Thursday, March 31, 2011

放射能汚染された食品の長期摂取について

3月28日付けGlobe紙の “Radioactive food is a slow-release health threat” (Dr. Shafia Qaadri)は、今後、日本の食品の安全性、それを消費した日本人口への長期的な健康への悪影響について警鐘を鳴らしている。

現在、原乳、ほうれん草などの野菜、花、飲料水、海水中への放射能物質混入が報告されているが、中国やアメリカ、カナダなどの各国は日本から入ってくる食料の放射能汚染を厳しく検査している。

Dr. Qaadriによれば、日本の放射能被害はまだまだ始まったばかり。とりわけ健康への被害が懸念されるのは、妊娠中の女性とその胎児(妊娠初期に最も被害があらわれる)、子ども、家系に遺伝系の病歴のある人。
医師としての自らの経験として、1986年にチェルノブイリ原子力発電所のあったプリピャチで双子を妊娠中の女性が、カナダに移住してきて子どもたちが5歳になったときに血液ガンの宣告をしなくてはならなかったと書いている。

もちろん、今回のフクシマ(今後、こういう表記になるだろう)は、今のところ、放射汚染に関しては低濃度ではあるが、放射性物質は年単位から1000年単位にわたって土壌や水といった環境に残留する。たとえば、放射性ヨウ素131は8日、セシウム137は30年、モリブデン99は20万年以上にわたり残留する。

こうした放射性物質に汚染された食品を体内に取り込むと、発ガン率の上昇へとつながる。よく聞かれた「直ちに健康に害を及ぼす値ではない」という言葉は、実のところ、長期的にじわじわと健康へ害を及ぼしている、ということだろう。WHOの報道官Gregory Hartlは、大気中の放射能にさらされるのと違い、放射能汚染された食品を繰り返し消費することの危険度ははるかに高いと指摘している。

Japan urges calm over food worries (Reuters)

ロイターズによれば、福島第一原発付近の海水の放射能レベルは上昇しており、原発から330メートル南では法的基準の4385倍もの放射性ヨウ素131が検出され、原発の土壌では猛毒のプルトニウムが検出されたという。

現在、日本政府は原発の周囲20キロを避難指示区域としているが、IAEA(国際原子力安全委員会)の避難区域を40キロへ拡大するべきだとしている。日本政府は現在その件を慎重に検討している。

また、ロイターズの調査によれば、日本政府およびTEPCO(東電)は、過去に原発の危険性を繰り返し軽視し、安全性に対する専門家の警告を意図的に無視してきたという。TEPCOは6基のうち4基は廃炉とすることを発表したが、破損した原子炉の廃炉は何十年にもわたる危険な作業となる。(抜粋して翻訳)

パニックになってるのは私なのか/パニックにならなくていいのか

どうやら日本に住んでいる日本人にとっては、私が不必要な心配をしていると映るらしい。海外の報道は原発ばかり取り上げている、と思っているようだ。東京に住む妹いわく「海外メディアは極端に悲惨な映像を流しているようだけど、東京にいる私たちは毎日いつもどおりに生活をしている」。

同じような意見は、先日JFで開催されたパネルディスカッションでも指摘されていた。「海外メディアは原発一点に的を絞った一方、日本メディアは国民の恐怖を煽らないようなバランスの取れた報道をした」
東京に住む外国人はパニックになってすぐに日本から去っていったけれど、日本人は冷静に対処した、という話は繰り返し耳にしている。

もちろん、私もそうであることを祈る。あとになって「いやあ、パニックになったのは私のほうだったね」と笑って言えればいい。でも、未だに福島第一原発の状況は刻々と深刻化し(今日3月31日CBCニュースでは、ワシントン州の牛乳に放射性ヨウ素131が検出されたという。原発付近には毒性の高いプルトニウムが漏洩していると示唆)、一方では柏崎・刈羽原発の放射能漏れまで報道され始めた。放射能被害の実態はまだまだ把握されていない。専門家は、フクシマ放射能被害があきらかになるまでには10年はかかると見ている(Dr. Shafia Qaadri)。

「日本は大丈夫。日本人は大丈夫」と楽観的なことを言うにはまだまだ時期尚早ではないか。とくに学者や専門家にはもっとdiligenceになってもらいたいと思う。

Wednesday, March 30, 2011

震災・原発事故に関する友人からのコメント

「家族は無事?」

当然、このコメントが最も多いのだけれど、私が「両親は広島に住んでいるから大丈夫」と言うと、話はすぐに福島第一原発事故に流れていく。カナダ人がいちばん知りたいのは原発のことだという感じは明らかにする。「ヒロシマ」と「フクシマ」は切っても切れない関係になったのだ!

「世界初の被爆国がなんであんなに大量の原発を持っているのだ? 非常に矛盾しているじゃないか」

この友人は今回のことがあるまで、日本が国内の電力需要の30%を原発でまかなっているということを知らなかったという。というか、被爆国日本が原子力発電を選ぶ、ということ事態、思いもつかなかったらしい。ヒロシマ・ナガサキでは被爆国として被害者側に立っていたが、今回のフクシマでは放射能物質による環境汚染で世界に放射能被害を与えた加害国となってしまった。何たる皮肉であろう。

「今回の地震で倒れた高層ビルは今のところなかったらしいが、それが非常な驚きだ」

これはウォータールー大学の助手をしているエンジニアの友人のコメント。以前も同じようなコメントを聞いた。彼の出身国イランも地震が多いが、M8以上の地震が来ればテヘランのほとんどのビルは倒壊するだろう、と言っていた。日本のインフラはすごい、ということなのだろう。

「あんな規模の地震が他の国で起こったら、被害は日本の規模では済まされない」

というのも聞いた。この人は、地震に対して最も準備周到な日本だからこそ、被害の規模はそれほど大きくなかったのだと言う。

「なんで原発を津波被害の可能性のある沿岸地域につくっているんだ?」

私も知らなかったのだけれど、あとで調べたら、発電のために出される蒸気を冷却する必要があり、冷却のために海水を使っているかららしい。しかし、排水や廃棄物を捨ててたり、もしものことが起こった場合に海に投げ込めばいい、という感じで作っているのではないか、と私はなんだか非常に危険なことを想像したりもする・・・。

「日本では活断層の上に原発がつくられているらしいが、どうして(そんなばかなことをしているん)だ?」

というのも本当に困る。ちなみに( )内は彼の口調から、こういうことを言いたいんだろう、という私の推測。これは、きっと新潟の柏崎・刈羽原発のことだろうと思うが、それは2007年の事故の後、はじめて明らかになったとか。 そう言うと、今度は、

「それはきちんと調査を最初にしていなかったからだ。日本は安全基準が高いと言われているのに・・・」

ということになって、ふたりしてお互いの無言を耐えるしかなかった・・・。

「略奪がまったくないのは驚きだわ」

これは2005年のハリケーン・カトリーナ(アメリカ)の際の略奪を強烈に覚えているフィリピン系の友人のことば。

「忍耐強く配給の食糧を待ったり、日本人は冷静に極めて秩序正しく対応していると聞いている。日本はCivilizedな国だ」

海外メディアはこの点をステレオタイプを煽るかのように報道してきたと私は思うし、それは、日本人という国民に対して彼らが以前から抱いていたステレオタイプにぴったりと合致したことで、こうした面が余計に強化されて伝えられたのだと思う。読者や視聴者もそれを喜んで受け入れたし。こういうポジティブなコメントを手放しで喜んでいる海外在住の日本人もいるが、こういうステレオタイプの危険性には注意すべき。

Monday, March 28, 2011

頭を下げる東電幹部

おととい(3月26日)のToronto Star紙の「読者の声」欄に、「日本のような断層が数多くある国で原子力発電に力を入れるのはおろかなことだ」というのを目にした。「おろかな」にはStupidという強い言葉が使われていた。

今日のStar紙には、東電幹部が頭を下げて謝罪している写真が掲載されていた。東電は、これから、多額の損害賠償、廃炉の費用、刑罰などで経営上まわっていかないだろう。しかし、10年しか使えない原子炉を40年にもわたって使ってきた東電には、一体、経営上のリスク・マネージメントなどまったく存在しなかったのだろうか、と不思議に思う。企業経営者であれば、事故が起きたときはどうなるのかをシュミレーションし、そのうえで経営上の計画に生かしていく必要があると思うのだが、そういうことをまったく考えてこなかったのだろうか。経営者として、そんなことがありえるのだろうか。

また、これも25日付けToronto Star紙で読んだことだが、今回の原発事故によって次のようなことが懸念されるとあった。

・今後、日本全土で世代を追ってガンの発生率が上昇する可能性
・奇形児が生まれる確率が高まる可能性
・何十年、何百年にわたって土壌汚染や水質汚染が続き、それを食べ続けた消費者には健康への被害がおよぶ可能性

1986年のチェルノブイリ事故の結果、周辺地域は360年間は人間が住めない状態になっている。「風向きによっては日本全土がInhabitable(住むことが不可能)になる可能性もある」ともどこかで読んだ。

この責任を誰が取るつもりなのだろうか。幹部が頭を下げたくらいでは到底済まされない。

Friday, March 25, 2011

東電の犯罪

BBCのウェブサイトから拾ってきた情報。
2240: American investigative journalist and Japanese crime expert Jake Adelstein writes in his blog that: "the Japanese police are quietly beginning an investigation into TEPCO, the managing entity of the Fukushima Nuclear Reactor for charges of professional negligence resulting in death or injury." He says the investigation is still in its early stages and that nothing is official yet.
ソース) http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-12307698

耐久年度10年の原子炉を40年も使ってきた結果は、「事故」ではなく「犯罪」として扱われるべし。

CBCのウェブサイトで見た福島第一原発1号基のコントロール・ルーム(制御室?)の写真
http://www.cbc.ca/news/world/story/2011/03/25/japan-nuclear-plant-core.html

まるで1970年代? スタートレック? スイッチボード? 未だにこんな古いものを使ってたなんて・・・。

専門家の無責任さ-これは事故ではなく犯罪である

先日、国際交流基金で行われたThe 2011 Earthquake in Japan: The Reality and Insights into Recoveryと題するパネル・ディスカッションで、デイビッド・ウェルチ(ウォータールー大学教授)は、原発はクリーン・エナジーであると強調したうえで、「日本が今回のことで原発をやめ、他の電力ソースに頼れば、より大きな被害が出る」と主張していた。
 
最近、この手の議論をよく聞く。「原子力発電はCo2を大量に排出する石炭、日々環境汚染を引き起こしているタールサンドなど他のエネルギー資源に比べると、はるかにクリーンである」とか、「原発は事故さえ起こらなければ他のエネルギーソースより安全」という主張は、原発推進論者のみならず、環境保護アクティビストのなかにも聞かれる。

しかし、それは短期的に見て、という意味において有効な理論に過ぎない。核廃棄物の処理をどうするか、ということになると、専門家ですらまったくどうしていいかわからない。それが何百年にもわたって環境を汚染するのである。それに、原子力発電所付近に住んでいる住民にどれほどの長期的な健康への被害が出るのか、ということも実は一部しか知られていない。それに、原子力発電所で大量に使用された排水は海に流されているそうだが、それが「付近の住民」のみならず、世界的規模で健康への影響を与えているのかといった結果はまだ誰も知らない。

このように、原子力発電は非常に新しい技術であり、それが環境や人間の健康に与える影響についてはまだまだ研究不足なのである。

それなのに、私が聞いていて気分が悪いのは、専門家などがあたかも自分だけは真実を知っています、というかのごとくに今回の原発事故(これを「事故」と呼ぶのは間違っている。事故ということばを聞く人に「原因不明だし、仕方なかったんだ」と思わせるための操作であると思う。はっきり「犯罪」だと言うべし)は「大丈夫」だとか「日本はすばやい復興を果たします」といったような、本当に無責任な言い方をしていることだ。JFでのパネルディスカッションに招かれた3学者(添谷芳秀氏、田所昌幸氏、木村昌人氏)がまさにそうだった。会場からの出された「放射能被害を受けた人たちに対するサポート」を懸念する質問に対し、田所氏は「今のところ、ただちに放射能被害を受けた被曝者はいない」と実に楽観的な見解を示していてあきれたが、その2日後のGlobe紙で、「2名の作業者が被曝」という記事を読んだ私には、この学者たちの無責任さに東電の記者会見していた人たちの顔がだぶってみえた。

インタビューなどされると、彼らは専門家だから、誰も「私にはわからない」とは言わない。でも、本当のところは、全体図をつかんでいる人はひとりもいない。チェルノブイリの事故だって、結局ことが明らかになったのはずいぶんと後になってからであるし、それだって未だに全体図がつかめているわけではない。結局、ことが終わってからでしか、被害の大きさや将来への影響などといったことは分からない。以前、ブログに書いたように、真実は誰も知らないのに、知ったかのようなことを述べたり、さらに悪いのはその上で「大丈夫、安心しなさい」と市民をだまくらかす輩のいかに多いことか。そうやって、東電をはじめ、地方の電力会社は周辺の住民をだましてきたことで、多大な利益をあげてきたわけだし、今回の「大犯罪」を犯した東電が、今後、また企業として生き残っていけるのなら、日本社会は狂っているとしか言いようがない。

震災のニュースを海外で日々耳にしていた私は、最初、深い悲しみに胸が張り裂けるようだった。被災した人たち、特に親を失った子どもたちのことを思うと、涙が流れてきた。
でも、今は違う。海外メディアを日本メディアの報道と合わせて読んでいると、憤りの感情が深く頭をもたげてきた。とくに、私には専門家といわれる人たちの無責任さが何よりも頭にくる。

「原子力はクリーンだ」「安全基準を上げれば、安全性に問題はない」という専門家は、いまはまだ生まれていない後世の世代に核廃棄物と地球環境汚染という恐ろしい遺産を残そうとしているのだ。また、「予想を超える」事故が起こったときに、「不幸にも」周辺に住む人たちのいのちなど、気にもかけていないのだ。その無責任さはどこからくるのか。

私たち市民は、こうした無責任な専門家のことばに耳を傾けて、この世紀を超える大犯罪に加担するのか、責任ある市民として行動を起こすのか。今、私たち市民ひとりひとりにその問いがつきつけられている。

Friday, March 18, 2011

日本政府と日本赤十字は海外からの寄付金を必要としていない?

現時点(March 18, 2011)で、各チャリティー団体に集まった日本への寄付金・援助金(Japan Relief)は以下の通り。
Canadian Red Cross $7.7 million
Oxfam, Care Canada, Save the Children $ 330.000
World Vision Canada $ 800.000(目標は3 million)

以上のように、カナダでは今回の日本の地震・津波の被災者に対して多くの寄付金・義援金が集まっている。しかし、今日のThe Globe and Mailには「日本政府や日本赤十字は海外からの寄付金を必要とはしていない」との記事が掲載されていた。(Are charities taking advantage of the urge to help Japan?  http://www.theglobeandmail.com/news/world/asia-pacific/are-charities-taking-advantage-of-the-urge-to-help-japan/article1946825/)

記事の内容を要約してみる。
- 「Red Crossは日本の災害のために集めた寄付金を他のプログラムにまわしている可能性」を示唆
- 「日本が海外からの寄付金を必要としているようには思われない」(Elie Hassenfelt、Co-founder of GiveWell-NYベースのNPOでチャリティー評価をしている団体)。その根拠として、①日本政府の災害救助プログラムが高度に発達している点、②現時点で、日本政府は113ヶ国が援助を申し出たにもかかわらず、わずかに14件のみを受け入れている点、③日本赤十字も未だに国際社会に援助を呼びかけてはいない。日本赤十字は「この時点で外部からの援助の必要はないと判断している、点を挙げている
- Red Crossや他のチャリティー組織は、Disclaimerにもかかわらず、今回日本のために集まった寄付金は日本の災害へ充てると主張している

というように、最終的にはRed Crossほか、他のチャリティー組織も、今回日本のために集まった寄付金は日本へまわすと言っているが、気になる点を1点。

日本政府をはじめ日本赤十字までが海外からの援助(義捐金)を断っている、というふうに記事を読むと取れるが、「日本が海外からの寄付金を必要としているようには思われない」とメディアを通してカナダの人たちに思われては大変だと思う。

寄付金・義捐金は、今後、何年、何十年にもわたって必要になるだろう。被災者の方たち、親を失って孤児になった子どもたち、福島原発付近の避難民の人たちにとって長期にわたって金銭的補償が必要になるのは明らかである。

「日本赤十字はこの時点で外部からの援助の必要はないと判断している」のソースは不明だが、日本政府の代表(大使館、領事館)、あるいは日系コミュニティの代表あたりが「寄付金は被害者にとって必要」という主張をカナダのメディアに向けてしてほしいと願っている。Globe紙のコメント面に、在カナダ日本大使館の石川大使から、カナダの市民への謝礼メッセージとともにその点を主張して載せると効果的ではなかろうか。

同時に、日本赤十字も同じように海外への寄付金の呼びかけ、謝礼メッセージなどのメディア作戦を行う必要があると思われる。

Thursday, March 17, 2011

New York Timesの記事Fukushima Crisis Worsens as U.S. Warns of a Large Radiation Releaseによれば・・・

Jaczkoの査定に基づいて、在日本アメリカ大使館は、福島第一原発の周囲50マイルに住むアメリカ人に避難通知を出した。日本政府の避難通知は、原発から12マイルに住む住民に対してだされている。

US official says threat greater than Japan has acknowledged(The Globe and Mail, March 17, 2011)要約

アメリカ政府関係者の原発危機の危険に関する査定は、日本政府が報告している以上に高い。

Gregory Jaczko(アメリカ原子力規定委員会US Nuclear Regulatory Commission)によれば、4号機内にある使用済み核燃料を貯蔵するプール内の水は、ほんの少量か、全く失われた状態であり、燃料棒が露出しているか放射能を大量に放出している可能性が高い。そのため、原発近辺の放射能濃度は事情に高く、適切な手段をとることを困難にしている。

この後、Takumi Koyamada(保安院報道官)は、4号機のなかの水は失われていないと主張。
Duncan Howthorne(オンタリオ州Bruce PowerのCEOおよびThe World Association of Nuclear Operatorのカナダ支部代表)は、もし水が失われていれば、周辺の放射能レベルは非常に高いはずであるとしJaczkoの「水がまったく失われた状況」に対しては疑問を呈している。

水曜日夜、Jaczkoは先の主張を繰り返した上で、日本政府の委員会もプール内に水のないことを確認したという。また、東京電力と政府高官もこの点を確認し、周囲の放射能レベルが高いために作業に当たれない旨を伝えたという。

木曜日朝にはヘリコプターによる水の投下が始まった。最悪のケースは、作業員が全員退去させられ、燃料棒と使用済み燃料の入ったプールでメルトダウンが起こり、放射能物質の大量放出へとつながることだ。

Wednesday, March 16, 2011

放射能被害の心配

(CBC News報道March 16, 2011 一部引用してざっと翻訳)

一方で、原子力安全・保安院は、1号機の燃料棒の70%が損傷していると推定している。
また、共同通信は、2号機の33%の燃料棒が損傷を受け、1、2号機ともに部分的に溶けていると信じられていると報じた。

原子力安全・保安院の報道官Ohgoda Minoruは「損傷の状態は不明。溶けている可能性もあるし、中にいくつかの穴が開いている可能性もある」と言っている。オーストラリア在住の核問題安全専門家ジョン・プライスは、日本政府が情報をほとんど共有していないことに驚いている。「何が起きているのか、何が問題だったのか、何がうまく行っていないのかといった基本的な情報がないので、我々は推測に頼るしかない。2時間ごとに専門家パネルを招くなどするべきなのだが・・・」。

放射能のレベルを見る限りでは、市民の健康にはリスクはほとんどないが、ボディスーツと防毒マスクで作業に当たっている作業員に対する危険性が気になると言う。政府は原発周辺に住む14万人の住人に屋内から出ないようにとの命令が出ている。東京でも少量の放射能が観測され、食料や水を買い込む人たちでパニックが生じた。

科学万能主義の危険性

今朝NHKを見ていたら、福島第一原発近隣に住んでいた住民が「緊急避難マニュアルはあったのか」との質問に「そんなものは見たこともない」、「東電からは事故など絶対に起こらないから、と言われていた」と答えていた。原発付近の住民が緊急事態を想定したマニュアルを渡されていなかった事実には度肝を抜かれたが、それと同時に東電や政府に対して非常に強い怒りを感じた。

「科学万能主義」ともいえる学者や専門家たちのことばを、今後はしっかりと監視するべきだと思う。当地の新聞を読む限りでも、個人的な意見としても、日本の科学技術の基準の高さは疑いがないだろう。とはいえ、どんなに技術レベルが高くても、人間の能力や技能には限界があるということを忘れ、たくさんの市民の命を犠牲にしかねない危険な政策を推し進めることは絶対にあってはならないと思う。

真実を知っているのは誰か

原発事故、放射能被害に関して、どの情報を信じていいかわからないというのが、非常に大きな不安の源になっている。私が見る限り、概してNHKや政府、東電から流される情報より、海外メディアを読んでいる方が危機感が高くなる気がする。たとえば、昨日のGlobe紙では、プリンストン大学物理学者のHippel教授のコメント-事態はすでにスリーマイル島原発事故をはるかに超えている-と報じていたが、NHKに出ていた大阪大学の教授は「スリーマイルには至っていない」という言い方をしていた。

「一体、誰を信じればいいの?」とNHK番組で誰かが言っていたが、この時点では、誰一人として「真実」を知ってはいないだろう。記者会見している東電の役員だって、官房長官だってこの状況を断片的に知っているだけだ。昨日、CBCラジオでカナダ人専門家が言っていたように「今回の福島第一原発事故・被害の全貌が明らかになるまでには1年、いやそれ以上の年数がかかるだろう」。

現在、私たちにできるのは1つのメディア・ソースだけでなく、できるだけ複数のソースにあたることだと思う。その情報に基づいて、各自が状況の判断をする以外にはない。

厚いコンクリートの外壁が放射能の深刻な漏洩を防ぐだろう

Toronto Star 紙(March 16, 2011)から抜粋、ざっと翻訳

地震被害を受けた日本国民にとっては、原発のメルトダウンに関する心配度は低い、とカナダ人放射能専門家は言う。

東京電力福島第一原発からの深刻な放射能漏れの危険性は、一連の爆発や3基の燃料芯が溶融している事実にもかかわらず、そんなに高くはないだろう。

「今回の地震被害では、被爆は健康に対する被害という意味では大きな意味を持たない」とトロント大学教授で、Southern Ontario Centre for Atmosphere Aerosol Researchの代表を務めるグレッグ・エヴァンズ教授は言う。

3つの原子炉の濃縮ウランを冷却するポンプを動かす電力がなければ、電力を発電するために使われる燃料は溶ける可能性が高いとエヴァンズ教授は言う。溶ければ、それを囲んでいる20センチの鉄製の容器も溶け、床に落ちる可能性がある。

1979年のスリーマイル島原発で起こった事故はまさにそうしたケースだったが、動かなくなったバルブによって1基の燃料が過剰に熱を持つことになった。

しかし、スリーマイル島と同様に、福岡第一でも、過剰に熱を持った核燃料が床の上を通して地下で完全に溶けた「チャイナ・シンドローム」になる可能性はほとんどないだろうとエヴァンズは言う。

その理由は、福岡第一の原子炉は、1メートルの厚さのコンクリート壁で囲まれているからだ。これにより、崩壊したウランから落ちる分裂によってできる危険物質を原子炉のなかに留めることができるわけである。コンクリートを通して溶ける可能性はない、ということだ。

一方で、1986年のチェルノブイリでは、爆発が施設の屋根を吹き飛ばし、封じ込めておくための構造が消滅した。さらに、後続する火事によって原子炉の放射能は大気圏へと拡散し、放射能を帯びた雨によって何百キロにも及ぶ範囲に広がった。

万が一、封じ込めるための建物に裂け目があったとしても、今週の爆発をみれば、チェルノブイリよりは危険度の低い放射能漏れとなるだろう。

マクマスター大学の放射物専門家ジョン・ルクサトは、最悪のシナリオでも最も危険な放射物は、原発付近にたまるものと見ている。

Tuesday, March 15, 2011

「事態はすでにスリーマイル島原発事故をはるかに超えている」Frank von Hippel (プリンストン大学教授・物理学者)

背筋が凍るほど恐ろしい記事・・・。The Globe and Mail (March15, 2011) 記事一部翻訳して引用

当初の政府の発表では、損傷は部分的で、核燃料の冷却を目的とした海水注入の緊急対処を続行するということだった。しかし、電力会社によると、実際には状況はコントロールが不可能な状況で、施設で作業に当たっている作業員や技術者の全員が、過剰な放射能漏れを避けるために敷地内から退去する必要がでてきたと発表した。

作業員全員が原発の現場から退去すれば、3つの原子炉の核燃料はすべて炉心溶融に至る可能性が高く、その結果、放射能物質を大量に放出することになるが、そうなると25年前に起こったチェルノブイリ以降、最大規模の事故になる可能性が高い。

(略)

仮に炉心溶融が避けられたとしても、日本政府が取れるオプションは限られているが、そのどちらもは到底よいオプションとは言えない。ひとつは、原子炉への水の注入を継続し、排出される蒸気を外に逃すことであり、この蒸気が東京をはじめとする関東方面から日本の西部、あるいは日本の北部から朝鮮半島ではなく、太平洋上へと吹く風にあおられることを願うことである。

もうひとつは、過剰な熱が冷却をはじめ、数日間のうちに炉心の温度が下がった時点で、格納庫内の放射能活動を封鎖するという方向へ動く可能性である。この場合、発電所の再使用は今後ありえない。両者ともに非常なリスクを抱えている。

日本政府の発表では、過去の原発事故との比較はなされていないが、放射能汚染ガスおよび放射能物質の放出量は測定不可能であるという事実-これらはすべて炉心が少なくとも核燃料が部分的に溶けることによる損傷を裏付けている-が、原子炉冷却の努力に非常な緊張を付加している。

「事態はすでにスリーマイル島原発事故をはるかに超えている」とプリンストン大学教授で物理学者のフランク・フォン・ヒッペル教授は言う。「現時点で最も懸念される危険は、炉心が完全に溶融し、蒸気による大爆発が起きる可能性だ」。

The Globe and Mail (March15, 2011)の記事:福島原発事故

(途中より)
日本政府は、爆発に必要な酸素がないため原子炉の炉心爆発の可能性をかなり控え目に言っている。しかし、格納容器中に酸素が入るわずかな割れ目があることも考えられ、最悪のシナリオの可能性は現時点では否定できない。

さらに怖いのは、原子炉の爆発が隣接する他の原子炉に飛び火する可能性である。こうした場合には、1986年のチェルノブイリ被害を超える被害、つまり歴史上例をみない最悪の原発核事故の可能性が考えられる。放射能に汚染された物質は、原発周辺20キロの範囲に堆積され、放射性ガスの拡散は、風向きによっては日本上空から朝鮮半島まで、北アメリカ大陸西海岸にまで及ぶ可能性もある。
しかし、専門家の多くは、放射能被害拡散の健康に与える影響は限られていると主張している。

日本政府は、今回の福島原発事故は、周囲の建物がなぎたおされ、原子炉の操業中に爆発が起こったチェルノブイリとは比較にならないとの説明を続けている。しかし、原子炉の中心部で爆発が起これば、あきらかにパニックと健康への長期的影響に対する危機感が高まることになる。

チェルノブイリ原発事故では、直接的死亡者は28人、放射能による被爆のため消防士や緊急救急専門家の間接的な死亡者は106人、さらに近隣住民における甲状腺ガンの原因になったケースは6000人にものぼる。

しかし、最近出された国連によるチェルノブイリ原発事故の健康に関する研究結果では、これらの甲状腺問題は、放射能汚染された草を食べた牛から産出された牛乳が原因であるとされた。これらのガン発生は、政府が早期に汚染された牛乳の危険性を警告していれば防げたわけである。同研究結果は、健康に対する被害はそれ以上の証拠は見つからないとしている。

危機感が違うの?

今朝のCBCラジオによれば、バンクーバーなどの西海岸では日本の福島原発爆発による放射能漏洩の危惧から、薬局などの店頭からヨウ素がなくなっているという。

カナダの大手新聞もチェルノブイリに比類する(あるいは超える)原発大事故の可能性を示唆している。

しかし、NHKを見る限りではそんな感じもなく、東京で取材にあたっている海外メディアが伝えるように「日本人は非常に冷静を保っている」といった感じに見られる。このギャップは一体、何なのだろう。

最も怖いのは放射能漏れ・被爆。仮に私が東京に住んでいればすぐにでも逃げると思うのに、妹に電話してみれば「子どもの学校もあるし、夫は仕事だし・・・」とのこと。学校や仕事に行っているような場合ではないのでは? と思うのは、カナダの報道を聞いているからなのだろうか。どうも気になる。

Monday, March 14, 2011

今回の地震と放射能被害の危険性

金曜日の朝(カナダ東部時間3月11日)キッチンに行ってラジオをつけたら、地震のニュースが耳に入ってきた。いつものように「今回は日本かも・・・」という懸念が一瞬のうちに脳裡にひらめき、その瞬間に今聞いているニュースが日本の地震のニュースであることを知って愕然とした。ラジオのキャスターの声から、今回の地震が半端ではない規模であることが伺えた。しばらくして、マグニチュードが8.9であること、そのうちにトロント在住日本人で岩手出身の知人の短いインタビューも流れ、家族の安否が確認できないというコメントとともに事の重大さが露呈しはじめた。私も東京に住む妹一家と、広島の家族としばらく電話連絡がとれなかったが、メールで安全が確認され、一時的にほっと胸をなでおろした。

現在、東北・太平洋沖大地震から日が経つにつれ、カナダを含む海外メディアは放射能漏れ・被害へとフォーカスを移している感がある。日曜日夕方(13日)には、ホワイトハウスの報道官が「ハワイ、アラスカ、アメリカ全土およびアメリカの西海岸は現在時点では、危険なレベルの放射能にさらされることはないだろうと推測している」という発表を流している。しかし、Toronto Star紙の記事によれば、人体に危害が加わるほどの放射能は現在では探知されていないが、微量の(人体に害のない)放射能漏れの可能性は否めない、とも読める。原発関係者は原子炉に海水を注入し、放射能に汚染された蒸気を大気圏に放出しているが(つまり放射能は大気へ流出している)、避難している20万人の住民が家に帰れるのはかなり長い時間がかかるであろうとしている。もうひとつの可能的シナリオとしては、風向きによっては、海の方向ではなく首都圏をはじめとする都市部へと放射能汚染のマテリアルが拡散することも考えられると報告している。

今回、一連のニュース報道を見ていて思うのは、自然災害は不可避だが、防ぐことのできたこと(原発事故、放射能漏れ事故)を防いでこなかった人たちの責任は非常に重いということだ。地震国の日本で原子力開発を進める危険性に関しては長年にわたって懸念が表明されてきていた。それにもかかわらず、石油にかわる代替エネルギーとして原子力開発に力を注いできた人たちは、今回の事故に対し、どう責任を取るのだろうか。

日本が世界有数の地震国であることは日本では誰もが知っている。「いつ、何時に」という正確な予知は不可能でも、これまでも東海地方での地震の起こる確率の高さは、専門家から聞かされ続けていた(とりわけ高いのがM8.1の東海地震の危険性86%)。それにもかかわらず、政府と東電、経済産業省などが一体となって、過去30年間にわたって原子力に依存したエネルギー政策を進めてきた。スリーマイル島原発事故(1979年:炉心部分が冷却水不足のために溶けて爆発に至ったという、現在の福島原発と同じ構造の問題)およびチェルノブイリ原発事故(1986年)などにより、それまで石油に代わる代替エネルギーとして原子力発電を進めてきた先進各国では、原子力発電のリスクの高さに、原子力依存をやめ、他のクリーン・エネルギーの開発へと方向転換するなか(スウェーデン、ドイツでは原発を断念、アメリカでは過去20年以上にもわたり新規の原発はつくられていない)、日本とフランスは積極的に原子力開発をすすめてきた。近年になり、フランスでは高速増殖炉(プルトニウムを原料とする)の開発からは撤退し、実質上、日本のみが世界の原子力発電開発を進めてきた(54基)。

現在、日本は総発電量のうち約30%を原子力に依存している。政府は2017年までにはこの数字を引き上げて40%の依存率を目指しており、10年以内に12基を設置しようと取り組んでいる(現在、開発中の新しい原子炉2基は福島原子炉と同じデザイン)。

なぜ原子力なのか。それは、原子力が燃料の単位質量あたりのエネルギー発生量が大きいという長所があるからだ。安全性の問題では不安が残るが、それを何とか隠して安全性よりも経済性を優先してきたといえる。一方では、日本は世界の原子炉市場の主要プレーヤーである点も見逃せない。東芝はアメリカを基盤とするWestinghouseを所有しているし、GEと日立は協同で原子炉開発に取り組んでいる。

原発の安全性の問題が指摘されたときには、政府は「万一の事態には、緊急冷却装置が作動し、大事故には至らない」の一点張りを通してきた。しかし、今回の地震による福島原発への影響はどうだろう。緊急冷却装置は作動せず、炉心の水位が現在では急激に下がっている。
日本政府は「原発事故は絶対に起こらない」という立場から、1999年にマイナーな原発事故が起こるまで「緊急安全対策マニュアル」さえ作成していなかった。こうした科学万能主義ともいえる考え方は、一部の科学者の間に浸透しているが、今回をはじめ、チェルノブイリ、スリーマイル島など、こうした原発事故の被害に何度も直面しても、その強い信念は崩れないほど原理主義化しているのだろうか。

地震と原発事故が引き起こす惨事の可能性については専門家から警告が発せられていた。今回、日本が今回の地震を通して考えねばならないことのひとつは、今後のエネルギー問題をどうするかということだ。今後も、危険性の高い原発開発を進めていくのか。石油の可採年数は40年を切っている。天然ガスも約60年ほどだ。こうした可採年数の限られたエネルギー資源以外の無限エネルギー資源へと日本のエネルギー政策を転換する必要がある。それぞれに課題はあるにしろ、水力発電や風力発電、太陽熱発電などにもっと研究費を投入し、真剣にエネルギーの転換をはかることだ。経済性よりも国民の安全性を優先させなければならない。一方で、原発は首都圏および都市部への電力の供給を目的として、海岸沿いの村などに設置されているが、この構図には非常な矛盾を感じざるをえない。8割以上のエネルギーを輸入に頼っている日本では、エネルギーをどう供給するかと同時に、どうしたら省エネルギーで生活が送れるのかという点も議論されるべきだろう。

地震が起こって以降、日本人以外の知人のなかには、「日本が原発開発に積極的に取り組んできたということを今回知って驚いた。原爆の被害を受けた日本で、原発が促進されていたというのは皮肉なことだ」といったコメントをした人たちが何人かいた。言われてみれば、確かにそうだとしか言いようがない。報道によれば、すでに何人かが原発事故によって命を落とし、住民の被爆被害の可能性もでている。今後、放射能漏れ・被爆の被害がこれ以上広がらないことを心から願いながら、国民の間でエネルギー問題に対する真剣な議論が起こることを期待してやまない。

Tuesday, March 8, 2011

International Women’s Day

今日3月9日は国際女性デー。
1911年、ドイツの政治家クララ・ゼトキンの提唱により国際女性デーが設定されて今年は100周年目にあたる。Globe紙の女性コラムニスト、ステファニー・ノレンとマーガレット・ウェンテの記事を読んで、この100年の間に女性の地位が向上したかどうかに対する答えは、私たちがどこに住んでいるかで大きく変わってくることを改めて考えた。

ウェンテの主張するように、西洋社会に暮らす女性にとって「女性のための権利の闘い」は勝利に終わっている。大学で学ぶ学生のうち、女性は半数を超え、弁護士や医師の学位をとる女性もほぼ同数である(成績という観点からいっても女性の方が優秀)。これまで女性の社会的地位向上に尽力してきたおもに女性のおかげで、ここカナダでは明らさまな制度的差別はなくなった。一方、ノレンの記事にあるように、発展途上国の多くの女性はいまだにレイプやセクシュアル・ハラスメントといった性的差別の恐怖に今もさらされている。

この2本の記事を読んで思うのは、制度的差別とは別の形で女性に対する差別が世界中どの地域に住んでいようと(比較的、先進国はその程度は低いが)いまも存在すること。
女性の権利向上を目指すクララ・ゼトキンには、3つの目的があった。1. 女性に政治的決定権を与えること(選挙権など)、2. 女性の経済的平等(同じ仕事に対して同じ賃金を払うなど)、3.自分のことを自分で決める自由(職業や結婚相手の選択など)。こうした女性の権利は制度を変えることで獲得できるものだが、程度の差こそあれ、世界中の女性が日々直面しているのは別の種類の差別だと思う。
たとえば、カナダでは女性の4人に1人がレイプあるいは性的暴行の被害にあっているといわれる。この数字は子どもがいる家庭ではとりわけ重くとらえられるべきだ。男の子の親ならば、子どもを加害者にしないような、女の子の親ならば子どもを被害者にしないような教育をしなくてはならない。さらに、戦争が起こると決まって女性がレイプの危機にさらされることは、歴史を学べば明らかだ(南京戦における日本軍による中国女性に対するレイプは歴史上、最も残虐な例のひとつ)。もっと身近な例でいえば、女性の権利に関しては世界で最も進んだ国のひとつであるカナダでも、子どもの養育という意味では女性の負担が明らかに大きい。
歴史のなかで連綿と引き継がれてきた女性に対する構造的な差別があるような気がしてならない。

一方、私の母国を考えてみると、性差別に限らず、さまざまな差別が制度的にいまだに現存している。性差別に限っていうと、最もひどい差別のひとつは、女性が結婚と同時に夫の名前に改名しなくてはならない制度に違いない。数週間前、Globe紙の片隅でこの名前に対する差別に反対する数名が裁判を起こしたという記事を読んだが、「えっ、まだこの制度が温存されてたの?」と驚いた。外から見ると「何とひどい差別!」と見えるが、日本国内で女性たちの大半がこの制度に疑問を感じていないなら、「なんで名前を変えるのが差別なの?」という状況では、それは差別という問題には発展せず、もちろん状況は変わらない。

もうひとつついでに言うと、日本の痴漢問題に極端にあらわれるような女性に対する差別問題は日本人として恥ずかしい。電車に痴漢がうようよいたり、変態が変態的なことを普通にしていたり、下着泥棒がいたりする日本の状況は、10年間カナダで暮らすとひどいとしか言いようがない。また、本屋で誰の目にもオープンになっているポルノ雑誌の類やつり革のポルノ写真にも、日本の女性たちがなぜ目をつむっているのか、私には非常に疑問である。ああして女性が軽視・蔑視されるような映像に日常的に接していることと、電車に痴漢がいることが、彼女たちには関連づけて捉えられないのだろうか。

女性に対する差別撤廃は、女性が構造的・制度的差別に気付くことからしか始まらない。女性が状況に甘んじている日本の状況では、変化はまだまだ先のことだと思われてならない。