Friday, June 15, 2012
まだまだ日本の生活で慣れないことの多い私・・・。
今日はダラダラ書きます・・・。
まだまだ日本の生活で慣れないことの多い私・・・。
りんごが高い! ひとつ250円するのだ、日本のりんごは。りんごなんて、トロントにいたころは毎日ひとつは食べてたのに、今となっては高嶺の花。果物が全般的に高い! 種類もあまりないし・・・。フルーツ大好きの私にはイタイ。
Wi fiが普及してない? StarbucksでWi fiが使えないのはびっくりした。「どこでWi fi使えますか?」の問いに返ってきたこたえが「マクドナルド」。え~!うそでしょ? あんなローレベルのファーストフード・チェーンが? 仕方なく行ってみたけれど、スマートフォンか何かのインターネット・プラン(Yahoo?)に入ってないので使えなかった。これまでカフェやStarbucksを仕事場に使ってきた夫は本当に困っている。図書館でもコンピュータがまずないし、インターネットもないし、Wi fiもない。いや~、これって困るでしょ?
食品の大きさが小さい。かぼちゃも四分の一の大きさ、じゃがいもも4つパックに入っているだけ(それで300円ほどする)・・・。(トロントではじゃがいもは大きなバッグ、たぶん10キロ? に入って2ドルくらいだった)なので、何度も買い物に行く必要がある。スーパーが近くてよかった・・・。
パンが甘い。とにかく甘い。こんなのを毎日食べていると大変じゃない? しかし、町中どこにでもあるパン屋さん。その数の多さに驚く。こんなにたくさんのパン屋さんがやっていってるってことは、日本人ってかなりたくさんパンを食べているのだろうか。
ピザが高い。一枚2500円! ピザってスナックの感覚だと思ってたのに、日本では高級なのね! Mama'sのピッツァが恋しい・・・。
オーブンがなくて本当に困っている。
オーブン・トースターのことじゃなくて、ケーキやパンが焼けるオーブンのこと。これが4万、5万と非常に高いので、短期間の予定で日本に来ている私たちは泣く泣くガマンしている。日本ではオーブンがない家庭が多いらしい。
オーブンがないと、できないことが多い。パンが焼けない。ケーキが焼けない。ピザも焼けない。ローストやグリルなどの大皿オーブン料理ができない。お料理の幅が狭まっている。私は何を料理していいかわからず、時々途方に暮れている。
なかでもパンが焼けないのはガッカリで、日本の甘いフワフワのパンが口にあわない私たち家族は、ホームベーカリーを買ってそれでパンを焼いている。
<日本の服装に戸惑う>
カナダから持ってきた服がローカットだということに気付いた。
北米のものに比べると、日本の服は胸元はどーんと開いていないものが多いので、ちょっと首のあたりが窮屈にさえ感じる。スカートがあまりに短かったり、凝ったフリルやリボンがあったり、ゴテゴテしたハイヒール、北米では奇妙に映るコスプレっぽいもの(北米では水商売系の人だと思われそうなもの)が普通に見られる。時々、髪の毛を金髪にして、全身バービーになっている若い女性もいて仰天させられる。女性の服装が全般的に幼い。
概してあまり肌を見せないのが日本のようで、夏でも紫外線対策で完全防備している人たちが結構いる。つばの大きな帽子(夫は日本人帽子と呼ぶ)、腕に着用する特別のもの(名前は不明)、長ソックス・・・など、夫の目にもこうした姿は異様に映るらしい。私も夏の服というとノースリーブが多いのだが、ノースリーブはあまりポピュラーではないように思う。
それにストッキング!
北米では冷房のきいたオフィスで働くワーキングウーマンでなければ、夏にストッキングなんて考えられないのだが、日本では夏でもストッキングは普通みたい。それも黒だったりするからビックリした。カナダでは素足で平気に働いていたが、日本ではどうもおかしいようなので、私もイヤだなあと思いつつ、暑いのにストッキング着用で学校に行っている。
Saturday, May 12, 2012
share the painという考え方
先日、エリックの行く保育園で保護者会があり、そのときにお母さんのひとりが「保育園で出される食事の安全性を確保すること」について話し合いの糸口を提示した。対応した保育士は、「それは放射能のことですか」と言って、「それは難しいですねえ。産地を特定することで、被災地の人たちが困っているという状況もありますし、被災地支援にはならないと思いますし」とコメントした(このコメントだけ読むとわかりにくいけれども、保育士の口調からはお母さんの不安を一蹴しているわけではないと私には感じられた。ただ、「子どもの安全」に対して「被災地支援」という言葉で応えた感覚に、私はむしろ驚いた)。
そのときのやりとりで考えさせられたのは、share the pain(痛みを分かち合う)という考え方。日本に来てから、日本人が震災と原発事故、その後の「被災地支援」や「復興」を語るときに、よく出てくるナラティブのひとつが、これであることに徐々に気付き始めていた。
私が見る限り、share the painという考え方は何も日本文化に独特のものではないが、ことさら日本人の心の琴線に響くような気がする。そして、私にはこの考え方を推進しようとする力がどこかで働いているようにも思う。つまり、この考え方を推進しようという人が、あるいは団体がどこかにいるように思う。「がんばろう日本」のなかにも、「がれき問題」にもこれは明らかに見える。
日本に来てみると、原発問題は「がれき受け入れ問題」に集中していて驚いた。そして、以前読んだ新聞の投書欄には「日本全国の市町村ががれきを受け入れるのは当然。日本人として痛みを分かち合うのは当然」という意見が多数出てきたが、これは「share the pain」の典型的なものだ。一方では、がれき受け入れに反対している人たちに対して「身勝手だ」とかいう意見が出てくる。放射能に汚染された震災がれきは被災地では焼却能力を上回っていることから、全国の都道府県が「復興」という横断幕のもと、瓦礫の受け入れに積極的になってほしいと、政府は都道府県に伝えている。
この状況を目の当たりにして、思い出すのは戦争があった時代のこと。そのときも「お国のため」に国民の自由が制限された。「戦地で苦しい思いをしながらお国のために戦っている兵士のことを思えば、これくらいのことは我慢できると思ってがんばった」と言った祖母の言葉のなかには、share the painの考え方にどっぷりと浸かっていたのだということが伺える。
share the painは確かに美しい考えであるし、コミュニティが強く結束して何かを成し遂げるための秘密であると思う。しかし、問題は、そうすることで問題の根本的原因をうやむやにしてしまう可能性があることだ。「がれきに反対するなんて、君は非国民か!」といった論だけに感情的に集中してしまうと、この汚染されたがれきがどういういきさつで出てきたのかが追いやられる。実際、日本に来て以来、私には放射能汚染に対する受け止め方に関する意見の違いの方がやたら取り沙汰されていて(意見の感情的二分化)、この汚染を引き起こした東電やこれまでの政府の原子力推進政策に対する批判がほとんど出てこない現実に唖然としている(これがカナダだったら絶対にありえない)。
もうひとつ言わせてもらえば、「share the pain」に子どもを含めた市民の健康や将来をねじりこむのはやめてもらいたい。議論がここまで行くならば、この国は市民の権利が剥奪された戦時中や独裁体制にあると言われるべきであろう。民主主義の柱のひとつは国が国民の権利を蹂躙しないことである。こうした暴論に民主主義を踏みにじらせてはならない、と強く思う。
そのときのやりとりで考えさせられたのは、share the pain(痛みを分かち合う)という考え方。日本に来てから、日本人が震災と原発事故、その後の「被災地支援」や「復興」を語るときに、よく出てくるナラティブのひとつが、これであることに徐々に気付き始めていた。
私が見る限り、share the painという考え方は何も日本文化に独特のものではないが、ことさら日本人の心の琴線に響くような気がする。そして、私にはこの考え方を推進しようとする力がどこかで働いているようにも思う。つまり、この考え方を推進しようという人が、あるいは団体がどこかにいるように思う。「がんばろう日本」のなかにも、「がれき問題」にもこれは明らかに見える。
日本に来てみると、原発問題は「がれき受け入れ問題」に集中していて驚いた。そして、以前読んだ新聞の投書欄には「日本全国の市町村ががれきを受け入れるのは当然。日本人として痛みを分かち合うのは当然」という意見が多数出てきたが、これは「share the pain」の典型的なものだ。一方では、がれき受け入れに反対している人たちに対して「身勝手だ」とかいう意見が出てくる。放射能に汚染された震災がれきは被災地では焼却能力を上回っていることから、全国の都道府県が「復興」という横断幕のもと、瓦礫の受け入れに積極的になってほしいと、政府は都道府県に伝えている。
この状況を目の当たりにして、思い出すのは戦争があった時代のこと。そのときも「お国のため」に国民の自由が制限された。「戦地で苦しい思いをしながらお国のために戦っている兵士のことを思えば、これくらいのことは我慢できると思ってがんばった」と言った祖母の言葉のなかには、share the painの考え方にどっぷりと浸かっていたのだということが伺える。
share the painは確かに美しい考えであるし、コミュニティが強く結束して何かを成し遂げるための秘密であると思う。しかし、問題は、そうすることで問題の根本的原因をうやむやにしてしまう可能性があることだ。「がれきに反対するなんて、君は非国民か!」といった論だけに感情的に集中してしまうと、この汚染されたがれきがどういういきさつで出てきたのかが追いやられる。実際、日本に来て以来、私には放射能汚染に対する受け止め方に関する意見の違いの方がやたら取り沙汰されていて(意見の感情的二分化)、この汚染を引き起こした東電やこれまでの政府の原子力推進政策に対する批判がほとんど出てこない現実に唖然としている(これがカナダだったら絶対にありえない)。
もうひとつ言わせてもらえば、「share the pain」に子どもを含めた市民の健康や将来をねじりこむのはやめてもらいたい。議論がここまで行くならば、この国は市民の権利が剥奪された戦時中や独裁体制にあると言われるべきであろう。民主主義の柱のひとつは国が国民の権利を蹂躙しないことである。こうした暴論に民主主義を踏みにじらせてはならない、と強く思う。
Friday, May 11, 2012
子どもに甘い?日本の子育て
The Group of Eightへの寄稿文です。以下のサイトにも同じ記事があります。
タイトル「(12年日本から離れていた私の)日本の子育ての印象」
http://thegroupofeight.com/?p=1456
日本に戻って暮らし初めて3ヶ月。自分の生まれた国なのに、いろんな場面でカルチャーショックを感じている今日この頃。子育てに関してもカナダ(広い意味で北米)と日本の違いに直面して、大きな戸惑いを感じているのだが、これは私だけでなく、夫もそうであるらしい。もちろん、日本と北米の子育てを白黒はっきりカテゴライズできるわけではないが、私たちの戸惑いの最も大きなものは「子どもに対するdiscipline」の違いといえる。
子どもが集まる場所に行くたびに、「日本では、親が子どもに対して甘い」という印象を私たちは受ける。よく言えば、子どもは子ども本来の姿でのびのび育っている、とも言える。けんかがあっても、おもちゃの取りあいがあっても、友達をたたいても、ひどい言葉を使っても、子どもなんだから当然、放っておきなさい、そのうち子ども同士で自然に解決されるという、言ってみれば非常におおらかな態度。
先日、こんなことがあった。市のこども向け福祉施設に行ったときのこと。施設内にある遊び場には、とても感じのいい、滑り台やいくつもの階段がいっしょになった大きなジムみたいなものがあって、たくさんの子どもたちが遊んでいた。私は、ぶらさがって渡る鉄棒みたいなもの(渡り棒?)で遊んでいるエリック(4歳の息子)を見ていたのだが、あるとき突然、上から小さめの卵型の木のボールがバラバラバラッと降ってきた。ちょっと前にも2,3個落ちてきたのを見ていたので、すぐに合点がいった。上を見上げると、バケツを持った男の子がそれを見て喜んでいる。「おもちゃを上に持ってあがらないで」という張り紙があるのに、バケツに木のボールを山盛り入れて上がり、それを上からばらまいているのだ。
私はとっさに大声で「それはダメ! 下の人に当たると危ないでしょ!」と叫んで、近くにいた施設のスタッフにも「あれは危険です!」と言った。言われたスタッフはそれを聞いて男の子に何か言いにいったのだが、その伝え方が優しく、危機感がまったく感じられないのに正直言って驚いた。それに、あんなにたくさんの親がいたなかで、それも私の周りには落ちてきた木のボールが子どもに当たった親もいたなかで、声をあげたのは私ひとりだったという事実にも唖然とした。それより、そのおもちゃをばらまいた子どもの親は一体どこにいたんだろう?
そのあと、エリックが同じ木製のボールをそれが転がって最後にケースのなかに入る、というすべり台に転がしていたとき、小さな子どもがその木のおもちゃがたくさん落ちてくるケースのなかに入ってきた。お父さんは何も言わなかったが、エリックは右から、左からも他の男の子が木のおもちゃを転がしているのだから、その子に当たってしまう可能性は大きい。私が「そこにいると、ボールが当たって痛いわよ」と男の子に言ったら、お父さんは「大丈夫です・・・」と応えて、男の子を動かそうとする気配もない。まあ、木のおもちゃだから当たって死ぬようなことはないけれど・・・。でも、そこはボールが落ちてくるところで子どもが入るための場所ではないし(遊戯道具の使い方が間違っている)、ボールといえども木製なんだから何か間違いがあって頭にでも当たったらどうするんだろう(安全性)。仕方ないので、エリックに転がすときには気を付けるように言ったが、なんだかヘンだなあと感じた。
カナダで子どもを産んで、子育てをしてきた私は、親が子どもがしていることを常に見ていること、それが他の子どもに危害を加えたり、周囲の安全性を損なうような場合は必ず言ってきかせる(「やめなさい!」だけでなく、理由も伝える)、子どもが小さいころから責任をとらせる、ということが当然だと思っている。こうしたことは、誰に教えられたのでもないし、子育て関係の本に書かれていることでもない。ドロップイン・センターやプレイグラウンドなど、子どもがいる環境などで他の親やスタッフを見ながら私が習得したこと、そして、これが広い意味での「文化」なんだと思う。
「Respect my body」というのはエリックが行っていたデイケアの保育士ドナがよく言っていた言葉。子どもたちがドナの足に絡みついたり、お友達を叩いたり、蹴ったりしたとき、ドナはそう言って「他人」と「自分」の境界線を繰り返し子どもたちに知らせ、「他人」の領域にあるものには決して踏み込めないのだと教えていた。私たちは当然と思っていたこのルールが、今になって「北米的」であることに初めて気が付いた次第である。
一方、日本では、子どもたちには大きな自由が与えられている。よほどのことがない限りは、あまり細かいことは言わない。「子どもだから」と大目に見られて、特別の扱いをされて、「言いたいことを言って、したいことをしている」、そして、それが許されている、という感じを受ける。
私の母は、朝起きたら顔を洗う、おふろに毎日入る、食事のあとは濡れタオルで顔をふく、ということを徹底していない私の子育てを見て、「しつけができていない」とコメントした。確かに、私はそのあたりはあまり子どもに厳しく言ってこなかった。しかし、一方では子どもが集団において、あるいは他人に対して「してよいこととわるいこと」「言っていいことと悪いこと」があることはきちんと教えてきたし、それこそが子どもを社会に送り出す私たち親の大きな役目のひとつであると認識してきた。それが「しつけ(discipline)」の定義であると思ってきた。子どもがひとりの人間として社会(学校)に出ることができるように、社会のルールを繰り返し教えることが親の役目だと思ってきた。そして、それは0歳から始まっていた。
日本で暮らして数ヶ月経った今、私の受けた印象は、そうしたdisciplineが始まるのが遅い、ということである。こうして子どもたちが「言いたいことをいい、やりたいことをやっている」状況は、学校に入るとがらりと変わる。学校教育のなかに一歩足を踏み入れれば、今度、彼らを待っているのは極度に自由が限定される世界である。制服や学校での細部にわたる規則、そしてそれが破られたときに与えられる罰則。でも、そのときには子どもたちの生活の大半は「学校」という集団のなかにあるわけで、そういう環境では親以上に教師や集団の影響力が大きくなるのは当然である。だから、教師は恐らく子どもたちの「しつけ」という、(私にとっては当然、親の役目である)大きな仕事を担わされることになる。
個人的には小学校でしつけがされるような状況は、もう時期的に遅い、という気がする。子どもたちの気持ちは親ではなく、集団のほうに移っていく時期だし、自己意識という点でも体力的にもすごい勢いで成長している。その時期にdisciplineが始まるというのは、私にはちょっと信じがたい。
12年をカナダで暮らして帰ってきた私は、別の印象として、小学校高学年、中学校、高校でギュッと内に入ってしまう(外部を閉ざしてしまう)子どもが多いようにも感じている。また、日本人は他人を「見る」ことがなくなっている、というふうにも感じる。電車に乗ると乗客の7割がスマートフォンを一生懸命操作していて、顔を上げない。高校生のコミュニケーション能力も明らかに劣っている。相手の目を見て話ができない、自分の言いたいことを効率的に伝えられない。「子どもに対するしつけ」とこれらの社会問題との関連性を漠然と思うけれど、サンプルをとって調べたわけではないので何ともいえない。しかし、こうした「部外者の印象」はどこか問題の核心をとらえている、という気もする。
結局のところ、文化という潮流は目に見えないだけに対抗するに手ごわいものだ(放射能も同じだと思う)。ふたつの国で子育てをして感じる違いに戸惑いながら、夫と私は日々、私たちの子育てはどうすべきなのか、の話し合いを繰り返している。
タイトル「(12年日本から離れていた私の)日本の子育ての印象」
http://thegroupofeight.com/?p=1456
日本に戻って暮らし初めて3ヶ月。自分の生まれた国なのに、いろんな場面でカルチャーショックを感じている今日この頃。子育てに関してもカナダ(広い意味で北米)と日本の違いに直面して、大きな戸惑いを感じているのだが、これは私だけでなく、夫もそうであるらしい。もちろん、日本と北米の子育てを白黒はっきりカテゴライズできるわけではないが、私たちの戸惑いの最も大きなものは「子どもに対するdiscipline」の違いといえる。
子どもが集まる場所に行くたびに、「日本では、親が子どもに対して甘い」という印象を私たちは受ける。よく言えば、子どもは子ども本来の姿でのびのび育っている、とも言える。けんかがあっても、おもちゃの取りあいがあっても、友達をたたいても、ひどい言葉を使っても、子どもなんだから当然、放っておきなさい、そのうち子ども同士で自然に解決されるという、言ってみれば非常におおらかな態度。
先日、こんなことがあった。市のこども向け福祉施設に行ったときのこと。施設内にある遊び場には、とても感じのいい、滑り台やいくつもの階段がいっしょになった大きなジムみたいなものがあって、たくさんの子どもたちが遊んでいた。私は、ぶらさがって渡る鉄棒みたいなもの(渡り棒?)で遊んでいるエリック(4歳の息子)を見ていたのだが、あるとき突然、上から小さめの卵型の木のボールがバラバラバラッと降ってきた。ちょっと前にも2,3個落ちてきたのを見ていたので、すぐに合点がいった。上を見上げると、バケツを持った男の子がそれを見て喜んでいる。「おもちゃを上に持ってあがらないで」という張り紙があるのに、バケツに木のボールを山盛り入れて上がり、それを上からばらまいているのだ。
私はとっさに大声で「それはダメ! 下の人に当たると危ないでしょ!」と叫んで、近くにいた施設のスタッフにも「あれは危険です!」と言った。言われたスタッフはそれを聞いて男の子に何か言いにいったのだが、その伝え方が優しく、危機感がまったく感じられないのに正直言って驚いた。それに、あんなにたくさんの親がいたなかで、それも私の周りには落ちてきた木のボールが子どもに当たった親もいたなかで、声をあげたのは私ひとりだったという事実にも唖然とした。それより、そのおもちゃをばらまいた子どもの親は一体どこにいたんだろう?
そのあと、エリックが同じ木製のボールをそれが転がって最後にケースのなかに入る、というすべり台に転がしていたとき、小さな子どもがその木のおもちゃがたくさん落ちてくるケースのなかに入ってきた。お父さんは何も言わなかったが、エリックは右から、左からも他の男の子が木のおもちゃを転がしているのだから、その子に当たってしまう可能性は大きい。私が「そこにいると、ボールが当たって痛いわよ」と男の子に言ったら、お父さんは「大丈夫です・・・」と応えて、男の子を動かそうとする気配もない。まあ、木のおもちゃだから当たって死ぬようなことはないけれど・・・。でも、そこはボールが落ちてくるところで子どもが入るための場所ではないし(遊戯道具の使い方が間違っている)、ボールといえども木製なんだから何か間違いがあって頭にでも当たったらどうするんだろう(安全性)。仕方ないので、エリックに転がすときには気を付けるように言ったが、なんだかヘンだなあと感じた。
カナダで子どもを産んで、子育てをしてきた私は、親が子どもがしていることを常に見ていること、それが他の子どもに危害を加えたり、周囲の安全性を損なうような場合は必ず言ってきかせる(「やめなさい!」だけでなく、理由も伝える)、子どもが小さいころから責任をとらせる、ということが当然だと思っている。こうしたことは、誰に教えられたのでもないし、子育て関係の本に書かれていることでもない。ドロップイン・センターやプレイグラウンドなど、子どもがいる環境などで他の親やスタッフを見ながら私が習得したこと、そして、これが広い意味での「文化」なんだと思う。
「Respect my body」というのはエリックが行っていたデイケアの保育士ドナがよく言っていた言葉。子どもたちがドナの足に絡みついたり、お友達を叩いたり、蹴ったりしたとき、ドナはそう言って「他人」と「自分」の境界線を繰り返し子どもたちに知らせ、「他人」の領域にあるものには決して踏み込めないのだと教えていた。私たちは当然と思っていたこのルールが、今になって「北米的」であることに初めて気が付いた次第である。
一方、日本では、子どもたちには大きな自由が与えられている。よほどのことがない限りは、あまり細かいことは言わない。「子どもだから」と大目に見られて、特別の扱いをされて、「言いたいことを言って、したいことをしている」、そして、それが許されている、という感じを受ける。
私の母は、朝起きたら顔を洗う、おふろに毎日入る、食事のあとは濡れタオルで顔をふく、ということを徹底していない私の子育てを見て、「しつけができていない」とコメントした。確かに、私はそのあたりはあまり子どもに厳しく言ってこなかった。しかし、一方では子どもが集団において、あるいは他人に対して「してよいこととわるいこと」「言っていいことと悪いこと」があることはきちんと教えてきたし、それこそが子どもを社会に送り出す私たち親の大きな役目のひとつであると認識してきた。それが「しつけ(discipline)」の定義であると思ってきた。子どもがひとりの人間として社会(学校)に出ることができるように、社会のルールを繰り返し教えることが親の役目だと思ってきた。そして、それは0歳から始まっていた。
日本で暮らして数ヶ月経った今、私の受けた印象は、そうしたdisciplineが始まるのが遅い、ということである。こうして子どもたちが「言いたいことをいい、やりたいことをやっている」状況は、学校に入るとがらりと変わる。学校教育のなかに一歩足を踏み入れれば、今度、彼らを待っているのは極度に自由が限定される世界である。制服や学校での細部にわたる規則、そしてそれが破られたときに与えられる罰則。でも、そのときには子どもたちの生活の大半は「学校」という集団のなかにあるわけで、そういう環境では親以上に教師や集団の影響力が大きくなるのは当然である。だから、教師は恐らく子どもたちの「しつけ」という、(私にとっては当然、親の役目である)大きな仕事を担わされることになる。
個人的には小学校でしつけがされるような状況は、もう時期的に遅い、という気がする。子どもたちの気持ちは親ではなく、集団のほうに移っていく時期だし、自己意識という点でも体力的にもすごい勢いで成長している。その時期にdisciplineが始まるというのは、私にはちょっと信じがたい。
12年をカナダで暮らして帰ってきた私は、別の印象として、小学校高学年、中学校、高校でギュッと内に入ってしまう(外部を閉ざしてしまう)子どもが多いようにも感じている。また、日本人は他人を「見る」ことがなくなっている、というふうにも感じる。電車に乗ると乗客の7割がスマートフォンを一生懸命操作していて、顔を上げない。高校生のコミュニケーション能力も明らかに劣っている。相手の目を見て話ができない、自分の言いたいことを効率的に伝えられない。「子どもに対するしつけ」とこれらの社会問題との関連性を漠然と思うけれど、サンプルをとって調べたわけではないので何ともいえない。しかし、こうした「部外者の印象」はどこか問題の核心をとらえている、という気もする。
結局のところ、文化という潮流は目に見えないだけに対抗するに手ごわいものだ(放射能も同じだと思う)。ふたつの国で子育てをして感じる違いに戸惑いながら、夫と私は日々、私たちの子育てはどうすべきなのか、の話し合いを繰り返している。
Friday, May 4, 2012
電車のなかでマンガを読む人
毎日、電車に乗って通勤しているのだが、昨日、スーツを着たサラリーマン風情の男性が向かいに座り、すぐさまマンガ本を読み始めたのを見て、「おお、10年前に比べると電車のなかでマンガを読んでいる人の数が圧倒的に少なくなったわね」と感じた。以前は、こうした「大の大人」がマンガを読んでいる風景は何も珍しいことではなかったのだが、今回、日本に来てみるとあまり見ない(路線によって違うのだろうか?)
しかし、同時に文庫本や単行本を読んでいる人が少なくなってもいる、というのも観察済み。
では、大部分は何をしているか。スマートフォン(日本ではスマホと呼ばれる)に見入っているのだ。たくさんの人が静かにそれぞれのスマートフォンに見入っている光景、私はあれに最初はちょっと驚いたが、今はかなり慣れた。とにかく電車のなかで携帯電話をする人がいないのはいいことだと思う(日本に帰国してすぐのころ、夫も私も電車のなかで携帯を使っていたのだが、すぐに係員が飛んできて注意された)。
公共の場で他人に迷惑になることをしない、という原則に則っているので、これが「公共マナー」として根付く日本の文化というのは案外とすんなり理解できるのだけれど、一方では週末の早朝に聞こえる古紙回収車の大きな音楽とAnnoyingな放送が許されている事実にはどうも首をかしげてしまうなあ・・・。
しかし、同時に文庫本や単行本を読んでいる人が少なくなってもいる、というのも観察済み。
では、大部分は何をしているか。スマートフォン(日本ではスマホと呼ばれる)に見入っているのだ。たくさんの人が静かにそれぞれのスマートフォンに見入っている光景、私はあれに最初はちょっと驚いたが、今はかなり慣れた。とにかく電車のなかで携帯電話をする人がいないのはいいことだと思う(日本に帰国してすぐのころ、夫も私も電車のなかで携帯を使っていたのだが、すぐに係員が飛んできて注意された)。
公共の場で他人に迷惑になることをしない、という原則に則っているので、これが「公共マナー」として根付く日本の文化というのは案外とすんなり理解できるのだけれど、一方では週末の早朝に聞こえる古紙回収車の大きな音楽とAnnoyingな放送が許されている事実にはどうも首をかしげてしまうなあ・・・。
Saturday, April 14, 2012
日本人の知的レベル
カナダから帰国してしばらくのあいだ、両親の家に2ヶ月滞在していたが、その間、テレビがつけっぱなしになっていることがあった。私たちはテレビを持っていないから、夫と子どもと3人で珍しそうに最初は見ていたが、すぐに飽きてしまったと同時に、その内容の単一さには驚いてしまった。
こうしてテレビを見る限り、日本人の興味・関心については、こう簡単に言えると思う。
1. 食べ物
2. 旅行
3. 自然
あとは、これに歴史や日本賛美がからんでくるものがあったりもするが、あるいはスポーツがあったりするが、だいたいこんなところだ。
頭の悪いタレントなどが出てコメントするものから、知識提供型の洗練されたものまで、いろいろな形式をとってはいるけれど、テレビ番組の主題としてはこの3つが圧倒的に多い。これら3つに個別のフォーカスがあたっているもの、あるいは全部一緒にひとつの番組にしたものなどがあって、それぐらいが違うだけで中身は本当にどれも似たり寄ったり。私なんて、こんなのはすぐに飽きてしまうのだけれど、日本ではこのパターンで年がら年中回っているらしい。
はっきり言って、タレントが観光地を訪れてお店をまわっておいしい料理を食べて・・・というような番組は退屈このうえない。食べ物も同じようなものばっかりだし、ここに限界があると思うのは私だけなのだろうか。それに、こうした番組が観光地やお店の一方的プロパガンダになっていることを思うと、そのあたりに目を光らせないでいいのか、と思ってしまう。
もうひとつ言わせてもらえば、芸能人やらタレントやらが海外に行く番組があるが、時折さらけ出される、この人たちのエスノセントリックな発言や行動には、もう唖然となるしかない。そうした無知をさらけだして嬉々として世界を回るような番組が、日本にいる日本人にだけ見られていることを祈るばかりである。
一方、日本のテレビ番組で圧倒的に少ないと感じるのは、「政治的」「経済的」な問題を扱う番組である。これは国内政治・経済のみならず、国際政治・経済に関しても同じである。シリアで大規模な政府による弾圧がおこっていようと、それに関しては1分のニュースが流れるだけで背景説明もコメントもまったくない。当然といえば当然だが、東アジア関連のニュースは少しはフォーカスが定まって報道されるが、やはり全体的にみると量的にはかなり少ない。
これはよく考えると、日本の主要新聞に関しても同じことがいえるし、当然、テレビ番組の主流は視聴者の興味が反映されたものだから、きっと日本人がこうした問題にあまり興味がないのだと思われるが、ちょっとこのレベル、低すぎるんじゃない?「本当にこんなんで日本人このまま大丈夫?」と本気で心配している私・・・。
こうしてテレビを見る限り、日本人の興味・関心については、こう簡単に言えると思う。
1. 食べ物
2. 旅行
3. 自然
あとは、これに歴史や日本賛美がからんでくるものがあったりもするが、あるいはスポーツがあったりするが、だいたいこんなところだ。
頭の悪いタレントなどが出てコメントするものから、知識提供型の洗練されたものまで、いろいろな形式をとってはいるけれど、テレビ番組の主題としてはこの3つが圧倒的に多い。これら3つに個別のフォーカスがあたっているもの、あるいは全部一緒にひとつの番組にしたものなどがあって、それぐらいが違うだけで中身は本当にどれも似たり寄ったり。私なんて、こんなのはすぐに飽きてしまうのだけれど、日本ではこのパターンで年がら年中回っているらしい。
はっきり言って、タレントが観光地を訪れてお店をまわっておいしい料理を食べて・・・というような番組は退屈このうえない。食べ物も同じようなものばっかりだし、ここに限界があると思うのは私だけなのだろうか。それに、こうした番組が観光地やお店の一方的プロパガンダになっていることを思うと、そのあたりに目を光らせないでいいのか、と思ってしまう。
もうひとつ言わせてもらえば、芸能人やらタレントやらが海外に行く番組があるが、時折さらけ出される、この人たちのエスノセントリックな発言や行動には、もう唖然となるしかない。そうした無知をさらけだして嬉々として世界を回るような番組が、日本にいる日本人にだけ見られていることを祈るばかりである。
一方、日本のテレビ番組で圧倒的に少ないと感じるのは、「政治的」「経済的」な問題を扱う番組である。これは国内政治・経済のみならず、国際政治・経済に関しても同じである。シリアで大規模な政府による弾圧がおこっていようと、それに関しては1分のニュースが流れるだけで背景説明もコメントもまったくない。当然といえば当然だが、東アジア関連のニュースは少しはフォーカスが定まって報道されるが、やはり全体的にみると量的にはかなり少ない。
これはよく考えると、日本の主要新聞に関しても同じことがいえるし、当然、テレビ番組の主流は視聴者の興味が反映されたものだから、きっと日本人がこうした問題にあまり興味がないのだと思われるが、ちょっとこのレベル、低すぎるんじゃない?「本当にこんなんで日本人このまま大丈夫?」と本気で心配している私・・・。
外国人配偶者「問題」
外国人の配偶者をもつと、お役所関係の書類上で思わぬ問題に遭遇する、ということがよーくわかった。まず、夫と私は同一の生計を営んでいるにもかかわらず、夫が日本人ではないということだけで、住民票では日本人であるという理由だけで私が世帯主となり、夫の名前は通常、記載されない(夫の名前を住民票に記載するためにはもう一段階の申請が必要になる)。なので、夫と私が「同一の生計を営んでいる」という記載を公式に探すためには、「外国人登録記載事項証明書の省略のないもの」をもらう必要がある、ということにまわりまわってやっと行き着いた。
そもそも「戸籍」は日本人にだけあてられるものなので、外国人配偶者がいる場合は戸籍や住民票だけ見ると、子どもの名前が出ているだけで、シングルマザーのようになっている。日本人同士なら簡単に「家族」として出てくるものが、外国人配偶者がいる場合には「家族」であることが証明できる書類がすんなりとは出てこない。わざわざ外国人と結婚したんだから当然、というような馬鹿げた論はやめていただきたい。
こうした「問題」に直面すると、私や夫としては心情的に「不快感」を感じざるを得ない。日本政府は、どうやら私たちが結婚している、という状態を素直に認めたくない、あるいは好意的には思っていないのね、と思わざるを得ない。私にはどうもひっかかる。
同じようなことが現代のカナダで起これば、こういう措置は「差別的」だという声がすぐに上がるに違いない。ジャーナリストが書くか、人権擁護団体が声をあげるか、個人が声をあげるか、エスニック・コミュニティのリーダーが声をあげるか、何らかの方法で、社会的問題として取り上げられるに違いない。
私は長らく日本のメインストリームとして生活してきた経験から、こうして日本に住んでいる外国人やその他の非メインストリームの人たちが、どれほど制度的不自由を課せられてきているか、に思い至ることはなかった。今回、外国人配偶者と日本に住むことになって、さまざまな手続きを経るうちに、メインストリームの人が見えない「制度上の差別」があるのだと気付いた。恐らく、日本も時代の流れとして、いずれはこうした制度を変えていくだろうと思う。しかし、今、気付いた人が声をあげることで、その変革が早まる可能性があるだろうから、私は市政に対してこの点でコメントを出していこうと思っている。
そもそも「戸籍」は日本人にだけあてられるものなので、外国人配偶者がいる場合は戸籍や住民票だけ見ると、子どもの名前が出ているだけで、シングルマザーのようになっている。日本人同士なら簡単に「家族」として出てくるものが、外国人配偶者がいる場合には「家族」であることが証明できる書類がすんなりとは出てこない。わざわざ外国人と結婚したんだから当然、というような馬鹿げた論はやめていただきたい。
こうした「問題」に直面すると、私や夫としては心情的に「不快感」を感じざるを得ない。日本政府は、どうやら私たちが結婚している、という状態を素直に認めたくない、あるいは好意的には思っていないのね、と思わざるを得ない。私にはどうもひっかかる。
同じようなことが現代のカナダで起これば、こういう措置は「差別的」だという声がすぐに上がるに違いない。ジャーナリストが書くか、人権擁護団体が声をあげるか、個人が声をあげるか、エスニック・コミュニティのリーダーが声をあげるか、何らかの方法で、社会的問題として取り上げられるに違いない。
私は長らく日本のメインストリームとして生活してきた経験から、こうして日本に住んでいる外国人やその他の非メインストリームの人たちが、どれほど制度的不自由を課せられてきているか、に思い至ることはなかった。今回、外国人配偶者と日本に住むことになって、さまざまな手続きを経るうちに、メインストリームの人が見えない「制度上の差別」があるのだと気付いた。恐らく、日本も時代の流れとして、いずれはこうした制度を変えていくだろうと思う。しかし、今、気付いた人が声をあげることで、その変革が早まる可能性があるだろうから、私は市政に対してこの点でコメントを出していこうと思っている。
Wednesday, March 28, 2012
書評:Karen Kelsky “Women on the Verge- Japanese Women, Western Dreams” 2001

NOTE: 数ヶ月前に書いたレビューですが、今朝、コンピュータに残っていたのを見つけるまで、すっかり忘却の果てに追いやられていました。かなり時間かけて書いたのに・・・。書評だから今更ですが、アップします。
海外在住もかれこれ12年になる私は、カレン・ケルスキーのいうInternationalist というカテゴリーに属するひとりに多少なりともあたるのだろうか。著者が探求する西洋への「憧れ」というキーワードは若い私の脳裏にあったとは思うが、私のその後の人生を変えるほど大きなものだったのだろうか。私の人生の選択は、ひょっとするとより大きな流れのなかでなされてきたのだろうか、という疑問を抱きながら、本著を読み進めた感想を書いてみたい。
著者カレン・ケルスキーはイリノイ大学の文化人類学および東アジア学の助教授。
まず、本著の構成。序章では研究対象がどういった思想的枠組みのなかで捉えられるかが提示される。日本人女性の西洋に対する「あこがれ」を通して現代の日本人女性の西洋および日本に対する意識を検証することが研究対象であることが示され、かなり専門的な内容だが、方法論が語られる重要な部分である。著者がインタビューする女性は「大半が高学歴で、都市居住者、ほとんどが独身のキャリアウーマン、年齢は20歳から45歳」。すべての日本人女性が対象ではない。
第1章では、19世紀中頃から戦後のアメリカ軍による占領時代にかけての日本における女性の国際化の系譜が「憧れ」をめぐって検証される。津田梅子や彼女の教え子である三島すみえ(My Narrow Isle: The Story of a Modern Woman in Japan (1941))の著作や手紙を読み解きながら、渡米と渡米後の経験に即して、日本および西洋に対する意識を検証する。
2章では、戦後、「国際派・国際主義者」の女性たちが書いてきた著作などをもとに、国際派ナラティブがどのように発展していったかを考察する。
さらに、第3章は、現代の日本における白人男性のつくられたイメージを、広告やメディアを通して検証する。白人と日本人がお互いに抱いている、ステレオタイプ化されたエロチック・イメージと、その背後にあるさまざまな影響にも焦点をあてている。
第4章はいわゆる「国際派」とされる女性たちが直面する困難、さらにはそうした困難とどのように折合いをつけているのかを女性たちへのインタビューから浮かび上がらせる。
私にとってはエスノグラフィという分野は未知なので、本著を読んだ後はちょっと戸惑った。いろいろな側面を提示されたにもかかわらず、その現実に対する批判や問題解決がないことに対する戸惑いなのだけれど、多様な環境や歴史的事実、アクターの思いや経済的状況など、さまざまな局面が交差する現実というのは、実際に簡素化して語れるものではない。エスノグラフィは社会的現象の複雑性、相互性という深みに気づかせてくれるものでもある。読み手の関心により、それぞれの側面をより深く探ってみると興味深い考察へと結びつく可能性を秘めている。というわけなので、私が興味をひかれたいくつかのファクターに絞って考えをまとめてみたいと思う。
・イメージと「あこがれ」
まず、internationalist narrativeというキーワードを理解しておく必要がある。これは、家父長制、男尊女卑の思想の強い日本で最初から構造的に組み入れられない、高学歴で野心をもった「国際主義者」の女性たちが使う「言い分」であり、その内容とは、日本で能力を認められない、発揮できないのなら、男女が平等に扱われる海外(西洋)に出て自由を謳歌しながら、海外の人たちと付き合ったり、海外企業に職を求めたり、留学を通して自分を磨くことが許される、というものである。こうして西洋との接触を通して磨かれ、探し当てた自らは「新しい自分」であり、封建的価値が残る「古い日本的伝統」のなかでは決して見出し得ない「真の自分の姿」である。つまり、西洋という鏡を通してはじめて、「国際主義者」を名乗る女性たちは自己を確立する、といえるのだが、厳密にいえばこの「西洋」というのは、「西洋というイメージ」であることが明らかにされる。
ここで、「イメージ」という非常に重要なキーワードが出てくる。イメージとは、実際の姿ではなく、ある程度実際の姿に「自らが見たいと思うもの」=「あこがれ」を投影しながら作られる姿である。日本社会の「後進性」に幻滅した国際派の日本人女性は、「救世主」としての西洋および「西洋人男性」のイメージのもとに、日本を脱し、海外に出ていく。それは実に積極的なるdefect(「棄国」という言葉があるが)であり、後戻りはできないという覚悟とともに人生を大きく変える選択でもある。
同時に、捨ててきたものに対するビターな感情は、日本の社会や日本の男性そのものへと向けられ、その反動として向かった西洋でこうした主張を買う西洋人男性やメディアを通し、イメージが広まる原因となる(「世界一魅力のない日本人男性」、「世界一魅力的な日本人女性」、あるいは「日本人男性は女性を喜ばせられない」、さらには「イエローキャブ」というレトリック)。
このイメージは「国際主義者」の日本人女性の占有物ではない。著者は、国際派女性の、あるいは西洋人男性の日本人男性に対するイメージ(非常にネガティブなイメージ)、あるいはそれを煽ってきた日本や海外のメディアにも焦点を当てる。
ここで気付くのは、「国際主義者」の日本人女性をはじめ、一部の西洋人男性、日本人の西洋に対するあこがれを煽り続けてきた日本のメディア(“seling of white men as commodity markers of upward mobility, 187)、旅行産業、外資系の会社や留学エージェンシーやサービスなど、さまざまなアクターがその西洋の「イメージ」と「リイマジンドされた西洋と西洋人」を自らの利益に都合のよいように利用してきた事実である。私としては、このうちで日本のメディア、旅行産業がとりわけ「PR」効果という側面を重視してることを考えると非常に問題を感じる。
・日本人女性と西洋男性のあいだのロマンス、消費主義の行きつく先・・・
日本人女性と西洋男性のカップル、西洋人女性と日本人男性のカップルをみると、数からして明らかに前者が多い。この事実を不思議に思う人は多いし、どうしても単なる偶然であるとは思われない。かくいう私と夫も前者例にあたるのだが、巷に転がっている理由は、基本的にネガティブなものが多いこと(たとえば、日本人にはモテない日本人女性とルーザー外国人との結婚、など)、さらに結局は個人間の関係性は私たち固有のものである、という気付きから、どこかでこの問題は「取り扱うに足らず」と認識してきた、というのが妥当だという気がする。
大学卒業したころの私はケルスキーの研究対象のような上昇志向をもった野心的な「国際主義者」の日本人女性では決してなかったし、今もそれは変わらない。私のなかにあったのは、海外への憧れ、というよりは、日本社会における居心地の悪さ、であったと言うのが最もしっくりくる。日本社会では私のもつあまりに個人主義的、自由主義的(あるいは社会主義的)な価値観はいずれ衝突を来たすであろうことを肌で感じていた。経済的には何の問題もなかったが、思想的な行き詰まりの予感は実にあった。そんなときにカナダ人の(今の)夫に出会った。なので、私はケルスキーの調査対象に当てはまらないと思われるが、トロントで国際結婚している日本人女性を見渡してみても、ケルスキーの調査対象に当てはまる人はほとんど見当たらない。そこで思うのだが、「彼女たち」は一体、誰なのか。
本著を読む限り、この「国際主義者」の日本人女性は、ひとつの見方をすれば女性の伝統的役割を押し付ける日本社会に対する抗議者であるが、同時に極度な日本の消費主義の行き着く末としての、「カニバリズム的」消費者でもある。つまり、海外旅行やブランド品を追いかけた末に、最も手に入りにくい欲望の対象としての「外国人ボーイフレンド」は、彼女たちにとっては最後の砦なのである。
この「国際主義者」として描写されるふたつの像が、私にはどうも腑に落ちない。日本社会に対する抗議者でありながら、日本の過度な消費主義を無批判に鵜呑みにする、という状況に、思想的な二律背反を感じるからである。具体的に言うと、日本社会の構造的差別には抗するが、際限なき消費欲を満たすために海外へ出て、自分の置かれた地位を利用し「搾取」に精を出しているのである。「外国へ目を向けることは、おそらく日本社会で女性の伝統的生き方への期待に抗する、最も重要な手段であるのではないか」(序章)とケルスキーは言うが、この「抗し方」がまるで徹底していない、と感じられてならない。
・植民地主義と消費主義
ケルスキーが指摘するように、国際派の日本人女性が海外に出ていく現状は、彼女たちの経済的パワーに裏付けられている。いくら社会的制約は厳しいといってもOLはそれなりの給料をもらっているわけで、その経済力を海外で利用する(留学、遊学、語学研修、旅行)力を備えている。たとえば、女性の地位が非常に低いインド社会を例にとってみると、インド社会の女性たちは現状から脱出するための経済的手段を持たない。日本人女性が「息抜き」として海外に出ていける背景には、日本経済という大きなバックアップがあってこそなのだ。これは国際派の日本人女性もよく心得て利用している「力」である。この事実は、日本という国で「力」を奪われマージナライズされた女性が、海外では発揮できる「力」という意味で非常に興味深い。さらには、ポスト・コロニアリズムの影響、オリエンタリズム(サイード)の影響を無批判に受け入れ、日本およびアジアの女性に対するイメージを描いている西洋男性(the commodification of the Japanese women)を受け入れることとなる。
同時に、日本が連合軍(なかでもアメリカ)に敗戦したという歴史的事実も、日本人の西洋へのあこがれに大きく関与している。津田梅子の時代から日本人女性を驚かせ、喜ばせてきた「レディ・ファースト」の西洋文化のイメージは、アメリカ進駐軍GIの存在を通して一般の女性たちの間にも浸透していくことになる。実際、アメリカ進駐軍が敗戦後の日本に来たという事実は、日本人に大きな心理的影響を与えたし、その影響は見えない形で未だに尾を引いている。
・国際化という神話。日本社会の変革までは思いが至らないエゴイスティックな国際主義者
人類学者のケルスキーは、さまざまな側面を提示してくれるが、あからさまに彼らの関与を批判することはない。ただし、フェミニストを自称する彼女は、日本での低い立場に不服を申し立てる手段、レジスタンスとして海外に出た日本人女性が、日本で女性の地位向上を目指すための連帯した運動には結びついていない事実に対してだけは批判の矛先を向ける。
時代をさかのぼって見れば、津田梅子や三島すみえ、加藤シヅエなどは日本帰国後、アメリカにおける男女平等社会を日本に取り入れようと尽力してきた。あの当時の様相を思い合わせると、周囲の酷い反対にあいながらも女性のための学校を作ったり女性の地位を向上させるための法案を通すために働いたりしてきた彼女たちの努力は並大抵ではなかっただろう。
一方で、現代の「国際主義者」の女性たちはどうだろう。日本社会の構造を変えようという意図は少しもなく、日本社会から脱した自分と自分が入った文化を理想化することに終始している。極端な例はマークス寿子(「大人の国イギリスと子どもの国日本」)や斎藤澪奈子(「超一流主義」)で、日本に蔓延する一部ヨーロッパのイメージを誇張した挙句、レイシズムまで使って自分の主張を繰り返していて、私はベストセラーとなったらしいこの本の内容を知り、唖然としてしまった(”Japanese and Arabs are scavenging up the hotels of English girls finishing school… What kind of finishing school is it where you only hear Arabic and Japanese spoken?!” “There are no more real English girls... Instead… they are full of Arabs and Japanese. In such an atmosphere, can anyone learn true manners? To put it bluntly, can anyone even learn to speak proper English.P125)。このような人種差別的で偏見に満ちた本がベストセラーになる背景には、ジャーナリズムの質の低さや差別に対する研ぎ澄まされた感性の欠如があるだろうと思う。
このような現実を見るとき、最後に疑問が出てくる。一体、彼女たちは本当に国際派と言えるのだろうか。日本は国際化したのだろうか、という疑問である。
日本人にとっては「国際化」という言葉は、殺し文句にも等しい。当時から言われていたことだが、言葉の中身は空っぽで、誰も「国際化とは何なのか」という問いに満足に回答を出すことはできなかった。言語(英語)習得ではない。結局、ナショナリズムの影響を振り切ることができず、まず日本人として日本文化を知り、日本人としての教養と知識を身に着けることだ・・・とか何とかひねり出してきた最もらしい答えは、日本人の趣向にはあったようだ。
過去、「国際化」の掛け声とともに、英語学習ブーム、海外旅行ブームが広がったり、西洋を日本人の文脈で読んだり、日本を特殊な外国人の文脈で読んだり(アレックス・カーなど)、同時にまったく逆に今度はねじれ切って日本文化を絶対視するナショナリズムなどが出てきたが、すべて何かおかしいような気がする。
津田梅子や加藤シヅエには西洋文化の、具体的にどの部分が、どの社会的構造が、どの法律が日本には欠けていてそれを導入することによって日本人女性、ひいては日本社会がよりよい社会になるという確信があった。そういう意味で、彼女たちはフェミニストであったし、真に理想の日本像を捉えることのできたリーダー的人物だったと思うが、斎藤澪奈子やマークス寿子などはエゴセントリックなキャピタリストでしかない。こうした論客は少し突いてみれば、人種差別や排他主義、ナショナリズムの思想的断片がぞろりぞろりと姿を現すことだろう。現代に生きる私たちは、彼女たちが崇拝するような西洋的価値に根ざしたグローバライゼーションやグローバル経済という現実を無批判に受け入れるべきではない。
日本を出て以降、ことあるごとに感じてきたのだが、日本が長年抱えている問題のひとつは、リーダーシップの不在に違いない。政治の世界でも産業界でも、教育界でも、どんな分野でも、将来、こういう形に導いていきたい、というイメージをもってそれを周囲の人たちに信じさせ、エンパワーしていく情熱とスキルを持った人が育っていない。「国際化」にしても、そのフワフワしたイメージだけを売り物にして(資本主義がそれを食い物にして)、中身を詰めてこなかった日本はInternationalizationに実質、乗り遅れてきた。
あるいはこう言うこともできるだろう。多くの日本人は、日本には国際化は必要ない、あるいは国際化は「百害あって一利なし」と、実は無意識のうちに信じてきたようなところもある。でも、最もお金をもっている若い女性のために、日本の産業がよってたかって国際化をファッションとして売ってきたという一面もあると思う。つまり、80年代から言われてきた「国際化」は、日本が国運をかけて取り組んでいく必要のある問題ではなかったのだろう。
・ 最後に、再びイメージについて
だからこそ、「イメージ」という概念がカギになる。ケルスキーが第3章Capital and the Fetish of the White Man で省察するように、日本のコマーシャルには白人男性が大活躍している。こうしたコマーシャルに乗って、若くて野心的な日本人女性が信じてきた西洋のイメージ、旅行会社やファッション業界が売り込みに懸命になっている西洋や西洋文化のイメージ、はたまた国際結婚エージェンシーが売り込む西洋男性のイメージ・・・、これらは実際には、私たちを中身のない幻想へと導く資本主義の道具に過ぎないということを見破る必要がある。
実は、私も異文化に暮らして思うのだが、この「イメージ」というのは私たちのコミュニケーションに計り知れない意味をもっている。例をあげると、私にも「インド人」のイメージや「ドイツ人」のイメージを持っているし、こうしたイメージはそのイメージから例外的なインド人を友達に持っていても未だに根強く残っているほどだ。一方では、西洋ではある「日本人女性」のステレオタイプ(イメージ)が蔓延している事実に気付かされる。このステレオタイプはマダム・バタフライからイエローキャブまでさまざまだが、自分ではまったく関係ないと思っていた自分がそうしたイメージに影響を被るというのは事実である。
異文化に暮らす経験の真髄は、この私たちが知らずに持っている「イメージ」が繰り返し繰り返し破壊され、新しく作られては破壊され・・・、という経験の連続である。最近の私は、こうした経験を繰り返すなかでしか、自分以外の他人とお互いにより深い理解に近づくということはないのではないか、と思う。言い方を換えれば、自分の持っている「イメージ」に固執した他者とのかかわり方に創造的で発展的な意味はない、ということである。
本著が出版されてすでに10年が過ぎているが、日本の状況はどう変わっているのだろうか。「国際化」の内情が実は「空洞化」であったなど、誰が信じるだろうか。しかし、私たちはよりものごとの表層に現われない部分を見る必要がある。
Tuesday, March 27, 2012
幼児期にマルチカルチャー環境で育った子ども
先日、ある保育園に行ったときのこと。
門を入ってきた夫に向かって、あるひとりの園児が「あんた、だれ?」と言って私はかなりカンカンになったのだが、まわりの子どもたちの反応を見ていても、あきらかに「ガイジン」が来たことに興味を示し、興奮している。子どもだから、その反応はどこまでもストレート。
それに親子3人で町を歩いているとジロジロと見られることも多い。おばちゃん、子どもは特にそうだが、なかでも年配の人のなかには、まず私の方を見て、夫を見て、それからエリックをジイーッと見て、またまた私を見て、エリックを・・・、という念の入れ方でこちらを見てくるので、私もつい「ちょっと、そこまでしないでよね・・・」と眉をしかめてみせる。ちょっとこういうのはトロントではなかったので、面倒に思う。
それで思うのがトロントの幼児教育環境。エリックのデイケアでは、多様なethnic backgroundをもつECE(幼児教育の先生)がいて、子どもたちの民族構成も同じように多彩だった。この多様性は決して「人種」や「肌の色」「目の色」として語られることはなく、あくまでもそれは言葉や習慣を含む「文化」としてとらえられていた。ECEも、キンダーガーデンの先生も、外見で判断したり、外見をとやかく言ったりすることは絶対になかったし、これはあれだけのマルチカルチャー都市トロント社会では常識である(ほとんどすべてのinstitutionでinclusivenessの重要性は文書化されて配布される)。
こんなトロントで育ってきたエリックは、今まで一度だって「人種」や「肌の色」に関する発言をしたことがなかったが、昨日、初めてそれらしきを聞いた。小さな路地を歩いていると、後ろから白人の男性(明らかに日本ではマイノリティ)がやってきた。エリックはその人に気付いて「カナダ人みたいな人だね」と言ったのだった。年齢のせいなのか、はじめて日本に来て外見の違いに気付いたのかわからないが、私はこの発言にいろいろと考えさせられた。
Colour blind(カラー・ブラインド)という言葉がある。多文化環境で育ったりしたときに、肌の色や外見の違いに気付くことさえない、という状況のことで、一時はポジティブな意味合いで使われていた。マルチカルチャーで育った子どもたちは、外見の違いで区別することなく、その違いを当然と受け止めるだろうから、人種差別をなくすにはマルチカルチャー環境で育てるのが有効、という主張もあった。
しかし、今はこういう主張はほとんど聞かれない。エリックのように、幼少のうちは周囲の大人が発言に気をつけていればカラー・ブラインドになる。でも、子どもの知的発達の第一歩は「違いに気付く」ことで、それを否定することはできない。これまで多文化社会で生活してきて思うのは、差別発言をなくすためには、各人の恒常的で意識的な努力がなくてはならない、ということ。当然、それ以前に「なぜ差別がわるいのか」に対する各人の気付きがなくてはならない。私には、差別のない社会とは、このあたりを繰り返し繰り返し問いただされる、ある意味で厳しい環境でなくてはならないと思われる。カナダに暮らして常に感じたのは、多文化社会はそういう意味でも差別に対するガードが常にはられている状況だということ。日本の環境を見ると、差別的行動や差別的発言に「甘い」と思う。差別的発言があった場合、それを糾弾する力が非常に弱い。
エリックを見て「ハーフ?」という質問を受けることがあるが、それもほんとうはやめてもらいたい。外見だけに焦点をあてた言葉遣いをずっとしていると、子どもは外見のほうにフォーカスをあてていくだろう。
幼児期に多文化環境で育った子どもたちを見てきた私は、日本の子どもたちが「ガイジン」を見たときの反応に驚いているわけだが、それは子どもたちというより、日本の大人たちの意識を反映しているのだろう。
「子どもは大人の鑑」、言い得て妙、というべきか・・・。
門を入ってきた夫に向かって、あるひとりの園児が「あんた、だれ?」と言って私はかなりカンカンになったのだが、まわりの子どもたちの反応を見ていても、あきらかに「ガイジン」が来たことに興味を示し、興奮している。子どもだから、その反応はどこまでもストレート。
それに親子3人で町を歩いているとジロジロと見られることも多い。おばちゃん、子どもは特にそうだが、なかでも年配の人のなかには、まず私の方を見て、夫を見て、それからエリックをジイーッと見て、またまた私を見て、エリックを・・・、という念の入れ方でこちらを見てくるので、私もつい「ちょっと、そこまでしないでよね・・・」と眉をしかめてみせる。ちょっとこういうのはトロントではなかったので、面倒に思う。
それで思うのがトロントの幼児教育環境。エリックのデイケアでは、多様なethnic backgroundをもつECE(幼児教育の先生)がいて、子どもたちの民族構成も同じように多彩だった。この多様性は決して「人種」や「肌の色」「目の色」として語られることはなく、あくまでもそれは言葉や習慣を含む「文化」としてとらえられていた。ECEも、キンダーガーデンの先生も、外見で判断したり、外見をとやかく言ったりすることは絶対になかったし、これはあれだけのマルチカルチャー都市トロント社会では常識である(ほとんどすべてのinstitutionでinclusivenessの重要性は文書化されて配布される)。
こんなトロントで育ってきたエリックは、今まで一度だって「人種」や「肌の色」に関する発言をしたことがなかったが、昨日、初めてそれらしきを聞いた。小さな路地を歩いていると、後ろから白人の男性(明らかに日本ではマイノリティ)がやってきた。エリックはその人に気付いて「カナダ人みたいな人だね」と言ったのだった。年齢のせいなのか、はじめて日本に来て外見の違いに気付いたのかわからないが、私はこの発言にいろいろと考えさせられた。
Colour blind(カラー・ブラインド)という言葉がある。多文化環境で育ったりしたときに、肌の色や外見の違いに気付くことさえない、という状況のことで、一時はポジティブな意味合いで使われていた。マルチカルチャーで育った子どもたちは、外見の違いで区別することなく、その違いを当然と受け止めるだろうから、人種差別をなくすにはマルチカルチャー環境で育てるのが有効、という主張もあった。
しかし、今はこういう主張はほとんど聞かれない。エリックのように、幼少のうちは周囲の大人が発言に気をつけていればカラー・ブラインドになる。でも、子どもの知的発達の第一歩は「違いに気付く」ことで、それを否定することはできない。これまで多文化社会で生活してきて思うのは、差別発言をなくすためには、各人の恒常的で意識的な努力がなくてはならない、ということ。当然、それ以前に「なぜ差別がわるいのか」に対する各人の気付きがなくてはならない。私には、差別のない社会とは、このあたりを繰り返し繰り返し問いただされる、ある意味で厳しい環境でなくてはならないと思われる。カナダに暮らして常に感じたのは、多文化社会はそういう意味でも差別に対するガードが常にはられている状況だということ。日本の環境を見ると、差別的行動や差別的発言に「甘い」と思う。差別的発言があった場合、それを糾弾する力が非常に弱い。
エリックを見て「ハーフ?」という質問を受けることがあるが、それもほんとうはやめてもらいたい。外見だけに焦点をあてた言葉遣いをずっとしていると、子どもは外見のほうにフォーカスをあてていくだろう。
幼児期に多文化環境で育った子どもたちを見てきた私は、日本の子どもたちが「ガイジン」を見たときの反応に驚いているわけだが、それは子どもたちというより、日本の大人たちの意識を反映しているのだろう。
「子どもは大人の鑑」、言い得て妙、というべきか・・・。
Sunday, March 25, 2012
日本の幼児教育の印象
帰国してすぐにやらなくてはならなかったことのひとつはエリックの保育園探し。アパートを探しに行ったその帰りにはすぐに近所の保育園を2,3軒まわってみた。
ところで、そのころ日本の育児環境にまったく無知であった私には、「保育園」と「幼稚園」の差すらわからなかったのだが、アポイントもとらず市役所の保険福祉局子育て支援部にお邪魔してお話を聞いたり(お茶まで出していただいた)、保育園や幼稚園で的外れな質問をするうちに、いろいろとわかってきた。
- 「保育園」は、京都市の各区役所の福祉事務所が管轄。大半が民間経営であり、市営は数が少ない。一方で「幼稚園」は私立で、社団法人京都市私立幼稚園協会に加盟している
- 「保育園」に入るには諸々の条件をクリアしていなくてはならず、市の福祉事務所に申請書を出し、審査にとおらなくてはならない
- 保育園も幼稚園もカソリック系のところが案外とあるのだが、別にカソリックでなくても入園はできる
- 保育費用は、親の前年度の所得によって決まる
- 時間は保育園の方が長く(最長で7時半から6時)、幼稚園は昼間約5時間とフルタイムで働く親には無理
さて、2,3軒、保育園をまわってみて、正直言って私、びっくりした。どこの保育園でも、子どもたちが非常にワイルドに走り回っているのだ。若い先生たちもいっしょになって(体を張って?)走り回っている。そう、その姿を見ながら、「ワイルド」という言葉が私の頭をグルグル駆け巡っていた。
おまけに、夫に向かってある子どもが「あんた、だれ?」と言うのを(日本人ではないからだろう)、先生たちは笑って見ているだけ・・・。私、つい「そういう言い方はしないのよ!」と言ってしまった。そのあと、別の場面で男の先生が園児に向かって「おい、おまえ、さっき言ったやろ?」と笑いながら言っているのを見て、これまた驚いた。こんな言葉を先生が子どもに使うとは!
トロントの幼稚園しか知らない私には、驚くべきカルチャーショーック!
トロントのKindergartenでは、毎日、子どもたちはいろんなことを学んでいた。大きくわけると、図書館(読書、読み聞かせ)、音楽、運動、コンピュータなどが、それぞれ1日のメイン・スケジュールになっていた。私が見た感じでは、「お遊び」というより、しっかりとした「教育」がなされていた。悪い言葉遣いはその場で直されるし、必ず「Please」と言うように教えられる。混沌たる状況ではなく、先生がやはり高い立場にいてDisciplineがしっかりとなされていた。先生は子どもに対してはひとりの人間として扱い、頭ごなしに何かをしかりつける、というやり方はしてなかった。デイケアですらそれは同じだった。
一方、日本の幼稚園は「先生の情熱」みたいなのが何より大切にされているような気がした。先生が「自分の見ている子どもが好き!」という態度を持っていれば、あとは何がどうあってもよい、というような・・・。細かいことは言わずに、愛情をもっておおらかに育てる、ということが非常に重要視されているというような・・・。違うかな?
トロント市では、それぞれのkindergartenはトロント市教育委員会が管轄しているため、先生たちはしっかりと市教育委員会のカリキュラムに従って教育目的を設定したうえで子どもたちの活動を選んでいる。自らの政治遺産として教育改革を残したいと切望しているマギンティ(オンタリオ)州首相にとって、数年前から取り組んできたオールデイ・キンダーガーデン(小学校と同じ時間帯で)は肝心要の政策に違いなく、2013年にはすべての学校でオールデイ・キンダーガーデンが実施される見込みになっている。
この背景には、従来、「親が子どもを預けるところ」とみなされてきた幼稚園を、「生涯続いていく教育の初歩的基盤」と見直す風潮がある。カナダでは幼児教育研究者や教育専門家、政府関係者などが、こぞって(明らかに世界では最先端)北欧モデルの教育システムを注視しており、最近の研究でも、早期幼児教育の重要性(学力や生活力への影響など)が次々と証明されている。なかでもLiberal党は、国民全体の教育水準を高めるための施策として、早期幼児教育に非常な期待を寄せている(ように私には見える)。
先にも述べたが、トロントではエリックの幼稚園では、子どもたちはすでに4歳からコンピュータを触っている。簡単な数字ゲームをするような感じだが、それでもそこには教育におけるコンピュータ・リテラシーの重要性への気付きがある。そこには「どのような国を目指すのか」に対するカナダ政府のしっかりした答えがあり、「オールデイ・キンダーガーデン」は、それを達成するための施策であるのだ。
「先生たちの情熱」、「愛情をもって育てる」、「体を張って子どもに向き合う」・・・、確かに結構である。でも、私にはこれだけあればすべて何とかなるような幼児教育環境で育ってきた子どもたちが、小学生のうちはまだいいが、中学・高校と進学して大人を含め他者とのあいだに大きな問題に直面する可能性があるのは明らかだ、という気がする。
さて、話が長くなったが、いくつか保育園をまわってみて、こんなことをあれこれ考えながら、正直言って「日本の幼児教育は遅れている」という印象を受けた。それは政府が幼児教育の重要性を認識していない、子どもたちを将来、国を担っていく国民に育てるための責任を認識していない、そのため、組織的に対応ができていないことが根本にあると思うし、政府の無策が批判されもしない状況がちょっと理解できない。
Saturday, March 24, 2012
カルチャーショック日本
京都に引っ越してきた。13年ぶりの京都は見慣れている風景に、へんてこなものや奇妙なものがたくさん詰まった町に感じられる。最近思うところをいくつか書き出してみよう。
それに何もかもがまだ紙上でやられている。何とか届けや何とか交付書など、いちいちこちらが書面で「申込書」を書かなければならない(それに印鑑がいるし)。カナダだったら、こんなことはオンライン上で簡単にできる。それで思い出したが、トロント市の各オフィスでは「無駄を出さない(efficiency)」ことを非常に重要なことと考えていて、できるだけ不必要な紙を出さないことをインターンをしていた私も強く言われた。「オンラインで情報があるんだったら、わざわざ紙に印刷して配る必要はないでしょ」というのが、市の言い分だった。トロント大学の政治学者Janis Stainがずいぶん前に主張していたように、北米ではEfficiency(効率性)という価値がいろんな組織で幅をきかすようになっているが、オンライン化もその現れのひとつと見える。さて、一方、日本の市役所や府庁のオフィスを見ると、山のように紙の書類が詰まれていたり、ねずみ色のロッカーにファイルでまとめられていて、あれをどこかで一括的にデータ処理するのは無理なんだろうな、と余計なお世話的なことを思ったり・・・。
このほかにも先ほど述べたように官公庁で書面という形式がいまだにひろく使われていることもそうだが、情報はおもに紙ベースだし、ほかにも公共図書館に自由に使えるコンピュータが置かれていない、WiFiが使える公共の場所が少ない、などインターネットが北米ほど普及していない印象を覚える。それはひょっとするとコンピュータ・リテラシーの低さと関係があるのかもしれない。
喫茶店に入っても案外と喫煙できる喫茶店も多い。お店の半分を喫煙にして、半分のスペースを禁煙にしているところもあるのだけれど、これってタバコ臭アレルギーの私にはどんな意味があるんだろうと思われる。
でも、徐々にではあるけれど日本社会も禁煙化が進んでいるように思われる。新幹線のぞみに乗ったら、「全車禁煙ですので・・・」と車内放送が流れていて、禁煙車に乗ったものの扉が開く度に煙が流れてきていた2年前に比べればかなりましにはなっているんじゃないかしら。
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こんなことを毎日感じていると、ふと、私自身がもう日本からかなり遠ざかっているのだ、ということに改めて気付く。昨日もスーパーで、買い物客のおばちゃんが紙についている洗剤サンプルのにおいをかいでいるのをマジマジと見ながら、「ふーん、こうやってにおいのサンプルを嗅ぐのね」と心に留めたり・・・。つまり、海外から日本に来た人が感じるであろうことを、12年海外で暮らした私も感じているのだろう。半分日本人で、半分は非日本人の感じ。そして、今しか持てないこの絶妙な距離感を、自分でもとってもおもしろいと思う。いずれ私の感覚も日本人のそれと変わらなくなるだろうから、しばらくはこの距離感をしっかり味わっておこうっと。
- 観光客が減った?
- 自転車の勢いのすごさ
- 官公庁が古い。
それに何もかもがまだ紙上でやられている。何とか届けや何とか交付書など、いちいちこちらが書面で「申込書」を書かなければならない(それに印鑑がいるし)。カナダだったら、こんなことはオンライン上で簡単にできる。それで思い出したが、トロント市の各オフィスでは「無駄を出さない(efficiency)」ことを非常に重要なことと考えていて、できるだけ不必要な紙を出さないことをインターンをしていた私も強く言われた。「オンラインで情報があるんだったら、わざわざ紙に印刷して配る必要はないでしょ」というのが、市の言い分だった。トロント大学の政治学者Janis Stainがずいぶん前に主張していたように、北米ではEfficiency(効率性)という価値がいろんな組織で幅をきかすようになっているが、オンライン化もその現れのひとつと見える。さて、一方、日本の市役所や府庁のオフィスを見ると、山のように紙の書類が詰まれていたり、ねずみ色のロッカーにファイルでまとめられていて、あれをどこかで一括的にデータ処理するのは無理なんだろうな、と余計なお世話的なことを思ったり・・・。
- オンライン化が思ったほど進んでない
このほかにも先ほど述べたように官公庁で書面という形式がいまだにひろく使われていることもそうだが、情報はおもに紙ベースだし、ほかにも公共図書館に自由に使えるコンピュータが置かれていない、WiFiが使える公共の場所が少ない、などインターネットが北米ほど普及していない印象を覚える。それはひょっとするとコンピュータ・リテラシーの低さと関係があるのかもしれない。
- 禁煙化がちょっぴり進んだ?
喫茶店に入っても案外と喫煙できる喫茶店も多い。お店の半分を喫煙にして、半分のスペースを禁煙にしているところもあるのだけれど、これってタバコ臭アレルギーの私にはどんな意味があるんだろうと思われる。
でも、徐々にではあるけれど日本社会も禁煙化が進んでいるように思われる。新幹線のぞみに乗ったら、「全車禁煙ですので・・・」と車内放送が流れていて、禁煙車に乗ったものの扉が開く度に煙が流れてきていた2年前に比べればかなりましにはなっているんじゃないかしら。
- 連帯責任を強制される社会
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こんなことを毎日感じていると、ふと、私自身がもう日本からかなり遠ざかっているのだ、ということに改めて気付く。昨日もスーパーで、買い物客のおばちゃんが紙についている洗剤サンプルのにおいをかいでいるのをマジマジと見ながら、「ふーん、こうやってにおいのサンプルを嗅ぐのね」と心に留めたり・・・。つまり、海外から日本に来た人が感じるであろうことを、12年海外で暮らした私も感じているのだろう。半分日本人で、半分は非日本人の感じ。そして、今しか持てないこの絶妙な距離感を、自分でもとってもおもしろいと思う。いずれ私の感覚も日本人のそれと変わらなくなるだろうから、しばらくはこの距離感をしっかり味わっておこうっと。
日本で暮らし始める
ブログのタイトルが「トロントに暮らす、考える」なのに、夫の都合で日本に短期的にやってきて「日本で暮らす、考える」をやっている私。日本人にとって当たり前のことに驚いたり、思ったよりassertiveになっている私自身に驚いたりしている今日このごろ。これからしばらくのあいだ、へんてこりんな日本人として、祖国日本滞在記を綴っていきます!
Wednesday, February 15, 2012
ヘボン式って何だ?
二重国籍者の子どものパスポート申請が何とも大変だった。
まず、旅行代理店で航空券を買うのに、航空券の名前はパスポートの名前と同じでなくてはならないと言われる。ま、至って当然のことなのだが、そのとき、エリックはカナダのパスポートしか持っておらず、これから日本のパスポートを申請する、ということになっていた。
さて、エリックの名前の表記に関しては母親の私もちょっぴり不安がある。日本の戸籍では、「篠原エリック空」となっている。カナダでは、「エリック・スクリバニック」で通っている(ミドルネームのソラは通常は書かない)。「それって、別人じゃーん!」と知人からも言われる。さて、航空券は、日本のパスポートと同じなのだから、篠原エリック空ということにすればいい。しかし、今度は今まで使っていたマイレージ・プログラムが使えないことが判明(今まではカナダのパスポートで旅行していたから)。残念だが、これはあきらめるとする。
次なる難関はパスポート申請用紙の「ヘボン式」。パスポート申請書類には、ヘボン式でエリックの名前を記載しなくてはならない。ヘボン式というのは、日本の「仮名にローマ字を一対一で対応させたもの」(ウィキより)で、日本人の名前には難なく対応させられるが、エリックはERIKKUとなる。
領事館に行く前には、夫の姓「スクリバニック」などをヘボン式で書かされたらどうしよう、と心配してしまった。「バ」か「ヴァ」も議論の残るところで、それも大切なパスポートなのだから失敗してはいけないだろうとの懸念から、私も深夜、突然起きて考えていたら眠れなくなってしまった(心配性・・・)。結局、その必要はなくてホッとしたのだけれど・・・。
それで思ったのだが、こういう経験っていうのはエリックのような二重国籍者にとって典型的なんじゃないか。ふたつの国の基準は違っている。その関係性がうまくいかずチグハグなこともある。その狭間にあって、二重国籍者は1つの国籍しか持たない人に比べると、思わぬような問題に遭遇する可能性も高いんじゃないだろうか。日本という国は、「規格外」の人にとっては非常に住みにくい国なんじゃないか。そんな予感を覚えた。
それにしても、私には意味のわからない、このヘボン式、そもそも何のためのものなのだろうか・・・。必要あるんだろうか・・・。
まず、旅行代理店で航空券を買うのに、航空券の名前はパスポートの名前と同じでなくてはならないと言われる。ま、至って当然のことなのだが、そのとき、エリックはカナダのパスポートしか持っておらず、これから日本のパスポートを申請する、ということになっていた。
さて、エリックの名前の表記に関しては母親の私もちょっぴり不安がある。日本の戸籍では、「篠原エリック空」となっている。カナダでは、「エリック・スクリバニック」で通っている(ミドルネームのソラは通常は書かない)。「それって、別人じゃーん!」と知人からも言われる。さて、航空券は、日本のパスポートと同じなのだから、篠原エリック空ということにすればいい。しかし、今度は今まで使っていたマイレージ・プログラムが使えないことが判明(今まではカナダのパスポートで旅行していたから)。残念だが、これはあきらめるとする。
次なる難関はパスポート申請用紙の「ヘボン式」。パスポート申請書類には、ヘボン式でエリックの名前を記載しなくてはならない。ヘボン式というのは、日本の「仮名にローマ字を一対一で対応させたもの」(ウィキより)で、日本人の名前には難なく対応させられるが、エリックはERIKKUとなる。
領事館に行く前には、夫の姓「スクリバニック」などをヘボン式で書かされたらどうしよう、と心配してしまった。「バ」か「ヴァ」も議論の残るところで、それも大切なパスポートなのだから失敗してはいけないだろうとの懸念から、私も深夜、突然起きて考えていたら眠れなくなってしまった(心配性・・・)。結局、その必要はなくてホッとしたのだけれど・・・。
それで思ったのだが、こういう経験っていうのはエリックのような二重国籍者にとって典型的なんじゃないか。ふたつの国の基準は違っている。その関係性がうまくいかずチグハグなこともある。その狭間にあって、二重国籍者は1つの国籍しか持たない人に比べると、思わぬような問題に遭遇する可能性も高いんじゃないだろうか。日本という国は、「規格外」の人にとっては非常に住みにくい国なんじゃないか。そんな予感を覚えた。
それにしても、私には意味のわからない、このヘボン式、そもそも何のためのものなのだろうか・・・。必要あるんだろうか・・・。
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