Thursday, January 13, 2011

カナダ人と読書

カナダ人は読書が好きな国民らしい。

1日に読書をする時間に関する各国の比較では、カナダは40分と、フィンランドの46分に続き世界2位になっている。本を読まないと答えたのはわずか13%で、アメリカの43%に比べると比較にならない。

私の感じでは、カナダ人が本を読んでいるかどうかはわからないが、カナダの社会では「読書」がメインストリームのメディアで大きく取り上げられる機会は日本に比べはるかに多いと思う。

たとえば、英語圏の文学賞(マン・ブッカー・プライズなど)のリストが発表されると、新聞や雑誌はそのニュースでにぎわうし、カナダ総督の名を冠した文学賞(カナダ政府がスポンサー、部門はフィクション、ノンフィクション、英語、フランス語)のリスト発表時には、CBCラジオがCanada Readsという名で、それぞれの候補作を押す著名なカナダ人作家たちが討論しあうという興味深いプログラムを受賞が決まるまで何週間にもわたって放送している。さらに、この討論は、リスナーからのフィードバックも加わり、受賞の日までかなり高度な議論がなされる。

また、カナダでは「ブック・クラブ」というサークルがあちこちにあって、そこでは同じ本を読んでいる人たちが集まり、その内容を話し合っている。たとえば、トロント市立図書館でも同じような主旨である本を取り上げて、定期的に集まるプログラムを組んでいる(移民だけに特化したブック・クラブもある!)。一方、ブックストアでも、文学賞の時期にともなって候補にあがっている作家を招いたり、その他の時期にも定期的にさまざまな作家を招いて講演会を催し(誰でも無料で参加できる)ているし、たいていそうした講演会は満員ということが多い。

トロント市立図書館やカナダの大学では、Writer in residenceというタイトルで特定の作家を大学のレジデンスに招き、1年間、図書館を含む大学の施設を無料で利用できるようにしたりというプログラムもよく知られている。

もうひとつ、毎年秋になると、トロントのハーバーフロントでは世界各国から作家を集めてInternational Festival of Authorsという大きな催しが開催される。招かれた作家たちは、自分の作品を一部読み聞かせ、文学に関する講演を行ったり、参加者と議論をしたりする。これもまた毎年大成功で、著名な作家の講演チケットを購入するのはなかなか簡単にはいかない。

日本では、ベストセラーといえばHow toものか、ビジネス書、マンガ、安っぽい大衆文学あたりだが、カナダでは日本と比較にならないほど「知的」な本がベストセラーになるのは当たり前。たとえば、私が翻訳したLong Shadows(翻訳は「歴史の影」社会評論社)は、歴史と記憶をテーマにしたかなり手ごわい本だが、この本はカナダ最高のノンフィクション本に与えられる賞を獲得し、長い間ベストセラーとして多くのカナダ人のあいだで読まれてきた。

カナダ国民の教養が高いということなのだろうか。恐らく、社会全体にLiteratureを大切にしようとする土壌が育っているのだと思う。Literatureのスポンサーとなるのは政府をはじめ、出版界、NPOなどの芸術機関などで、こうした動きを見ていると、カナダでは芸術や芸術家を文化の一部として守り、援助しようという姿勢がひろく社会の隅々にまで行き渡っている感がある。先日、ヤン・マーテルの書評でもちらっと触れたように、社会が芸術を守ろうという姿勢を崩せば、長い目でみるとそれは国家の魂を奪うような悲惨な結果に結びつく。

“われわれ市民が芸術家を援助しなければ、我々は荒々しい現実のために想像力を犠牲にし、結局のところ何ひとつ信じられなくなって、無価値な夢だけを抱くはめになる。”Yann Martel

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