Showing posts with label Human Rights(人権). Show all posts
Showing posts with label Human Rights(人権). Show all posts

Thursday, June 13, 2013

日本は世界一の人権先進国 by上田人権大使


このビデオには笑わされた。

Japan is one of the most advaned countries ・・・あの英語力なのであとは何を言っているかよくわからない。
もっとも司法制度に関して進んだ国、とでも言っているんだろう。
日本に暮らすマイノリティにはそうは思われない、そのへんが外交官のあなたにはわからないんだろう。



Saturday, April 14, 2012

外国人配偶者「問題」

外国人の配偶者をもつと、お役所関係の書類上で思わぬ問題に遭遇する、ということがよーくわかった。まず、夫と私は同一の生計を営んでいるにもかかわらず、夫が日本人ではないということだけで、住民票では日本人であるという理由だけで私が世帯主となり、夫の名前は通常、記載されない(夫の名前を住民票に記載するためにはもう一段階の申請が必要になる)。なので、夫と私が「同一の生計を営んでいる」という記載を公式に探すためには、「外国人登録記載事項証明書の省略のないもの」をもらう必要がある、ということにまわりまわってやっと行き着いた。


そもそも「戸籍」は日本人にだけあてられるものなので、外国人配偶者がいる場合は戸籍や住民票だけ見ると、子どもの名前が出ているだけで、シングルマザーのようになっている。日本人同士なら簡単に「家族」として出てくるものが、外国人配偶者がいる場合には「家族」であることが証明できる書類がすんなりとは出てこない。わざわざ外国人と結婚したんだから当然、というような馬鹿げた論はやめていただきたい。


こうした「問題」に直面すると、私や夫としては心情的に「不快感」を感じざるを得ない。日本政府は、どうやら私たちが結婚している、という状態を素直に認めたくない、あるいは好意的には思っていないのね、と思わざるを得ない。私にはどうもひっかかる。


同じようなことが現代のカナダで起これば、こういう措置は「差別的」だという声がすぐに上がるに違いない。ジャーナリストが書くか、人権擁護団体が声をあげるか、個人が声をあげるか、エスニック・コミュニティのリーダーが声をあげるか、何らかの方法で、社会的問題として取り上げられるに違いない。


私は長らく日本のメインストリームとして生活してきた経験から、こうして日本に住んでいる外国人やその他の非メインストリームの人たちが、どれほど制度的不自由を課せられてきているか、に思い至ることはなかった。今回、外国人配偶者と日本に住むことになって、さまざまな手続きを経るうちに、メインストリームの人が見えない「制度上の差別」があるのだと気付いた。恐らく、日本も時代の流れとして、いずれはこうした制度を変えていくだろうと思う。しかし、今、気付いた人が声をあげることで、その変革が早まる可能性があるだろうから、私は市政に対してこの点でコメントを出していこうと思っている。

Thursday, November 10, 2011

ゲイのペンギンカップル、引き離される


http://www.thestar.com/news/article/1083793--tale-of-same-sex-penguin-pair-goes-viral
スター紙の記事
ビデオもあり。最初にCanadian Wheat Boardの広告が載っていてちょっと面倒だけど・・・。


5日ほど前、トロント・スター紙がトロント市立動物園のペンギンのうち、ゲイ(同性愛)のペンギンがいる、という記事を載せたのを見て、「あー、またスターがどうでもいい記事を載せてるわ!」と呆れていたのだが、この「ペドロとバディー」、最近はアメリカのトークショーをはじめ、イギリスのガーディアン紙もこの話を掲載し、世界中で話題になっている。


スター紙によると、ことのきっかけは動物園の飼育係りがペドロとバディー(どちらも性別はM)が片時も離れないのに気付いたこと。どっちか忘れたが、片方には以前、メート(性別F)がいたというが、ふたりが同じ動物園で暮らすようになってからというもの、Fにはまったく興味を示さず、お互い、いつも一緒でinseparableなのですって。(夫に話したら、ある知人(性別M)が同じ状況にあった、と言っていた。以前は奥さんがいたのだけれど、ある男性と出会って自分がゲイだということに気付いた、という話・・・。たしかに、この手の話はたまに聞く。


しかし、このアフリカ・ペンギンは野生では絶滅の危機ある動物ということで、動物園ではこのカップルを引き離し、それぞれをメーティング・パートナーとくっつけて、次世代ペンギンを産んでもらおうという計画で、今朝はペドロとバディーが引き離されたストーリーがインターネットに載っていた。


単純に「かわいそう・・・」という声もある一方、昨日のCBCラジオでは専門家が「野生では絶滅の危機があるが、動物園ではそういうわけではないので、引き離しは不必要」と言っていた。

Tuesday, November 8, 2011

ヨーロッパのロマ問題と市民権を得つつあるネオナチ

先週はホロコースト教育ウィークということで、近所のトロント市立図書館でロマ問題についてのレクチャーが開かれていた。


「ホロコースト」といえばユダヤ人虐殺に対してつけられたことばであるが、ナチスによって殺害されたグループのなかには、ほかにもロマや同性愛者、障害者、共産主義者などもいたことを忘れてはならない。


この講演で知ったことだが、ロマにとってナチによる民族虐殺は「ポライモス」と呼ばれ、正確にどれだけの人口が殺害されたかは分かっていないが、戦後、ヨーロッパのロマ人口は3分の1まで激減したという。


ロマとは、インド北西部が起源とされる移動型民族で、ヨーロッパを放浪しながら暮らし、長年、少数民族として差別の対象となってきた。「ジプシー」という名称は、誤解に基づいて外部からつけられた名称であり、この言葉自体が差別用語だとされている。


講演のなかで、ルーマニアからカナダに難民申請している女性の話が出たが、彼女によればルーマニアにおけるロマ迫害のすざまじさといったら想像を絶するものらしい。突然、路上で襲われ、まわりには見ている人もいたうえに、警察もいたというのに彼らは何もせず黙って見ていたという。


ここ十数年ほどのあいだにヨーロッパ全土でネオナチの動きが活発化しているが、少数民族であるロマも迫害の対象になっている。「働かず、盗みを働いている」と言われ嫌悪されているが、ロマであるということを理由に就職や教育をはじめとする経済活動から締め出している社会構造をみると、これはれっきとした迫害であると思われる。


ちなみに、私も最近、新聞記事で知ったことだが、ここ最近、中央ヨーロッパのロマがカナダに難民申請をし、難民として入ってくるケースが非常に増えているという。講演をした女性は、「昨日、ジェイソン・ケニー(移民大臣)と会って、ロマ難民受け入れを要請してきた」と言っていた。


ところで、ルーマニアやハンガリーなどでは、反移民、反ヨーロッパ系の思想をもつ自警団の動きが活発化している。それとともに、同じ思想で動いているネオナチの動きも活発で、ハンガリーでは「ロマを収容所に入れよ」といったようなことを平気で政治家などが発言している。反移民、反外国人というスタンスを示している市長や政治家も実際にいる。ロシアでも数十年にわたって、同じようなネオナチの動きが活発化していて、これはプーチンがパワー・バキュームの後、ナショナリズムを煽り立てた挙句の醜い結末という感じがする。こうした話をちらほらとメディアで読んだり聞いたりしてきたが、その現状はどんどん悪化し、ヨーロッパに暮らす移民、あるいはエスニック・マイノリティにとって大変なことになっている、との思いを講演を聴きながら新たにした。


そうした状況をカナダから見ていると、あまりにもヨーロッパとの違いが明白になってきて、カナダの平和さに感謝の気持ちが湧いてくる。ナショナリズムは国民のあいだに案外簡単に植えつけられるが、一方ではその結末は醜いものであることは、歴史を見ると明らかである。ナショナリズムほど危険で胡散臭いものはない。

Monday, August 29, 2011

妊娠中に胎児の障害がわかったら人工中絶をしますか?

現在では、妊娠7週目の血液検査で胎児の性別が95%の確率で分かるらしい。また、精子・卵子バンクでは、望めば知的能力、運動能力、髪や目の色、人種や民族、まつげの長さまでお好みで選べる。テクノロジーの発展により、ダウン症から他の障害まで胎児の段階でスクリーニングできる社会が到来しつつある。デンマークの新聞によれば、2030年までにはダウン症は社会から抹消されるということである。つまり、これから母親、父親になる人は、障害児の生に関して「選択の権利」があるということになる。

24日付けのIan BrownのエッセーI'm glad I never had to decide whether my strange lonely boy ought to exist(奇妙で孤独な私の息子が存在すべきかを決めなくてよかったことが私には嬉しい)は、生々しく、秀逸である。イアン・ブラウンの妻が言うように、障害者がいなくなった社会とは、寛容さに欠ける社会に違いない。

人間の完璧性とは何か。障害者(あるいは弱者)が私たちの社会に教えてくれていることは何か。人間性とは何か。テクノロジーの発展と倫理はどういう関係になくてはならないのか。さまざまな問いを考えさせてくれる、美しくも悲しいエッセーをぜひご一読いただきたい。

http://www.theglobeandmail.com/news/opinions/ian-brown/im-glad-i-never-had-to-decide-whether-my-strange-lonely-boy-ought-to-exist/article2144132/

Sunday, November 7, 2010

N.S.man convicted in cross-burning(Globe and Mail, Nov.6, 2010)

今年2月、東海岸に位置するノバ・スコシア州の小さな町で起こった事件が、カナダ全土を震撼させた。その事件とは、この町で唯一の黒人であるシェイン・ハウとパートナー(白人女性)の家の庭で十字架が焼かれた事件である。カップルは”die nigger die”という叫びで目を覚ましたという(niggerは差別用語)。その後、若い男が数人逮捕されたが、この記事によると裁判において彼らのhate crimeに対する有罪が確定したという。

記事中のコメントにあるように、何も裁判までしなくてもこの事件はhate crime(特定のグループに対する憎悪をかきたてる行為を行った罪、ちなみに日本の法にはhate crimeは定められていない)に決まっている。「十字架を焼く」といえばKKK(クー・クラックス・クラン)のお決まりであって、黒人排斥運動(というか黒人殺害)に強力なイニシアチブととっていたKKKを真似たこの卑劣な行為は許されるものではない。

今回と似たような事件は、いまだマルチカルチュラリズム(多文化共生)を誇りとするカナダにおいて時折起こっている。こうした事件が起こるたびに、トロントに住んでいてよかった、と思う。今回の裁判でも、コミュニティの一部はシェイン・ハウをサポートしているというが、大部分はサポートしていないらしく、家族は今後の報復の可能性を恐れている。アジア系としては、やっぱり小さな村や町には住みたくない。

この記事で私が最も感銘を受けたのは、他の民族グループからのサポートである。カナダのエスニックコミュニティではユダヤ系がその先端にあるが、またしてもCanadian Jewish Congress(CJC)のCEOであるBernie Farberがこの判決に対するサポートを表明していた。私はいつも、多文化主義が真に機能し、ポジティブな結果へと動いていくためには、エスニック・コミュニティの役割が欠かせないと思っているが、人種差別に対する闘いのフロントラインにCJCがいることを知るたびに非常な安心感を覚える(本当は、政府から過去に受けた人種差別的待遇に対するリドレスを勝ち取った日系コミュニティもこの役割を担うべきである)。

一方、私がムッときたのは、有罪判決を受けた若者の家族の「若いときにはばかなことをやるものだよ。こんなに大きな事件にせず、もう一度チャンスを与えてあげることが大切じゃないのか」というコメント。問題の本質がわかってない。自転車泥棒と違って、これは意図的にある人種のグループ全体を対象にし憎悪をかきたてている、大事件なのだ。若くてもこの罪は決して軽く扱われてはならないし、それが今回の裁判でカナダが国民全体に送った大切なメッセージなのである。

Sunday, October 10, 2010

Jane ElliottのEye of the Storm(どうやって差別を教えるか)

日本では高校で、トロントでは日本人学校で教師として働いたことがある。その経験、そして母親としての経験から、子どもに教えたい最も大切なことをひとつ挙げるとすれば、それは「自分および他者を尊敬をもって扱うこと」に尽きる。これは人間関係において最も大切なPrincipalだと私は思っている。それができなければ、子どもたちは友達あるいは他人をカテゴライズ、排除することを覚え、いじめや差別といった社会問題の担い手になる。

しかし、「差別やいじめをしない」ことをどうやって教えるか、という点になると、教師たちは「道徳」の時間をつかって長々と説教じみた説明をすることに終始している。

その点、アメリカの小学校教師ジェーン・エリオットのBlue Eyes, Brown Eyes ExerciseはProvocativeで私も最初にこのエクササイズについて知ったときは面食らった。

1960年代後半、マーティン・ルーサー・キング暗殺のニュースに触れて、ジェーン・エリオットは今まで考えてきた計画をクラスで実行することにした。それは、クラスの子どもたちを目の色によって2つに分け、最初は一方を「優れている」グループに、もう一方を「劣っている」グループとして故意に設定し、のちにその役割を逆転させることだった。それにより、子どもたちは実際に「劣っている」グループにいることがどういうことなのかを体験的に学ぶ、というものである。ちなみに、子どもたちはすべて白人で、今まで差別的に扱われた経験は皆無であったと思われる。

この様子を撮ったビデオを見るとわかるが、優劣をつけられた子どもたちは、自分のグループが課された役割を無意識的に担うようになる。たとえば、同じグループでも、「優れている」とされた日の学力テストのスコアは高かったのに、後日「劣っている」グループになったときには、低いスコアしか出せなくなっていた。さらに、優劣をつけられた子どもたちは態度にも変化があった。「劣っている」とされるグループの子どもたちは、一様にうつむいていたり、自信のない表情をしたり、恐れをあらわにしたりするといった態度にも、彼らの心理的ストレスが表れている。

このクラスでの実験の後、Jane Elliottは同じエクササイズを大人にも使うのだが、その結果は驚くほど衝撃的である(個人的には、涙なしではこの映像を見られない…)。Jane Elliottは「ほら、見てみなさい、あなたたち青い目の人はこんな簡単なこともできない」「さっき私が言ったことが分からないのね、やっぱりあなたは青い目だからね」「ま、青い目ならそれができないのも仕方ないわね」といった言葉で、一方のグループの自尊心をずたずたにする。

私たち日本人は差別されることがどういうことかを知っていると思っているが、実際に差別される側にたったことがあるだろうか。日本でマイノリティとして暮らす人たち、たとえば韓国・朝鮮系の日本人、白人以外の外国人、部落の人たち、ゲイ・レズビアンといった人たちがどんな経験を受けているか、私たちは知っていると思っている。しかし、実際にその立場に身を置き、その辛苦を味わったことがなければ、その「知っている」は、私たち個人的経験に束縛されたイマジネーション、表層的なイリュージョンに過ぎない。その点、私は海外で暮らす日本の子どもたちは、ある程度は差別といったものを経験しているのではないか、と思っている。そして、その経験を日本を差別のない社会にするために役立てることができるのでは、と思っている。ガンディーは、イギリス人社会に入ってはじめてインド人がどれほど差別されるかを知り、その自ら受けた差別の経験をはねかえす力をもって社会をよい方向に変えたのだ。

アメリカ社会でアフリカ系アメリカ人の、あるいはカナダ社会で先住民の人たちが年収や教育が白人のそれに比べて低いのは、彼らにだけ問題があるのではない。毎日の生活のなかで、周りから「劣等」の刻印を押されるような態度や制度に浸っていることで、「どうせ自分は・・・だから」とか「これができないのは自分が・・・だから」といった思いを無意識的に抱き、差別される側から抜け出せないスパイラルを作ってしまう構造面にも注目すべきである。自分が自らを規定できる自由を奪われ、周囲からのAssumptionやStereotypeによって束縛されることが差別の構造のなかに根づいている。それがどれほどDe-meaningなことであるかを身をもって知る、というのがJane Elliottのティーチング・ポイントなのである。

子どもたちにとっては、多少、過酷だとは思うけれど、彼らが学んだことが一生の教訓になったことは、10年後(だったかな)に同じ子どもたちが同窓会という形で集まり、当時の経験を語る後続のフィルムにははっきりと収められている。

過激ではあるけれど、教育者にとっては必見のフィルムだと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=_IilULqX1bY&feature=related
http://www.janeelliott.com/