Tuesday, August 23, 2011

モラルなき資本主義の結果としてのover-sexualisation

フランスの下着販売会社Jours Apres Lunesが、ウェブサイトで6歳くらいのモデルの女の子にパールのアクセサリーをつけたり、ブリジッド・バルドー風のヘアスタイルをさせ、なまめかしいポーズをさせて商品をアピールしていることで、over-sexualisation(オーバー・セクシュアライゼーション:本来、性的でないものを性的に見せること、の意。日本語で何というのかしら?)との批判を集めている。この会社がターゲットにしているのは4~12歳の女の子で、批判の多くはモデルの子が単なる子どもではなく、「小さな女性」として扱われていることに集中している。「Exploitive(搾取主義)」、「Creepy(気持ち悪い)」、あるいは「ペドファイル(幼児を性愛の対象として見る人)のファンタジーをあおっている」として、とりわけ北米からの批判が多いという。

over-sexualisationといえば、最近、フランスの雑誌Vogueが10歳のThylane Loubry Blondeauを表紙に使ったことで批判の矢面に立たされたほか、アパレルのAmerican Eagleは、先週、ティーンネイジャーの女の子向けにプッシュアップ・ブラを発売し、大きな議論をかもしている。また、Miu Miuも14歳のHaille Stainfeldを起用するなど、ファッション界では10代の女の子をモデルとするなど、業界のモデルおよびターゲットにしている消費者の年齢が目に見えて低下している。

私もover-sexualisationの問題は非常に気になっている。根本にあるのは、どこまでも利益だけを追求する資本主義だと思うし、同時に企業の戦略に易々と乗ってしまう消費者が当たり前のように浸かっている消費主義だと思う。

数週間前のこと。Yorkdale Mallで父親と4、5歳くらいの女の子を見た。その女の子のファッションには驚いた。彼女は、超ミニスカートのすそからフリルをのぞかせ、黒いレースのトップに何重ものパールのネックレスをしていて、女の子というよりは明らかに「小さな女性」だった。父親はAbercrombie and Fitchの大きなロゴの入ったシャツを着ていて、手にはいくつものショッピング・バッグを持っていた。あとで、彼らが日本語を話しているのを聞いてショックだったが、確かに日本ではこういう場面にときに出くわすことがある。Consumerismの行き過ぎやブランド商品の過剰化は日本でよく見られるが、私には本当に気味の悪い現象に見える。本人はブランド商品を着て気持ちいいのかわからないが、結局、企業の側からすると、彼らは自ら歩く無料広告塔になってくれているわけで、こんなにありがたいことはないだろう。

いくら企業が何と弁明しようと、彼らの第一の存在理由は利益追求にある。そのためには企業は手段を選ばない。倫理性もモラリティも彼らには問題ではない。本来ならば、お金を持っている大人が消費者であるから、企業は彼らを対象として彼らの欲望を満たすサービスやグッズを提供してきたが、しばらくすると企業はもっとよい計画に気付いた。それは、将来、「消費者」となりえる子どもを小さいころから「消費者」に訓練することだった。ドキュメンタリーSupersize Meが指摘したように、子どものころに親しんだ味は一生消えない。マクドナルドはそれに目を付けて、Happy Mealや子どものお誕生日パーティーという商品を打ち出し、子どもが楽しめるようなプレイグラウンドを次々と作っていった。結果、マクドナルドはかつてない消費者のLoyalty(忠誠)を獲得することになった。

先に述べたフランスのアパレル企業がやっていることは、この変化球に過ぎない。こうした動きを批判する人たちは、企業が消費者の幅を押し広めるこうしたやり方が倫理的ではない、消費者の知らないうちに「消費者トレーニング」を課していると批判する。しかし、ほんとうにそうだろうか。企業に「倫理」を求めるより、親、つまり大人の消費者ひとりひとりがこうした策略に抗するだけの知識と批判的能力を身につける方が断然意味のあることではないかと思う。

私は資本主義がすべて悪だとは思わない。資本主義のよい面であるInnovation、あるいは技術開発などは、本来、人間がもつ自然の本性にあった側面であると思う。人間の、よりよいものを作りたいという欲求は、さまざまな開発をもたらしてきたし、それで多くの人たちの命は救われ、生活は便利になった。しかし、一方では利益追求を固執するあまり、倫理性や道徳性をおざなりにしてきたが、それは消費者が「知識や常識」あるいは「批判的精神」を持っている限り、許されることではない。消費者が企業の戦略を鵜呑みにしているような状況こそ、大きな問題だと思う。

人間を「消費者」としてしか見ない企業の言いなりにはならないこと。「消費者」である前に「市民」であること。「その手には乗らないわよ!」としっかり反論できること。そのために情報を集め、懐疑的になったり批判的になったりするのはまったく当然で、健康的なことであると信じている。

参照:French lingerie firm pretty babies prompt calls to let girls be girls (The Globe and Mail, August 19, 2001)

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