Monday, January 17, 2011

Amy Chuaの Battle Hymn of the Tiger Motherをめぐる議論

最近発売された新刊書Battle Hymn of the Tiger Mother が1月11日のGlobe紙で紹介されて以降、読者からさまざまなコメントが寄せられている。もちろん、本そのものを読んでいない私は、新聞の記事をもとに記すしかないのだけれど、どうもこの本はこんな感じの内容らしい。

子どもを成功に導くしつけをしたいなら、中国人家庭のしつけ(Chinese child-rearing techniques)こそ、最も効果的。「中国人家庭のしつけ」の例としては・・・

ボーイフレンドは許されない
お泊りも許されない
両親の言いつけには絶対服従
ピアノかバイオリンを始めたら何があっても絶対にやめない

著者はイエール大学法律学科の教授で、中国系の移民家庭に育っている。小さいころからこのようなしつけ方で育てられてきて、実際に自分が母親になったときにはそのやり方が最もすばらしいことに気付き、同じやり方で2人の女の子を育て、ふたりとも立派に育ったという。この本はそんな彼女の母親としての回想記。

インタビュー記事のなかでも触れているように、こうしたしつけの仕方はアジア系の家庭では一般的で、私たち日本人にも何となくピンとくるところがあるだろう。彼女は西洋的な、たとえば「子どもに選択肢=自由を与える」というやり方には断固として反対で、子どもに友達と遊ぶかピアノのレッスンに行くかという選択肢を与えれば、友達を取るに決まっている。西洋的なやり方で育てていれば、バイオリンを習っていた子どもは、すぐに簡単な楽器に変えるか、あるいはすぐにやめてしまう。しかし、中国系家庭のしつけでは「1度やり始めたことは最後まで何があってもやり通す」ことが強要されるので、泣いてもわめいても子どもはバイオリンのレッスンに連れていかれる。このように、子ども時代にはものごとの良し悪しは親が決めてあげるのがいちばんだとしている。

この本が発売されて以降、著者エイミー・チュアのもとにはEメールが殺到しているという。彼女のしつけをサポートするメールもあれば、一方では「子ども虐待」と厳しく批判するメールもあるという。

Globe紙のコラムニストのマーガレット・ウェンテは、世界的に著名なピアニストラン・ランやテニス・プレーヤーのアンドレ・アガシなども同じようなやり方で育てられてきたとし、エイミー・チュアの本は「優れた遺伝子がなければ、どんなしつけをしても成功することはない」という点に触れられていないと指摘している。

こうした批判に対し、エイミー・チュアは、中国系家庭に典型的な教育のしかたは、厳しいことだけが大切なのではなく、親が子育てを何を置いても一番のプライオリティとしなくてはならない点なのだと強調している。つまり、親が子どもを「成功させる」というコミットメントがあるかどうかが成功のカギになるというのだ。

この一連のコメントを眺めながら、最近、Too Asianというタイトルでアジア系学生がカナダの大学を圧巻しているというMacLean誌の記事を思い出した。そこにはアジア系の学生は学業では非常に優秀な成績を収めているけれど、社会的な集まりに参加しないとか、要するにがり勉(こんな言葉あったよね?)だという白人学生のコメントが載っていた。エイミー・チュアの本に書かれているような方法で育てられれば、そういう子どもたちになるのもわかるような気がする。

私も小さいころ、こうした教育を学校でなされてきた。両親はそうではなかったけれど、とりわけ体育の教師がこんな感じだった。体罰や暴言(私は1度ある教師に「おまえは人間のくずだ!」と言われたことがある)やハラスメントは日常茶飯事だったし、「選択を与える」なんてのは論外だった。今なら考えられない、と思うのは、その後、西洋的な育児・教育テクニックが日本を圧巻したからに違いない。日本はまだまだ昔ながらのやり方は残っていても、主流はやっぱり「選択肢を与えましょう」「責任を取らせましょう」「ルールを決めましょう」といったやり方だろう。

巷には、さまざまな「育て方」理論がはびこっている。私は今日、ブックストアのParentingセクションで立ち読みをしていたのだけれど、実に実にさまざまな御仁がさまざまな方法の「育て方」を披露している。主流は圧倒的に「子どもを1人の人間として扱う」という西洋的な育て方だけれど、エイミー・チュアの本はこのマーケットのうちで唯一、それに反する論を紹介している本だろう。

思うのだけれど、結局のところ、親にとって「育て方」というのは、「どんな子どもに育ってほしいか」をはっきりさせることが出発点になるべきだと思う。ブックストアで立ち読みしながら、私が親として子どもをどう育てたいかはっきりとわかっていないなら、この情報の山はただのごみの山だということに改めて気付いた。エイミー・チュアや多くの中国系の家庭の親たちのように、Academic Excellenceが最も大切なのだろうか。それとも、子どもが自分を愛し、他人を愛せるような人間になることが大切なのだろうか。世界で最も有名なピアニストに育てたいなら、エリート教育、つまりスパルタンな方法が必要だろう。「目的」がはっきりしていれば、おのずとどういう方法がよいかは分かるだろうし、もうひとつ言わせてもらえば、子どもを観察することの重要性も忘れてはならない。

子どもにはそれぞれパーソナリティがあり、好きなこと、得意なことがある。エリックが生まれてから私が経験した大きな気付きのひとつは、そのことだった。そして、それに気付くためには子どもをじいっと観察することが大切だ。この点に関してはシュタイナー教育をはじめとする西洋の教育論はすぐれた理論的バックグラウンドを与えていると思う。個人的には、エイミー・チュアの描く方法では育てられたくないし、そう思う私は(Do unto others as you would have them do unto you)この方法を採用することはないだろうね…。

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