Saturday, January 19, 2013

「原発事故が起こりうる」という想定

先日の京都新聞は、舞鶴市のある中学校で地震と原発事故が同時に起こったら、という仮定で避難訓練が行われたことを報じていた。
京都新聞より以下、記事の一部を引用

「舞鶴市大波下の若浦中では、地震と原発事故の複合災害を想定した訓練を初めて実施。生徒は内部被ばくを防ぐマスクを着け、コンクリートの校舎などに屋内避難した。

 高浜原発(福井県)の30キロ圏内にほぼ全域が含まれる同市は本年度、原発事故訓練を小中学校に義務づけた。

 舞鶴湾沿いの同中では大地震発生を受け、津波から逃れるために約160人の生徒が標高約40メートルの校舎3階に避難した。原発事故の情報が入ると、教員が医療用マスクを配り、バスでの避難を想定して体育館に移動。入口では放射性物質を取り除くため、手で服を払うように呼び掛けた。」
記事全文は以下のリンクで
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20130118000056

福島原発事故後、「原発事故が起こりうる」という意識がしっかり根付いてきた、ということは朗報であるが、それを承知のうえで「原発を稼働する」というあたりがやはり私には感覚的に解せない。
子どもたちは一体どういう気持ちでこの訓練を受けたのだろうか。
こうした訓練が学校で行われている地区では、親はどういう気持ちで毎日、子どもを学校に送りだしているのだろう。
市民として大切な子どもたちに不必要な不安を与える社会を許容していいとは到底思われない。

Saturday, January 12, 2013

ゴキブリ出現と今の私の心情

大半の人がそうだと思うが、私の人生でもゴキブリに好意を抱いたことなんか今までなかった。
それが、おとといは違ったのだ。
学校のトイレ掃除をしていたときのこと。
生徒が「キャ~!!」っと言うので行って見たら、ゴキブリがタイルの上をヨロヨロと歩いている。
そのゴキブリの姿を見たとき、まるで自分のようだ、と思った。
時ならぬ時に、奇妙な場所に出現し、周りに「キャ~!!」っと叫ばれる。
それって今の私の心情に似てはいないか?

思わず涙してしまった。

Friday, January 11, 2013

日本のカワイイは海外でもカワイイのか?

以下の文章は私もメンバーになっているトロント・ベースのthe group of eightのウェブサイトに寄稿したものです。トロント在住の気鋭日本人ライターによる興味深い文章がたくさん掲載されていますので、ぜひご一読ください!
http://thegroupofeight.com/

まず断っておくが、私はこの文章も、これまで書いた文章もすべて「日本人として」書いてはいないし、物心ついたときから自分が日本に住む思想的マイノリティであることを承知のうえで書いてきた。この文章もマイノリティ的立場から書かれた文章であるということを最初に断っておきたい。


 

 

















先日、ある国語の先生から「たとえば、カナダなんかでも日本のカワイイはやはりカワイイって思われるんでしょうかね」と聞かれた。そのときの教材が日本のカワイイ文化についてのものだということで、国語教育に熱心なこの先生は(ちょっとズレた感覚の)私のところに話をしに来たのだった。それを発端にいろいろと話をしておもしろかったのだが、ひとつ驚いたことは、概して日本人が「日本のカワイイ文化は海外でも十分、通用する」「日本のカワイイ文化は今や世界を圧巻している」と思っていること。


「え~っ!!」というのが私の反応で、その理由のひとつはトロントで日本のカワイイ文化がよく知られていたとか(ジャパン・ファウンデーションの中や、一部のオタク系、コスプレ系サークルは別として)、好感を持たれていたと感じたことはないし、もうひとつは私自身がカワイイ文化を「カワイイ」と思っていないからである。はっきり言って、日本のカワイイを「カワイイ」と思うのは精神年齢の低い人なんじゃないだろうか、というのが私個人の感覚である。



日々利用しているある私鉄が、夏ごろから電車の外側を女子高生が主役のアニメでペイントし、車内の広告もほとんどすべてをその特定のアニメとの「コラボ」を始めたときには驚いた。子どもなら喜ぶかもしれないが、大人の自分が通勤で、おしりが出るかどうかのスレスレ・ミニスカートをはき、金髪でパッチリお目々の女子高生たちの描かれた電車に乗らされる、ということが私には不快である。一方では、普通のおじさんがその電車の写真を撮っている風景などは何度も見たし、こんなことでグランピーになる私はごくごく少数派なんだということも承知している。でも、こういうことは日本でだから可能なんだという気もする。たとえば、トロントの地下鉄でこんなセクシストでロリコン趣味なアニメ電車など走らせようものなら、市民のすざまじい反対に遭うんではないか。



この現象は、日本の社会のある価値観を反映していると思われる。たとえば、よく知られているように、欧米式の育児では、赤ちゃんは赤ちゃんのときから自分の部屋で寝かされる。また、食事のときなどには子どもは大人の会話を邪魔しないように教えられる。あるいは、いつも子どもと一緒にどこへでも行くわけでなく、ときには子どもはベビーシッターに預けられ、カップルだけでディナーやコンサートに行くこともある。こう聞くと、多くの日本人は「大人中心で子どもがかわいそう」なんて思ってしまうが、欧米では「大人の領域=社会/ society」と「子どもの領域」は違うという前提ですべて納得されている。



西欧の論理では、子どもというのは「不完全なもの」で、子ども時代は「完全」である大人になるためのトレーニング期間であり、その間、大人の仕事は子どもが「完全」になるよう指導やサポートを与えることである。なので、子どもができないこと、許されないことがあっても当然だし、「大人の世界」と「子どもの世界」にはかなりはっきりとした線引きがなされている。こうした考え方は、ひとつにはユダヤ・キリスト教的な西欧社会の二元論的思想に基づいていると私は思っている。



一方、日本社会ではこの線引きが曖昧なので「子どもの世界」の領域のものが「大人の世界」に入ってくることがよくあるし、そういう社会で小さいころから育てば、大人になってマンガを読んだり、主婦がキャラクター・グッズを集めたりしていても、あるいはそういう人が周りにいても、案外普通に受け入れられるのだろう。



話を「かわいい」に戻そう。先の「欧米では日本人がカワイイと思うものをカワイイと思うか」という問いだが、さて、答えとしては「個人的な差があるので何ともいえない」ということになる。欧米にも日本のアニメ・ファンもいるし、グローバライゼーションと消費主義の影響で子どもたちもこれらを日常的に目にしている。公害が国境を越えるのと同様、カワイイ文化も世界中に波及しているのは事実である。



しかし、だからといって、どの国でも日本のように「子ども領域のカワイイ」が「大人の世界」である「社会/society」にも入ってきている、と考えるのは間違いではないか。このふたつの世界には日本以上に強固な壁が存在する、と私には感じられる。そう考えると、どうして女子高生アニメ電車が日本では可能で(可能どころか、喜ばれている)、たとえば欧米ではありえないか、ということが理解できるだろうと思う。