Sunday, December 26, 2010

Salty food, Public Health and Food Industry 誰が塩分を規制すべきか

外食をすると、あとでやたらめったら喉が渇いて仕方ないことがよくある。食事のときはほとんどSaltyだとは感じないのだけれど、こういうときレストランの食事にはどれほどの塩分が含まれているのかと、ちょっぴり恐ろしくなることがある。

統計によれば、平均的カナダ人の1日の塩分摂取量は3400ミリグラム。Public Healthが勧める大人1日の塩分摂取量は1500ミリグラムというから、カナダ人の多くが2倍以上の塩分を摂取していることになる。また、摂取される塩分の80%は加工食品、パッケージ食品から来ているといわれる。とりわけ缶スープ、シリアル、パンやドレッシングなどに大量に使われている。

この「塩分消費過多」の問題は、ここ数年、カナダの社会問題として取り上げられるようになってきた。食品産業に塩分規制を求める市民グループの活動なども、メディアで頻繁に取り上げられた結果、カナダ政府のなかにも今後は食品産業に規制を求めるための法整備を整えるべきだという意見も見られる。

塩分が社会問題化している背景には、いくつか要因がある。ひとつは、塩分摂取量が増えれば病気が増えるわけで、最終的にはPublic Healthの問題として戻ってくる点。さらにはカナダはUniversal Healthcare(国民の基本的医療費を国が全額負担する制度)制度を採用しているため、国民の病気が増えれば国の財政を圧迫する。それゆえに国民の健康管理に国が介入する必要があるという点が要因としてあげられる。

さらに付け加えると、企業に対する欧米人の見方も関係していると思う。オーストラリアの研究者Linda Cobiac(University of Queensland)が率いるグループが発表した研究結果には、”Food manufacturers have a responsibility to make money for their shareholders, but they also have a responsibility to society. If corporate responsibility fails, maybe there is an ethical justification for government to step in and legislate” (食品企業は株主に配当を与えるという責任があると同時に、社会全体に貢献しなくてはいけないという社会的責任も負っている。企業が社会的責任を負えない場合は、政府はこの問題に介入し、法整備を整える倫理的正当性があるだろう)というくだりがある。こうした考え方は日本人にはちょっとピンとこないかもしれないが、企業の社会への利益還元、社会的責任という問題はすでに欧米の市民のあいだではノームになっている。企業も社会の一員として責任ある行動を取るべき、という考えは、企業の価値を計る大切な指針となっている。

こうした理解に押されて、数年前から外食産業や食品産業では自主規制の動きが活発になってきた。マクドナルドやWendy’sなども塩分はもとより、脂肪分やカロリーも減らしているし、パッケージ食品にも減塩を謳い文句にした商品が増えている。

料理する側から言えば、お料理をおいしくしようと思ったら塩分を増やせばいい。私の作る野菜ポタージュスープやカリーだって、もっともっと塩分を増やせば、レストランで食べるようなおいしさになると思う。ただ、家族のことを考えるとそれを毎日はできない。子どもが生まれてからというもの、料理に塩を使うのをためらうようになった。最初は赤ちゃんのため、と思っていたけれど、それを3年も続けていると、そのうちに私たちの身体が「塩分控えめ」の食事に慣れてきた。ちょっとの塩分で満足できるように味覚が慣れてきたのだろう。その一方で、レストランの食事の塩分、スープ、パッケージ食品の塩分に敏感になってきた。

私たちの舌は慣れた味を「おいしい」と思う。トロントに来たころはカナダのチョコレートが「甘すぎてまずい」と思った私だが、今では日本のチョコレートの方が嘘っぽい味がするようで口にあわない。味覚は環境によって変化するし、時間をかけてコントロールできるのだということを、私は塩分抜きの食事を作る経験から学んだ。社会全体が「減塩」傾向になれば、長期的には個人の味覚も変えることができるだろう。

しかし、一方では市民のひとりひとりが塩分を取りすぎるとどういうことになるのかという理解をする必要もある。市民の健康を国が管理するということには、実は多くの問題がある。とくに、この影響のため、ここ数十年間のあいだ、自分たちの健康には自分が責任を持つ、という態度が国民のあいだから消えていってしまっているように思う。それは私たちが食生活を変えるとか、エクササイズをするとか、ものごとに対する態度を変えるとか、私たち自身が健康をコントロールするカギを握っているという理解がなくなっていったからではないか。健康が損なわれたら、薬や医師に頼ればいいという他人任せの態度になっているからではないか。

国民すべてが国によって基本的医療費をカバーされるUniversal Healthcareは、貧富の差なく同じ医療手当てを受けられるという社会福祉のアイデアとしてはすばらしいものだと思う。しかし、私にしてみれば食事の献立に気をつけたり、加工食品は買わないとか、そういう態度で生活している私たちの税金が、1週間に何度もマクドナルドのバリュー・セットを消費している人の医療費をカバーしなければならないのかと、腑に落ちない気分になることもある。

カナダの食品・外食産業は、2016年までにカナダ人の塩分消費を2300ミリグラムまでに減少させることを目標として打ち出したが、もちろんこれは法的規制を避けたいがための自主規制。どこまで本気で国民の健康を考えているかには疑問が残る。
ま、私は私でできることをやっておこう。

参考資料)The Globe and Mail, Nov. 2, 2010

Sunday, December 19, 2010

Giving Season

ハロウィーンが終わると、北米ではHoliday Seasonへの準備が始まる。デパートやショップの飾りつけもクリスマス一色となり、かの歌にあるようにThe most wonderful time of a yearをみんな心待ちにしている。
さて、12月という時期は、カナダでは最も寄付が増える時期にあたる(余談になるが、12月は自殺率が増える月でもある)。さまざまな社会福祉団体(Red CrossとかUnicefとかUnited WayとかSalvation Armyとか)のスタッフが街角で寄付を呼びかけていたり、新聞にもこうした団体が寄付を募る広告を載せたりする。そして、人々はこの時期をGiving Seasonと呼んで、お金を寄付する。

この背景にあるのは、もちろんキリスト教の影響。キリストが全人類のために犠牲を払ったとされる時期、自分たちも他のLess Fortunateな人たちに何か援助の手をさしのべようとするキリスト教徒の心理は、キリスト教徒でない私にも理解できる。

そして、もうひとつの背景としてあげられるのは、資本主義・消費主義、その裏にある深層心理なのではないか。一方では、家族や近しい人たちへのクリスマス・ショッピングをしながら、デパートにならぶ様々な富の象徴を目の当たりにする私たち。こうした環境にいて、自分たちがどれほど世界のわずかひとにぎりの富を手にしているかを再確認する。そして、一方ではメディアに流れる世界の貧しい子どもたちの映像を見ながら、わずかながらの罪悪感も感じている。そんなときに寄付という方法はその罪悪感を少しでも減らしてくれる最良の方法ともいえる。

北米では近年は経済低迷の影響もあって、個人の寄付は減っていると聞くが、それでも私の感じでは、日本人に比べるとカナダ人はよく寄付をする。お金を寄付するという形だけでなく、Fundraisingや、ボランティア(社会奉仕)という形でも一般市民がよく社会に貢献している。そんなところが私、かなり気にいっている。

Saturday, December 18, 2010

ホリデー時期限定! キャンディ・ケイン・アイスクリーム(bits Magazine掲載)

サンタ・パレードも無事終わり、ホリデー・シーズンに突入したようなので、今日はこの時期限定で登場するアイスクリームPC Candy Cane Chocolate Fudge Crackle Ice Cream(まあ、長ったらしい名前だこと!)について書いてみよう。

個人的には、ミルク濃厚、ハイ・クオリティのバニラフレーバー好みの私からすると、北米人は概して何かごたごたっと入っているアイスクリームがお気に召すと見える。

チョコレートチップは去ることながら、ナッツやキャラメル、チョコレートバーク、マシュマロ、Cookie Dough(これ、夫の好きな味なのだけれど、私、これには今も違和感を覚える。Doughでしょ? Dough!)が入ったアイスクリームは、子どもから大人まで大好きなフレーバー。

そして、この傾向をさらにパワーアップさせているのが、President’s Choice (Loblawsブランド)の”Loads of…”ラインではなかろうか。

北米スーパーマーケットのなかでも新商品開発にとりわけ力を入れているLoblawsだが、この商品ラインに私はいささか面食らってしまった。というのも、本来甘いアイスクリームだけでは飽き足らないとでも言うかのように、さらなる甘さを追求し、北米人の大好きなスイーツをごろごろっと入れている点が売り物なのだものね。

例をあげると、PC Loads of Mocha Almond Fudge Ice Cream、PC Loads of Pecan Butter Tart Ice Cream、Loads of Cookie ‘N’ Crème Ice Creamなど、ファッジやバター・タルト、ブラウニー、クッキー&クリームをはじめとする北米の代表的スイーツがアイスクリームの脇役どころか半分主役として活躍している。

こうして見ると、毎年、ホリデー・シーズン限定で登場するPCのキャンディ・ケイン・アイスクリーム(その名もPC Candy Cane Chocolate Fudge Crackle Ice Cream)が開発された理由もほぼ察しがつく。バニラアイスに、クリスマスに関連する北米的食文化(ペパーミント味のキャンディ・ケインの小さな粒、パキパキのチョコレート、緑と赤鮮やかなソース)を見事、織り込んで、見た目にもクリスマス気分を盛り上げている。

個人的には喜んで食べようと思わないが、実際に私の周りにはキャンディ・ケイン・アイスクリームの発売を今か今かと待っている友人がいたりする(ほぼカナダ人、ペルジアン1名)。毎年この時期、たがが外れたように甘いものに突っ走る消費社会を前に、ちょっぴり唖然とさせられている私だけれど、その友人たちと一緒にアイスクリームを愉しむホリデーを心待ちにしている。

Saturday, December 4, 2010

Who are you?

現在、私がカレッジ学生としてPracticumをしている場所でワークショップが行われた。
参加者は、1)白人カナダ人、2)アジア系カナダ人、3)メキシコ出身の移民、4)中国出身の移民の計4人。

自己紹介をしたり、ちょっとしたアクティビティをしたあとで、「第二外国語は話せますか」という質問に対して(多文化都市トロントではバイリンガルが大半)、2の人が「日本語を少しだけ・・・」と答えた。
それからしばらくして、4の人が2の人に向かって「あなたの英語にはアクセントがまったくないが、どうしてなのか」という質問を投げかけた。2の人は苦笑し、”I’m Canadian”と言った。

さらに、このワークショップにゲストスピーカーとして招かれていたフランス出身の女性が、2の人に向かって”You are a newcomer, too, right?(あなたも移民でしょう)”と言った場面があった。2の人は”No, I’m not”と言いながら、またまた苦笑していた。

これを見ながら、私は考えていた。人は見かけで判断するのだ、やっぱり。2の人は明らかにアジア系の容貌で(日系と韓国系のカナダ人と言っていた)、シャイであまり自分から話をするタイプではなかったので、会場にいた人の多くが「彼はアジア出身の移民に違いない」というAssumptionを抱いたに違いない。Assumptionのひとつは容姿(見た目、肌の色、髪や目の色)に関するもので、もうひとつは態度(口数の少なさ)だったのだろう。もちろん、私たちは見かけ(Appearance)で判断する、というより私たちはいつも情報を探っているのであるから、Appearanceからも何らかの情報を受け取ろうという態度を常に保っている。だから、たとえば「私がどう見えるか」は他人にとっては「私という人間」を規定する大きなひとつの基準となる。仕事や何かの面接に行くとき、きちんとした装い、清潔な風貌で現れるのはそのためである。

しかし、それをその場で口に出して言うか、あるいは相手に自分のAssumptionを確認するか、という段になると、人は大きく2つに分かれる。私個人の経験を言えば、多文化のなかに長年住むうちに、Assumptionを相手にぶつけないような術を自然に学んできたような気がする。私だって見かけで判断されてAssumptionをぶつけられたことがあるし(そして、それは全く気分のよいものではない)、それがあるからこそ2の人(アジア系カナダ人)について思いをめぐらせた。この人はこれまでどれほどたくさんの人から同じような質問を投げかけられてきたことだろう。その度に苦笑するしかない彼の心情を思うと、何だか非常にやりきれない。

というわけで、AssumptionがFactになるまではそのことについては口をつむいでおく、というのが私のやり方。一方では、Assumptionをぶつけられたときは(2の人のように)苦笑しながらやりすごすという仕方も学んだ。

どこにも書かれてはいないけれど、多文化のなかで快適に暮らすためのTipのひとつだと私は思っている。