Monday, November 14, 2011

経済学という怪しい学問領域

昨今、グローバル経済危機の展開するのを見ながら、「このいちばん必要とされるとき、経済学者はどこで何をしているのだ」との思っている私。景気が悪くなると、政府に「支出をふやせ」といって経済刺激策を取らせてきたのは、経済学者ではなかったか。その結果、ギリシア政府は、お財布の底がついてしまっている。ユーロを守ろうとドイツをはじめとするEU諸国がまたまたお金をつぎ込んでも、同じことが起こるのではないか。最近の状況を見ながら、私は経済学に対して非常に懐疑的になっているが、それは私だけではないんじゃないか。

つい最近のGlobe紙に興味深い特集記事が掲載されていた。経済についての記事だったが、世間では「ノーベル経済学賞」として知られる国際的な賞は、正式名は「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」といい、アルフレッド・ノーベルが設置した賞と違い、1968年にスウェーデン国立銀行によって後になって設置されている。選考はスウェーデン王立科学アカデミー、認定はノーベル財団によってなされるが、ノーベル財団のなかには経済学賞の設置自体を疑問視する声もあるという。


以下はウィキからの引用

「ノーベル経済学賞の設置自体が間違いであったと考える者も多い。1997年にはノーベル文学賞の選考機関であるスウェーデン・アカデミーが経済学賞の廃止を要請した。ノーベル家の一部の人達はこの賞をノーベル賞として認めていないだけではなく、ノーベルの名の使用にも抗議している。2001年にはノーベルの兄弟の曾孫にあたるスウェーデン人の弁護士ら4人が地元紙ダーグブラデットに寄稿し、経済学賞は「全人類に多大な貢献をした人物の顕彰」というノーベルの遺言の趣旨にそぐわないと批判した」。


以下のエピソードはウィキピディアの英語版から取ったものだが、ハイエクの言葉はまさに的を得ていると思う(Taken from Wikipedia website)。

In his speech at the 1974 Nobel Banquet Friedrich Hayek stated that if he had been consulted whether to establish a Nobel Prize in economics he would "have decidedly advised against it" primarily because "the Nobel Prize confers on an individual an authority which in economics no man ought to possess... This does not matter in the natural sciences. Here the influence exercised by an individual is chiefly an influence on his fellow experts; and they will soon cut him down to size if he exceeds his competence. But the influence of the economist that mainly matters is an influence over laymen: politicians, journalists, civil servants and the public generally." 


経済学者は今まで「経済にはサイクルがある」とか「自由主義資本経済はマネージできる」とか主張して、まるで自分たちが経済をコントロールできるかのようなことを言ってこなかったか。私の記憶では、リーマンショック以前、確かに何度か「このままの状況が続けば経済は大打撃を受ける」というようなコメントを新聞で読んだが、それらは大半が経済学の分野の専門家ではなかった。株価についてもそうで、あがるだの下がるだの、分かっているようなことを言っているインベスターやコンサルタントはいるが、実際、株価の大暴落が起きると実はこういう輩は黙りこんで(あるいは証券取引所で呆然とした姿をさらして)、結局のところNo one saw it coming! というようなことになるのが落ちではないか。


素人なのはわかっているが、はっきり言わせてもらえば、経済学者や経済コンサルタントは素人の私たちと同じくらい経済の先行きなど見えていないのだと思う。だいたい、経済という分野は結局人間の活動がもとになっているわけであって、最近の心理学分野のリサーチが繰り返し示しているように、人間の活動の8割はIrrationalに、非合理的な判断に基づいていることを考えれば、さらに、フリードリッヒ・ハイエクの言うように、経済は政治家や国民やジャーナリズムなど他分野の要素に左右されることが多い、と考えれば、そこが自然学とは絶対的に違うところで、そんな人間の行動からどれだけの法則性が導き出されるのか、何とも疑問である。


先のGlobe紙の記事では、西洋でEconomicsという学問が生まれてしばらくの間は、そこに哲学の一部であるMoralityがしっかりと入っていたという。それが自由主義経済の発展とともに、いつの間にか取り払われて、経済学は数量を主な対象にするようになってきた。その弊害はいかほどか。素人意見で何とも失礼だが、もし経済学者が世界に貢献しようと思うなら、この利潤だけを唯一の目的とする巨大なグローバル経済システムにかわる新しいシステムとして、倫理、環境や次世代に対する配慮し、グローバル市民としての責任感を取れるような構造を確立してもらいたいものである。

No comments:

Post a Comment

コメント大歓迎です!