の存在の根源に向き合う必要に迫られる。
マーテルの語りは、実にあちこちで笑いをそそう。(私が最も好きなのは、モントリオールでピザを電話で注文しようとして、名前を聞かれたPiがどうせ自分の本名Pisine Molitor Patelを言っても理解してもらえないと、”I am who I am.”(在りて在るもの=聖書のなかでモーセが神に名前を聞いたときに、説明された言葉でもある)と言ったのが、”Ian Hoolihan”という宛名で来たというエピソード)。最終章の日本人インタビュアとPiの間の会話もまた、これが非常におかしいのだけれど、この悲惨極まりないカニバリズムの物語を背景に読みながら、笑っていいものやら、悪いのやら困惑してしまった。
また、この小説のPiという非常にスマートなキャラクター、インドを文化的背景にしたセッティングは、Yann Martelの語りにピッタリだと思う。果たして、この作家にそれ以外の人物が描かれるのだろうか、とすら思える。Yann Martelの生み出したPiは実に生き生きと描かれている。
ところで、ちらっとAmazonの日本語レビューを読んでみたが、どれひとつとしてこの小説の核心に迫るレビューはないようだった。これはいったいどうしたことなのだろう。メジャーの文学批評を読んでない私には知る由もないが、ちょっぴり気になる。
日本語訳は「パイの物語」として出版されている。Amazonのレビューは以下。
http://www.amazon.co.jp/gp/switch-language/product/4812415330/ref=dp_change_lang?ie=UTF8&language=ja_JP#_
Sunday, October 10, 2010
Jane ElliottのEye of the Storm(どうやって差別を教えるか)
日本では高校で、トロントでは日本人学校で教師として働いたことがある。その経験、そして母親としての経験から、子どもに教えたい最も大切なことをひとつ挙げるとすれば、それは「自分および他者を尊敬をもって扱うこと」に尽きる。これは人間関係において最も大切なPrincipalだと私は思っている。それができなければ、子どもたちは友達あるいは他人をカテゴライズ、排除することを覚え、いじめや差別といった社会問題の担い手になる。
しかし、「差別やいじめをしない」ことをどうやって教えるか、という点になると、教師たちは「道徳」の時間をつかって長々と説教じみた説明をすることに終始している。
その点、アメリカの小学校教師ジェーン・エリオットのBlue Eyes, Brown Eyes ExerciseはProvocativeで私も最初にこのエクササイズについて知ったときは面食らった。
1960年代後半、マーティン・ルーサー・キング暗殺のニュースに触れて、ジェーン・エリオットは今まで考えてきた計画をクラスで実行することにした。それは、クラスの子どもたちを目の色によって2つに分け、最初は一方を「優れている」グループに、もう一方を「劣っている」グループとして故意に設定し、のちにその役割を逆転させることだった。それにより、子どもたちは実際に「劣っている」グループにいることがどういうことなのかを体験的に学ぶ、というものである。ちなみに、子どもたちはすべて白人で、今まで差別的に扱われた経験は皆無であったと思われる。
この様子を撮ったビデオを見るとわかるが、優劣をつけられた子どもたちは、自分のグループが課された役割を無意識的に担うようになる。たとえば、同じグループでも、「優れている」とされた日の学力テストのスコアは高かったのに、後日「劣っている」グループになったときには、低いスコアしか出せなくなっていた。さらに、優劣をつけられた子どもたちは態度にも変化があった。「劣っている」とされるグループの子どもたちは、一様にうつむいていたり、自信のない表情をしたり、恐れをあらわにしたりするといった態度にも、彼らの心理的ストレスが表れている。
このクラスでの実験の後、Jane Elliottは同じエクササイズを大人にも使うのだが、その結果は驚くほど衝撃的である(個人的には、涙なしではこの映像を見られない…)。Jane Elliottは「ほら、見てみなさい、あなたたち青い目の人はこんな簡単なこともできない」「さっき私が言ったことが分からないのね、やっぱりあなたは青い目だからね」「ま、青い目ならそれができないのも仕方ないわね」といった言葉で、一方のグループの自尊心をずたずたにする。
私たち日本人は差別されることがどういうことかを知っていると思っているが、実際に差別される側にたったことがあるだろうか。日本でマイノリティとして暮らす人たち、たとえば韓国・朝鮮系の日本人、白人以外の外国人、部落の人たち、ゲイ・レズビアンといった人たちがどんな経験を受けているか、私たちは知っていると思っている。しかし、実際にその立場に身を置き、その辛苦を味わったことがなければ、その「知っている」は、私たち個人的経験に束縛されたイマジネーション、表層的なイリュージョンに過ぎない。その点、私は海外で暮らす日本の子どもたちは、ある程度は差別といったものを経験しているのではないか、と思っている。そして、その経験を日本を差別のない社会にするために役立てることができるのでは、と思っている。ガンディーは、イギリス人社会に入ってはじめてインド人がどれほど差別されるかを知り、その自ら受けた差別の経験をはねかえす力をもって社会をよい方向に変えたのだ。
アメリカ社会でアフリカ系アメリカ人の、あるいはカナダ社会で先住民の人たちが年収や教育が白人のそれに比べて低いのは、彼らにだけ問題があるのではない。毎日の生活のなかで、周りから「劣等」の刻印を押されるような態度や制度に浸っていることで、「どうせ自分は・・・だから」とか「これができないのは自分が・・・だから」といった思いを無意識的に抱き、差別される側から抜け出せないスパイラルを作ってしまう構造面にも注目すべきである。自分が自らを規定できる自由を奪われ、周囲からのAssumptionやStereotypeによって束縛されることが差別の構造のなかに根づいている。それがどれほどDe-meaningなことであるかを身をもって知る、というのがJane Elliottのティーチング・ポイントなのである。
子どもたちにとっては、多少、過酷だとは思うけれど、彼らが学んだことが一生の教訓になったことは、10年後(だったかな)に同じ子どもたちが同窓会という形で集まり、当時の経験を語る後続のフィルムにははっきりと収められている。
過激ではあるけれど、教育者にとっては必見のフィルムだと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=_IilULqX1bY&feature=related
http://www.janeelliott.com/
しかし、「差別やいじめをしない」ことをどうやって教えるか、という点になると、教師たちは「道徳」の時間をつかって長々と説教じみた説明をすることに終始している。
その点、アメリカの小学校教師ジェーン・エリオットのBlue Eyes, Brown Eyes ExerciseはProvocativeで私も最初にこのエクササイズについて知ったときは面食らった。
1960年代後半、マーティン・ルーサー・キング暗殺のニュースに触れて、ジェーン・エリオットは今まで考えてきた計画をクラスで実行することにした。それは、クラスの子どもたちを目の色によって2つに分け、最初は一方を「優れている」グループに、もう一方を「劣っている」グループとして故意に設定し、のちにその役割を逆転させることだった。それにより、子どもたちは実際に「劣っている」グループにいることがどういうことなのかを体験的に学ぶ、というものである。ちなみに、子どもたちはすべて白人で、今まで差別的に扱われた経験は皆無であったと思われる。
この様子を撮ったビデオを見るとわかるが、優劣をつけられた子どもたちは、自分のグループが課された役割を無意識的に担うようになる。たとえば、同じグループでも、「優れている」とされた日の学力テストのスコアは高かったのに、後日「劣っている」グループになったときには、低いスコアしか出せなくなっていた。さらに、優劣をつけられた子どもたちは態度にも変化があった。「劣っている」とされるグループの子どもたちは、一様にうつむいていたり、自信のない表情をしたり、恐れをあらわにしたりするといった態度にも、彼らの心理的ストレスが表れている。
このクラスでの実験の後、Jane Elliottは同じエクササイズを大人にも使うのだが、その結果は驚くほど衝撃的である(個人的には、涙なしではこの映像を見られない…)。Jane Elliottは「ほら、見てみなさい、あなたたち青い目の人はこんな簡単なこともできない」「さっき私が言ったことが分からないのね、やっぱりあなたは青い目だからね」「ま、青い目ならそれができないのも仕方ないわね」といった言葉で、一方のグループの自尊心をずたずたにする。
私たち日本人は差別されることがどういうことかを知っていると思っているが、実際に差別される側にたったことがあるだろうか。日本でマイノリティとして暮らす人たち、たとえば韓国・朝鮮系の日本人、白人以外の外国人、部落の人たち、ゲイ・レズビアンといった人たちがどんな経験を受けているか、私たちは知っていると思っている。しかし、実際にその立場に身を置き、その辛苦を味わったことがなければ、その「知っている」は、私たち個人的経験に束縛されたイマジネーション、表層的なイリュージョンに過ぎない。その点、私は海外で暮らす日本の子どもたちは、ある程度は差別といったものを経験しているのではないか、と思っている。そして、その経験を日本を差別のない社会にするために役立てることができるのでは、と思っている。ガンディーは、イギリス人社会に入ってはじめてインド人がどれほど差別されるかを知り、その自ら受けた差別の経験をはねかえす力をもって社会をよい方向に変えたのだ。
アメリカ社会でアフリカ系アメリカ人の、あるいはカナダ社会で先住民の人たちが年収や教育が白人のそれに比べて低いのは、彼らにだけ問題があるのではない。毎日の生活のなかで、周りから「劣等」の刻印を押されるような態度や制度に浸っていることで、「どうせ自分は・・・だから」とか「これができないのは自分が・・・だから」といった思いを無意識的に抱き、差別される側から抜け出せないスパイラルを作ってしまう構造面にも注目すべきである。自分が自らを規定できる自由を奪われ、周囲からのAssumptionやStereotypeによって束縛されることが差別の構造のなかに根づいている。それがどれほどDe-meaningなことであるかを身をもって知る、というのがJane Elliottのティーチング・ポイントなのである。
子どもたちにとっては、多少、過酷だとは思うけれど、彼らが学んだことが一生の教訓になったことは、10年後(だったかな)に同じ子どもたちが同窓会という形で集まり、当時の経験を語る後続のフィルムにははっきりと収められている。
過激ではあるけれど、教育者にとっては必見のフィルムだと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=_IilULqX1bY&feature=related
http://www.janeelliott.com/
Tuesday, July 27, 2010
文化とことば -- 中津燎子の『母国考』
友人から借りた中津燎子の『母国考』という本を読んで、文化とことばについて深く考えさせられた。1925年生まれ、3歳で旧ソ連のウラジオストックにわたり、12歳までそこで暮らしている。ウラジオストックの家庭では厳格な父親から日本語を学ぶことを強要され、外ではロシア語圏という環境で暮らし、日本へ帰国後は日本語で苦労したという著者のこの本は、かなり時代の違いを感じさせる部分はあるにしろ、2文化で育ってきた著者の独特の視点による指摘は非常に興味深いものだった。
著者のクレイムのうちでも、私が最も興味深いと思った箇所を書き出してみる。
クレイム1:2言語で育てられた子どもたちのなかには、たとえ言葉は完璧でも、言語のなかに凝縮された文化的エッセンスを理解できていないため、どこかピントがずれていることがある。
クレイム2:現代の日本文化は、アンパン文化である。
クレイム3:日本語の構造のなかに、ものごとを考えなくてもいいという要素があり、それは日本におけるコミュニケーションの一部となっている。
まず、最初のクレイムについては、子どもを2言語で育てているという状況があるので、非常に興味深く読んだ。というのも、たしかに子どもには「秋祭り」やら「稲荷山」やらといった言葉を教えているけれど、それが本当にどういうものか、というのは子どもが自ら体験したり、少なくともそのエッセンスを感じられる体験がなければ、子どもにとってはピンとこないだろう、と思っていたからだ。私も小さいとき、ロシア小説のなかに「サモワール」という言葉やらが出てきて、注に「お茶をわかすケトル」とか何とかあったとしても、実感としてはやはりそれが文化的な文脈のなかで存在しているのを見るまではピンとこなかった。海外で日本語を教えている私としては、子どもの日本語教育係りとしてことばを教えるときには、「わかっていて当然」というスタンスではなく、できるだけ文化的な文脈をたくさんのことばを交えて教える必要性を痛感した。
さて、「アンパン文化」とは、日本古来の文化を「あんこ」に、西欧風の文化を外側の「パン」にたとえたもので、言いえて妙だと思った。彼女の説明によれば、現代の日本人はごく幼少のころは日本的なところで育てられたにもかかわらず、西欧風の教育を詰め込まれて、外からみればパンみたいになっている。でも、よくよく見ると、あんこの部分は消えたわけじゃなくて、単に見えなくなっていて、何らかのきっかけでしばしばぽろっと顔を出すことがあるという。この2重に重なった日本人のアイデンティティというのは実におもしろい。実は、私も、海外に長年暮らしている日本人が「でも、老後は日本に帰って暮らしたい」と言うのを聞いたり、たとえば夏目漱石などの西欧かぶれ(失礼!)が、いずれ年を取って「日本回帰」していく状況を非常に興味深いと思っていて、同じように長年海外で暮らし、海外で老いていくであろう私も、いずれ「日本回帰」するのかと、興味深く思ったりしている(そうすると、国際結婚である私たち夫婦の関係はいったいどうなるのだろうか、とも・・・)。
ただ、こういう考え方はよく昔あった「西洋」対「日本」といった構図を作りやすく、個人的には非常に警戒心を覚えるのだが、だいたい、私たち日本人が単に西洋と日本文化の混合物であるとはとても言えない。とりわけ、最近のようにグローバライゼーションの世界にあっては、もっと他の要素も(個人的なレベルの要素を含めて)含めなくては本当に私たちの「文化」を語ることにはならないだろう。「西洋」対「日本」という構図の出し方に、かび臭さを感じてしまった。
最後の「日本語のコミュニケーションには考えないという要素がある」だが、これは夫に言わせれば、「あまりに単純に日本文化を割り切りすぎている」。実際、日本語を使っていてもものを考える人もいるし、それを表現しようと思えば表現できる。しかし、日本の風土のなかには、確かに直截にものを言うことをうとんじる傾向はあり、それは英語(外国語?)を学ぶとよく見えてくる側面に違いない。
話はちょっと違うけれど、夫とこの件で話をしていると、ふとあることに思い当たった。私の友人で韓国出身の人がいるのだけれど、英語は完璧にできる。なのに、たまに彼女のいわんとしていることが何なのか、首をかしげることがある。言葉そのものが不明なのでなく、言いたいことをオブラードで包んで出してくるような感じなのだ。それを夫に以前言ったら、それは彼も彼女と話していると感じることがある(韓国文化と日本文化に、ある種の近似性があるということだろうか? あるいは異なる文化で育ってきても、個人差ゆえに日本文化に近い人もいるということだろうか? おもしろい・・・)、さらに、ある種の日本人と英語で話しているときにも同じように感じることがある、と言う。「でも、最初に会ったときから君と話をするときはそう感じたことはない。君はストレートなものの言い方を英語でも日本語でもしてるんじゃないか」と言い、「だから、これは文化と言えないわけでもないが、個人差も考慮しなければ、安易なステレオタイプに陥るのではないか」と懸念していた。私も同感。
正直言って、私は「日本人はどうのこうの」とか「日本文化はどうのこうの」とかいう「日本人論」が大嫌いで、いつもこういうのを近くでやられると居心地が悪くなってしまう(たぶん、自分の異質性を感じているから?)。カナダに来てカナダ人が「カナダ人はどうの」とか「カナダ文化はどうの」とやっている場面というのに遭遇したことは数えるほどしかない。そう考えると、「日本精神文化論」みたいなのがご立派に通用する日本ってのは、特異というか、ほほえましい、というか、一方では恐ろしい、というか・・・。
とにもかくにも、「母国考」は2文化環境で生活した経験がある人、2文化環境で子どもを育てている人にとってはことばや文化について考えるヒントをくれる興味深い本だと思う。
著者のクレイムのうちでも、私が最も興味深いと思った箇所を書き出してみる。
クレイム1:2言語で育てられた子どもたちのなかには、たとえ言葉は完璧でも、言語のなかに凝縮された文化的エッセンスを理解できていないため、どこかピントがずれていることがある。
クレイム2:現代の日本文化は、アンパン文化である。
クレイム3:日本語の構造のなかに、ものごとを考えなくてもいいという要素があり、それは日本におけるコミュニケーションの一部となっている。
まず、最初のクレイムについては、子どもを2言語で育てているという状況があるので、非常に興味深く読んだ。というのも、たしかに子どもには「秋祭り」やら「稲荷山」やらといった言葉を教えているけれど、それが本当にどういうものか、というのは子どもが自ら体験したり、少なくともそのエッセンスを感じられる体験がなければ、子どもにとってはピンとこないだろう、と思っていたからだ。私も小さいとき、ロシア小説のなかに「サモワール」という言葉やらが出てきて、注に「お茶をわかすケトル」とか何とかあったとしても、実感としてはやはりそれが文化的な文脈のなかで存在しているのを見るまではピンとこなかった。海外で日本語を教えている私としては、子どもの日本語教育係りとしてことばを教えるときには、「わかっていて当然」というスタンスではなく、できるだけ文化的な文脈をたくさんのことばを交えて教える必要性を痛感した。
さて、「アンパン文化」とは、日本古来の文化を「あんこ」に、西欧風の文化を外側の「パン」にたとえたもので、言いえて妙だと思った。彼女の説明によれば、現代の日本人はごく幼少のころは日本的なところで育てられたにもかかわらず、西欧風の教育を詰め込まれて、外からみればパンみたいになっている。でも、よくよく見ると、あんこの部分は消えたわけじゃなくて、単に見えなくなっていて、何らかのきっかけでしばしばぽろっと顔を出すことがあるという。この2重に重なった日本人のアイデンティティというのは実におもしろい。実は、私も、海外に長年暮らしている日本人が「でも、老後は日本に帰って暮らしたい」と言うのを聞いたり、たとえば夏目漱石などの西欧かぶれ(失礼!)が、いずれ年を取って「日本回帰」していく状況を非常に興味深いと思っていて、同じように長年海外で暮らし、海外で老いていくであろう私も、いずれ「日本回帰」するのかと、興味深く思ったりしている(そうすると、国際結婚である私たち夫婦の関係はいったいどうなるのだろうか、とも・・・)。
ただ、こういう考え方はよく昔あった「西洋」対「日本」といった構図を作りやすく、個人的には非常に警戒心を覚えるのだが、だいたい、私たち日本人が単に西洋と日本文化の混合物であるとはとても言えない。とりわけ、最近のようにグローバライゼーションの世界にあっては、もっと他の要素も(個人的なレベルの要素を含めて)含めなくては本当に私たちの「文化」を語ることにはならないだろう。「西洋」対「日本」という構図の出し方に、かび臭さを感じてしまった。
最後の「日本語のコミュニケーションには考えないという要素がある」だが、これは夫に言わせれば、「あまりに単純に日本文化を割り切りすぎている」。実際、日本語を使っていてもものを考える人もいるし、それを表現しようと思えば表現できる。しかし、日本の風土のなかには、確かに直截にものを言うことをうとんじる傾向はあり、それは英語(外国語?)を学ぶとよく見えてくる側面に違いない。
話はちょっと違うけれど、夫とこの件で話をしていると、ふとあることに思い当たった。私の友人で韓国出身の人がいるのだけれど、英語は完璧にできる。なのに、たまに彼女のいわんとしていることが何なのか、首をかしげることがある。言葉そのものが不明なのでなく、言いたいことをオブラードで包んで出してくるような感じなのだ。それを夫に以前言ったら、それは彼も彼女と話していると感じることがある(韓国文化と日本文化に、ある種の近似性があるということだろうか? あるいは異なる文化で育ってきても、個人差ゆえに日本文化に近い人もいるということだろうか? おもしろい・・・)、さらに、ある種の日本人と英語で話しているときにも同じように感じることがある、と言う。「でも、最初に会ったときから君と話をするときはそう感じたことはない。君はストレートなものの言い方を英語でも日本語でもしてるんじゃないか」と言い、「だから、これは文化と言えないわけでもないが、個人差も考慮しなければ、安易なステレオタイプに陥るのではないか」と懸念していた。私も同感。
正直言って、私は「日本人はどうのこうの」とか「日本文化はどうのこうの」とかいう「日本人論」が大嫌いで、いつもこういうのを近くでやられると居心地が悪くなってしまう(たぶん、自分の異質性を感じているから?)。カナダに来てカナダ人が「カナダ人はどうの」とか「カナダ文化はどうの」とやっている場面というのに遭遇したことは数えるほどしかない。そう考えると、「日本精神文化論」みたいなのがご立派に通用する日本ってのは、特異というか、ほほえましい、というか、一方では恐ろしい、というか・・・。
とにもかくにも、「母国考」は2文化環境で生活した経験がある人、2文化環境で子どもを育てている人にとってはことばや文化について考えるヒントをくれる興味深い本だと思う。
Thursday, July 22, 2010
書評『日本人の国際結婚—カナダからの報告』(彩流社)「日系ボイス」2010年7・8月合併号掲載
本著はトロント在住ジャーナリスト、サンダース宮松敬子氏の第三作目。一世母の半生記、同性愛問題と幅広い視点からカナダおよび日本の社会事象を見つめてきた著者が今回選んだテーマは「国際結婚」。この本が他の「国際結婚モノ」と異なる点は「国際結婚をしている日本人側の思いばかりでなく、多くの配偶者やパートナーの方たちの意見も同時に聞けた」ことである。つまり、当事者の「生の声」が綴られている点が本著の特徴だ。
自ら国際結婚をし、長い間、国際結婚というトピックに関心を寄せてきた著者は、特に近年になって日本で国際結婚が日常化し、一方では、その現象が著者の住むカナダの国勢調査に反映されている事実との間に興味深い関連性を見つけたのである。
「2006年の国勢調査でも、同じようにmixed unionの率が一番高いのは、日本人(約75%)(中略)、その数値はカナダ在住のどのエスニックのグループよりも高率」となっており、著者はその理由を考えるため、さらに日本人の国際結婚の実態を調査するため、二〇〇八年秋からカナダ全土で日本人の国際結婚者に対するアンケート調査を開始する。この調査で約二〇〇名から得られた回答およびそれらをめぐるストーリーが、本著の大きな柱となっている。
内容を概観すると、カナダ紹介、カナダと日本における国際結婚、その(可能的)背景、さらには国際結婚で生まれた子どもたち、両親との関係、日本・カナダ・アメリカにおける国際結婚の受け取られ方、今後の日本人移住者コミュニティーなど、国際結婚をめぐる多彩な事項を扱う構成となっている。
アンケートという方法によって、国際結婚カップルの実態を把握しようとした意図を、著者はできるだけ回答者のことばで伝えることで達成しようとしている。とりわけ著者が関心を寄せている「日本人のカナダ観、カナダ人の日本観」は、2文化にまたがって生活している者には実感としてうなずけるものも多い。そして、こうした声に触れるうち、「個」と「文化」の多重性、曖昧性についていろいろと考えさせられた。
ネット上にも西欧人と日本人の国際結婚の問題点が双方の文化的違いの縮図としてあらわれていると示唆する例は氾濫している。集団より個を、先のことより今を重んじるカナダ文化で育ったパートナーに、以心伝心や謝罪文化で育ってきた相方が困惑するのはうなづけるし、結局のところ、お互いの文化を認めた上で歩み寄りの態度が必要となることもわかっている。ただし、こうしたカップル間の問題も厳密にはどこからが「文化的」でどこからが「個人的」なのかと考えると、そんなにはっきりとは言えない。
そのよい例が、あるエピソードにあらわれている。国際離婚を通じて言葉でのコミュニケーションの大切さをつくづく感じた人が、帰国直前に国際結婚している女友だちに言葉について聞いてみると、「それほど深い話をするわけではないので、不満はない」と言ったというエピソードに、著者は「めし」「風呂」「寝る」で用が足せる日本の中年夫婦の実態を対比させ、国際結婚であろうとなかろうと夫婦間のダイナミズムの問題が根本的問題なのだと気付かせてくれる。
言葉を介したコミュニケーションということでいえば、個人的には夫との間というより、夫の友達や家族(義兄がBritish!)との間でよっぽど苦労している。そして、これが何度か出てくる「日本人の妻は人を呼ぶと、キッチンに入ってばかりで会話に加わろうとしない」というクリシェとして表れているのかもしれない。実際、私にも会話に興味がもてなくなるとキッチンに入り込む傾向があるので、これを読んで「私個人の傾向かと思っていたけれど、あれって文化的なのね」とひとり苦笑してしまった。「文化的」も「個人的」もそう簡単に切り離せるものではないようだ。
さて、これは私の推測に過ぎないのだが、著者はひょっとすると結婚という形であれ何であれ、海外で長年生活していくことと日本人としてのアイデンティティということに関心を寄せているのかもしれない。著者が岸恵子のいう「日本人の血のいのち」という言葉を取り上げたり、長年、海外に住んでいる人たちの「日本回帰」の例を取り上げている部分は、本著で最も洞察深さを感じる。
著者が以前本紙に寄せた文章を参照にすれば、岸恵子の結婚は、最後には彼女の「日本人の血のいのち」に対するこだわり、一方では「ぼくは、君の日本に打ち勝てない」という元夫のコメントにあらわれるように、文化の違いによって破綻している。
国際結婚の破綻は文化という「壁」を越えられないときに起こるのか。国際結婚カップルにとって、お互いの文化はどのような位置を占めるのか。文化的要因は「個人」を押しつぶし、年を追うごとに湧き出してくるのか。このあたり、非常に興味深いテーマだと感じた。
長年にわたり日本・カナダをバイリンガルで見据えて考えてきた著者の強みは、何といっても両国(さらには世界)の情報リソースをたくみに操るスキルであり、折に触れ、オバマ大統領の出生のエピソードなど、日常的な社会事象を挟み込み、より広い事柄との関連性を考えさせてくれる。また、国際同性婚(ほら、私のコンピュータでは一度に変換できない!)について焦点を当てている点も大いに共感できた。『カナダのセクシュアル・マイノリティたち』の著者にとっては当然であろうが、日本人読者にはこの章は多くの示唆・メッセージを提供していると思う。
最後にひとつ気になった点を補足しておく。
アンケート中のいくつかの質問に対して疑問を感じずにはいられなかった。たとえば、カナダ・カナダ人が好きですか」「日本・日本人が好きですか」という質問は、マイノリティとしての意識とともに生きてきた私にしてみれば排他性を感じるし、回答者や読者をステレオタイプへと陥らせる危険性がある。「何かあると、物凄い勢いで、文句を言って来る。しかも納得する結果が出るまでは、周囲を気にすることもなく、怒り丸出しで気持ちを伝えてくる」という回答が「カナダ人の気質・人間性」というところでくくられていたり、「文化的な探究心が少ない人が多い」「会うカナダ人ほぼ全員が日本は中国の南にあって暑い国だと思っているようで…」には、心底驚いた。一体、何をして「日本人」、何をして「カナダ人」なのか。個人と文化が曖昧に交錯する現実を考えれば、最後までこの疑問がぬぐえず、言い知れない居心地の悪さを感じた。とりわけ、日本でのカナダの知名度が低い事実を考え合わせれば、質問の投げ方を工夫する必要があったのではないかと思えてならない。
本著は、これからカナダで(あるいはカナダ人と)国際結婚をしようと考えている人にとっては、子どものことや離婚、日本のハーグ条約問題、老後のことなど長い目で見られ、国際結婚の実態が見えて有用であろう。一方、私たちのように国際結婚しているカップルにとっては、自らの結婚生活にあらわれる問題点を文化的側面から捉え直すうえで興味深いヒントを与えてくれる。回答として出されたエピソードやコメントをもとに、すでに私と夫の間では日々、議論に華が咲いている。
自ら国際結婚をし、長い間、国際結婚というトピックに関心を寄せてきた著者は、特に近年になって日本で国際結婚が日常化し、一方では、その現象が著者の住むカナダの国勢調査に反映されている事実との間に興味深い関連性を見つけたのである。
「2006年の国勢調査でも、同じようにmixed unionの率が一番高いのは、日本人(約75%)(中略)、その数値はカナダ在住のどのエスニックのグループよりも高率」となっており、著者はその理由を考えるため、さらに日本人の国際結婚の実態を調査するため、二〇〇八年秋からカナダ全土で日本人の国際結婚者に対するアンケート調査を開始する。この調査で約二〇〇名から得られた回答およびそれらをめぐるストーリーが、本著の大きな柱となっている。
内容を概観すると、カナダ紹介、カナダと日本における国際結婚、その(可能的)背景、さらには国際結婚で生まれた子どもたち、両親との関係、日本・カナダ・アメリカにおける国際結婚の受け取られ方、今後の日本人移住者コミュニティーなど、国際結婚をめぐる多彩な事項を扱う構成となっている。
アンケートという方法によって、国際結婚カップルの実態を把握しようとした意図を、著者はできるだけ回答者のことばで伝えることで達成しようとしている。とりわけ著者が関心を寄せている「日本人のカナダ観、カナダ人の日本観」は、2文化にまたがって生活している者には実感としてうなずけるものも多い。そして、こうした声に触れるうち、「個」と「文化」の多重性、曖昧性についていろいろと考えさせられた。
ネット上にも西欧人と日本人の国際結婚の問題点が双方の文化的違いの縮図としてあらわれていると示唆する例は氾濫している。集団より個を、先のことより今を重んじるカナダ文化で育ったパートナーに、以心伝心や謝罪文化で育ってきた相方が困惑するのはうなづけるし、結局のところ、お互いの文化を認めた上で歩み寄りの態度が必要となることもわかっている。ただし、こうしたカップル間の問題も厳密にはどこからが「文化的」でどこからが「個人的」なのかと考えると、そんなにはっきりとは言えない。
そのよい例が、あるエピソードにあらわれている。国際離婚を通じて言葉でのコミュニケーションの大切さをつくづく感じた人が、帰国直前に国際結婚している女友だちに言葉について聞いてみると、「それほど深い話をするわけではないので、不満はない」と言ったというエピソードに、著者は「めし」「風呂」「寝る」で用が足せる日本の中年夫婦の実態を対比させ、国際結婚であろうとなかろうと夫婦間のダイナミズムの問題が根本的問題なのだと気付かせてくれる。
言葉を介したコミュニケーションということでいえば、個人的には夫との間というより、夫の友達や家族(義兄がBritish!)との間でよっぽど苦労している。そして、これが何度か出てくる「日本人の妻は人を呼ぶと、キッチンに入ってばかりで会話に加わろうとしない」というクリシェとして表れているのかもしれない。実際、私にも会話に興味がもてなくなるとキッチンに入り込む傾向があるので、これを読んで「私個人の傾向かと思っていたけれど、あれって文化的なのね」とひとり苦笑してしまった。「文化的」も「個人的」もそう簡単に切り離せるものではないようだ。
さて、これは私の推測に過ぎないのだが、著者はひょっとすると結婚という形であれ何であれ、海外で長年生活していくことと日本人としてのアイデンティティということに関心を寄せているのかもしれない。著者が岸恵子のいう「日本人の血のいのち」という言葉を取り上げたり、長年、海外に住んでいる人たちの「日本回帰」の例を取り上げている部分は、本著で最も洞察深さを感じる。
著者が以前本紙に寄せた文章を参照にすれば、岸恵子の結婚は、最後には彼女の「日本人の血のいのち」に対するこだわり、一方では「ぼくは、君の日本に打ち勝てない」という元夫のコメントにあらわれるように、文化の違いによって破綻している。
国際結婚の破綻は文化という「壁」を越えられないときに起こるのか。国際結婚カップルにとって、お互いの文化はどのような位置を占めるのか。文化的要因は「個人」を押しつぶし、年を追うごとに湧き出してくるのか。このあたり、非常に興味深いテーマだと感じた。
長年にわたり日本・カナダをバイリンガルで見据えて考えてきた著者の強みは、何といっても両国(さらには世界)の情報リソースをたくみに操るスキルであり、折に触れ、オバマ大統領の出生のエピソードなど、日常的な社会事象を挟み込み、より広い事柄との関連性を考えさせてくれる。また、国際同性婚(ほら、私のコンピュータでは一度に変換できない!)について焦点を当てている点も大いに共感できた。『カナダのセクシュアル・マイノリティたち』の著者にとっては当然であろうが、日本人読者にはこの章は多くの示唆・メッセージを提供していると思う。
最後にひとつ気になった点を補足しておく。
アンケート中のいくつかの質問に対して疑問を感じずにはいられなかった。たとえば、カナダ・カナダ人が好きですか」「日本・日本人が好きですか」という質問は、マイノリティとしての意識とともに生きてきた私にしてみれば排他性を感じるし、回答者や読者をステレオタイプへと陥らせる危険性がある。「何かあると、物凄い勢いで、文句を言って来る。しかも納得する結果が出るまでは、周囲を気にすることもなく、怒り丸出しで気持ちを伝えてくる」という回答が「カナダ人の気質・人間性」というところでくくられていたり、「文化的な探究心が少ない人が多い」「会うカナダ人ほぼ全員が日本は中国の南にあって暑い国だと思っているようで…」には、心底驚いた。一体、何をして「日本人」、何をして「カナダ人」なのか。個人と文化が曖昧に交錯する現実を考えれば、最後までこの疑問がぬぐえず、言い知れない居心地の悪さを感じた。とりわけ、日本でのカナダの知名度が低い事実を考え合わせれば、質問の投げ方を工夫する必要があったのではないかと思えてならない。
本著は、これからカナダで(あるいはカナダ人と)国際結婚をしようと考えている人にとっては、子どものことや離婚、日本のハーグ条約問題、老後のことなど長い目で見られ、国際結婚の実態が見えて有用であろう。一方、私たちのように国際結婚しているカップルにとっては、自らの結婚生活にあらわれる問題点を文化的側面から捉え直すうえで興味深いヒントを与えてくれる。回答として出されたエピソードやコメントをもとに、すでに私と夫の間では日々、議論に華が咲いている。
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