Monday, March 14, 2011

今回の地震と放射能被害の危険性

金曜日の朝(カナダ東部時間3月11日)キッチンに行ってラジオをつけたら、地震のニュースが耳に入ってきた。いつものように「今回は日本かも・・・」という懸念が一瞬のうちに脳裡にひらめき、その瞬間に今聞いているニュースが日本の地震のニュースであることを知って愕然とした。ラジオのキャスターの声から、今回の地震が半端ではない規模であることが伺えた。しばらくして、マグニチュードが8.9であること、そのうちにトロント在住日本人で岩手出身の知人の短いインタビューも流れ、家族の安否が確認できないというコメントとともに事の重大さが露呈しはじめた。私も東京に住む妹一家と、広島の家族としばらく電話連絡がとれなかったが、メールで安全が確認され、一時的にほっと胸をなでおろした。

現在、東北・太平洋沖大地震から日が経つにつれ、カナダを含む海外メディアは放射能漏れ・被害へとフォーカスを移している感がある。日曜日夕方(13日)には、ホワイトハウスの報道官が「ハワイ、アラスカ、アメリカ全土およびアメリカの西海岸は現在時点では、危険なレベルの放射能にさらされることはないだろうと推測している」という発表を流している。しかし、Toronto Star紙の記事によれば、人体に危害が加わるほどの放射能は現在では探知されていないが、微量の(人体に害のない)放射能漏れの可能性は否めない、とも読める。原発関係者は原子炉に海水を注入し、放射能に汚染された蒸気を大気圏に放出しているが(つまり放射能は大気へ流出している)、避難している20万人の住民が家に帰れるのはかなり長い時間がかかるであろうとしている。もうひとつの可能的シナリオとしては、風向きによっては、海の方向ではなく首都圏をはじめとする都市部へと放射能汚染のマテリアルが拡散することも考えられると報告している。

今回、一連のニュース報道を見ていて思うのは、自然災害は不可避だが、防ぐことのできたこと(原発事故、放射能漏れ事故)を防いでこなかった人たちの責任は非常に重いということだ。地震国の日本で原子力開発を進める危険性に関しては長年にわたって懸念が表明されてきていた。それにもかかわらず、石油にかわる代替エネルギーとして原子力開発に力を注いできた人たちは、今回の事故に対し、どう責任を取るのだろうか。

日本が世界有数の地震国であることは日本では誰もが知っている。「いつ、何時に」という正確な予知は不可能でも、これまでも東海地方での地震の起こる確率の高さは、専門家から聞かされ続けていた(とりわけ高いのがM8.1の東海地震の危険性86%)。それにもかかわらず、政府と東電、経済産業省などが一体となって、過去30年間にわたって原子力に依存したエネルギー政策を進めてきた。スリーマイル島原発事故(1979年:炉心部分が冷却水不足のために溶けて爆発に至ったという、現在の福島原発と同じ構造の問題)およびチェルノブイリ原発事故(1986年)などにより、それまで石油に代わる代替エネルギーとして原子力発電を進めてきた先進各国では、原子力発電のリスクの高さに、原子力依存をやめ、他のクリーン・エネルギーの開発へと方向転換するなか(スウェーデン、ドイツでは原発を断念、アメリカでは過去20年以上にもわたり新規の原発はつくられていない)、日本とフランスは積極的に原子力開発をすすめてきた。近年になり、フランスでは高速増殖炉(プルトニウムを原料とする)の開発からは撤退し、実質上、日本のみが世界の原子力発電開発を進めてきた(54基)。

現在、日本は総発電量のうち約30%を原子力に依存している。政府は2017年までにはこの数字を引き上げて40%の依存率を目指しており、10年以内に12基を設置しようと取り組んでいる(現在、開発中の新しい原子炉2基は福島原子炉と同じデザイン)。

なぜ原子力なのか。それは、原子力が燃料の単位質量あたりのエネルギー発生量が大きいという長所があるからだ。安全性の問題では不安が残るが、それを何とか隠して安全性よりも経済性を優先してきたといえる。一方では、日本は世界の原子炉市場の主要プレーヤーである点も見逃せない。東芝はアメリカを基盤とするWestinghouseを所有しているし、GEと日立は協同で原子炉開発に取り組んでいる。

原発の安全性の問題が指摘されたときには、政府は「万一の事態には、緊急冷却装置が作動し、大事故には至らない」の一点張りを通してきた。しかし、今回の地震による福島原発への影響はどうだろう。緊急冷却装置は作動せず、炉心の水位が現在では急激に下がっている。
日本政府は「原発事故は絶対に起こらない」という立場から、1999年にマイナーな原発事故が起こるまで「緊急安全対策マニュアル」さえ作成していなかった。こうした科学万能主義ともいえる考え方は、一部の科学者の間に浸透しているが、今回をはじめ、チェルノブイリ、スリーマイル島など、こうした原発事故の被害に何度も直面しても、その強い信念は崩れないほど原理主義化しているのだろうか。

地震と原発事故が引き起こす惨事の可能性については専門家から警告が発せられていた。今回、日本が今回の地震を通して考えねばならないことのひとつは、今後のエネルギー問題をどうするかということだ。今後も、危険性の高い原発開発を進めていくのか。石油の可採年数は40年を切っている。天然ガスも約60年ほどだ。こうした可採年数の限られたエネルギー資源以外の無限エネルギー資源へと日本のエネルギー政策を転換する必要がある。それぞれに課題はあるにしろ、水力発電や風力発電、太陽熱発電などにもっと研究費を投入し、真剣にエネルギーの転換をはかることだ。経済性よりも国民の安全性を優先させなければならない。一方で、原発は首都圏および都市部への電力の供給を目的として、海岸沿いの村などに設置されているが、この構図には非常な矛盾を感じざるをえない。8割以上のエネルギーを輸入に頼っている日本では、エネルギーをどう供給するかと同時に、どうしたら省エネルギーで生活が送れるのかという点も議論されるべきだろう。

地震が起こって以降、日本人以外の知人のなかには、「日本が原発開発に積極的に取り組んできたということを今回知って驚いた。原爆の被害を受けた日本で、原発が促進されていたというのは皮肉なことだ」といったコメントをした人たちが何人かいた。言われてみれば、確かにそうだとしか言いようがない。報道によれば、すでに何人かが原発事故によって命を落とし、住民の被爆被害の可能性もでている。今後、放射能漏れ・被爆の被害がこれ以上広がらないことを心から願いながら、国民の間でエネルギー問題に対する真剣な議論が起こることを期待してやまない。

2 comments:

  1. 省エネルギーで生活を送るには・・・
    国民もそれぞれ「使いたい放題」のエネルギーを少しずつでも減らすしかないのでは、と思う。
    でも、国民に「快適便利な生活」をあきらめる覚悟があるか?
    生活のレベルを落とすのは、なかなかできることではない。
    でも、これは日本に限った話では実はないはず。
    エネルギーを好き放題使っているのは、先進国ならどこも同じで、その結果が地球温暖化であったりするわけだから。
    しかし、こうした問題に一石を投じるには、今回の事態は深刻すぎるね。

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  2. 省エネルギーで生活を送るには・・・
    国民もそれぞれ「使いたい放題」のエネルギーを少しずつでも減らすしかないのでは、と思う。
    でも、国民に「快適便利な生活」をあきらめる覚悟があるか?
    生活のレベルを落とすのは、なかなかできることではない。
    でも、これは日本に限った話では実はないはず。
    エネルギーを好き放題使っているのは、先進国ならどこも同じで、その結果が地球温暖化であったりするわけだから。
    しかし、こうした問題に一石を投じるには、事態は深刻すぎる。

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