最近、「がんばれ日本」でチャリティーをやっているのを見ると違和感を覚える。トロントでもまだまだ震災復興に向けたチャリティーをやっているが、私はその「がんばれ」に共感できない。どうしてなのか、私もはっきりとは言えない。
何となく感じるのは、今回、本当に日本人が考えなくてはならない、日本人の眼前に突きつけられた問題を考えるところまで、彼らの思考が深く達していないからなのだということ。震災からの復興は比較的短期になされるだろうが、今後何十年にもわたって問題になるのは、原発事故関連の環境問題、はっきり言えば食品汚染、大気・海洋汚染に因を発する日本人の健康への被害だと私は思っている。福島県内の年間被曝限度量は、国民の健康より政権継続か「当面の事なかれ主義」を選んだ政府によって引き上げられたと聞く。Globe紙の記事では、今後、日本での発ガン率は増えるだろうとあったし、とりわけ子どもの発病率の増加は世界中の研究者がモニターし続けることだろう。
また、今後、同じ規模の地震が起こらないと言えない状況で、原子力発電に関する議論がほとんど起きていないことも私には信じがたい。
今まで私がかき集めてきた状況を元に判断すると、今回の地震の被害は最低限だったということだ。地震対策には万全を期してきたと日本政府は言うが、それは信じてよいと思う。ほとんどの人が津波被害で命を落としている。津波に関しては、堤防を築くということをしていたようだが、それで防げるような規模の津波ではなかった。警報が鳴って津波が来るまで40分あったというが、その間に市民が逃げられる緊急体制を整えておく必要がある。これは、インフラだけでなく市民の教育がカギになると思う。どういう経路で逃げるのか。病人や老人たちはどう避難するのか、そういう具体的な計画を、沿岸地域の市町村は、市民に今後、示していく必要がある。最後に、最も長期的被害を与えるであろう原発事故に関しては、最も有効な安全対策は、あきらかに「原発を持たない」という選択をすることだ。もちろん、すべての原子炉を同時にシャットダウンするのは現実的ではないが、日本政府はこれから真剣に、原発に依存しないエネルギー資源の確保を段階的に実行していく必要がある。
こうした議論を深めないまま、「がんばれ」ということに、私はイラッとしているのかもしれない。
一方では、被災者に「がんばれ」という言葉をかけることに違和感を覚えている。私だったら、「がんばれ」なんて言われたくない。では、何が有効なのかと言われればこれだ、とは言えないのだが、「がんばれ」だけは、どうも何か匂うのだ。どうも何かが胡散臭いのだ。
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