Friday, October 14, 2011

ウォールストリート占拠:corporate greedと不正義としての世界経済システム

Occupy Wall Streetの動きは、10月1日に700人が逮捕された後、教職員組合などの労働組合のみならず、オバマ大統領をはじめとする政治家、資本家、またセレブなどもサポート、あるいは少なくとも理解を示し、大手メディアがこぞってリポートし続けている。また、アメリカ全土、世界中からこの動きをサポートしようと、寄付、食糧や水、毛布や衣服などが次々と届いている。


はっきりした目的がないこと、指導者がいないことなどから、組織的な弱さも指摘されているが、この運動は、今まで社会運動や政治運動のターゲットとされるることのなかった大企業と彼らが牛耳っている経済システムの変革、少なくともこうした経済的Practiceに異を唱えているという点で、世界を変える可能性を秘めていると思う。ジャック・レイトンが唱えていた「一握りの富豪が富をほしいままにするのではなく、その富をより平等に分配できる経済システム」を確立することは可能なのだろうか。


カナダから見ているとアメリカの現実がいかに切迫しているかがよく把握できないが、トロントでアクティビストとして活動している友人によれば、状況は今までのアメリカでは見られなかったほど悪化していると言う。家を失ったり、仕事を失ったり、それに伴って家族関係が悪化したり。


統計によれば、アメリカでは19歳から25歳人口の失業率は40パーセントにまで達しているという。将来に希望が持てず、教育費は増加の一方をたどり、借金してまで大学を出ても仕事は見つからない。こうした状況にあって、市民のcorporate greedに対する不信感、怒りは今や許容できないほどになっている。


ほんの数週間前に始まったウォールストリートの占拠だが、振り返って見ると、この運動が内包するエネルギーは時間をかけて醸成されてきたように思う。


ここ10年ほどの間に、北米のライター、ジャーナリストの作品のうち(メインストリームメディアも含めて)、大企業の内実を暴いた著作、一方で搾取され続ける人たちのストーリー、ドキュメンタリー作品、「99%」の国民の声を代弁するような読み物が続々と生み出されてきた。


今、思いつくだけでも、マイケル・ムーアのCapitalism: A Love Storyや、食品業界の大企業による搾取や残虐性を暴いたEric Schlosser(エリック・シュロッサー)の著作Fast Food Nation(映画にもなった)、同じころの作品としてMorgan SpurlockSupersize Meというのもあった。さらに、カナダ人でUBCの教授Joel BakanThe Corporation(コーポレーション)はドキュメンタリーになり、世界で大きな反響を呼んだ。同じ系列のジャーナリズム作品のうち最も新しい作品としては、ウォール・ストリート(金融業界)の内情を暴いたInside Job(2010年)がある。


これらの作品が描き出したのは、まさにCorporate Greed(企業の強欲さ)のすざまじさと、それを支えるような政治家によるサポートであった。それは、私たちのように税金をきちんと納めている小市民にとっては、信じ難いほど強烈な強欲さである。さらには、これに輪をかけて市民の怒りに油をそそいだのは、こうした一部の大企業や資産家が搾取しやすいように行政や法整備を取り仕切ってきた政府の態度である。政治と金という大きな権力が結びついている国では、お金持ちはどんどんお金持ちになり、下層部は這い上がれる望みすらもてない。ルパート・マードックの厚かましさや、「税金なんて、小さな人間が支払うもので、本当のお金持ちは税金なんて払わない」と言い放った富豪(名前は忘れてしまった)などを笑っている時代は過ぎた。そして、今、北米人独特のシニシズムを超えて、不信感および怒りの感情は、Occupy Wall Streetという従来では考えられなかった社会的行動として現出したというべきだろう。


個人的には、Occupy Wall Street運動に共鳴するひとりだが、一方、この「99%」という表現にアイロニーを感じざるを得ない。彼らはアメリカ社会では「99%」であるが、グローバル社会でみれば、ピラミッドの上部に位置している。よく知られている「もし世界が100人の村だったら」には、「6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍 」、「80人は標準以下の居住環境に住み 70人は文字が読めません」、「50人は栄養失調に苦しみ」、「1人は大学教育を受け」「そしてたった1人だけがコンピュータを所有しています」とある。


こう見てみると、アメリカの「99%」は何というPrivilegesだという思いが湧きあがってくる(かくいう私もそのひとり)。


最近、核兵器や原発の問題、女性問題を調べていて、いつも最終的にぶち当たる壁に気付いた。それは、Occupy Wall Streetの参加者たちが気付いたのと同じく、「現在の経済システムはごく一握りの人だけが巨額の富を手にできるシステムなのだ」という気付きである。私たちが好むと好まざるとにかかわらず、このシステムだけが唯一の経済システムとして機能している。しかし、このシステムはポスト・コロニアリズムに根ざした「不均衡」や「搾取」といった不正義の要素を色濃く包括した問題のあるシステムである。このシステムが続く限り、いくらビル・ゲイツがチャリティに精を出したとしても、根本的解決には至らないだろう。


それで思ったのだが、こういうことは可能だろうか。この不正義の世界経済システムにある99%の人たちが、このシステムの改善(打倒)を求めて運動を起こす、というのは? 

今回マンハッタンで始まったOccupy Wall Streetは、そうしたグローバル規模の(経済システム打倒)運動へと発展する可能性を秘めてはいないだろうか? 目下、ヨーロッパで展開している経済危機を見ても明らかだが、今日の経済システムは1国だけが取り組めるような問題ではない。グローバル経済システムの現実を見るなら、Occupy Wall Street運動もグローバル・レベルの「99%」を代表する声として聞かれるまで拡大していく必要があると思う。

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