Monday, April 11, 2011

なぜ過去を水に流そうとしないのか

「日系の声・Nikkei Voice」2005年10月号掲載
ウクライナ系カナダ人に対する戦後補償に寄せて

2005年8月24日は、リドレス(補償)問題に関心を寄せるカナダ市民にとって記念すべき日となった。この日、ポール・マーティン首相が第一次大戦中に強制収容所に送られ、公民権を剥奪されたウクライナ系カナダ人に対して公式謝罪を提供したのである。

今回の利ドレスが1988年の日系カナダ人の場合と違っている点は、犠牲になった現在の生存者が1人であること、最初から補償金や公式謝罪を求めていなかった彼女の意思を受け、ロビー活動をしてきたウクライナ系カナダ人コミュニティも補償や謝罪を求めてはいなかったことである。現在97歳になる彼女が唯一求めていたのは「カナダ人の記憶のなかにこの出来事が刻み込まれること」だった。

記憶を刻むこと。記憶を継承させること。これこそ、あらゆるリドレス運動が求めているものである。殺された人は2度と帰ってこないのだし、奪われた人生を取り戻すことは決してできない。その意味では、過去の非道に対する完全なる正義は究極的には有り得ない。唯一できることは、司法手続きによって加害者に法的責任を負わせること、そして、過去の不正を認めて記憶を後世に伝えていくという部分的正義の獲得に他ならない。

近年、リドレスを求める動きに追随して、過去を明らかにしようという運動が国際的に勢いを増しているように見える。旧ユーゴスラビア、およびルワンダのジェノサイドに対する国際戦犯法廷設置をはじめ、今年1月6日には、クー・クラックス・クラン(KKK)の元リーダーで、1964年に3人の公民権活動家を殺害したとされるエドガー・レイ・キルン(79歳)が逮捕された。また、チリ最高裁判所は少なくとも5000人の殺人・行方不明者の責任をもつとされる元独裁者アウグスト・ピノチェト(89歳)に対する免責を拒否し、裁判への道を開いた。

キルンおよびピノチェト裁判は、どちらのケースも事件からすでに30年以上の年月が経っているうえ、裁かれようとする人たちはいつ亡くなってもおかしくない年齢である。クランの元メンバーは「なぜ、今になって高齢者の過去を追及しようとするのか」とコメントしているし、ピノチェトは1998年『ニューヨーカー』誌のインタビューに答えて次のように述べている。「訴訟など終わりにしようではありませんか。最善の方法は黙って忘れることですよ。そして、忘れようとするなら、訴訟を争ったり、人々を刑務所に放り込んだりすべきではないのです。・・・重要なのは忘れることであり、双方が過去を忘れて今まで通り生活を続けることです」。

それは「なぜ、過去を水に流そうとしないのか」という、あらゆる記憶の継承に対する、リドレス運動に対する反論の核心にある問いである。キルン裁判前に繰り返しあらわれた、この同じ問いに対する答えとして、ジョージア州選出のジョン・ルイス連邦下院議員は次のように簡潔かつ的確に表現している。

「いくら時間がかかったとしても、不正をただし、正義をもたらすことには意味がある。そうすることで、われわれの社会では偏見や憎悪、不正や人権侵害は決して容認されないという協力なメッセージを、次世代を担うべき人々に送ることができるからだ」

過去を問題にするのは、現在、そして未来が問題であるからに他ならない。起こってしまったことは変えられないにしても、現在と未来は私たちの意識次第で変えられる。今回のウクライナ系カナダ人への公式謝罪は、記憶の継承への第一歩であるとともに、現在および将来のカナダ社会に正義という社会的インフラをもたらそうとする象徴的行為として、現在の私たちにも大きな意味を持っているはずである。

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