Tuesday, September 6, 2011

宗教的アコモデーション(religious accommodation)と教育システム

今日のGlobe紙に興味深い記事が載っていた。最近、イスラム教家庭の子どもがカソリック教教育委員会が運営するカソリック系の学校に行くケースが増えているという。背景には、イスラム教を信仰する親が、非宗教的な(Secular、セキュラー)学校でゲイ・ライツや同性の恋愛関係、性教育などが非常にオープンに行われることに対して警戒心を感じている現実があるという。崇める神が違うだけで、価値観という意味では確かに似ているところがあるだろうから、これは頷ける。

カソリック系の学校へ行くには、基本的には親のひとりがカソリックでなくてはならないが、高校以降は非カソリックでもスペースさえあれば受け入れてくれる。現在、カソリック系高等学校の生徒のうち10%が非カソリック信者だという。

私の住む州、オンタリオ州ではCatholic School Board(カソリック系教育委員会)の存在が、セキュラー(非宗教教育委員会)とともに認められている。子どもをセキュラーな学校に行かせるか、カソリック系の学校に行かせるかは親の判断にゆだねられるが、このカソリック系教育委員会に対しては、近年、批判が強まっているというのも事実である。

どちらの教育委員会も、州政府から資金援助を受けて運営されている。なぜカソリック信者だけが優遇されて、たとえばイスラム系教育委員会はないのか、シーク系はどうなのか、ユダヤ系はどうなのか、と多くが思っている。オンタリオ州の法律では、オンタリオ州民すべてにreligious rights(宗教的権利)が保障されており、公的機関にはreligious accommodation(宗教的アコモデーション:各人の宗教的権利をできる限り受け入れること)が義務づけられている。カソリックだけが優遇されるのはおかしい、と理論からするとなってしまう。

私の記憶では、数年前の州選挙の際、ジョン・トーリーという保守党党首が「保守党はreligious rightsを認めて、ユダヤ系教育委員会を設置する」と公約した結果、選挙に破れたのだった。つまり、オンタリオ州では(とりわけトロントでは)世論は、カソリック教育委員会の存在は歴史的な経緯があるとしても、それ以上に公的資金(税金)を使って宗教ベースの学校を設置するべきではない、という風潮に傾いていたのだった。

宗教ベースの学校といえば、昨年のある事件がまたまたカソリック系教育委員会に対する風当たりを強めている。その事件とは、昨年11月、オンタリオ州ハルトン地区のカソリック教育委員会がGay-straight alliancesというクラブ(ゲイとストレートの学生が会ってゲイライツについて話し合うカジュアルなクラブ)を禁止する決定を下した事件であり、大手メディアではこれを同性愛者に対する差別であるとして社会問題として捉えていた。結局、カソリック教育委員会は、「ゲイ」という言葉を使わず、かわりにequity clubとすることで何とか難を逃れたが、カソリック系の学校では性教育やゲイ・ライツについて話をするどころか、こうした話題をタブーにしている現実が明らかになって私などはこのまったくもって信じられないほどの時代錯誤に呆れている。

そもそも、カソリック教育委員会が設置されたのは、プロテスタントの多いアングロ・サクソン系人口にあってマイノリティとしてのカソリック系市民の権利を守るためだった。しかし、プロテスタントとカソリックという二大勢力対立の図は、現代のマルチカルチャー都市トロントではすでに崩壊している。それなのに、このカソリック教育委員会が今も居座ってゲイ差別を公に口にしているとは信じ難い事実である。ダーウィンの進化論を教えないアメリカの学校などより、カナダはずっとセキュラーな社会であると思うが、それでもまだカソリック的価値が社会のはっきりとは見えないところに存在してもいる。いずれはカソリック教育委員会も消えてなくなるだろうが、マイノリティの権利を大切にする風土が、それを難しくしているというのは、実際、奇妙な事実である。

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