Wednesday, October 27, 2010

誰がFordを選んだのか?

10月25日、トロント市長選の結果、Rob Fordが正式にトロント市長として選出された。もちろん、私はがっかりきている、というか「誰がこんな人を選んだのよ?」と怒っている。

前にも書いたけれど、彼のアジア系市民に対する差別的コメント(彼は謝罪しなかった)、家族という価値に関しては非常に伝統的なキリスト教的価値を有する点、ライバルSmithermanへの差別的コメント(Smithermanは同性結婚をしている)、パブリック・スピーチのスキルのなさ(メル・ラストマンとどっこいどっこい)、Tax cutとSmall governmentを全面に押し出す保守・右派的立場などなど・・・、私にとってはまったく価値観の違う人なので非常に違和感を覚えている。

大手メディアはSmithermanとFordの激戦であることは認めていたものの、最後までRob Fordが市長として当選するとは予想していなかったような書き方に終始していたから、その点も興味深い。

トロントといえばカナダの最大都市。人口の半数が海外生まれで、厳密に限られた市内では、連邦政府の議員選で保守党からの議員は選出されないほど、自由党(伝統的に左派)のStrongholdとされていた。そのトロントで、洗練されているとは到底いえない右派のRob Fordが選出されたことは、一部の人たちには大きなショックだった。

トロントは右傾化をはじめたのだろうか(経済不況の影響?)
そして、いったい誰がRob Fordを選んだのか。

Globeによると、Fordを強力に支持したのは意外にも「working class immigrants」だったという。でも、Fordは「これ以上トロントに移民はいらない」というコメントで、カナダのオープンな移民政策には反対の立場をとっている。しかし、彼の言い方は「新しい移民を受け入れるよりは、すでに来ている移民の社会同化に力を注ぐべき」という、実に巧妙な言い方だった。こうした言い方に、移民の人たちも同意したのだろう。

さらに、前市長のDavid Miller(労働組合に強力なバックアップを受けていた極左市長)があまりに労働組合に甘かったことから、市民はその対応にかなりFed upしていて、その反動からFordが選ばれたとの見方も強い。とりわけ、ここ数年はマイルドな経済不況に陥っているカナダであるから、それも市民の心理に大きく影響を与えたに違いない。

市長選のあいだ、私が興味深いと思ったのは(それにカンカンに怒ったのは)、トロントのタミル語メディア(スリランカ系)が、「市長のパートナーは女性がふさわしい」と、明らかに同性結婚のパートナーとのあいだに養子もいるSmithermanのセクシュアリティを否定するコメントを流したこと。文化的なことなのだろうが、移民のなかには同性結婚を否定する人たちが少なくなく、こうした伝統的家族の価値観もフォード当選に好影響を与えたとも見れる。

とにもかくにも、フォードのプラットフォームは「減税」「節約」「小さな政府」といったネオコンサバティブ(ネオコン)のオンパレード。最近、世界中どこを見渡してもネオコン的アイデアがはびこっているが、それは非常に不快だし、心配でもある。社会福祉が切り捨てられ、公共組織の私有化へと道が開かれるのだろうか。ま、とはいっても、フォードが市長になったとしても、トロントの市議会議員の顔ぶれを見る限り、彼のイニシアチブがすべてすんなり通るとは思われない。要するに、トロント市政ではちゃんとCheck & Balanceが整っているのだ。このように、政治システムが高度に発達しているカナダだから、その点は私も安心していられる。

Sunday, October 10, 2010

Jane ElliottのEye of the Storm(どうやって差別を教えるか)

日本では高校で、トロントでは日本人学校で教師として働いたことがある。その経験、そして母親としての経験から、子どもに教えたい最も大切なことをひとつ挙げるとすれば、それは「自分および他者を尊敬をもって扱うこと」に尽きる。これは人間関係において最も大切なPrincipalだと私は思っている。それができなければ、子どもたちは友達あるいは他人をカテゴライズ、排除することを覚え、いじめや差別といった社会問題の担い手になる。

しかし、「差別やいじめをしない」ことをどうやって教えるか、という点になると、教師たちは「道徳」の時間をつかって長々と説教じみた説明をすることに終始している。

その点、アメリカの小学校教師ジェーン・エリオットのBlue Eyes, Brown Eyes ExerciseはProvocativeで私も最初にこのエクササイズについて知ったときは面食らった。

1960年代後半、マーティン・ルーサー・キング暗殺のニュースに触れて、ジェーン・エリオットは今まで考えてきた計画をクラスで実行することにした。それは、クラスの子どもたちを目の色によって2つに分け、最初は一方を「優れている」グループに、もう一方を「劣っている」グループとして故意に設定し、のちにその役割を逆転させることだった。それにより、子どもたちは実際に「劣っている」グループにいることがどういうことなのかを体験的に学ぶ、というものである。ちなみに、子どもたちはすべて白人で、今まで差別的に扱われた経験は皆無であったと思われる。

この様子を撮ったビデオを見るとわかるが、優劣をつけられた子どもたちは、自分のグループが課された役割を無意識的に担うようになる。たとえば、同じグループでも、「優れている」とされた日の学力テストのスコアは高かったのに、後日「劣っている」グループになったときには、低いスコアしか出せなくなっていた。さらに、優劣をつけられた子どもたちは態度にも変化があった。「劣っている」とされるグループの子どもたちは、一様にうつむいていたり、自信のない表情をしたり、恐れをあらわにしたりするといった態度にも、彼らの心理的ストレスが表れている。

このクラスでの実験の後、Jane Elliottは同じエクササイズを大人にも使うのだが、その結果は驚くほど衝撃的である(個人的には、涙なしではこの映像を見られない…)。Jane Elliottは「ほら、見てみなさい、あなたたち青い目の人はこんな簡単なこともできない」「さっき私が言ったことが分からないのね、やっぱりあなたは青い目だからね」「ま、青い目ならそれができないのも仕方ないわね」といった言葉で、一方のグループの自尊心をずたずたにする。

私たち日本人は差別されることがどういうことかを知っていると思っているが、実際に差別される側にたったことがあるだろうか。日本でマイノリティとして暮らす人たち、たとえば韓国・朝鮮系の日本人、白人以外の外国人、部落の人たち、ゲイ・レズビアンといった人たちがどんな経験を受けているか、私たちは知っていると思っている。しかし、実際にその立場に身を置き、その辛苦を味わったことがなければ、その「知っている」は、私たち個人的経験に束縛されたイマジネーション、表層的なイリュージョンに過ぎない。その点、私は海外で暮らす日本の子どもたちは、ある程度は差別といったものを経験しているのではないか、と思っている。そして、その経験を日本を差別のない社会にするために役立てることができるのでは、と思っている。ガンディーは、イギリス人社会に入ってはじめてインド人がどれほど差別されるかを知り、その自ら受けた差別の経験をはねかえす力をもって社会をよい方向に変えたのだ。

アメリカ社会でアフリカ系アメリカ人の、あるいはカナダ社会で先住民の人たちが年収や教育が白人のそれに比べて低いのは、彼らにだけ問題があるのではない。毎日の生活のなかで、周りから「劣等」の刻印を押されるような態度や制度に浸っていることで、「どうせ自分は・・・だから」とか「これができないのは自分が・・・だから」といった思いを無意識的に抱き、差別される側から抜け出せないスパイラルを作ってしまう構造面にも注目すべきである。自分が自らを規定できる自由を奪われ、周囲からのAssumptionやStereotypeによって束縛されることが差別の構造のなかに根づいている。それがどれほどDe-meaningなことであるかを身をもって知る、というのがJane Elliottのティーチング・ポイントなのである。

子どもたちにとっては、多少、過酷だとは思うけれど、彼らが学んだことが一生の教訓になったことは、10年後(だったかな)に同じ子どもたちが同窓会という形で集まり、当時の経験を語る後続のフィルムにははっきりと収められている。

過激ではあるけれど、教育者にとっては必見のフィルムだと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=_IilULqX1bY&feature=related
http://www.janeelliott.com/

Sunday, October 3, 2010

Teaching Empathy and Understanding through History

I would like to share my experience as a history teacher at a Japanese School in Toronto.

Japanese School of Toronto Shokokai is run by Toronto Japanese Association of Commerce & Industry and its goal is to give sufficient education for the children who will eventually return to schools in Japan. The classes are conducted in Japanese and many of the students’ first language is Japanese. The curriculum is based on the guideline of Japanese Ministry of Education. The students go to Canadian school 5 days a week and come to Japanese school every Saturday to keep up with their studies in Japanese.

While I worked at the school, I taught history and Japanese language to junior high school students for a 4 year period. I made a point of teaching my students about Japanese aggression in the Asia Pacific War.

Every year, there was at least one student who expressed verbally or in a written essay their experience of being disowned by one or more of their Canadian school classmates because of their Japanese nationality. I cannot forget their puzzled, upset, and somewhat guilty facial expressions when they confided this. When I asked them why their friends had stopped speaking with them, they replied that it was because “of what Japan did in Asia in the past.”

I made a point of filling in the details. After our discussion, I realized that although my students had been quite upset or hurt by the comments, they had done nothing. They did not know what to do. Most of them responded to their classmates with silence. They were confused and shocked since this was probably the first time they realized themselves as ethnic Japanese in a hurtful way.

These incidents made me think about the way I teach history. How can I teach history in a way that touches their experience as Japanese living outside of Japan? Learning the facts comes first. Then we did research through other materials in addition to the textbook. I often used documentary films whose impacts were usually significant. Through this framework, I wanted them to learn how the war started, and to recognize the role of racial discrimination in causing its tremendous horror.

Although Japan had looked to China and Korea as advanced cultures for a long period of time, the ideology of Japanese superiority became widespread among Japanese before and during the war. This led to many forms of discrimination against minorities within Japan and in the territories it occupied. I wanted students to make the connection between these policies and practices, and the large-scale horrors of Nanking and elsewhere. When the students see this with clarity, some of them are able to understand their own experience of exclusion in a new light.

In my opinion, these Japanese students living in Toronto are in a unique position—they are able to experience the effects of history in their own lives, in their own relationships, in a way that they might not be able to do within Japan, which is not as multicultural a nation as Canada. As painful as these experiences were for them, they gave us as a class the opportunity to move ‘beyond the textbook.’ Although it is important for textbooks to reflect historical facts accurately, facts themselves do not necessarily lead to the empathy and understanding that are necessary for reconciliation.

It is when we are touched by history on a personal level that we can find the motivation to take action. Being outside of Japan gave my students the opportunity to be touched by history in a way that I hope will allow some of them to be catalysts for change when they return.