Friday, August 27, 2010

過去の亡霊と暮らす難しさ

1995年9月13日、アウグスト・ピノチェトはこう言った。
「最善の方法は黙って忘れることですよ。そして、忘れようとするなら、訴訟を争ったり、人々を刑務所に送り込んだりするべきではないのです。忘れることです。重要なのはこの言葉であり、双方が過去を忘れて今の生活を続けることです」

当時、ピノチェトがかつて軍事独裁者として行った数々の人権侵害、殺害などに対し、世界中で訴訟が起こっていた。このピノチェトの言葉は、こうした訴訟に対する不満の表現であるが、私はこの言葉を目にすると、日本のことを思い出す。

戦後、日本社会の大部分の人たちが、上のピノチェトの言葉を意識してかしないかは別として信じてきた結果が、数々の社会のひずみや日本人のゆがんだ精神構造などとして現れているような気がしてならない。

「恐らく、天皇裕仁が指揮責任という規程のもとで戦犯として起訴されなかったという理由から、さらに、生物兵器に関するデータと引き換えに石井四郎が免責されるという裏取引のため、日本人はアメリカに課された民主憲法の下で何事もなかったかのように平然と生活を続けてきた」(アーナ・パリス著「歴史の影」)

しかし、日本人は平然と生活を続けながらも、自分が拠って立つ地盤そのものが時折、ぐらついているのを自覚してきたはずである。たとえば、80年代に起こった薬害エイズ事件の際、事件と同時に露になったミドリ十字と戦前の731細菌部隊との深い関係。戦時中に人体実験や拷問といった非人道的なことに手を染めてきた人たちが、戦後、そうした経験をすっかり忘却の彼方へと葬り去り、のうのうと有名大学の副学長になったり、厚生省の幹部役人になったりしている事実は、ピノチェトの信条を思い出させる。

犯された罪に対する責任の所在を曖昧にすることは、「不処罰」と呼ばれる。不処罰は、被害者の感情をずたずたに切り裂くだけでなく、より広い悪影響を社会全体に及ぼす。不処罰が当然のようにまかり通る社会では、「悪いことをしても権力にバックアップされていれば咎められないのだ」という暗黙のメッセージが流布される。結果、社会正義が通らない社会になっていくと同時に、人々の精神構造には社会不信や人間不信といったシニシズムが潜入していく。長期的に見れば、こうした国民の精神構造は国を滅ぼす。

戦後処理をきちんとしてこなかった代償は思った以上に重い。

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