Saturday, April 30, 2011

「がんばれ、日本、がんばれ東北」をやっている場合なのか

最近、「がんばれ日本」でチャリティーをやっているのを見ると違和感を覚える。トロントでもまだまだ震災復興に向けたチャリティーをやっているが、私はその「がんばれ」に共感できない。どうしてなのか、私もはっきりとは言えない。

何となく感じるのは、今回、本当に日本人が考えなくてはならない、日本人の眼前に突きつけられた問題を考えるところまで、彼らの思考が深く達していないからなのだということ。震災からの復興は比較的短期になされるだろうが、今後何十年にもわたって問題になるのは、原発事故関連の環境問題、はっきり言えば食品汚染、大気・海洋汚染に因を発する日本人の健康への被害だと私は思っている。福島県内の年間被曝限度量は、国民の健康より政権継続か「当面の事なかれ主義」を選んだ政府によって引き上げられたと聞く。Globe紙の記事では、今後、日本での発ガン率は増えるだろうとあったし、とりわけ子どもの発病率の増加は世界中の研究者がモニターし続けることだろう。

また、今後、同じ規模の地震が起こらないと言えない状況で、原子力発電に関する議論がほとんど起きていないことも私には信じがたい。

今まで私がかき集めてきた状況を元に判断すると、今回の地震の被害は最低限だったということだ。地震対策には万全を期してきたと日本政府は言うが、それは信じてよいと思う。ほとんどの人が津波被害で命を落としている。津波に関しては、堤防を築くということをしていたようだが、それで防げるような規模の津波ではなかった。警報が鳴って津波が来るまで40分あったというが、その間に市民が逃げられる緊急体制を整えておく必要がある。これは、インフラだけでなく市民の教育がカギになると思う。どういう経路で逃げるのか。病人や老人たちはどう避難するのか、そういう具体的な計画を、沿岸地域の市町村は、市民に今後、示していく必要がある。最後に、最も長期的被害を与えるであろう原発事故に関しては、最も有効な安全対策は、あきらかに「原発を持たない」という選択をすることだ。もちろん、すべての原子炉を同時にシャットダウンするのは現実的ではないが、日本政府はこれから真剣に、原発に依存しないエネルギー資源の確保を段階的に実行していく必要がある。

こうした議論を深めないまま、「がんばれ」ということに、私はイラッとしているのかもしれない。

一方では、被災者に「がんばれ」という言葉をかけることに違和感を覚えている。私だったら、「がんばれ」なんて言われたくない。では、何が有効なのかと言われればこれだ、とは言えないのだが、「がんばれ」だけは、どうも何か匂うのだ。どうも何かが胡散臭いのだ。

Sunday, April 24, 2011

国際交流基金の震災に関するパネル・ディスカッション:報告 


Nikkei Voice(2001年4月号)掲載

 東北大震災から12日を経た3月23日、国際交流基金(トロント)において「2011年東北・関東大震災:現状と復興への見通し」と題したパネル・ディスカッションが開催された(英語)。

鈴木所長の説明にもあったとおり、3月11日の震災を受け、国際交流基金ではオリジナルのタイトル(Japan as a “Normal Country?: A Nation in Search of Its Place in the World”)を東北・関東大震災と復興政策に関するディスカッションに急遽変更、会場には多数の参加者が詰め掛けた。

まず、デイビッド・ウェルチ教授(ウォータールー大学)が、「今回の震災では甚大な被害が出ているが、日本は驚くほど早い復興を果たすだろう」という楽観的コメントを出したが、同様の眺望は(今回の地震を実際に経験した)3学者にも共通していた。

田所教授(慶応義塾大学)は、阪神・淡路大震災(1995年)と東北大震災を比較し、死亡原因の多くが火災であった阪神大震災に比べ、今回は津波が大きな原因となったこと、東北沿岸では阪神・淡路大震災の教訓を活かし、護岸工事や建築基準の引き上げなどのインフラ整備がなされていたことを挙げ、それにもかかわらず今回の地震は予想以上の規模だったと説明。メディアではあまり取り上げられることはないが、建物の耐震基準、東北新幹線ほか鉄道システム、自衛隊の早期動員および救助活動、ボランティア活動など、うまく機能した点もあったことを強調した。一方で、うまくいかなかった点として、福島第一原発事故における人為ミス、緊急安全対策などの危機管理体制の問題、援助物資ルートの整備および市民による買占めなどを挙げた。

さらに、海外では原発事故に関する話題がことさら取り上げられたことから、日本在住の外国人のあいだでパニックが広がった例を挙げ、一方で日本の報道は原発のみに絞られることなく、それが日本人の冷静な態度につながったと説明した。また、今回は、関東大震災時の「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といったデマや流言は出てはいないことを付け加えた。

最後に、震災後、海外メディアでは日本人の地震への対応を「冷静・沈着」という言葉でくくり、これを「日本人的態度」(個の欠如、集団主義など)としていることをふまえ、それらがたとえポジティブなものであってもカリカチュアである点を指摘した。

添谷教授(慶応義塾大学)もまた、自身の経験をもとに、日本人の冷静な対応を強調しながら、国内メディアの報道に関して、テレビ局が被災地に出向き、実際に被災者のニーズを問い、彼らの声を伝えたこと、また、田所教授と同様、海外メディアや海外政府から情報集めをしていた関東地方の外国人の対応を例を挙げて説明したうえで、バランスのとれた国内報道によって、日本人の冷静な態度が保たれたと推測する。

また、震災時および後の管首相のリーダーシップの欠如、さらに日本政府の構造的欠陥は、大規模災害に直面してそれを乗り越えようとしている日本国民の前向きな態度とは対照的であるとコメントした。

さらに、今回の震災に対する諸外国の対応に、日本に対する距離を見ることができるのではないか、と提案。韓国および中国政府が率先して援助を申し出たこと、日本でも人気の韓国映画俳優たちも積極的に支援を呼びかけている例などを挙げた。一方、西洋メディアにおける報道は、日本政府に対する強い不信感の表れと見ている。

木村教授(渋沢栄一記念財団研究部長)も同様に「国民の間にパニックはなかった」と主張し、自然災害に対する日本人の考え方として天譴論と運命論について説明した。前者は「天災は天が下した罰」とし、自然災害を将来を改良するためのチャンスであると見る一方、後者は「運命だから仕方がない」と、どちらも自然災害は防ぎようがないという自然に対する人間の無力さが根底にあると指摘した。

また、1775年のリスボン大震災が人間の考え方を大きく変えたこと、関東大震災(1923年)後にも、その後の政治の方向が定まった点、西洋からすぐれた技術を取り入れ、東京を設計し直す契機となったことなど、今回の震災によって日本社会および政治が改良される可能性を強調していた。

目下、海外メディアが最も注目を集めているのは福島第一原発事故。ウェルチ教授は、「メディアは原発被害を誇張しているが、日本が今回のことで原発を中止し、他の電力供給源に頼るようなことになれば、より大きな被害が出る」と指摘し、チェルノブイリ原発事故とは規模が違う点、被害者の数などもこの規模での地震では少ないことなどを他の災害と比較して説明した。

各パネリストの主張は、今回の災害は未曾有の大災害ではあったが、これを機に停滞していた日本経済や政治に風穴を開けるチャンスでもある、という点で一致し、復興への可能性と期待を示唆した。

実際に地震を経験したパネリスト三人の話は、日本社会の対応が具体的に知れて興味深く、また、短い準備時間にデータや統計を用意して分析したウェルチ氏の話にも説得力があったが、一方では、被害がすでに出終わったかのような楽観的主張には疑問を感じた。さらに「海外メディアは原発一点に的を絞った一方、日本メディアは国民の恐怖を煽らないようなバランスの取れた報道をした」という主張は、(もちろんそうだとうれしいが)福島原発の状況が刻々と深刻化する現時点では、まだ判断がつかないのではないか、との感想を否めなかった。

Saturday, April 16, 2011

オンライン版の読売新聞の記事

Online Yomiuriより引用。 太字は筆者。

東日本大震災後、日本を訪れる外国人観光客らが激減し、ツアーなどのキャンセルが相次いでいる。読売新聞のまとめでは、少なくとも約8万人の外国人が宿泊や訪問を取りやめ、海外からの飛行機運航も中止に。観光地からは「原発事故の風評被害だ」など、悲鳴にも似た声が上がっている。http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110416-OYT1T00912.htm

被災地だけでなく、西日本の観光地などでも外国人観光客のキャンセルが相次ぎ、国内の観光産業は大きな打撃を受けている。海外メディアなどが、原発事故を実態よりも大げさに伝えたのも、一因とみられる。政府が新成長戦略の柱の一つに据えた「観光立国」構想も、大幅な見直しが避けられない情勢だ。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110407-OYT1T00129.htm?from=nwla

こんなときに観光客が減るのが「風評被害」だという観光地のコメント・・・。最大級の地震、いまだ続いている余震、さらには放射能汚染水を海洋に流し、大気中の放射線レベルをはっきり示さない政府・・・と、こんな国に誰が観光などしようと思うだろうか。絶対に行かなくてはならない、というのでなければ、誰だって今日本になど行きたいとは思わないのは誰もが当然理解できることだろう。政情が安定しなかったり、内戦が起こっていたりする国に誰も行きたいと思わないように、放射能被害にあう危険性のある国、放射能汚染された食品を食べなくてはならない国は避けようとするのが当然ではないか。観光産業は結局のところ現地がどんなに努力してもうまくいかないときはうまくいかない、かなり依存的な産業なのだ。さらには、日本では「風評被害」という言葉ですべて片付けようとしているような傾向が見られるが、このあたり、少なくともジャーナリズムには、もっと深い洞察をお願いしたい。

次。「海外メディアなどが、原発事故を実態よりも大げさに伝えた」というのはどこに根拠があるのか。私に言わせれば、日本メディアが事実を伝えようとする姿勢すら持っておらず、政府やTEPCOの言葉を(ジャーナリズムの基盤であるべき)批判精神もなく鵜呑みにしている状況に、「海外メディア」に責任を着せるというのは、全くもってもってのほかだと思う。

Thursday, April 14, 2011

被害者から加害者へ-震災と原発事故

今回の震災後、私が日本人だと知っている友人・知人は、日本にいる私の家族の安否を心配して電話をくれたりメールを送ってくれたりしていた。すべてが「こんなに悲惨なことが起こってしまって日本に対して同情を感じる」というものだった。

それが、ここ数週間、微妙に変わっているような気がする。今日、エレベータで偶然会った女性は、私が日本人だと知ると、「日本で今起こっていることは信じがたい(unbelievable)。あんな原発事故は絶対にあってはならない」と言った。私を個人的に非難したわけではないことは口調からわかったが、私自身、これは身にこたえた。

実は、数日前もカフェに行って座っていた私の向こうで、男性同士が話をしていてそれが耳に聞こえてきたのだが、「日本は汚染を世界中に垂れ流している」という話をしながら「無責任な国だ」と日本政府か日本国民を批判していた。私はこれを聞きながら本当に日本人として申し訳ないという思いと、日本人としての悲しみに胸がえぐられるようだった。

震災後、トロントの日系コミュニティではそれぞれのグループがチャリティ・イベントを組織・開催して、カナダ人から莫大な寄付金を得て、それをカナダ赤十字などのチャリティ団体に寄付してきた。私も微力ながら、私の住んでいるトロント大学家族向けレジデンスでチャリティ・イベントを企画し、開催した。今でも、そういう寄付イベントを続けている団体があるようだが、私はここにきてすでにその気持ちを失っている。震災に関しては日本人は被害者であったが、原発事故に関しては放射能汚染を大気圏、海洋に撒き散らす加害者になり、立場が逆転している。被災者にとっては信じがたいだろうが、私の住むトロントをはじめ、海外に住む(海外の報道を日常的に目に、耳にしている)人たちには、日本は「同情に値する震災被害国」のイメージ以上に「放射能汚染国」とのイメージを強くしている。

先日、聞いた「無責任な国だ」という男性のコメントは私の心を暗くしている。それは、「無責任な国民だ」と言われているも同然だ。少なくとも政府は事実を隠蔽することなく正確に発表し、メディアも批判精神をもって報道にあたってほしいと切に思う。

オンタリオ州でも放射線量数値が上昇

Ontario radiation levels up but officials say there’s no danger (Toronto Star, April 13)

4月12日、オンタリオ州は日本での福島原発事故以来、オンタリオ州での放射線量レベルがわずかに上昇していることを発表した。市民の健康への影響はないという。オンタリオ州は大気、水道水、食品の放射線量は定期的に測定している。アメリカの州でも放射能量レベルが上昇、一部の州では放射線物質ヨウ素131が牛乳、水道水、雨水から検出されたことから、カナダでも州政府が警戒すべきだという意見も強い。

2010年の1日平均の放射線量は0.28マイクロシーベルト、2011年4月10日では0.30、4月9日では0.27マイクロシーベルトだった。オンタリオ州には、Pickering、Darlington、Bruce、Chalk Riverに原子力発電所があり、食物や水中、大気圏で放射線量を月単位で測定している。

Wednesday, April 13, 2011

「7」の真意は?

今日のGlobe誌の記事を読んだ。
日本政府は、福島第一原発事故を国際的な原発事故の尺度で最悪の「7」に引き上げた。

報道によれば、福島事故の放射線物質の放出量は、現時点でチェルノブイリの10分の1であるらしいし、原子炉が稼動中に爆発して、大量の放射線物質を放出したチェルノブイリとは違い、福島では原子炉はシャットダウンしている。これまで福島原発からのヨウ素131の放出量は、370,000~630,000テラベクレルで、チェルノブイリの5.2millionテラベクレルと比べようもない。

では、どうして日本政府は7に引き上げたのだろうか。それがよくわからない。今後も放射線物質が放出される可能性は否めないし、チェルノブイリの原子炉は1基だったのに比べ、福島では問題の原子炉が4基もある。今後、状況が悪化する恐れを鑑みての7なのだろうか。

一方では、IAEAや原子力推進派はこの最悪の評価が「今後の原子力推進に歯止めをかける」と嫌悪感をあらわにしている。

個人的にはチェルノブイリと同等とは思わないし、まだ被害の全容が明らかになっていないこの時点で7というのは理解できないが、原子力推進に歯止めをかける目的であれば大いに歓迎したい。

Monday, April 11, 2011

なぜ過去を水に流そうとしないのか

「日系の声・Nikkei Voice」2005年10月号掲載
ウクライナ系カナダ人に対する戦後補償に寄せて

2005年8月24日は、リドレス(補償)問題に関心を寄せるカナダ市民にとって記念すべき日となった。この日、ポール・マーティン首相が第一次大戦中に強制収容所に送られ、公民権を剥奪されたウクライナ系カナダ人に対して公式謝罪を提供したのである。

今回の利ドレスが1988年の日系カナダ人の場合と違っている点は、犠牲になった現在の生存者が1人であること、最初から補償金や公式謝罪を求めていなかった彼女の意思を受け、ロビー活動をしてきたウクライナ系カナダ人コミュニティも補償や謝罪を求めてはいなかったことである。現在97歳になる彼女が唯一求めていたのは「カナダ人の記憶のなかにこの出来事が刻み込まれること」だった。

記憶を刻むこと。記憶を継承させること。これこそ、あらゆるリドレス運動が求めているものである。殺された人は2度と帰ってこないのだし、奪われた人生を取り戻すことは決してできない。その意味では、過去の非道に対する完全なる正義は究極的には有り得ない。唯一できることは、司法手続きによって加害者に法的責任を負わせること、そして、過去の不正を認めて記憶を後世に伝えていくという部分的正義の獲得に他ならない。

近年、リドレスを求める動きに追随して、過去を明らかにしようという運動が国際的に勢いを増しているように見える。旧ユーゴスラビア、およびルワンダのジェノサイドに対する国際戦犯法廷設置をはじめ、今年1月6日には、クー・クラックス・クラン(KKK)の元リーダーで、1964年に3人の公民権活動家を殺害したとされるエドガー・レイ・キルン(79歳)が逮捕された。また、チリ最高裁判所は少なくとも5000人の殺人・行方不明者の責任をもつとされる元独裁者アウグスト・ピノチェト(89歳)に対する免責を拒否し、裁判への道を開いた。

キルンおよびピノチェト裁判は、どちらのケースも事件からすでに30年以上の年月が経っているうえ、裁かれようとする人たちはいつ亡くなってもおかしくない年齢である。クランの元メンバーは「なぜ、今になって高齢者の過去を追及しようとするのか」とコメントしているし、ピノチェトは1998年『ニューヨーカー』誌のインタビューに答えて次のように述べている。「訴訟など終わりにしようではありませんか。最善の方法は黙って忘れることですよ。そして、忘れようとするなら、訴訟を争ったり、人々を刑務所に放り込んだりすべきではないのです。・・・重要なのは忘れることであり、双方が過去を忘れて今まで通り生活を続けることです」。

それは「なぜ、過去を水に流そうとしないのか」という、あらゆる記憶の継承に対する、リドレス運動に対する反論の核心にある問いである。キルン裁判前に繰り返しあらわれた、この同じ問いに対する答えとして、ジョージア州選出のジョン・ルイス連邦下院議員は次のように簡潔かつ的確に表現している。

「いくら時間がかかったとしても、不正をただし、正義をもたらすことには意味がある。そうすることで、われわれの社会では偏見や憎悪、不正や人権侵害は決して容認されないという協力なメッセージを、次世代を担うべき人々に送ることができるからだ」

過去を問題にするのは、現在、そして未来が問題であるからに他ならない。起こってしまったことは変えられないにしても、現在と未来は私たちの意識次第で変えられる。今回のウクライナ系カナダ人への公式謝罪は、記憶の継承への第一歩であるとともに、現在および将来のカナダ社会に正義という社会的インフラをもたらそうとする象徴的行為として、現在の私たちにも大きな意味を持っているはずである。

Friday, April 8, 2011

放射線量のめやす(Radiation Doses)

Globe紙Report on Business(April 6, 2011)より
単位:ミリシーベルト  1ミリシーベルト=1,000マイクロシーベルト

2.4: 人が1年間で平均に浴びる量
6.9: 胸部CTスキャン
50: アメリカの原発労働者が1年に浴びてもよいとされる上限
100: ガン発生率の増加
170-180:3月24日に福島で3人の作業員が浴びた放射能レベル
250: 福島第一原発で現在作業員が浴びてもよいとされる上限
350: チェルノブイリの住民が浴びた量
700: 2週間以内に嘔吐、髪の毛が抜ける
1000: 3月27日 福島第一原発2基の水中に検出されたレベル
3000: 生存率50%
6000: 1ヵ月以内に死亡。チェルノブイリ作業員が受けた量。
10,000:2週間以内に死亡

Wednesday, April 6, 2011

放射性汚染水を太平洋へ放出

Globe紙のRadioactive water dumped into ocean from Japan's crippled nuclear power plant によると、TEPCOと日本政府は、高度に汚染された放射性汚染水を海中に流しているという。以下、かいつまんで翻訳。

・4月4日月曜日の午後から、TEPCOは日本政府の了解のもと、300万ガロン(1ガロンは約3.8リットル)以上の放射性汚染水を太平洋に流している。
・「高度に放射能汚染された水が広がるのを避けるためのやむを得ない手段であり、申し訳ないと思っている」枝野長官
・政府の発表によれば、この放射性汚染水が周辺の魚介類の安全性に及ぼす影響はないという。
・土曜日(4月1日)に、放射性汚染水が海へ流れている割れ目を発見した。
・海水中の法的基準を超える放射能は過去数週間にわたって測定されており、月曜日の放射能レベルは以前と変わらないと報告されている。
・これまで海に流されてきた放射能汚染の低濃度の使用水でも、法的基準の500倍もの汚染レベル。

やはり「環境被害は国境を越える」。
もうここまできたら日本だけの問題ではすまなくなっている。日本から飛来した放射性物質はアイルランドでも、カナダ東海岸のニューファウンドランドでも発見されているし、ワシントン州のミルクからも放射性ヨウ素131が検出されたというし、今後、状況が悪化すれば、環境被害の国際的補償問題にまで発展する可能性だってある。

2010年5月、メキシコ湾でのBPのオイル流出事故でも、たくさんの人たちが激怒したが、今回は何せ高度に汚染された放射能汚染水だからオイル以上に海洋汚染は広がるし、被害は長期に及ぶだろう。あのときBPの対応は世界中から非難されたが、今回のTEPCOと日本政府の対応はそれを上回る非難を避けられないだろう。

チベット文化はあとどれだけ残されているのか「日系の声・Nikkei Voice」2005年5月号掲載

カナダのドキュメンタリー映画「What Remains of Us」Review
(ちょっと古くなりましたが、UPしておきます)

世界のなかで1つの国が消えようとしている。それに対する武力蜂起でもあれば新聞記事にもなろうが、チベットの人々は精神的指導者であるダライ・ラマの教え「非暴力」を実行しているため、その文化は文字通り音もなく消えようとしている。

 カナダ人監督によるドキュメンタリー「What Remains of Us」は、チベット人亡命者の両親を持つカルサング・ドルマがダライ・ラマによる五分間のビデオ・メッセージを手にチベットの人たちを訪れ、その反応を描いている。消えつつあるチベット文化は、あとどのくらい残っているのか。すべてのシーンがその問いに対する答えを垣間見せてくれる。

 この映画は大きな危険と背中合わせで撮られている。中国政府の支配下にあるチベットでは、ダライ・ラマ(インドへ亡命)の存在を示唆したり、彼の写真を所有することは禁じられており、発見されれば「人権」という言葉が意味をなさない収容所へと送られる。ラサ市内には至るところに中国人兵士が配置され、建物の上に設置されたカメラが人々のあらゆる行動を監視している。ふと思い出したが、1988年にチベットを旅したとき、中国の軍用車に詰め込まれて連行されるチベット僧を何人も見た、とこっそり教えてくれた旅行者がいた。プロの写真家の彼にはいつも中国人ガイドが動向していた。

 こうした状況下で半世紀を過ごしてきたチベット人は、ナレーターが言うように「ごく身近な人以外には誰もが他人を信用しない」。そのチベットで、カルサング・ドルマは両親の知人や寺院、遊牧テントを訪れ、ダライ・ラマのメッセージを届ける。ポータブル・ビデオを前にして、人々は極度に神経質な表情を見せる。画面にあずき色のローブを着たダライ・ラマが現れると、多くの人たちが手を合わせる。それまで曇っていた表情に希望のかけらが見える。涙を浮かべる人たちもいる。メッセージが終わると、ビデオの前に進み出て、頭を下げて拝む。ドルマが彼らに感想を求めるが、多くが声にならない。相当の人々がダライ・ラマの帰還を求め、中国政府に対する不満や怒りをぶつける。なかにはダライ・ラマの「非暴力」に懐疑を挟む声も出される。

 ダライ・ラマのビデオ・メッセージはこうだ。平和を愛する心と非暴力はチベットの文化であり、この文化は暴力にあふれた現代の世界に大きな示唆を与えてくれるはずだ。このチベット文化を守ってほしい。一方、ドルマはこう自問する。「多くのチベット人は国が失われつつあるのは彼らの祈りが足りないせいだと思っている。しかし、実のところ祈っているばかりだから国を失おうとしているのではないか」。
 
 一九五〇年、中国政府はチベットを武力併合し、以降、多くの中国人を入植させてチベット文化の同化政策を進めてきた。その結果、現在、チベット人は自国のなかでマイノリティとなっている。チベット文化、とりわけその源泉である言語は旅行者ですら気付かざる得ないほど急速に消滅しつつある。中国語ができなければ就職できない。高等教育も受けられない。結果、親は子どもの幸せを願ってヘリテージ言語ではなく中国語を教える。家族のなかで、社会のなかで老人たち、チベット語を話す人たちが孤立していく。

 国際社会の反応に限っていえば、ダライ・ラマはたびたび国連にチベットのメッセージを届け、国際的指導者たちもことあるごとに中国の人権問題を非難してきた。にもかかわらず、中国が経済的派遣を握りつつある今、チベット問題をわざわざ持ち出そうとする政府高官はほとんどいなくなり、これまでチベットが単なる外交カードに過ぎなかった事実が露顕されつつある。

 このドキュメンタリーを見ながら私が思い出していたのは、かつて日本が行った朝鮮、台湾、中国などアジア各国の支配であり、イスラエルの入植者であり、オーストラリアのアボリジニであり、ルワンダのジェノサイドであった。夫はカナダやアメリカにおけるネイティブの人たちを思い出したという。そう、チベットの状況は特異ではないのだ。それは、プラトンが「国家」のなかで提示して見せたアンチテーゼ「正義とは強者の利益である」というむき出しの現実を思い出させる。そして、それを正当化するために用いられる人種差別のプロパガンダ。以前、ある中国人の友人は、鳥葬(死体を屋外に置いて鳥についばむのにまかせる)を例にとって「チベット文化は野蛮」であると何のためらいもなく言ってのけた。彼女が大学教授だったことがことのほかショックだった。一九九四年のルワンダに国連平和維持軍司令官として派遣されたロメオ・ダレア氏(現在はカナダ連邦上院議員)は、一生消せない記憶を刻印されたジェノサイドを目の当たりにし、以来、ことあるごとに国際社会の冷淡さを非難している。国連をはじめとする国際社会は、欧州の一端であるコソボには軍隊を送りながら、資源もなく黒人国家であるルワンダを見捨てた。あれから十年たった今、同じアフリカ大陸のスーダンで恐ろしく酷似した状況が繰り返されている。

 このような不正義に対して、What Remains of Usのなかで命をかけて語ることを了承したチベット人たち、二人のカナダ人監督、カルサング・ドルマの勇気と覚悟が際立って見える。この映画を見ようとする人は、映画館入り口で異例ともいえるセキュリティ・チェックを受けなければならない。ビデオやカメラによる撮影で中国当局が登場人物を特定することを避けるためである。

 映画上映後、カルサング・ドルマが会場からの質問に答えた。「映画に参加した人物の身の安全性を完全に確保できると思うか」。この問いに対して、彼女は確固たる口調でこう答えた。「私たちはある種の危険をおかしてこの映画を撮りました。そのことは私たち自身、そして登場してくれた人たちがちゃんと心得ています。チベットを取り巻く状況は映画に描かれていた通り、非常に暗澹としています。もはや危険をおかすことなく、私たちの文化を守ることは不可能だと思いませんか」。

 巨人ゴリアテに挑む小さな羊飼いダビデのストーリーは、いつも私の心をかき乱す。非暴力を特徴とするがゆえ、チベット文化はいずれ世界から消えてしまうのか。私たちはそれを黙って許すのか。世界からチベットが失われることは、ひとつの正義が失われることではなかろうか。あるいは、私たちの世界における暴力や武力の勝利を意味するのではなかろうか。

 なお、皮肉なことに中国のチベット抑圧は、チベット人ディアスポラを増加させ、結果としてチベット仏教は世界で最も急速に信者を増やしている宗教のひとつとなっている。