Sunday, June 5, 2011

ドイツの決断・日本の問題

5月30日、ドイツが原子力発電を中止するという発表をした。現在、ドイツは23%のエネルギーを原子力に頼っているが、それを2022年までにゼロにするというのだ。そのニュースをラジオで聞きながら、私は泣きたくなった。

ドイツといえば、福島原発事故が起こってすぐの3月15日、メルケル首相が国内にある17基あるうちの7つの原子炉を一時的に止めること、同時に今後の原子力発電の方向を再検討すると発表して、世界を驚かせたのだった。

その「再検討」の結果が先日の決定で、わずか2ヶ月間でこうした重要な対応を可能にしたメルケル首相のリーダーシップ・スキルには世界が脱帽したのではなかろうか。

このニュースを聞いた私の反応は、「日本にそれをしてもらいたかった」というもの。どうして日本でなく、ドイツだったのか。

今回の福島原発事故で、日本が世界に与えた「ショック」は計り知れない。英語圏のメディアを読む限り、そのショックの大部分は、原子力発電所設備の「ずさんさ」であった。原子力発電所の設備には老朽化と不備、素人の私だって、事故のあとで公開された制御室のなかの写真には驚いた。スタートレックかと思わせるような巨大パネルに巨大ボタンはあきらかに1970年代のものだった。事故を防ぐうえでは、原発では精巧さが何よりも重要であることは誰の目にも明らかであるのに、こうした原子力発電所の設備は世間の目から隠されたところにあるため(テロリズムを防ぐためにも)、誰もこんなに「お粗末な」ものが原発の正体であるとは思ってもみなかった、というのが実際のところではないか。

地球環境汚染問題、エネルギー資源の枯渇問題に直面し、世界は数十年前から原子力発電に希望をかけてきた。原子力発電は「クリーン」で、比較的小さな原料(ウラン)で巨大なエネルギーが生産できる、まさに夢のエネルギー開発法だと、原発にかかわるエンジニアをはじめ、たくさんの人たちが信じてきた。

しかし、その代償はひとつ事故が起これば放射能により長期的に環境を破壊するだけでなく、私たちが消費する食糧や水を汚染し、その汚染は国境を越え、地球規模で広がるという危険性であることが、スリーマイル、チェルノブイリといった過去の事故によって明らかになった。そして、今回のフクシマはたくさんの人が言うようにWake-up callだと思う。今までのやり方を再検討し、新しく目覚めるためのチャンスなのだ。私たちがそのWake-up callに直面して気付いたのは、エネルギー資源として原子力に頼るにはあまりに危険が大きすぎる、という事実ではないのか。これまで過去50年ほどの間、世界が信じようとしてきた原子力安全神話は今、ここに来て完全に破綻を見た。では、新しいエネルギー資源の開発に力を注ごうとするのが人間の理性というものではないのか。

“Germany is going to be ahead of the game on that and it is going to make a lot of money, so the message to Germany's industrial competitors is that you can base your energy policy not on nuclear, not on coal, but on renewables." 

これは、グリーンピース・インターナショナルの原子力アドバイザーシャウン・バーニーの言葉である。今後、世界は徐々に脱原発の方向を探りながら、同時にリニューアブル・エネルギーの開発に力を注いでいくことになるだろう。そうはいっても、世界では未だに「原発=唯一の依存可能なエネルギー源」と信じる人たちの数は多い。そうした現実を前に、世界に先駆けてリニューアブル・エネルギー開発を進めると宣言したドイツの果敢さと先見の明には目を見張るものがある。

どうしてそれが日本ではなく、ドイツだったのか。私はそれを今もずっと考え続けている。福島原発事故が起こって後、日本政府が脱原発宣言を出していたなら、世界は日本を再評価しただろうに。

どうしてそれが日本ではなく、ドイツだったのか。いろんな理由が考えられるが、その理由こそ日本をいろんな意味でダメにしている根本的原因だと私には思われる。