Globe紙Report on Business(April 6, 2011)より
単位:ミリシーベルト 1ミリシーベルト=1,000マイクロシーベルト
2.4: 人が1年間で平均に浴びる量
6.9: 胸部CTスキャン
50: アメリカの原発労働者が1年に浴びてもよいとされる上限
100: ガン発生率の増加
170-180:3月24日に福島で3人の作業員が浴びた放射能レベル
250: 福島第一原発で現在作業員が浴びてもよいとされる上限
350: チェルノブイリの住民が浴びた量
700: 2週間以内に嘔吐、髪の毛が抜ける
1000: 3月27日 福島第一原発2基の水中に検出されたレベル
3000: 生存率50%
6000: 1ヵ月以内に死亡。チェルノブイリ作業員が受けた量。
10,000:2週間以内に死亡
Friday, April 8, 2011
Wednesday, April 6, 2011
放射性汚染水を太平洋へ放出
Globe紙のRadioactive water dumped into ocean from Japan's crippled nuclear power plant によると、TEPCOと日本政府は、高度に汚染された放射性汚染水を海中に流しているという。以下、かいつまんで翻訳。
・4月4日月曜日の午後から、TEPCOは日本政府の了解のもと、300万ガロン(1ガロンは約3.8リットル)以上の放射性汚染水を太平洋に流している。
・「高度に放射能汚染された水が広がるのを避けるためのやむを得ない手段であり、申し訳ないと思っている」枝野長官
・政府の発表によれば、この放射性汚染水が周辺の魚介類の安全性に及ぼす影響はないという。
・土曜日(4月1日)に、放射性汚染水が海へ流れている割れ目を発見した。
・海水中の法的基準を超える放射能は過去数週間にわたって測定されており、月曜日の放射能レベルは以前と変わらないと報告されている。
・これまで海に流されてきた放射能汚染の低濃度の使用水でも、法的基準の500倍もの汚染レベル。
やはり「環境被害は国境を越える」。
もうここまできたら日本だけの問題ではすまなくなっている。日本から飛来した放射性物質はアイルランドでも、カナダ東海岸のニューファウンドランドでも発見されているし、ワシントン州のミルクからも放射性ヨウ素131が検出されたというし、今後、状況が悪化すれば、環境被害の国際的補償問題にまで発展する可能性だってある。
2010年5月、メキシコ湾でのBPのオイル流出事故でも、たくさんの人たちが激怒したが、今回は何せ高度に汚染された放射能汚染水だからオイル以上に海洋汚染は広がるし、被害は長期に及ぶだろう。あのときBPの対応は世界中から非難されたが、今回のTEPCOと日本政府の対応はそれを上回る非難を避けられないだろう。
・4月4日月曜日の午後から、TEPCOは日本政府の了解のもと、300万ガロン(1ガロンは約3.8リットル)以上の放射性汚染水を太平洋に流している。
・「高度に放射能汚染された水が広がるのを避けるためのやむを得ない手段であり、申し訳ないと思っている」枝野長官
・政府の発表によれば、この放射性汚染水が周辺の魚介類の安全性に及ぼす影響はないという。
・土曜日(4月1日)に、放射性汚染水が海へ流れている割れ目を発見した。
・海水中の法的基準を超える放射能は過去数週間にわたって測定されており、月曜日の放射能レベルは以前と変わらないと報告されている。
・これまで海に流されてきた放射能汚染の低濃度の使用水でも、法的基準の500倍もの汚染レベル。
やはり「環境被害は国境を越える」。
もうここまできたら日本だけの問題ではすまなくなっている。日本から飛来した放射性物質はアイルランドでも、カナダ東海岸のニューファウンドランドでも発見されているし、ワシントン州のミルクからも放射性ヨウ素131が検出されたというし、今後、状況が悪化すれば、環境被害の国際的補償問題にまで発展する可能性だってある。
2010年5月、メキシコ湾でのBPのオイル流出事故でも、たくさんの人たちが激怒したが、今回は何せ高度に汚染された放射能汚染水だからオイル以上に海洋汚染は広がるし、被害は長期に及ぶだろう。あのときBPの対応は世界中から非難されたが、今回のTEPCOと日本政府の対応はそれを上回る非難を避けられないだろう。
チベット文化はあとどれだけ残されているのか「日系の声・Nikkei Voice」2005年5月号掲載
カナダのドキュメンタリー映画「What Remains of Us」Review
(ちょっと古くなりましたが、UPしておきます)
世界のなかで1つの国が消えようとしている。それに対する武力蜂起でもあれば新聞記事にもなろうが、チベットの人々は精神的指導者であるダライ・ラマの教え「非暴力」を実行しているため、その文化は文字通り音もなく消えようとしている。
カナダ人監督によるドキュメンタリー「What Remains of Us」は、チベット人亡命者の両親を持つカルサング・ドルマがダライ・ラマによる五分間のビデオ・メッセージを手にチベットの人たちを訪れ、その反応を描いている。消えつつあるチベット文化は、あとどのくらい残っているのか。すべてのシーンがその問いに対する答えを垣間見せてくれる。
この映画は大きな危険と背中合わせで撮られている。中国政府の支配下にあるチベットでは、ダライ・ラマ(インドへ亡命)の存在を示唆したり、彼の写真を所有することは禁じられており、発見されれば「人権」という言葉が意味をなさない収容所へと送られる。ラサ市内には至るところに中国人兵士が配置され、建物の上に設置されたカメラが人々のあらゆる行動を監視している。ふと思い出したが、1988年にチベットを旅したとき、中国の軍用車に詰め込まれて連行されるチベット僧を何人も見た、とこっそり教えてくれた旅行者がいた。プロの写真家の彼にはいつも中国人ガイドが動向していた。
こうした状況下で半世紀を過ごしてきたチベット人は、ナレーターが言うように「ごく身近な人以外には誰もが他人を信用しない」。そのチベットで、カルサング・ドルマは両親の知人や寺院、遊牧テントを訪れ、ダライ・ラマのメッセージを届ける。ポータブル・ビデオを前にして、人々は極度に神経質な表情を見せる。画面にあずき色のローブを着たダライ・ラマが現れると、多くの人たちが手を合わせる。それまで曇っていた表情に希望のかけらが見える。涙を浮かべる人たちもいる。メッセージが終わると、ビデオの前に進み出て、頭を下げて拝む。ドルマが彼らに感想を求めるが、多くが声にならない。相当の人々がダライ・ラマの帰還を求め、中国政府に対する不満や怒りをぶつける。なかにはダライ・ラマの「非暴力」に懐疑を挟む声も出される。
ダライ・ラマのビデオ・メッセージはこうだ。平和を愛する心と非暴力はチベットの文化であり、この文化は暴力にあふれた現代の世界に大きな示唆を与えてくれるはずだ。このチベット文化を守ってほしい。一方、ドルマはこう自問する。「多くのチベット人は国が失われつつあるのは彼らの祈りが足りないせいだと思っている。しかし、実のところ祈っているばかりだから国を失おうとしているのではないか」。
一九五〇年、中国政府はチベットを武力併合し、以降、多くの中国人を入植させてチベット文化の同化政策を進めてきた。その結果、現在、チベット人は自国のなかでマイノリティとなっている。チベット文化、とりわけその源泉である言語は旅行者ですら気付かざる得ないほど急速に消滅しつつある。中国語ができなければ就職できない。高等教育も受けられない。結果、親は子どもの幸せを願ってヘリテージ言語ではなく中国語を教える。家族のなかで、社会のなかで老人たち、チベット語を話す人たちが孤立していく。
国際社会の反応に限っていえば、ダライ・ラマはたびたび国連にチベットのメッセージを届け、国際的指導者たちもことあるごとに中国の人権問題を非難してきた。にもかかわらず、中国が経済的派遣を握りつつある今、チベット問題をわざわざ持ち出そうとする政府高官はほとんどいなくなり、これまでチベットが単なる外交カードに過ぎなかった事実が露顕されつつある。
このドキュメンタリーを見ながら私が思い出していたのは、かつて日本が行った朝鮮、台湾、中国などアジア各国の支配であり、イスラエルの入植者であり、オーストラリアのアボリジニであり、ルワンダのジェノサイドであった。夫はカナダやアメリカにおけるネイティブの人たちを思い出したという。そう、チベットの状況は特異ではないのだ。それは、プラトンが「国家」のなかで提示して見せたアンチテーゼ「正義とは強者の利益である」というむき出しの現実を思い出させる。そして、それを正当化するために用いられる人種差別のプロパガンダ。以前、ある中国人の友人は、鳥葬(死体を屋外に置いて鳥についばむのにまかせる)を例にとって「チベット文化は野蛮」であると何のためらいもなく言ってのけた。彼女が大学教授だったことがことのほかショックだった。一九九四年のルワンダに国連平和維持軍司令官として派遣されたロメオ・ダレア氏(現在はカナダ連邦上院議員)は、一生消せない記憶を刻印されたジェノサイドを目の当たりにし、以来、ことあるごとに国際社会の冷淡さを非難している。国連をはじめとする国際社会は、欧州の一端であるコソボには軍隊を送りながら、資源もなく黒人国家であるルワンダを見捨てた。あれから十年たった今、同じアフリカ大陸のスーダンで恐ろしく酷似した状況が繰り返されている。
このような不正義に対して、What Remains of Usのなかで命をかけて語ることを了承したチベット人たち、二人のカナダ人監督、カルサング・ドルマの勇気と覚悟が際立って見える。この映画を見ようとする人は、映画館入り口で異例ともいえるセキュリティ・チェックを受けなければならない。ビデオやカメラによる撮影で中国当局が登場人物を特定することを避けるためである。
映画上映後、カルサング・ドルマが会場からの質問に答えた。「映画に参加した人物の身の安全性を完全に確保できると思うか」。この問いに対して、彼女は確固たる口調でこう答えた。「私たちはある種の危険をおかしてこの映画を撮りました。そのことは私たち自身、そして登場してくれた人たちがちゃんと心得ています。チベットを取り巻く状況は映画に描かれていた通り、非常に暗澹としています。もはや危険をおかすことなく、私たちの文化を守ることは不可能だと思いませんか」。
巨人ゴリアテに挑む小さな羊飼いダビデのストーリーは、いつも私の心をかき乱す。非暴力を特徴とするがゆえ、チベット文化はいずれ世界から消えてしまうのか。私たちはそれを黙って許すのか。世界からチベットが失われることは、ひとつの正義が失われることではなかろうか。あるいは、私たちの世界における暴力や武力の勝利を意味するのではなかろうか。
なお、皮肉なことに中国のチベット抑圧は、チベット人ディアスポラを増加させ、結果としてチベット仏教は世界で最も急速に信者を増やしている宗教のひとつとなっている。
(ちょっと古くなりましたが、UPしておきます)
世界のなかで1つの国が消えようとしている。それに対する武力蜂起でもあれば新聞記事にもなろうが、チベットの人々は精神的指導者であるダライ・ラマの教え「非暴力」を実行しているため、その文化は文字通り音もなく消えようとしている。
カナダ人監督によるドキュメンタリー「What Remains of Us」は、チベット人亡命者の両親を持つカルサング・ドルマがダライ・ラマによる五分間のビデオ・メッセージを手にチベットの人たちを訪れ、その反応を描いている。消えつつあるチベット文化は、あとどのくらい残っているのか。すべてのシーンがその問いに対する答えを垣間見せてくれる。
この映画は大きな危険と背中合わせで撮られている。中国政府の支配下にあるチベットでは、ダライ・ラマ(インドへ亡命)の存在を示唆したり、彼の写真を所有することは禁じられており、発見されれば「人権」という言葉が意味をなさない収容所へと送られる。ラサ市内には至るところに中国人兵士が配置され、建物の上に設置されたカメラが人々のあらゆる行動を監視している。ふと思い出したが、1988年にチベットを旅したとき、中国の軍用車に詰め込まれて連行されるチベット僧を何人も見た、とこっそり教えてくれた旅行者がいた。プロの写真家の彼にはいつも中国人ガイドが動向していた。
こうした状況下で半世紀を過ごしてきたチベット人は、ナレーターが言うように「ごく身近な人以外には誰もが他人を信用しない」。そのチベットで、カルサング・ドルマは両親の知人や寺院、遊牧テントを訪れ、ダライ・ラマのメッセージを届ける。ポータブル・ビデオを前にして、人々は極度に神経質な表情を見せる。画面にあずき色のローブを着たダライ・ラマが現れると、多くの人たちが手を合わせる。それまで曇っていた表情に希望のかけらが見える。涙を浮かべる人たちもいる。メッセージが終わると、ビデオの前に進み出て、頭を下げて拝む。ドルマが彼らに感想を求めるが、多くが声にならない。相当の人々がダライ・ラマの帰還を求め、中国政府に対する不満や怒りをぶつける。なかにはダライ・ラマの「非暴力」に懐疑を挟む声も出される。
ダライ・ラマのビデオ・メッセージはこうだ。平和を愛する心と非暴力はチベットの文化であり、この文化は暴力にあふれた現代の世界に大きな示唆を与えてくれるはずだ。このチベット文化を守ってほしい。一方、ドルマはこう自問する。「多くのチベット人は国が失われつつあるのは彼らの祈りが足りないせいだと思っている。しかし、実のところ祈っているばかりだから国を失おうとしているのではないか」。
一九五〇年、中国政府はチベットを武力併合し、以降、多くの中国人を入植させてチベット文化の同化政策を進めてきた。その結果、現在、チベット人は自国のなかでマイノリティとなっている。チベット文化、とりわけその源泉である言語は旅行者ですら気付かざる得ないほど急速に消滅しつつある。中国語ができなければ就職できない。高等教育も受けられない。結果、親は子どもの幸せを願ってヘリテージ言語ではなく中国語を教える。家族のなかで、社会のなかで老人たち、チベット語を話す人たちが孤立していく。
国際社会の反応に限っていえば、ダライ・ラマはたびたび国連にチベットのメッセージを届け、国際的指導者たちもことあるごとに中国の人権問題を非難してきた。にもかかわらず、中国が経済的派遣を握りつつある今、チベット問題をわざわざ持ち出そうとする政府高官はほとんどいなくなり、これまでチベットが単なる外交カードに過ぎなかった事実が露顕されつつある。
このドキュメンタリーを見ながら私が思い出していたのは、かつて日本が行った朝鮮、台湾、中国などアジア各国の支配であり、イスラエルの入植者であり、オーストラリアのアボリジニであり、ルワンダのジェノサイドであった。夫はカナダやアメリカにおけるネイティブの人たちを思い出したという。そう、チベットの状況は特異ではないのだ。それは、プラトンが「国家」のなかで提示して見せたアンチテーゼ「正義とは強者の利益である」というむき出しの現実を思い出させる。そして、それを正当化するために用いられる人種差別のプロパガンダ。以前、ある中国人の友人は、鳥葬(死体を屋外に置いて鳥についばむのにまかせる)を例にとって「チベット文化は野蛮」であると何のためらいもなく言ってのけた。彼女が大学教授だったことがことのほかショックだった。一九九四年のルワンダに国連平和維持軍司令官として派遣されたロメオ・ダレア氏(現在はカナダ連邦上院議員)は、一生消せない記憶を刻印されたジェノサイドを目の当たりにし、以来、ことあるごとに国際社会の冷淡さを非難している。国連をはじめとする国際社会は、欧州の一端であるコソボには軍隊を送りながら、資源もなく黒人国家であるルワンダを見捨てた。あれから十年たった今、同じアフリカ大陸のスーダンで恐ろしく酷似した状況が繰り返されている。
このような不正義に対して、What Remains of Usのなかで命をかけて語ることを了承したチベット人たち、二人のカナダ人監督、カルサング・ドルマの勇気と覚悟が際立って見える。この映画を見ようとする人は、映画館入り口で異例ともいえるセキュリティ・チェックを受けなければならない。ビデオやカメラによる撮影で中国当局が登場人物を特定することを避けるためである。
映画上映後、カルサング・ドルマが会場からの質問に答えた。「映画に参加した人物の身の安全性を完全に確保できると思うか」。この問いに対して、彼女は確固たる口調でこう答えた。「私たちはある種の危険をおかしてこの映画を撮りました。そのことは私たち自身、そして登場してくれた人たちがちゃんと心得ています。チベットを取り巻く状況は映画に描かれていた通り、非常に暗澹としています。もはや危険をおかすことなく、私たちの文化を守ることは不可能だと思いませんか」。
巨人ゴリアテに挑む小さな羊飼いダビデのストーリーは、いつも私の心をかき乱す。非暴力を特徴とするがゆえ、チベット文化はいずれ世界から消えてしまうのか。私たちはそれを黙って許すのか。世界からチベットが失われることは、ひとつの正義が失われることではなかろうか。あるいは、私たちの世界における暴力や武力の勝利を意味するのではなかろうか。
なお、皮肉なことに中国のチベット抑圧は、チベット人ディアスポラを増加させ、結果としてチベット仏教は世界で最も急速に信者を増やしている宗教のひとつとなっている。
Thursday, March 31, 2011
放射能汚染された食品の長期摂取について
3月28日付けGlobe紙の “Radioactive food is a slow-release health threat” (Dr. Shafia Qaadri)は、今後、日本の食品の安全性、それを消費した日本人口への長期的な健康への悪影響について警鐘を鳴らしている。
現在、原乳、ほうれん草などの野菜、花、飲料水、海水中への放射能物質混入が報告されているが、中国やアメリカ、カナダなどの各国は日本から入ってくる食料の放射能汚染を厳しく検査している。
Dr. Qaadriによれば、日本の放射能被害はまだまだ始まったばかり。とりわけ健康への被害が懸念されるのは、妊娠中の女性とその胎児(妊娠初期に最も被害があらわれる)、子ども、家系に遺伝系の病歴のある人。
医師としての自らの経験として、1986年にチェルノブイリ原子力発電所のあったプリピャチで双子を妊娠中の女性が、カナダに移住してきて子どもたちが5歳になったときに血液ガンの宣告をしなくてはならなかったと書いている。
もちろん、今回のフクシマ(今後、こういう表記になるだろう)は、今のところ、放射汚染に関しては低濃度ではあるが、放射性物質は年単位から1000年単位にわたって土壌や水といった環境に残留する。たとえば、放射性ヨウ素131は8日、セシウム137は30年、モリブデン99は20万年以上にわたり残留する。
こうした放射性物質に汚染された食品を体内に取り込むと、発ガン率の上昇へとつながる。よく聞かれた「直ちに健康に害を及ぼす値ではない」という言葉は、実のところ、長期的にじわじわと健康へ害を及ぼしている、ということだろう。WHOの報道官Gregory Hartlは、大気中の放射能にさらされるのと違い、放射能汚染された食品を繰り返し消費することの危険度ははるかに高いと指摘している。
現在、原乳、ほうれん草などの野菜、花、飲料水、海水中への放射能物質混入が報告されているが、中国やアメリカ、カナダなどの各国は日本から入ってくる食料の放射能汚染を厳しく検査している。
Dr. Qaadriによれば、日本の放射能被害はまだまだ始まったばかり。とりわけ健康への被害が懸念されるのは、妊娠中の女性とその胎児(妊娠初期に最も被害があらわれる)、子ども、家系に遺伝系の病歴のある人。
医師としての自らの経験として、1986年にチェルノブイリ原子力発電所のあったプリピャチで双子を妊娠中の女性が、カナダに移住してきて子どもたちが5歳になったときに血液ガンの宣告をしなくてはならなかったと書いている。
もちろん、今回のフクシマ(今後、こういう表記になるだろう)は、今のところ、放射汚染に関しては低濃度ではあるが、放射性物質は年単位から1000年単位にわたって土壌や水といった環境に残留する。たとえば、放射性ヨウ素131は8日、セシウム137は30年、モリブデン99は20万年以上にわたり残留する。
こうした放射性物質に汚染された食品を体内に取り込むと、発ガン率の上昇へとつながる。よく聞かれた「直ちに健康に害を及ぼす値ではない」という言葉は、実のところ、長期的にじわじわと健康へ害を及ぼしている、ということだろう。WHOの報道官Gregory Hartlは、大気中の放射能にさらされるのと違い、放射能汚染された食品を繰り返し消費することの危険度ははるかに高いと指摘している。
Japan urges calm over food worries (Reuters)
ロイターズによれば、福島第一原発付近の海水の放射能レベルは上昇しており、原発から330メートル南では法的基準の4385倍もの放射性ヨウ素131が検出され、原発の土壌では猛毒のプルトニウムが検出されたという。
現在、日本政府は原発の周囲20キロを避難指示区域としているが、IAEA(国際原子力安全委員会)の避難区域を40キロへ拡大するべきだとしている。日本政府は現在その件を慎重に検討している。
また、ロイターズの調査によれば、日本政府およびTEPCO(東電)は、過去に原発の危険性を繰り返し軽視し、安全性に対する専門家の警告を意図的に無視してきたという。TEPCOは6基のうち4基は廃炉とすることを発表したが、破損した原子炉の廃炉は何十年にもわたる危険な作業となる。(抜粋して翻訳)
現在、日本政府は原発の周囲20キロを避難指示区域としているが、IAEA(国際原子力安全委員会)の避難区域を40キロへ拡大するべきだとしている。日本政府は現在その件を慎重に検討している。
また、ロイターズの調査によれば、日本政府およびTEPCO(東電)は、過去に原発の危険性を繰り返し軽視し、安全性に対する専門家の警告を意図的に無視してきたという。TEPCOは6基のうち4基は廃炉とすることを発表したが、破損した原子炉の廃炉は何十年にもわたる危険な作業となる。(抜粋して翻訳)
パニックになってるのは私なのか/パニックにならなくていいのか
どうやら日本に住んでいる日本人にとっては、私が不必要な心配をしていると映るらしい。海外の報道は原発ばかり取り上げている、と思っているようだ。東京に住む妹いわく「海外メディアは極端に悲惨な映像を流しているようだけど、東京にいる私たちは毎日いつもどおりに生活をしている」。
同じような意見は、先日JFで開催されたパネルディスカッションでも指摘されていた。「海外メディアは原発一点に的を絞った一方、日本メディアは国民の恐怖を煽らないようなバランスの取れた報道をした」
東京に住む外国人はパニックになってすぐに日本から去っていったけれど、日本人は冷静に対処した、という話は繰り返し耳にしている。
もちろん、私もそうであることを祈る。あとになって「いやあ、パニックになったのは私のほうだったね」と笑って言えればいい。でも、未だに福島第一原発の状況は刻々と深刻化し(今日3月31日CBCニュースでは、ワシントン州の牛乳に放射性ヨウ素131が検出されたという。原発付近には毒性の高いプルトニウムが漏洩していると示唆)、一方では柏崎・刈羽原発の放射能漏れまで報道され始めた。放射能被害の実態はまだまだ把握されていない。専門家は、フクシマ放射能被害があきらかになるまでには10年はかかると見ている(Dr. Shafia Qaadri)。
「日本は大丈夫。日本人は大丈夫」と楽観的なことを言うにはまだまだ時期尚早ではないか。とくに学者や専門家にはもっとdiligenceになってもらいたいと思う。
同じような意見は、先日JFで開催されたパネルディスカッションでも指摘されていた。「海外メディアは原発一点に的を絞った一方、日本メディアは国民の恐怖を煽らないようなバランスの取れた報道をした」
東京に住む外国人はパニックになってすぐに日本から去っていったけれど、日本人は冷静に対処した、という話は繰り返し耳にしている。
もちろん、私もそうであることを祈る。あとになって「いやあ、パニックになったのは私のほうだったね」と笑って言えればいい。でも、未だに福島第一原発の状況は刻々と深刻化し(今日3月31日CBCニュースでは、ワシントン州の牛乳に放射性ヨウ素131が検出されたという。原発付近には毒性の高いプルトニウムが漏洩していると示唆)、一方では柏崎・刈羽原発の放射能漏れまで報道され始めた。放射能被害の実態はまだまだ把握されていない。専門家は、フクシマ放射能被害があきらかになるまでには10年はかかると見ている(Dr. Shafia Qaadri)。
「日本は大丈夫。日本人は大丈夫」と楽観的なことを言うにはまだまだ時期尚早ではないか。とくに学者や専門家にはもっとdiligenceになってもらいたいと思う。
Wednesday, March 30, 2011
震災・原発事故に関する友人からのコメント
「家族は無事?」
当然、このコメントが最も多いのだけれど、私が「両親は広島に住んでいるから大丈夫」と言うと、話はすぐに福島第一原発事故に流れていく。カナダ人がいちばん知りたいのは原発のことだという感じは明らかにする。「ヒロシマ」と「フクシマ」は切っても切れない関係になったのだ!
「世界初の被爆国がなんであんなに大量の原発を持っているのだ? 非常に矛盾しているじゃないか」
この友人は今回のことがあるまで、日本が国内の電力需要の30%を原発でまかなっているということを知らなかったという。というか、被爆国日本が原子力発電を選ぶ、ということ事態、思いもつかなかったらしい。ヒロシマ・ナガサキでは被爆国として被害者側に立っていたが、今回のフクシマでは放射能物質による環境汚染で世界に放射能被害を与えた加害国となってしまった。何たる皮肉であろう。
「今回の地震で倒れた高層ビルは今のところなかったらしいが、それが非常な驚きだ」
これはウォータールー大学の助手をしているエンジニアの友人のコメント。以前も同じようなコメントを聞いた。彼の出身国イランも地震が多いが、M8以上の地震が来ればテヘランのほとんどのビルは倒壊するだろう、と言っていた。日本のインフラはすごい、ということなのだろう。
「あんな規模の地震が他の国で起こったら、被害は日本の規模では済まされない」
というのも聞いた。この人は、地震に対して最も準備周到な日本だからこそ、被害の規模はそれほど大きくなかったのだと言う。
「なんで原発を津波被害の可能性のある沿岸地域につくっているんだ?」
私も知らなかったのだけれど、あとで調べたら、発電のために出される蒸気を冷却する必要があり、冷却のために海水を使っているかららしい。しかし、排水や廃棄物を捨ててたり、もしものことが起こった場合に海に投げ込めばいい、という感じで作っているのではないか、と私はなんだか非常に危険なことを想像したりもする・・・。
「日本では活断層の上に原発がつくられているらしいが、どうして(そんなばかなことをしているん)だ?」
というのも本当に困る。ちなみに( )内は彼の口調から、こういうことを言いたいんだろう、という私の推測。これは、きっと新潟の柏崎・刈羽原発のことだろうと思うが、それは2007年の事故の後、はじめて明らかになったとか。 そう言うと、今度は、
「それはきちんと調査を最初にしていなかったからだ。日本は安全基準が高いと言われているのに・・・」
ということになって、ふたりしてお互いの無言を耐えるしかなかった・・・。
「略奪がまったくないのは驚きだわ」
これは2005年のハリケーン・カトリーナ(アメリカ)の際の略奪を強烈に覚えているフィリピン系の友人のことば。
「忍耐強く配給の食糧を待ったり、日本人は冷静に極めて秩序正しく対応していると聞いている。日本はCivilizedな国だ」
海外メディアはこの点をステレオタイプを煽るかのように報道してきたと私は思うし、それは、日本人という国民に対して彼らが以前から抱いていたステレオタイプにぴったりと合致したことで、こうした面が余計に強化されて伝えられたのだと思う。読者や視聴者もそれを喜んで受け入れたし。こういうポジティブなコメントを手放しで喜んでいる海外在住の日本人もいるが、こういうステレオタイプの危険性には注意すべき。
当然、このコメントが最も多いのだけれど、私が「両親は広島に住んでいるから大丈夫」と言うと、話はすぐに福島第一原発事故に流れていく。カナダ人がいちばん知りたいのは原発のことだという感じは明らかにする。「ヒロシマ」と「フクシマ」は切っても切れない関係になったのだ!
「世界初の被爆国がなんであんなに大量の原発を持っているのだ? 非常に矛盾しているじゃないか」
この友人は今回のことがあるまで、日本が国内の電力需要の30%を原発でまかなっているということを知らなかったという。というか、被爆国日本が原子力発電を選ぶ、ということ事態、思いもつかなかったらしい。ヒロシマ・ナガサキでは被爆国として被害者側に立っていたが、今回のフクシマでは放射能物質による環境汚染で世界に放射能被害を与えた加害国となってしまった。何たる皮肉であろう。
「今回の地震で倒れた高層ビルは今のところなかったらしいが、それが非常な驚きだ」
これはウォータールー大学の助手をしているエンジニアの友人のコメント。以前も同じようなコメントを聞いた。彼の出身国イランも地震が多いが、M8以上の地震が来ればテヘランのほとんどのビルは倒壊するだろう、と言っていた。日本のインフラはすごい、ということなのだろう。
「あんな規模の地震が他の国で起こったら、被害は日本の規模では済まされない」
というのも聞いた。この人は、地震に対して最も準備周到な日本だからこそ、被害の規模はそれほど大きくなかったのだと言う。
「なんで原発を津波被害の可能性のある沿岸地域につくっているんだ?」
私も知らなかったのだけれど、あとで調べたら、発電のために出される蒸気を冷却する必要があり、冷却のために海水を使っているかららしい。しかし、排水や廃棄物を捨ててたり、もしものことが起こった場合に海に投げ込めばいい、という感じで作っているのではないか、と私はなんだか非常に危険なことを想像したりもする・・・。
「日本では活断層の上に原発がつくられているらしいが、どうして(そんなばかなことをしているん)だ?」
というのも本当に困る。ちなみに( )内は彼の口調から、こういうことを言いたいんだろう、という私の推測。これは、きっと新潟の柏崎・刈羽原発のことだろうと思うが、それは2007年の事故の後、はじめて明らかになったとか。 そう言うと、今度は、
「それはきちんと調査を最初にしていなかったからだ。日本は安全基準が高いと言われているのに・・・」
ということになって、ふたりしてお互いの無言を耐えるしかなかった・・・。
「略奪がまったくないのは驚きだわ」
これは2005年のハリケーン・カトリーナ(アメリカ)の際の略奪を強烈に覚えているフィリピン系の友人のことば。
「忍耐強く配給の食糧を待ったり、日本人は冷静に極めて秩序正しく対応していると聞いている。日本はCivilizedな国だ」
海外メディアはこの点をステレオタイプを煽るかのように報道してきたと私は思うし、それは、日本人という国民に対して彼らが以前から抱いていたステレオタイプにぴったりと合致したことで、こうした面が余計に強化されて伝えられたのだと思う。読者や視聴者もそれを喜んで受け入れたし。こういうポジティブなコメントを手放しで喜んでいる海外在住の日本人もいるが、こういうステレオタイプの危険性には注意すべき。
Monday, March 28, 2011
頭を下げる東電幹部
おととい(3月26日)のToronto Star紙の「読者の声」欄に、「日本のような断層が数多くある国で原子力発電に力を入れるのはおろかなことだ」というのを目にした。「おろかな」にはStupidという強い言葉が使われていた。
今日のStar紙には、東電幹部が頭を下げて謝罪している写真が掲載されていた。東電は、これから、多額の損害賠償、廃炉の費用、刑罰などで経営上まわっていかないだろう。しかし、10年しか使えない原子炉を40年にもわたって使ってきた東電には、一体、経営上のリスク・マネージメントなどまったく存在しなかったのだろうか、と不思議に思う。企業経営者であれば、事故が起きたときはどうなるのかをシュミレーションし、そのうえで経営上の計画に生かしていく必要があると思うのだが、そういうことをまったく考えてこなかったのだろうか。経営者として、そんなことがありえるのだろうか。
また、これも25日付けToronto Star紙で読んだことだが、今回の原発事故によって次のようなことが懸念されるとあった。
・今後、日本全土で世代を追ってガンの発生率が上昇する可能性
・奇形児が生まれる確率が高まる可能性
・何十年、何百年にわたって土壌汚染や水質汚染が続き、それを食べ続けた消費者には健康への被害がおよぶ可能性
1986年のチェルノブイリ事故の結果、周辺地域は360年間は人間が住めない状態になっている。「風向きによっては日本全土がInhabitable(住むことが不可能)になる可能性もある」ともどこかで読んだ。
この責任を誰が取るつもりなのだろうか。幹部が頭を下げたくらいでは到底済まされない。
今日のStar紙には、東電幹部が頭を下げて謝罪している写真が掲載されていた。東電は、これから、多額の損害賠償、廃炉の費用、刑罰などで経営上まわっていかないだろう。しかし、10年しか使えない原子炉を40年にもわたって使ってきた東電には、一体、経営上のリスク・マネージメントなどまったく存在しなかったのだろうか、と不思議に思う。企業経営者であれば、事故が起きたときはどうなるのかをシュミレーションし、そのうえで経営上の計画に生かしていく必要があると思うのだが、そういうことをまったく考えてこなかったのだろうか。経営者として、そんなことがありえるのだろうか。
また、これも25日付けToronto Star紙で読んだことだが、今回の原発事故によって次のようなことが懸念されるとあった。
・今後、日本全土で世代を追ってガンの発生率が上昇する可能性
・奇形児が生まれる確率が高まる可能性
・何十年、何百年にわたって土壌汚染や水質汚染が続き、それを食べ続けた消費者には健康への被害がおよぶ可能性
1986年のチェルノブイリ事故の結果、周辺地域は360年間は人間が住めない状態になっている。「風向きによっては日本全土がInhabitable(住むことが不可能)になる可能性もある」ともどこかで読んだ。
この責任を誰が取るつもりなのだろうか。幹部が頭を下げたくらいでは到底済まされない。
Friday, March 25, 2011
東電の犯罪
BBCのウェブサイトから拾ってきた情報。
2240: American investigative journalist and Japanese crime expert Jake Adelstein writes in his blog that: "the Japanese police are quietly beginning an investigation into TEPCO, the managing entity of the Fukushima Nuclear Reactor for charges of professional negligence resulting in death or injury." He says the investigation is still in its early stages and that nothing is official yet.
ソース) http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-12307698
耐久年度10年の原子炉を40年も使ってきた結果は、「事故」ではなく「犯罪」として扱われるべし。
CBCのウェブサイトで見た福島第一原発1号基のコントロール・ルーム(制御室?)の写真
http://www.cbc.ca/news/world/story/2011/03/25/japan-nuclear-plant-core.html
まるで1970年代? スタートレック? スイッチボード? 未だにこんな古いものを使ってたなんて・・・。
2240: American investigative journalist and Japanese crime expert Jake Adelstein writes in his blog that: "the Japanese police are quietly beginning an investigation into TEPCO, the managing entity of the Fukushima Nuclear Reactor for charges of professional negligence resulting in death or injury." He says the investigation is still in its early stages and that nothing is official yet.
ソース) http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-12307698
耐久年度10年の原子炉を40年も使ってきた結果は、「事故」ではなく「犯罪」として扱われるべし。
CBCのウェブサイトで見た福島第一原発1号基のコントロール・ルーム(制御室?)の写真
http://www.cbc.ca/news/world/story/2011/03/25/japan-nuclear-plant-core.html
まるで1970年代? スタートレック? スイッチボード? 未だにこんな古いものを使ってたなんて・・・。
専門家の無責任さ-これは事故ではなく犯罪である
先日、国際交流基金で行われたThe 2011 Earthquake in Japan: The Reality and Insights into Recoveryと題するパネル・ディスカッションで、デイビッド・ウェルチ(ウォータールー大学教授)は、原発はクリーン・エナジーであると強調したうえで、「日本が今回のことで原発をやめ、他の電力ソースに頼れば、より大きな被害が出る」と主張していた。
最近、この手の議論をよく聞く。「原子力発電はCo2を大量に排出する石炭、日々環境汚染を引き起こしているタールサンドなど他のエネルギー資源に比べると、はるかにクリーンである」とか、「原発は事故さえ起こらなければ他のエネルギーソースより安全」という主張は、原発推進論者のみならず、環境保護アクティビストのなかにも聞かれる。
しかし、それは短期的に見て、という意味において有効な理論に過ぎない。核廃棄物の処理をどうするか、ということになると、専門家ですらまったくどうしていいかわからない。それが何百年にもわたって環境を汚染するのである。それに、原子力発電所付近に住んでいる住民にどれほどの長期的な健康への被害が出るのか、ということも実は一部しか知られていない。それに、原子力発電所で大量に使用された排水は海に流されているそうだが、それが「付近の住民」のみならず、世界的規模で健康への影響を与えているのかといった結果はまだ誰も知らない。
このように、原子力発電は非常に新しい技術であり、それが環境や人間の健康に与える影響についてはまだまだ研究不足なのである。
それなのに、私が聞いていて気分が悪いのは、専門家などがあたかも自分だけは真実を知っています、というかのごとくに今回の原発事故(これを「事故」と呼ぶのは間違っている。事故ということばを聞く人に「原因不明だし、仕方なかったんだ」と思わせるための操作であると思う。はっきり「犯罪」だと言うべし)は「大丈夫」だとか「日本はすばやい復興を果たします」といったような、本当に無責任な言い方をしていることだ。JFでのパネルディスカッションに招かれた3学者(添谷芳秀氏、田所昌幸氏、木村昌人氏)がまさにそうだった。会場からの出された「放射能被害を受けた人たちに対するサポート」を懸念する質問に対し、田所氏は「今のところ、ただちに放射能被害を受けた被曝者はいない」と実に楽観的な見解を示していてあきれたが、その2日後のGlobe紙で、「2名の作業者が被曝」という記事を読んだ私には、この学者たちの無責任さに東電の記者会見していた人たちの顔がだぶってみえた。
インタビューなどされると、彼らは専門家だから、誰も「私にはわからない」とは言わない。でも、本当のところは、全体図をつかんでいる人はひとりもいない。チェルノブイリの事故だって、結局ことが明らかになったのはずいぶんと後になってからであるし、それだって未だに全体図がつかめているわけではない。結局、ことが終わってからでしか、被害の大きさや将来への影響などといったことは分からない。以前、ブログに書いたように、真実は誰も知らないのに、知ったかのようなことを述べたり、さらに悪いのはその上で「大丈夫、安心しなさい」と市民をだまくらかす輩のいかに多いことか。そうやって、東電をはじめ、地方の電力会社は周辺の住民をだましてきたことで、多大な利益をあげてきたわけだし、今回の「大犯罪」を犯した東電が、今後、また企業として生き残っていけるのなら、日本社会は狂っているとしか言いようがない。
震災のニュースを海外で日々耳にしていた私は、最初、深い悲しみに胸が張り裂けるようだった。被災した人たち、特に親を失った子どもたちのことを思うと、涙が流れてきた。
でも、今は違う。海外メディアを日本メディアの報道と合わせて読んでいると、憤りの感情が深く頭をもたげてきた。とくに、私には専門家といわれる人たちの無責任さが何よりも頭にくる。
「原子力はクリーンだ」「安全基準を上げれば、安全性に問題はない」という専門家は、いまはまだ生まれていない後世の世代に核廃棄物と地球環境汚染という恐ろしい遺産を残そうとしているのだ。また、「予想を超える」事故が起こったときに、「不幸にも」周辺に住む人たちのいのちなど、気にもかけていないのだ。その無責任さはどこからくるのか。
私たち市民は、こうした無責任な専門家のことばに耳を傾けて、この世紀を超える大犯罪に加担するのか、責任ある市民として行動を起こすのか。今、私たち市民ひとりひとりにその問いがつきつけられている。
最近、この手の議論をよく聞く。「原子力発電はCo2を大量に排出する石炭、日々環境汚染を引き起こしているタールサンドなど他のエネルギー資源に比べると、はるかにクリーンである」とか、「原発は事故さえ起こらなければ他のエネルギーソースより安全」という主張は、原発推進論者のみならず、環境保護アクティビストのなかにも聞かれる。
しかし、それは短期的に見て、という意味において有効な理論に過ぎない。核廃棄物の処理をどうするか、ということになると、専門家ですらまったくどうしていいかわからない。それが何百年にもわたって環境を汚染するのである。それに、原子力発電所付近に住んでいる住民にどれほどの長期的な健康への被害が出るのか、ということも実は一部しか知られていない。それに、原子力発電所で大量に使用された排水は海に流されているそうだが、それが「付近の住民」のみならず、世界的規模で健康への影響を与えているのかといった結果はまだ誰も知らない。
このように、原子力発電は非常に新しい技術であり、それが環境や人間の健康に与える影響についてはまだまだ研究不足なのである。
それなのに、私が聞いていて気分が悪いのは、専門家などがあたかも自分だけは真実を知っています、というかのごとくに今回の原発事故(これを「事故」と呼ぶのは間違っている。事故ということばを聞く人に「原因不明だし、仕方なかったんだ」と思わせるための操作であると思う。はっきり「犯罪」だと言うべし)は「大丈夫」だとか「日本はすばやい復興を果たします」といったような、本当に無責任な言い方をしていることだ。JFでのパネルディスカッションに招かれた3学者(添谷芳秀氏、田所昌幸氏、木村昌人氏)がまさにそうだった。会場からの出された「放射能被害を受けた人たちに対するサポート」を懸念する質問に対し、田所氏は「今のところ、ただちに放射能被害を受けた被曝者はいない」と実に楽観的な見解を示していてあきれたが、その2日後のGlobe紙で、「2名の作業者が被曝」という記事を読んだ私には、この学者たちの無責任さに東電の記者会見していた人たちの顔がだぶってみえた。
インタビューなどされると、彼らは専門家だから、誰も「私にはわからない」とは言わない。でも、本当のところは、全体図をつかんでいる人はひとりもいない。チェルノブイリの事故だって、結局ことが明らかになったのはずいぶんと後になってからであるし、それだって未だに全体図がつかめているわけではない。結局、ことが終わってからでしか、被害の大きさや将来への影響などといったことは分からない。以前、ブログに書いたように、真実は誰も知らないのに、知ったかのようなことを述べたり、さらに悪いのはその上で「大丈夫、安心しなさい」と市民をだまくらかす輩のいかに多いことか。そうやって、東電をはじめ、地方の電力会社は周辺の住民をだましてきたことで、多大な利益をあげてきたわけだし、今回の「大犯罪」を犯した東電が、今後、また企業として生き残っていけるのなら、日本社会は狂っているとしか言いようがない。
震災のニュースを海外で日々耳にしていた私は、最初、深い悲しみに胸が張り裂けるようだった。被災した人たち、特に親を失った子どもたちのことを思うと、涙が流れてきた。
でも、今は違う。海外メディアを日本メディアの報道と合わせて読んでいると、憤りの感情が深く頭をもたげてきた。とくに、私には専門家といわれる人たちの無責任さが何よりも頭にくる。
「原子力はクリーンだ」「安全基準を上げれば、安全性に問題はない」という専門家は、いまはまだ生まれていない後世の世代に核廃棄物と地球環境汚染という恐ろしい遺産を残そうとしているのだ。また、「予想を超える」事故が起こったときに、「不幸にも」周辺に住む人たちのいのちなど、気にもかけていないのだ。その無責任さはどこからくるのか。
私たち市民は、こうした無責任な専門家のことばに耳を傾けて、この世紀を超える大犯罪に加担するのか、責任ある市民として行動を起こすのか。今、私たち市民ひとりひとりにその問いがつきつけられている。
Friday, March 18, 2011
日本政府と日本赤十字は海外からの寄付金を必要としていない?
現時点(March 18, 2011)で、各チャリティー団体に集まった日本への寄付金・援助金(Japan Relief)は以下の通り。
Canadian Red Cross $7.7 million
Oxfam, Care Canada, Save the Children $ 330.000
World Vision Canada $ 800.000(目標は3 million)
以上のように、カナダでは今回の日本の地震・津波の被災者に対して多くの寄付金・義援金が集まっている。しかし、今日のThe Globe and Mailには「日本政府や日本赤十字は海外からの寄付金を必要とはしていない」との記事が掲載されていた。(Are charities taking advantage of the urge to help Japan? http://www.theglobeandmail.com/news/world/asia-pacific/are-charities-taking-advantage-of-the-urge-to-help-japan/article1946825/)
記事の内容を要約してみる。
- 「Red Crossは日本の災害のために集めた寄付金を他のプログラムにまわしている可能性」を示唆
- 「日本が海外からの寄付金を必要としているようには思われない」(Elie Hassenfelt、Co-founder of GiveWell-NYベースのNPOでチャリティー評価をしている団体)。その根拠として、①日本政府の災害救助プログラムが高度に発達している点、②現時点で、日本政府は113ヶ国が援助を申し出たにもかかわらず、わずかに14件のみを受け入れている点、③日本赤十字も未だに国際社会に援助を呼びかけてはいない。日本赤十字は「この時点で外部からの援助の必要はないと判断している、点を挙げている
- Red Crossや他のチャリティー組織は、Disclaimerにもかかわらず、今回日本のために集まった寄付金は日本の災害へ充てると主張している
というように、最終的にはRed Crossほか、他のチャリティー組織も、今回日本のために集まった寄付金は日本へまわすと言っているが、気になる点を1点。
日本政府をはじめ日本赤十字までが海外からの援助(義捐金)を断っている、というふうに記事を読むと取れるが、「日本が海外からの寄付金を必要としているようには思われない」とメディアを通してカナダの人たちに思われては大変だと思う。
寄付金・義捐金は、今後、何年、何十年にもわたって必要になるだろう。被災者の方たち、親を失って孤児になった子どもたち、福島原発付近の避難民の人たちにとって長期にわたって金銭的補償が必要になるのは明らかである。
「日本赤十字はこの時点で外部からの援助の必要はないと判断している」のソースは不明だが、日本政府の代表(大使館、領事館)、あるいは日系コミュニティの代表あたりが「寄付金は被害者にとって必要」という主張をカナダのメディアに向けてしてほしいと願っている。Globe紙のコメント面に、在カナダ日本大使館の石川大使から、カナダの市民への謝礼メッセージとともにその点を主張して載せると効果的ではなかろうか。
同時に、日本赤十字も同じように海外への寄付金の呼びかけ、謝礼メッセージなどのメディア作戦を行う必要があると思われる。
Canadian Red Cross $7.7 million
Oxfam, Care Canada, Save the Children $ 330.000
World Vision Canada $ 800.000(目標は3 million)
以上のように、カナダでは今回の日本の地震・津波の被災者に対して多くの寄付金・義援金が集まっている。しかし、今日のThe Globe and Mailには「日本政府や日本赤十字は海外からの寄付金を必要とはしていない」との記事が掲載されていた。(Are charities taking advantage of the urge to help Japan? http://www.theglobeandmail.com/news/world/asia-pacific/are-charities-taking-advantage-of-the-urge-to-help-japan/article1946825/)
記事の内容を要約してみる。
- 「Red Crossは日本の災害のために集めた寄付金を他のプログラムにまわしている可能性」を示唆
- 「日本が海外からの寄付金を必要としているようには思われない」(Elie Hassenfelt、Co-founder of GiveWell-NYベースのNPOでチャリティー評価をしている団体)。その根拠として、①日本政府の災害救助プログラムが高度に発達している点、②現時点で、日本政府は113ヶ国が援助を申し出たにもかかわらず、わずかに14件のみを受け入れている点、③日本赤十字も未だに国際社会に援助を呼びかけてはいない。日本赤十字は「この時点で外部からの援助の必要はないと判断している、点を挙げている
- Red Crossや他のチャリティー組織は、Disclaimerにもかかわらず、今回日本のために集まった寄付金は日本の災害へ充てると主張している
というように、最終的にはRed Crossほか、他のチャリティー組織も、今回日本のために集まった寄付金は日本へまわすと言っているが、気になる点を1点。
日本政府をはじめ日本赤十字までが海外からの援助(義捐金)を断っている、というふうに記事を読むと取れるが、「日本が海外からの寄付金を必要としているようには思われない」とメディアを通してカナダの人たちに思われては大変だと思う。
寄付金・義捐金は、今後、何年、何十年にもわたって必要になるだろう。被災者の方たち、親を失って孤児になった子どもたち、福島原発付近の避難民の人たちにとって長期にわたって金銭的補償が必要になるのは明らかである。
「日本赤十字はこの時点で外部からの援助の必要はないと判断している」のソースは不明だが、日本政府の代表(大使館、領事館)、あるいは日系コミュニティの代表あたりが「寄付金は被害者にとって必要」という主張をカナダのメディアに向けてしてほしいと願っている。Globe紙のコメント面に、在カナダ日本大使館の石川大使から、カナダの市民への謝礼メッセージとともにその点を主張して載せると効果的ではなかろうか。
同時に、日本赤十字も同じように海外への寄付金の呼びかけ、謝礼メッセージなどのメディア作戦を行う必要があると思われる。
Thursday, March 17, 2011
New York Timesの記事Fukushima Crisis Worsens as U.S. Warns of a Large Radiation Releaseによれば・・・
“Jaczkoの査定に基づいて、在日本アメリカ大使館は、福島第一原発の周囲50マイルに住むアメリカ人に避難通知を出した。日本政府の避難通知は、原発から12マイルに住む住民に対してだされている。”
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