Tuesday, August 23, 2011

国民の尊敬を勝ち得た政治家ジャック・レイトン死去 + (補足)日本政治を考える:日本政治におけるリーダーシップの不在

補習校で公民を教えていたとき、中学3年生に「政治家というのはどんな人ですか」という質問をしたことがある。その答えには笑いを超えて強い危機感を感じたものだ。
「悪い人」「あくどい人」「やくざ」「えらそーな人」「親のコネでしか何もできない人」「人をだましてお金をぶんどっている人」「頭を下げて、あやまっている人」「失言する人」「失言してあやまっている人」…。
大半が日本で育った彼らにとって、政治家とはネガティブな存在でしかなく、日本人の政治不信がこれほど深刻なのだと実感した。

それに比べると、カナダ人が政治家に対して持っているイメージは格段上だという気がする。ただ、それは、カナダの政治家がみんな国のため、国民のために動いているからではなく、ひろく国民の尊敬を集めるような生き方をしている政治家が、少数ではあるが実際に存在することが理由だと思われる。

NDP(新民主党)の党首ジャック・レイトン/Jack Laytonは明らかにそんな政治家のひとりだった。22日朝に飛び込んできたジャック・レイトン死去のニュースは、カナダ国民を深い悲しみに包んでいる。とくにNDPのサポーターでもない私も夫も(たぶん多くのカナダ人のように)、他のことが手につかないくらいに落ち込んでいる。

カナダ連邦政治で最も左派に属するNDP党が最も誇りする政治的貢献は、Universal Health careであろう。すべての国民が基本的な医療サービスを受けられるこのシステムは、NDPのトミー・ダグラスによって実現され(1966)、この功績によりトミー・ダグラスはCBC放送による国民投票の結果、「最も偉大なカナダ人」に選ばれている。今年7月、ガン治療を理由に一時的に政治から退いていたジャック・レイトンは、社会正義、社会保障、マイノリティの権利などを積極的にかかげてきたNDPの顔だった。今年の総選挙では、政党の歴史上初めてハーパー保守党政府に対する公式野党となり、伝統的に地元政党が強いケベック州で驚くほど票を伸ばし、カナダ政治において決定的な革命的瞬間をもたらした。

英語圏で人を褒めるときに使われることばにIntegrityという言葉がある。ジャック・レイトンはまさにこのIntegrityという言葉がぴったりの生き方をした政治家であったと思う。ジャック・レイトンが死の直前に書いたとされる手紙には、彼の揺ぎない政治的信念が反映されている。社会正義に基づいた社会、公平で平等な社会、社会的弱者にやさしい社会、  誰一人遅れをとることがないような社会、より寛容で開かれた社会の実現。それがジャック・レイトンのビジョンだったし、私はこれまでも、そして今回も彼のビジョンを読み、カナダという国に対して誇りと将来への希望を感じてきた。彼の演説や主張は、私たち、社会正義を求める国民、マイノリティのカナダ国民を奮い立たせてくれるパワーを持っていたが、それは彼のゆるぎない確信、ビジョンに裏付けられていたからだと思う。

言っていることと行動がぴったりと合致し、首相であろうと社会的弱者であろうと決して態度を変えることなく会話ができ、その限りないエネルギーとIntegrity、カリスマ、そしてカナダがどこへ行くべきか、についての明確なビジョンを抱いていたジャック・レイトンは、政治信念の違う政治家、あるいは意見のまったく合わない国民からも尊敬されていた。ハーパー首相が提案した国葬は、彼に対する国民の尊敬を考えるとまったくもってふさわしい形のお別れになるだろうと思う。
http://www.theglobeandmail.com/news/politics/jack-laytons-legacy-wont-end-here/article2138288/


(補足)日本政治を考える:日本政治におけるリーダーシップの不在
ジャック・レイトンのような政治家を見ていると、日本の政治家のなかに彼のような政治家がひとりでもいないものかと思ってしまう。毎年のように首相がかわる日本は、何よりも国際政治の舞台で外交的ダメージを被っていると思う。各紙にあらわれたジャック・レイトン追悼記事を読みながら、政治家が必ず持っていなくてはならないリーダーの条件を考えてみた。

日本では、次期首相候補として某政治家が名乗りを上げているが、彼は以下のクライテリアを満たせるだろうか。何より、今の日本にこれらのクオリフィケーション、リーダーシップを持った政治家はいるのだろうか?

1)確固とした政治ビジョンを持っている
どんな国にしたいのか。国としての特徴(長所や短所)を見極める分析力を持ち、足りないものは何なのかを特定し、それを補うための計画が立てられるのか。そのビジョンは明確に国民に伝わっているのか。そして、そのビジョンに国民は同意できるのか。

2)尊敬=信頼に値するクオリティを持っている
人として尊敬できるか。言っていることと行動が一致しているか。自分でもなく、一部の人でもない、国民のために働く意思があるのか。情熱はあるのか。自分の持っている信念を貫くような生き方をしているか。

3)効率的コミュニケーションができる
論理的にものごとが考えられ、論理的に意見が言えるか。反対意見に対して、論理的に反論できるか。感情的な議論には組しないか。どのレベルの人ともコミュニケーションができるか。言っていることに国民が共鳴できるような話し方ができるか。

結局、リーダーシップ・スキルを持たない政治家は、偶然にも運良く首相(政治家)になれたとしても長期的には続かない。それに、そういう輩が国政に携わっていると国民にとって迷惑極まりない。すべての職業にその職業に必要なスキルが要求されるように、政治家にもかならずスキルのチェックを行うべきだと強く思う。

1 comment:

  1. テレビでこのニュースを見て,なんとなく意味はとれた(偉大な政治家が亡くなり皆悲しんでいるということ)ものの,レイトン氏の功績や人となりまではよく掴めずにいました。
    こちらの記事を読んでやっと
    「おお!なるほど~^^♪」と納得。
    ニュースキャスターまでが声を詰まらせながらレイトン氏の手紙を読み上げたわkeが,よくわかりました。
    ありがとうございました。

    日本の政治はいつも何か『ごたごたしている』印象がありますね。いつも誰かの足を引っぱって引き摺り下ろそうとし躍起になっているというか・・・首相が長続きしないことしかり。テレビでもそういう場面ばかり流すので,子どもたちも自然と政治にたいして悪い印象を持ってしまうのでしょうね。

    私にとっても,地元の田舎で農業しながら市の議員をしているおじちゃんたちのほうが,よほど信頼できます♪

    ReplyDelete

コメント大歓迎です!