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Tuesday, May 14, 2013

赤ちゃんは男の子! サーカムシジョン(割礼)はどうする?

この記事は以下のウェブサイトに寄稿しています。気鋭ライターたちによる興味深い記事がたくさん掲載されていますのでぜひご一読ください!
http://thegroupofeight.com/

妊娠中の定期検診で、産科医から「ところで、サーカムシジョンはどうしますか?」と訊かれたときには、「ここは日本じゃないのね!」と実感した。夫が「必要ありません」と答えると、医師は「もちろんですよね」と言い、この話はさらりと流れた。



日本人の私にとって、サーカムシジョンという習慣は何かとても不可解で奇妙なものである。ただ、カナダで妊娠すると避けては通れない話だし、妊婦向け雑誌などでこの習慣について読んだり、妊婦同士で話をしたが、いまもって不可解な気持ちが残っているので、少しここに書いておきたい。



1970年代にモントリオールで生まれた夫は、生後間もなくサーカムシジョン(circumcision、日本では「割礼」と呼ばれる。儀式的、宗教的理由から男子の陰茎包皮を切除する手術。女子に対するサーカムシジョンもあるが、ここでは男子に限って議論する)を受けている。当時のモントリオールでは、特定の宗教を信仰していなくても(注1)男の子の赤ちゃんはこの手術を受けるのが当然という風潮があったようで、親が特別に要求しなければ男の子はサーカムシジョンを受けさせられていたと言われる。なので、少し大きくなった男の子の間では、サーカムシジョンを受けていないと自分がヘンなんじゃないかと思ったようである。
(注1)世界では男性人口の1/3がサーカムシジョンを受けている。大半がイスラム教圏、イスラエル、アメリカ、東南アジア、アフリカで、うち70%がイスラム教徒。

夫はこの手術を受けさせられたことに対し、今もってある種のわだかまりがあるようで、私が妊娠中にサーカムシジョンに触れたときには「医学的に利益があるとは言えないし、不必要に尋常でない痛みを伴なう手術を生まれたばかりの赤ちゃんにさせるべきではない」と、とても強い意見だった。こうして自分の体を、生まれたままの形から変えられたことに対して違和感を覚えている人もいるようで、彼らが親になって子どもに「受けさせない」選択をする、というのもよく聞いた話である。

北米でサーカムシジョン花盛りの当時(1970年代)、多くの親は宗教的理由ではなく、HIVをはじめとする性病や細菌感染に予防効果がある、といった理由で生後まもなくの赤ちゃんに受けさせていた。ただし、ここ最近では、HIVが蔓延している地域を除いては「医学的利益はわずか」という見方が大勢で(ちなみにWHOはHIV感染率の高いアフリカの地域ではサーカムシジョンが感染防止に役立つとして促進の立場を取っている)、それゆえにカナダではこの手術はもはや保険でカバーされていない。先進国のなかでは最もサーカムシジョン率の高かったアメリカやカナダではここ最近減少傾向にあり、約30%と推定されている。2012年には、アメリカ小児科学会(AAP, American Academy of Pediatrics)もサーカムシジョンはリスクを上回る利益はあるに違いないが、その利益はわずかなので概して推奨はしないという方向で声明を出している(www.aap.org/en-us/about-the-aap/aap-press-room/pages/Newborn-Male-Circumcision.aspx?nfstatus=401&nftoken=00000000-0000-0000-0000-000000000000&nfstatusdescription=ERROR%3a+No+local+token)。



一方、倫理面での問題もある。医療上切迫しているわけでもないのに、本人の同意を得ずになされる手術に対して批判的な見方もあり、こうした立場をとる人たちはサーカムシジョンをmutilation(切断、損傷)と呼ぶ。トロントで息子と同じくらいの子どもを持つ親にこの話題を振ったときには「そんなこと子どもにするなんてどうかしてる!」と憤る人が多くいた一方、「それはプライベートな選択」と議論を好まなかった親も結構いた。いずれにせよ、カナダでは医学的利益がほとんどないとされた以上、以前はほとんど考えもしないで行われていたサーカムシジョンに対し、すべきかどうか決めかねている親が相当数いる、というのが現実だろう。



健康な皮膚の一部を切り取るわけだから、この手術は当然激痛を伴ない、赤ちゃんはあらん限りの声をあげて泣き叫ぶ。赤ちゃんだからといって痛みを感じないわけではない。そうしたビデオを見てすぐに悩みを振り切った知人もいる。



政治的に正しい物言いをすれば「親のプライベートな選択」ということになるだろうが、医学的利益がそれほどないとなれば、それでも手術をするのは宗教的理由か、単に「見た目」にかかわる理由だろう。前者に関しては何とも言えないが、「見た目」に関しては「子どもの権利」という観点からすると問題であると、個人的には思う。


参考)
http://www.circumcision.org/(サーカムシジョンには反対の立場。Circumcision Trauma 10 out of 10 Babiesというビデオも掲載)

Monday, January 2, 2012

ネコも人なり。ゴロニャン・・・

義父はプーシキンというネコを飼っている。

プーシキンは義父にとっては「ペット」というより子どものようなものだから、先の文章はちと感覚的にピンとこない。それより、「義父はネコのプーシキンと暮らしている」といった方が収まりがよい。北米のミドルクラス家庭では、とりわけ子どもが巣立った団塊世代の家庭では「ペット」という概念はないのではないか、というのが私の感じである。


夫は義父に電話すると、決まってこう訊ねる。
How is Pushkin?

もう明らかに家族の一員といった扱われ方で、その後、プーシキンが風邪をひいただの、近所の人からクリスマスのプレゼントをもらった(キャット・ミルク)だの、そんな会話が続く。


義父の隣に住むポールとジータにもルパートという黒い犬がいて(種類は私には分からない)、ルパートも何だか中耳炎になっただの何だので、日に何度か薬を垂らしてもらっているらしい。


義父の右隣にはマリーナという女性が3匹の犬と一緒に住んでいる。3匹の犬は冬になるとセーターを着る。ブーツもはいている(ブーツといっても靴下みたいなやつだが)。犬のブーツといえば、少なくとも私の住んでいるトロントのダウンタウンでは、しょっちゅう見かける。雪が降ると、滑らないようにと路上に撒くソルトが爪の間に入って痛むらしい。それで犬のブーツはポピュラーなのだ。


プーシキンの食事は、シニア用のキャットフードである。シニア用はカルシウムや鉄分などが強化されているらしい。肥満の気もあるので、ローファット(脂肪分控えめ)のキャットフードを併用している。


そういえば、最近時折見かける、犬用のストローラー。あれは一体どうなっているのだ? ベイビーかと思ったら、犬が乗っているのに気付いてびっくり仰天した。「帰り道には疲れちゃうのよね~」なんて飼い主は笑っていたが、犬が疲れて歩けなくなって駄々をこねる、という話は生まれて初めてだったが、犬もそこまで進化したってことなのだろうか。


ドッグ・ウォーカー(犬の散歩サービス)、ドッグ・シッターやキャット・シッター(ベイビー・シッターみたいなもの)はともかくとして、犬のデイケア(託児所=託犬所)というのもある。飼い主が留守のときは、犬もひとりでは寂しいということで、デイケアに行くのである。知人ダイアンのビーグル犬は、ときどきデイケアに行っていた。ダイアンの話ではお値段は子どもを預かってもらうくらいらしい。「スナックにはオーガニックのお肉が出されるし、ソーシャライズ(社交)にもなるんだから犬も大喜び。とにかく、すごいのよ~」。


大学時代にネコ(グスタフ)を飼っていた私も、ネコは大好きだし、ペットに対する愛情も分かるのだが、北米人(ミドルクラス、団塊世代)のペットへの接し方には違和感を覚えてしまう。私が平気で、「ネコに残飯をやっていた」とか「ごはんに鰹節を混ぜてあげていた」とか言うと、義父はたまげていた。ネコが「ごはん」やら「きゅうり」を食べるとか、飼い主が「残りもの」を与えているとか、そんなことは信じ難いらしい。


ネコも犬もペットを越えて、家族の一員となり、ヒト化が進む北米である。