Thursday, June 25, 2009

北米キャンプに欠かせないステイプル・フード:スモア・アイスクリーム(bits Magazine掲載)

ペルー出身の友人ホセが、今年初めてキャンプに行ったと言う。概してカナダ文化に批判的なホセも、ブルース・トレイルのキャンプはお気に召したようで、「これからは毎年夏に家族でキャンプに行くことに決めたよ」と語ってくれた。
元山岳部員の私としては、アップダウンのない道を歩くのは多少退屈ではあるが、山なしのオンタリオでは致し方ないということで、毎年8月になると夫とともにキャンプにでかけていたものだ。

普段は甘いものには見向きもしない夫が、キャンプに行くとなると調達してくるのがマシュマロ。あれをキャンプファイヤーのまわりで焼いて食べるんだよね、カナダ人は。近くから折ってきた木の枝にマシュマロを突き刺して、キャンプファイヤーの火にかざしている子供たち(と大人)の風景は、日本人の子供がキャンプファイヤーのまわりで「燃えろよ、燃えろ」を歌うのと同じくらい典型的な風景である。直火にかけられ香ばしく焼けた表面、柔らかくクリーミーになった中身のコントラストが何とも言えないらしい。
そして、その極めてシンプルな「焼きマシュマロ」をアップグレードしたのが「S'Mores Ice Cream(スモア・アイスクリーム)」であって、焼けたマシュマロととろけるチョコレートをグラハム・クラッカーでサンドウィッチにしたゴージャスなバージョンである。やはりキャンプのステイプル・フード「スモア」は、「(Have) some more?(もう少しどう?)」に由来する名詞で、あまりのおいしさについつい手が出てしまうという意味なのですって。

というわけで、このスモアをアイスクリームにすれば、平均的カナダ人の心をがっちりつかむに違いないと考えるマーケッターがいても不思議ではない。クッキー&クリームに似た、どこまでも甘いキャラメル味。確かに北米人が好きそうな味である。

私たちにとって8月の恒例行事だったハイキングにキャンプ。「ベイビーが生まれた今年からはそれも断念せねばならないわ」と言った私に、カナダ人の知人は「僕なんて0歳からキャンプに連れて行かれてたらしいよ」と語った。幼児を乗せたカート付き自転車で町中を走るカナダ人を初めて見たときのような驚愕と畏怖の念を覚えたね、あのときは…。

まったりした至極のスプレッド:ババガヌージュ(bits Magazine掲載)

トロントの日本語マガジンbits Magazineに連載中のフードコラム「謎のフードアイテム」の転載。

今回は初回ということで、大好きな中近東料理について書いてみよう。日本では中近東料理なんて食べたことのなかった私だが(だいたい、そんなレストランは見た覚えがない)、今ではクッキング・コースを取ろうかと思うほど中近東料理への思いは深刻化している。中近東料理のすばらしさを一言で言うならば、ナスやオクラといったどこにでもある野菜を、トマトペーストやハーブ、スパイスをふんだんに使うことで、奥行きのある極上の一品として仕上げることだと思う。

その最もよい例がババガヌージュである。「近頃、ヤッピーなパーティーに行くと、これが必ずアペタイザーとして出されている」と言われるように、ここ数年トロントのヒット商品として、大手スーパーでも簡単に手に入るようになったババガヌージュ。材料は、ナスとタヒーニ(100%ごまペースト)、オイル、ガーリック。ほらね、本当にどこにでもある材料であることがお分かりいただけるだろう。見た目は、まるでビーチの砂を固めただけのようだし、「ラベルの‘ババ’がちょっとあやしい…」などとあなどってはいけない。
とにもかくにも、ババガヌージュを一口ふくんでみてほしい。そのまったりとした食感はまるでベルベットのよう。味はといえばスモーキーなナスの風味が幾層にも重なり、野菜とは思えない奥深さに「レバーのパテみたいだ!」と言ったフランス人もいたとか。とはいえ、材料と同様、作り方も至ってシンプルである。ナスを丸ごとオーブンで焼いて、中身をマッシャーでつぶす。あとはタヒーニ、オイル、つぶしたガーリックを混ぜ込んでピュレーにするだけ。「なるほどね、だからほんのり焼きナスの味がするのね」と思われることだろう。野菜スティックやピタパンにつけてアペタイザーとしてもいいし、ライ麦パンにたっぷり塗り、グリルしたマッシュルームやカリフラワーなどをはさむと、売りに歩きたくなるほどグルメなサンドができあがる。

Saturday, June 20, 2009

 「歴史を見る目」を養うために

 (「日系の声/Nikkei Voice」2009年6月号掲載)
2009年1月号『日系の声』に書いた「日本の歴史と海外に暮らす子どもたち」に対しては読者からさまざまな反応が出された。以下はその後もう一度私の書いた記事の転載。


 歴史上のある事件に対してはさまざまな解釈が存在する。子どもたちに歴史を教える立場にある者は、この点を念頭に置いた上で子どもたちが自ら歴史を学べるよう導く責任がある。
 私の記事(「日本の現代史と海外に暮らす子どもたち」年末号)の要点はその1点に集約される。
年末号が出版された後、数人から私の文章に対するコメントを受けた。驚いたのは、彼らが、私の歴史観をそれぞれが受け取りたいように受け取ったことであった。たとえば、ある人は「最近、トロントの学校でも中国や韓国寄りの偏った現代史観が広がりつつある。(あなたが言うように)それに対して日本人の血を引く子どもたちにしっかりとした歴史を教えておくことは親の使命」と言い、またある人は「子どもたちが冷静に対応できるよう(あなたの言うように)南京大虐殺や従軍慰安婦問題などは何を置いても教えるべき」とコメントしたのである。
 本誌日本語編集長の田中氏が指摘するように、私の文章は「何を教えるべきか」について自分の「立場をはっきりと示していない」。先述の異なるコメントが出てきた理由はそこにある。子どもたちに、南京大虐殺は「まぼろし」、あるいは捏造であると教えるのか。千人斬りに参加した元兵士の証言、元従軍慰安婦の証言を教えるのか。しかし、私個人の歴史観を示し、それに反する立場の見方を「感受性に欠ける」と指摘するのは私の本意ではない。いや、それどころか、それこそがポイントなのだ。
 私たち大人は、とりわけ太平洋戦争関連の事件に対し、かなり確固とした「歴史観」を持っている。それは対峙する歴史観の前で簡単に揺らぐようなことはない。親であれ教師であれ、大人の私たちが歴史を語るとき、そこにあるのは私たちが取捨選択したナラティブである。「しかし、完全に中立な立場で歴史を教えることは不可能ではないか」。以前、同僚の歴史教師はそう言った。私の考えでは、いかなる歴史観であれ、それらを子どもに教えることに問題はない。問題なのは、そのひとつの歴史観のみを提示し、それだけが「正しい歴史」であるというメッセージを子どもたちに送ることである。
 私たちは自らの歴史観を認識しているだろうか。異なる立場の人が語れば、歴史は違った歴史になることを忘れず付け加えているだろうか。歴史が「悪用・誤用」される可能性を伝えているだろうか。その背後にはどんな理由があるのかに考えを至らせるような工夫をしているだろうか。原理主義者と同じ穴の狢にならないためにも、こうした問いは非常に重要である。
 さらに、子どもたちが、教える私たちとは違った歴史観を選びとる可能性を受け入れなくてはならない。歴史を学ぼうという意欲のある子どもは、いずれさまざまな立場の歴史観を学びながら、あちらこちらで「事実」を学び、自らの考えに修正を加えたうえで、最終的に「このあたりで落ち着ける」と思える歴史観を獲得していくものだ。それは、必ずしも最初に私たちが示した歴史観と同様とは限らない。しかし、そこから展開するのは、自由な意見を持つ者同士の議論である。歴史を見る目は、実にそうした一連のプロセスのなかで養われる。
 私の記事に対する投稿記事は、いずれも「日本人はキライ」コメントに直面した子どもに「何を教えるべきか」という問いに対するそれぞれの回答であると受け取った。私に関して言えば、「何を教えるべきか」以上に大切なのは、子どもたちの歴史を見る目を養うことである。具体的には、歴史的事件への複数の解釈を具体的に挙げながら、彼らが自らの手で歴史を調べ、自らの言葉でその結果を語るまでのプロセスを導く。こうしたプロセスを経ることで、子どもたちは異なる意見に対する寛容性を学び、「日本人はキライ」コメントに直面した際には自らの言葉で理性的に意見交換ができるものと信じている。

Friday, June 19, 2009

日本の歴史と海外に暮らす子どもたち

(『日系の声/Nikkei Voice』2009年1月号掲載)
 トロントの日本人学校で教えていたとき、生徒がクラスのなかで不意に発したり、書かせた作文に現われる同一のエピソードがあった。「現地校(カナダの学校)でクラスメイトから、過去にアジアでひどいことをした日本人は嫌いだから君とは口をきかない、と言われた」というものである。そう言う子どもたちは、困惑したような、悲しいような、怒ったような複雑な表情をしていた。
 その話題が持ち上がるのが授業やホームルームであれば、同じような経験がある人はいるかと尋ねた。すると、半分ほどが手を挙げるのだが、その挙手の仕方がまるで自分が悪いことをしたかのような仕方で、じっと座っている生徒のなかにも同じような経験をしている生徒がいるのだろうと思わずにはいられなかった。その度に、まだ幼い表情の彼らが感じたであろう痛みを思い、胸が痛んだ。
 カナダの学校に通う日本人の生徒(日本生まれ、カナダ生まれを問わず)のなかに、こうした苦い経験をする子どもたちが少なからずいることに、私たち大人は敏感である必要がある。そして、こうした経験に対し、どう反応したらよいのかを考えさせておくことは、彼らを守るべき立場にいる私たち大人の義務だとも思う。「日本人はキライ」コメントを耳にしたとき、子どもたちに教えておきたい点を三点に絞って挙げてみたい。

1.一般化の危険性
「日本人はキライ」コメントが現われると、私たちはいつも授業を中断して、話し合いをしたものだ。まず、そう言われたときにどんな気持ちだったかを聞いてみることから話し合いは始まった。彼らは口々にこう応える。
「いやな気持ち」「悲しい」「腹が立つ」
 感情はパワフルだし、そのときに感じた感情は、今、こうして再びそのことを思い出すだけでもよみがえって来るようで、数人はそう言いながら本当に怒ったような、つっかかるような表情をしていた。次の「どうしてそんな気持ちになったんだと思う?」という質問には、手をあげた生徒のほとんどが「僕は何もしていないのに僕が悪いことをしたかのように言われたから」と答えを出す。
 そのあたりをもう少し深く話し合ってみて、私たちが導き出した結論は「過去、日本が他国にひどいことをしたからといって、すべての日本人が凶悪な人間であると仮定するのは間違っている」で、これについては、ほぼ全員がすんなりと納得がいくようだった。次の「では、私たちも同じような一般化をして、友達や、まわりの人たちを判断してはいないだろうか」との問いには、「アジア人は数学が得意」「インド人は計算が得意」「黒人は運動能力が優れている」「ロシア人はよくお酒を飲む」といった答えが出されてくる。そして、ここで必ず数人が「ステレオタイプ」という言葉を教えてくれる。
 ある個人をグループの一員として一般化して考える際には、個人の感情を傷つける危険性がある。私たちの社会では、まず何よりも個人が優先されるべきであって、グループ分けをするときには個人の感情を害していないかを慎重に考慮すべきである点を教える必要がある。子どもたちが肌で感じた納得のいかない気持ちは、言われた人の個人としての資質を無視して、グループの一員として一般化して個人の個性が矮小化、あるいは無視されたことである。それを、一人ひとりが自分の気持ちを反省しながら気付き、たどたどしくはあるが自分のことばで表現する姿を見ていると、この苦い経験も人権についての大きな教訓になるだろう、と感じずにはいられなかった。

2.「正しい歴史」の落とし穴
 あるとき、他の教師たちに「日本人はキライ」コメントについて話しているとき、彼らも同じようなコメントを生徒から聞いたことがあると言った。その後の会話を聞いていると、「だからこそ、生徒が過去に何が起こったのかを堂々と相手に伝えることができるように、日本人として日本の正しい歴史を教える必要がある」という意見が大半のようだったが、私はこれには賛成しなかったし、今も賛成しかねる。
 過去に何が起こったかをできるだけ正確に教えることは必要だ。しかし、それと同時に必要なのは、さまざまな立場の人たちがひとつの「事実」をめぐってさまざまな解釈をする可能性がある点を伝えることだと思う。そして、このことは、とりもなおさず歴史を教えるべき立場の私たちが必ず念頭に置いておかねばならないことでもある。子どもたちは、昨日の夜のお父さんとの口論をお父さんから聞くのと、A君から聞くのとではまったく話が違ってくる、という簡単なエピソードで、その点を納得していたものだ。
 「カナダの太平洋戦争に関する歴史教育は偏っている」「中国や韓国の歴史観は偏っている」という言葉を子どもたちに伝えれば、彼らに保身の術を与えるどころか、彼らを孤立させてしまう可能性すらある。ジョージ・オーウェルの言葉「現在を支配するものが過去を支配し、過去を支配するものが未来を支配する」を脳裏に刻み、それぞれの立場の人が主張する「正しい歴史」の落とし穴を子どもたちに教えるようにしたいものだ。

3.歴史を自分の言葉で語る
 時折、教室で不意に現われる「ブッシュは悪い」とか「日本の政治家は汚い」といったコメントと同様に、その中身を深く追求しようとすると口ごもって答えられない程度の曖昧なものではあるが、多くの生徒は「過去に日本は悪いことをした」という感覚を漠然と持っている。その結果は、「後ろめたい」「堂々とできない」といった言葉に表れるようなネガティブな態度として帰結する。
 彼らが歴史を曖昧にしか知らないことは、「日本人はキライ」コメントに出会った彼らを苦しめる原因のひとつとなっている。漠とした曖昧性は、私たちの理性的判断を狂わせ、感情面においては不安を呼び寄せる。「悪いこと」とは何なのか、いつの時代に何が起こって、それはどういう結果を生んだのか。そうした点をしっかりした情報に裏付けられた知識とすることで、子どもたちは歴史のできごとを自分のものとし、それに対する自分の言葉を持てるようになる。彼らが友達のコメントにどう反応するかは、子どもたちの判断に任せればいい。ただし、子どもたちが日本人であることを恥ずかしがったり、その事実に対して怒りを表すのではなく、理性的に反応できるように日々の生活のなかで歴史を学ぶチャンスを与え、調べた結果や感想を話し合うプロセスを導いていくのは、私たち大人の役目である。
 歴史は過去のことではあるが、同時に現在・未来を生きる私たちの頭上に長い影を落とす。それは、友達から「日本人はキライ」と言われた子どもたちには、はっきりとした事実として感じられることだろう。「そんなとき、どうしたらいいの?」という胸をえぐるような悲しい問いに、私たちはどう答えるのか。海外に暮らす子どもたちにとっては、私たち大人はすべて歴史の教師であることを、しっかりと覚えておきたい。