Thursday, August 18, 2011

Honour Killing(名誉の殺人)かDVか

以前、「女性蔑視とDV(ドメスティック・バイオレンス)」でも触れたが、今日はHonour Killingについて書いてみたい。この問題は、女性に対する暴力という問題のみならず、多文化主義においてホスト・コミュニティの価値観と対抗する伝統をどう受容するか、という非常に複雑で興味深い問題を内包している。

●事件
今年7月22日、21歳になるShaher Bano Shahdadyがトロントのスカーボロー地区で殺害されるという事件が起こった。警察は容疑者として夫のAbdul Malik Rustam (27)を逮捕したが、この事件がメディアの注目を集めたのは、honour killingの可能性が否定できないためだった。彼女は生まれて間もなく家族とともにパキスタンから移民してきており、13歳でパキスタンの学校に入り、18歳で従兄弟にあたるRustamと結婚。妊娠後、カナダに戻って心臓に障害のある子どもを出産したが、二人の関係は非常に悪化していた。

●honour killingかDVか
この事件をhonour killingと見るか、DV(ドメスティック・バイオレンス)と見るかによって、専門家の意見はわかれている。Tarek Fatah (Muslim Canadian Congress)によれば、Rustamは妻がブルカ(頭からすっぽり被るドレス)を着用しないこと、あるいはFacebookで他の男性と連絡をとっていたことなどに強く反対していたこと、彼女は離婚を願っていたことなどから、この殺人は明らかにHonour Killingであるという。一方、こうした殺害は部分的にはDVであるとする専門家もいる。トロントのバーブラ・シュリファー・コメモレティブ・クリニックのカウンセラーFarrah Khanは、DVは移民コミュニティ(とりわけ南アジア・コミュニティ)にだけ存在するのではないことを強調し、南アジア・コミュニティ内で起こる女性に対する殺害を簡単にhonour killingとすることを拒否している。

honour killing(名誉の殺人)とは、通常、家族の名誉に泥を塗ったという理由で、男性メンバーが家族や親族の女性メンバーを殺害することで、イスラム教圏では、これは例外的殺人にあたるため、殺人を犯した本人が罰せられることはほとんどない。家族の名誉を取り戻すために殺害を犯す必要があるという考えが背景にある。ただ、通常、家族や親類の女性に対して振るわれる暴力、いわゆるDV(ドメスティック・バイオレンス)との線引きは非常に難しく、HKが南アジア系コミュニティでしばしば見られることから、専門家やメディアはHKという名称を使うことでステレオタイプ、あるいは人種差別者というレッテルを貼られることを非常に気にしている。

カナダでは2002年以降、12件のhonour killingが報告(2010年時点)されており、移民人口の多いトロント周辺ではhonour killingらしき殺人が起こっている。たとえば、2008年、娘がブルカを着ないという理由で、父親と兄が協同して16歳のAqsa Parvezを殺した事件、あるいは、2009年にAmandeep Kaur Dhillonが義父によって殺される事件などが記憶に新しい。カナダの刑法であるCriminal Codeには、honour killingという言葉はなく、警察もこれらの事件をhonour killingであると特定することはない。

●ホスト文化の価値観と対立する文化を受容すべきか、という議論
honour killingは移民を多く受け入れている西洋諸国で見られる問題だが、こうした伝統は西洋的価値と矛盾することから、数々の議論が起こっている。一方では、7月22日にノルウェーで起こったアンネシュ・ブレイビクによるテロ事件にあらわれたように、移民の西洋的価値への絶対的適応を要請し、とりわけイスラム教的価値観を容認すべきではないとする見方がある。アメリカやフランスなどに比べると、今のところカナダでは何とかこうした異なる価値感を妥協しながら受け入れていこうとする動きが主流を占めていると思われる。ただし、どこまで受け入れるか、に関してはやはり議論が尽きないし、移民の文化がhonour killingといった犯罪に発展する場合は、より問題は複雑である。私が見たところ、カナダで政治家や知識人が最も恐れるのは、ステレオタイプや人種差別主義者とのレッテルを貼られることであるため、メディアや知識人のあいだでは移民の文化に関してはなるべく触れないでおこう、移民の文化に関してはそのコミュニティをよく知る専門家に意見を聞こうとする流れもある。

さて、honour killingに話を戻すと、南アジア系コミュニティをよく知るソーシャルワーカーのAruna Pappは、とりわけ南アジア圏から来る移民に対して、カナダに来た際にはカナダ社会においては女性の権利や女性の地位はどうとらえられているのか、といったことを学ぶプログラムを移民に提供すべきだと示唆している。興味深いのは、こうした提案に異議を唱えるのはたいていがリベラルな白人アカデミックであって、彼らは特定のコミュニティのレイシャル・プロファイリング(racial profiling、特定のコミュニティにステレオタイプのプロファイルを課すこと)の可能性に懸念を示している。確かに、特定のコミュニティに対してだけそうしたプログラムを提供すれば、他でもない、プロファイリングであるので、このあたりは非常に複雑な問題である。

ちょっと話は逸れるが、アメリカの保守的ニュース番組Fox Newsでは、キャスターやコメンテーター-すべて白人-がhonour killingを批判して、「こうした伝統はアメリカ社会では許容できない!」と感情むき出しになっていたりする。一方、南インド系コミュニティから専門家やイマームを呼んできてインタビューしているカナダのCBCとはまったく捉え方が違っていて唖然とする…。

実は、似たような問題として、宗教を学校に持ち込むこと、あるいはFGM(Female Genital Mutilation、赤ちゃんのときに女性器を切断する風習)なども同様に議論がなされているので、また項を改めて書きたいと思う。

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